企てられた報復 2
どこに顔を出しても、盛大的に無事を喜ばれるのはとても嬉しい。だが、情報のついでとばかりに、ひたすらアルマンへの愚痴を聞かされ続けた。もちろんそれも、大切な情報ではある。
戻ってきたエティは、いくらか辟易した様子だった。
「ただいま戻りました」
クレイグの家に入ったとたん、なぜかヴァルにフッと目を逸らされた。たったそれだけで、エティには、待ち時間にヴァルが耳にした話に察しがつく。
「……クレイグ。話しましたね?」
「アンリエット様が幼く、恋に憧れていた頃の話ですよ。せっかく当人がいらしているのに、話さない理由などありません」
自身が生まれる前から、ずっと家に仕えてくれていた。そんなクレイグには、さすがに強く出ることができない。
この場では、それ以上の反論を、仕方なく諦めざるを得なかった。
「そうね。ヴァレンティン様には憧れていたわ。話をしたらどれほど楽しいかと」
「どうでした?」
にこやかに微笑むクレイグに問われた。しかしエティは、やや含みのある笑みを浮かべるだけに留める。
噂で聞くリヴァルーク王国のヴァレンティンには、確かに憧れていた。けれどそれも、恨み妬みからくる報復をされる前までの話だ。
実際に会って話をしたヴァルは、エティの想像以上に魅力的だった。ずっと理想として描いていた男性が、ようやく目の前に現れたと思ったほどだ。
この人が手に入るのなら、これまでの地位など、何もかも手放してもいい。
他の誰かが得るところなど、絶対に見たくも聞きたくもない。
『……アンリエット様、ひょっとして、男でもできた?』
情報収集をしている途中で、顔なじみの少年少女たちにも会った。そのうちの一人に、化粧をした顔を指摘され、そんなことを言われたのだ。
あまりのひと言に、思わず頭を叩いてしまった。もちろん、力は加減してある。
もっとも、手加減をしなくとも、エティにそこまでの力はない。
『だからあなたは、いつまでも半人前なのですよ?』
『俺は本気だから、アンリエット様の違いが気になるんだよ。アンリエット様は違うの?』
何度も「本気だ」と言われてきた。だが、彼は何もわかっていないのだ。
爵位に連なる者と、死ぬまでともにあること。そこに連綿とつきまとう義務と、責任。それらがどれだけ重いのか、正しく理解はできないだろう。
『やっぱり、バレンティン様みたいな男にならないと見てくれないの?』
今までと違い、ジッと黙っているエティに焦れたのか。彼は噛みつくように問いかける。
エティは否定するために、ゆっくりと首を横に振った。
『今までと状況が変わりました。私と結婚する方は、ヴィゼルークの次の王にならなくてはいけないんです』
最も王位にふさわしいと思うのは、やはりヴァルだ。けれど、その重責を知っているからこそ、ヴァルはなりたくないのだろう。
王になってしまえば、セオドアが憎む奴隷商船を追うことはできなくなる。
本当は、自由で生き生きしているヴァルに、軽やかに飛べなくなる枷をつけたくはない。けれども、そうしてまで、そばで生きていきたいと願う自分もいるのだ。
『アンリエット様と一緒にいられるなら、俺はなるよ!』
『あなたには、無理です』
ずっしりした重さを知った上で、きちんと覚悟を決められる男性でなければ。とてもではないが、国をひとつ任せることなどできない。
ただ、そばにいたい。
ずっと一緒に、同じ時間を過ごしたい。
そんな甘い幻想だけでどうにかやっていけるほど、楽なものではないのだ。
『じゃあ、憧れのバレンティン様だったらいいの!?』
彼の言葉が、胸にザクリと突き刺さった。
『……彼は、王にふさわしい方です。けれど、望んでいませんから』
ずっと憧れていたからこそ。そばにいたいと願ってしまったからこそ。絶対に、無理強いはできない。
どうあっても望まぬものを押しつけるくらいならば、エティは別の方法を選ぶ。
それこそ、女王になることすら辞さない覚悟だ。
『あなたは、そろそろ目を覚ますべきです。あなたの知っている私は、私のすべてではありません』
次の当主となるジルが教育を受けるより早く、徹底した教育をされてきた。父には、男だったら迷わず後を任せていた、と言われたこともある。
それほどに、エティは理知的で、表と裏の使い分けがうまい。
必要のない限り、基本的には表の顔で領民と接してきた。だからこそ、彼らもこうして懐いているだけだ。
別の顔を知れば、とたんに近寄りがたくなると知っている。
『……じゃあ、ヴァレンティン様は、アンリエット様のことをどのくらい知ってるの?』
『彼には、私の知る私を、すべて見せているつもりです』
『そっか……』
痛みを堪えて微笑むエティに、彼は察したのかもしれない。静かに涙をこぼしながら、「またね」と手を振ってくれた。
思いがけない察しのよさと、不意に見せられた笑顔の魅力。もっと知りたくて、すべてを知って欲しくて、ヴァルには隠していられなかった。
それでもまだ、エティ自身が知らないから、彼に見せられない部分がある。
どんな自分が隠されているのか。知りたい反面、すべてをさらけ出してしまっても、ヴァルは変わらないか。
そのことを考えると、もう、知ること自体が怖くなってしまう。
ヴァルにだけは、本当の気持ちをそうだとわかるようには、どうしても言えないのだ。
「本題に入りますが……」
エティは仕入れた情報を残さずヴァルに伝え、この後すべきことをザッと説明する。
残る問題は、セオドアがいつ到着するかだけだ。
そのセオドアから準備が整った合図が上がったのは、その日の午後だった。
「決行は明日の早朝にしましょう」
該当する時間の合図をすぐに打ち上げ、エティはニッコリと微笑む。
「話が広まるまで、少なからず時間が必要ですしね」
「話?」
「ええ。私がどういった人間であるかと、デュヴァリエールに戻っていることを知らしめるためです。報復に怯える姿を見るのも一興でしょう? 半日もあれば、最低でも国の半分には伝わると思いますよ」
噂というのは、尾ひれがついて広がるものだ。時には、立派な胸びれや背びれもついているのかもしれない。
だが、ヴァルの噂に関しては、そのほとんどが事実に近かった。
「……女ってのは恐ろしいな」
気をつけないと、と呟くヴァルに、エティは心底おかしそうに笑う。
浮いた噂がないのはもちろん、妬みからくる悪口が囁かれても評判は落ちない。リヴァルーク王国近辺に暮らす年頃の娘たちの憧れや、淡い恋心を一身に集めている。
そのヴァルが、いったい何の心配をしているというのか。
「今までどおりにしていれば、ヴァルの悪い噂が流れたところで、誰も信じませんよ。だいたい、ヴァレンティン様は素敵な方だと噂されて困る要素は、ヴァルにはないでしょう?」
「なっ……まさか!?」
やりかねないと青ざめるヴァルに、エティはひどく優しい笑顔を向けた。それから静かに、エティは首を横に振る。
「私がそんなことをすると思うんですか?」
逆に問われ、今度はヴァルが即座に否定する。
エティは、わざわざ自分の楽しみを分け与える酔狂な性格ではない。一人でこっそり楽しみ、結果に満足するだろう。
そして今、ヴァルに関して、エティが誰かに語る必要はない。
「準備も整ったことですし、食事を取って少し休みましょうか。明日は暗いうちから馬を走らせなくてはいけませんしね」
言いながらグッと袖をまくりあげたエティが、台所を借りてその見事な腕前を披露した。
前菜は新鮮な野菜を軽く蒸して、ハーブ入りの自家製ドレッシングをほどほどにかけたもの。
メインとして出されたのは、リヴァルークの家庭料理だった。ひき肉と野菜のみじん切りをゆでてつぶし、ジャガイモで覆って焼いたパイだ。
食後には、数種類の果物にどっさりとクリームを添え、ベリーソースがかけられた焼き菓子が出された。これはデュヴァリエールのもので、庶民から貴族まで、誰にでも幅広く好まれている。
それらに、ほかほかの焼きたてパンと、野菜たっぷりの温かいスープもつけられていた。
「どうですか?」
味も文句のつけようがなかったようで、ヴァルはパイをおかわりしている。クレイグに至っては、腕が上がったとの褒め言葉がついていた。