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星の涙を流す娘  作者: 日咲ナオ
プライベーティアの女神
13/25

企てられた報復 1

 ところどころ小石の落ちている土の道を、大型の屋根つき馬車は滑らかに走る。その馬車には、左右にリヴァルーク王家の紋がしっかりとついていた。

 その中には、エティとヴァルがいた。彼らは出入り口に近い場所で向かい合わせに座り、奥に大荷物を置いている。

 エティは明るいオレンジ色のドレスを身にまとう。肩には、丈の短い白色のケープをかけ、胸元で結んでいる。頭には、ゆるやかに波打つヘーゼル色のかつらを被っていた。

 瞳の色を見なければ、まさにリヴァルーク王国の貴族令嬢だ。

「……俺まで、こんな格好をする必要があったのか?」

 まだ納得していないのか。やや立腹している顔のヴァルは、エティから視線を逸らす。

 薄い赤色のアンダーガウンに、白色のホーズ。その上に、淡い緑色で縁飾りのついた、バックスリーブのチュニックを着ている。体を覆う青色のマントは、右胸に大きなブローチでしっかりと止めてあった。

 聞けば、これがリヴァルーク王国におけるヴァルの正装らしい。

 船で見たヴァルの服装は、彼を精悍な美丈夫に見せる。けれど、正装となると、やはりヴァルも王族なのだと思わせた。彼らしさはまったくないが、だからといって服装に負けていることもない。

「あら、船に乗っている時のヴァルも好きですけど、正装も素敵ですよ?」

 素直な感想を、エティはサラリと口にする。その表情には照れなどはなく、いつもとまったく変わりなかった。

 どこまでが彼女の本心から出た言葉なのか、しっかり聞いていてもわからない。

 もっとも、それが本音だった場合に困るのは、応えるつもりがないヴァルだろう。

 華やぐ化粧を含めた装いに、ちょっとしたことにも気を配った優美な仕草。そして、エティのやわらかな微笑み。

 それらは確かに、リヴァルーク貴族の令嬢という設定には相応しい。だが、その笑みの裏に、真っ黒い企みが見えるのは気のせいだろうか。

 ヴァルは何度目かわからないため息をつく。

「言ったでしょう? 私はお父様と顔立ちどころか、雰囲気まで似ているんです。誰かと長く話せば、気づかれてしまいます」

 よくも悪くも、お父様は有名でしたから。

 そう呟いて、エティは何気なく窓の外を見た。

 リヴァルークと国境を接する、生まれ育った土地。そこがだんだん近づいてきていることを、どんどん流れる景色から感じられる。

 ほんの何日か離れただけのはずが、無性に懐かしい。

 エティの横顔には、ほんのりと切なさがにじむ。そんな彼女にかける言葉を見つけられないヴァルは、黙り込んで同じ景色をただ眺めていた。

 国境を越えてすぐ、エティが予想していたとおり、いきなり馬車が止められた。ここまでは、セオドアとの計画どおりにきちんと進んでいる。

「どこに行くんだ?」

 検閲の兵士は、馬車の紋を視界に入れなかったようだ。相手が誰かを確かめることもせず、やけに居丈高に行き先を聞いてきた。

 リヴァルーク国内の、重大な公式行事でしか目にすることがない。そんなヴァルの顔は、デュヴァリエールではほとんど知られていないのだ。

 ヴァル自身、普段は堅苦しいことを好まない。そのことを、エティも理解している。

 だが、今回は素性を明かしてもかまわない。むしろ、はっきりさせなくてはいけないくらいだ。礼を尽くされるべき立場にいることを、相手にしっかり思い知らせるよう振る舞って欲しい。

 そんなふうに、エティは厳命していた。

 それが、計画の重要なひとつなのだ。そう言われてしまえば、ヴァルに逆らうことはできなかったらしい。

「お前に言う義理はない」

 ヴァルはきっぱりと言い切る。その上、兵士の態度で気分を害した雰囲気を出す。ジロリと兵士を見る目つきが鋭く、そのまま怒りを表現していた。

 エティもよそを向いたまま、ヴァルの言動をこっそり評価する。

(もう少し偉そうにしてもらってもいいのですけれど……まぁ、及第点はあげられますね)

 エティならば、相手の身の毛がよだつほど居丈高に振る舞える。だが、ヴァルらしさを奪うそれを、わざわざ強制するつもりはない。

 誰にでも、向き不向きがある。

 彼らしさを奪ってでも偉そうに振る舞わせることは、決して目的ではない。

「それとも、デュヴァリエールは、リヴァルークと争う気があるのか?」

「リ、リヴァルーク!?」

 思わぬ大国の名が出たことで、兵士が明らかな動揺を見せた。好機を逃さず、エティがすかさず畳みかける。

「リヴァルーク王家の紋も、ヴァレンティン様のお顔も存じ上げていない、下の者のようですもの。今回は大目に見てあげてくださいな」

 ヴァルとともにある令嬢に似合いの、可愛らしく作られた声。ほんの少しだけヴァルに目線を向けて、ふわりとやわらかく微笑む。

 それが誰かを思い出させたのか、ヴァルの頬にサッと赤が差す。

 とっさに飲み込もうとして失敗した、暗い感情が渦を巻く。

 他の誰かを連想するのではなく、常に自分を思い浮かべて欲しい。その上で、そうした反応を見せて欲しい。

 ないものねだりだ。

「知る気のない方が悪い」

「ふふっ、子供ではないのですから、許して差し上げましょう?」

 エティの声にも表情にも、内面はひとかけらも現れていない。

 声が高めで、口調はますます丁寧になっている。ただそれだけで、結局いつものエティと何も変わらなかった。

 ヴァルは打ち合わせどおり、子供扱いされたことを拗ねたと見せかけて横を向く。

「リズ……が言うなら、仕方ないな」

 エティと呼べば、間違いなく疑われる。事前に偽名を打ち合わせておいたとはいえ、ヴァルに奇妙な不自然さは残ってしまった。

 それを気にさせないために、ヴァルは端から損ねていない機嫌を直したふうを装う。ややぎこちないが、兵士に笑みを向けた。

 態度を改めた兵士は、丁寧な口調で目的を問う。それにヴァルは、連れの観光が目的だと、偽りの予定を告げる。

「どうぞ、お通りください」

 これ以上引き止めて、余計な不興を買ってはたまらないとでも思ったのか。取り立てて、不自然な点は見当たらないからか。兵士は急いで馬車を通す。

 彼らが探しているのは、真っ直ぐなブラウンの長い髪を持つアンリエット・エルヴェシウスだろう。ふわふわしたヘーゼルの髪を揺らして笑う、リヴァルークの貴族令嬢ではないのだ。

「うまくいきましたね」

 あっさり騙された兵士たちを見送りながら、エティは心底おかしそうに笑う。それを見て、難所をうまく通り抜けたとわかり、ヴァルは安堵した。

 とりあえずの目的は、ステルブール伯爵家へ向かう。近くの領民たちから、少しでも多くの情報を聞きだすことだ。

 何が起きているのかを正確に知らなければ、一番効果的な戦い方を選べない。

 これから先、エティの判断で、作戦を取捨選択していかなくてはならないのだ。

「どういうところなんだ?」

 少ない言葉だが、エティは詳細を聞き返すことはしない。

「そうですね、一言で表すならば、とてものどかです」

 それ以外に表現のしようがないのか、エティが珍しく悩む様子を見せた。だが、その後に続いた言葉で、悩んでいたのは表現ではなかったとわかる。

「私が馬に乗って散策をしていると、誰もが気軽に話しかけてくれますから」

「……乗馬までたしなむのか。ずいぶんとお転婆だな」

「必要とあれば何でも学びました。お父様に許可がいただけなかったのは、剣術を習うことだけです」

 呆れた顔を見せていたヴァルだが、開いた口がふさがらなくなったようだ。

 知りたいことは、知識でも乗馬でも護身術でも、何でも教えてもらえた。それが叶わなかったのは、母のように剣を使いたい、と願いでた時だけだった。

 剣の腕があれば、敵は反逆を恐れる。無力でいるうちに、命を奪われてしまうだろう。それを防ぎ、何とか生き延びさせるために、余計な武力を与えられなかったのだ。

「……護身術ができれば、船で俺を呼ぶ必要はなかったんじゃないのか?」

 もっともなヴァルの問いに、エティは彼を真っ直ぐ見つめて微笑む。

「船の時に敵意はありませんでしたけれど、あの部屋は狭くて武器になるものはありませんでしたし、予想外の抵抗をされたことに驚いて逃げてもらえなければ、結果は何も変わらないのです。ですから、ヴァルのことを頼りにしていますからね」

 微妙な表情のヴァルは、内心、かなり複雑な感情が渦巻いているのかもしれない。それがうっかり、顔に出てしまっているのだろう。

「そろそろ見えてくるはずなのですが……」

 小さな窓から懸命に外を見ていたエティの顔色が、突然サッと変わった。

 唇がフルフルと、小刻みに震えている。窓に触れた手は、よほど力が入っているのか。指先の色がすっかり変わっている。

「──叔父様……いえ、アルマン。絶対に、許しません!」

 呟かれる言葉の強さと、冷たさ。

 明らかな怒りを見せているのに、エティの『星』はそれをヴァルには伝えない。目に見えてに憤っていても、きっちり感情を御している。

 それがどれほど難しいことか、ヴァルはよく知っている。だからこそ、エティに対し、畏怖に似た感情を抱いたようだ。

 何がそこまでエティを怒らせたのかと、ヴァルも窓から覗く。しかし、木立以外、何も見えなかった。

「ここのようですが……」

 戸惑っている御者の声に、エティは自らドアを開け放つ。動きを妨げるドレスやケープをものともせず、ひょいと飛び降りる。御者が踏み台を用意するまで待つ時間すら、惜しんでしまう。

 ヴァルが続いて外に出ると、エティはケープとドレスを風にパタパタとはためかせていた。

 大きく広げた枝に、青々とした葉を蓄えた木々。それらに囲まれた、黒焦げの広大な何かの焼け跡。

 その前に、エティは黙って立ち尽くしている。彼女の拳は、ギュッときつく握られていた。

「……そういうことか」

 悲痛な面持ちで呟くヴァルの声さえ、今のエティにはまったく届かない。

 思い出も、両親や家人の遺体も、ステルブール伯爵家の歴史も。大切なものすべてを飲み込んだ炎は、いったいどれほど高く燃え上がったのか。燃え尽きるまで、どれだけ長い時間がかかったのか。

 何が何でも知りたい。どんな手を使ってでも、知りたくなる。

 この景色を見た瞬間に感じた以上の、強烈で深い喪失感を与えるために。

 不条理に奪われる悲しみを、苦しみを、徹底的に思い知らせるために。

「……まずは着替えなくてはいけませんね。それから、聞いて回りましょう」

 二人は再び馬車に乗り込む。エティの指示どおりに御者が走らせると、一軒の民家に着いた。

 木造で、一人暮らしにはちょうどいいだろう。そう思われる大きさの家だ。

 音を聞きつけたのか。その家から転がるように飛び出してきた老人は、エティを見るなりほろほろ涙を流す。

「アンリエット様! よくご無事で……」

「クレイグも無事でよかったわ」

 この老人は、以前執事をしていた。今回の襲撃犯に確信のあるエティは、生きて出迎えてくれたことを素直に喜ぶ。

 彼の立ち位置を考えれば、すでに口封じされているかもしれない。それを、最悪の事態として念のために想定していたのだ。

「ダニエルが、大変申し訳ないことを……私の、監督不行届でございます……申し訳、ございませんでした」

 クレイグはひたすらに謝罪を繰り返す。そんな彼に、エティは逆に心苦しいと、表情をわずかに歪ませる。

 決して、クレイグに何らかの罪があるわけではない。

「いえ、アルマンが絡んでいる以上、不思議はありません。ただ……」

「いいんです。お嬢様に懸想した挙句、逆恨みするような愚かな孫など、初めからいなかったと思いたいくらいですから」

「け……」

 ヴァルが言いかけたところで、エティがチラリと睨む。そのためか、ヴァルは出かかった言葉を必死に飲み込んだようだ。

 ダニエルは、幼女趣味があったらしい。見た目は母に似て愛らしく、愛嬌もあるロジーは、彼のお眼鏡にかなったのだろう。常につきまとい、舐めるようにジロジロと見つめている姿を、エティは何度も目撃している。

 そのたびにダニエルには忠告し、両親には警告を出していた。

 いつ、暇を言い渡すか。その時機を見計らっていた状態での、あの襲撃だ。ダニエルが関わっていないとは、到底思えない。

「このアンリエット・エルヴェシウスを敵に回したこと、その命ある限り、後悔させて差し上げますわ」

 嫣然と微笑むエティに、恐怖を感じたのか。ヴァルは後ずさっている。しかしクレイグは、ありがたいと拝んでいた。

「ねえ、クレイグ。着替える場所を貸してもらえるかしら?」

「アンリエット様をお招きできるような家ではありませんが、お着替えには我が家をお使いください」

 家の中に案内され、鍵のかかる部屋で素早く着替えを済ます。

 ドレスも悪くはないが、動きが制限されてしまう。やはり、普段着のカートルが最適だ。かつらも重く、落ちないように気を遣うことに疲れてしまった。

 彼女に続き、ヴァルも着替えを済ませる。船に乗っている時との違いは、靴を履いているかどうかくらいか。それでも、ヴァルは生き生きとした表情を見せている。

 エティは微笑みながら、癖のついていないブラウンの髪をサラリと揺らす。

「正装も素敵ですけど、私は、ヴァルのその恰好が好きです」

 少し寄っていたヴァルのクラヴァットを丁寧に整えながら、さりげなく誉める。その表情や口調は、普段と何も変わらない。まったくもって、いつもどおりだ。

「では、私はみんなに話を聞いてきますから、ヴァルはここで待っていてくださいね」

「俺も行く」

「後で面倒なことになりますよ?」

 エティがわざわざ忠告した事実が、ヴァルを素直に引き下がらせる。どうやらすぐに、同行するとどういう目に遭うか、察してしまったらしい。

 詳しく語らなくとも、理解してくれる。不利と察すれば、引き下がってくれる。そういうところに、どんどん惹きつけられていく。

 一度育ってしまった想いを殺すことなど、できそうにない。

「だから、ヴァルは好きです」

 本音をほんの少しだけこぼして、エティは出ていった。

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