狂わしきまでに美しい
数年前に、道ですれ違った悪魔から美を買った。
それは妖艶で、純粋で、瑞々しい、光輝く完璧な美しさ。
ほら見て、私が街に出れば途端に、男達の視線を独り占めにしてしまう。
中には女達の、嫉妬の視線も含まれているでしょう。
愉快だわ、何て愉快。
キラキラと輝く白肌に麗しい髪。スラリと少女のような手足。それでいてたっぷりと膨らんだ、形の良いバスト。そしてそして、何よりも、この美しく整った顔!
誰もが必ず振り返る。
ほら、また来たわ。
身の程知らずなナンパ男。
馴れ馴れしい。お金を持っているのが自慢みたいね。それにしたって、あんた程度のみすぼらしい奴。
「用は無いわよ」
ネイルサロンでピカピカに整えた爪を突き出し、蔑みをたっぷりと浮かべて目を細める。
「貴方、一度でも自分の顔を、鏡で見たことがあって?」
アハハ、ああ堪らない、男の真っ赤になった恥辱に満ちた顔ったら!
テメエ調子に乗りやがって、とか何とか、喚きながら詰め寄ってくる。
このテの男には多いのよね、こういう反応。
私は眉一つ動かさず、男の拳を避けも構えもしない。
ザワリと空気が緊張したのはほんの一瞬、弾かれたように人々が走り出し、金切り声、怒声が瞬時に辺りを満たす。
私に暴力を奮おうとした男は、一瞬後には何人もに押さえ付けられ、不様に道路に突っ伏している。
あの、大丈夫ですか、お嬢さん。
男を押さえたうちの一人、高価な身なりの紳士が、遠慮がちに私を見上げる。
怯えたように口元を指で押さえ、私は弱々しく笑みを浮かべる。
「……はい。でも、その方、何てひどい人なんでしょう」
私の悲しみの表情を見て、男を押さえた人々の表情に電撃が走る。
「そんな乱暴な方がいたら、怖くてこの辺りを歩けないわ」
それは憂いと見せ掛けた、命令。
この美に捕われた者が、逃れられないと知った上で。
「その方、どなたか殺して頂けません?」
サラリと。
極上の、微笑みを浮かべて。
そして始まる地獄絵図。
組み敷かれて動けない男が悲鳴を上げ、その首に腕がかかり、全身に容赦無く打ち下ろされる殴打、蹴りによる打撃。
阿鼻叫喚。
美の女神が望むままに。
輝かしい宝石のような瞳に、我が姿を一瞬でも映して貰いたいが為、彼らは狂った殺戮を我先にと繰り広げる。
でも私は、こんなのはもう見慣れてしまっている。いつもの事。日常茶飯事。
私は無惨な死肉と化したナンパ男に興味を失い、ツイと視線を上げる。
「あいつら」
若い男ばかりの五人組み、そそくさと去って行く彼らの背中を指差して、私は眉をひそめる。
「この私に、一瞬も視線を寄越さなかった」
「……不愉快」
ザッ!
ナンパ男を殺害した人々はもちろん、その周りにいた人々も、鋭い視線を彼らに向けた。
私は微笑んで囁く。
「死ねばいい」
騒音と共に突然追い立てられ、五人組みは乱暴に四方を囲まれる。
混乱、恐怖、彼らは怯えを隠して怒声を上げるも、その威勢が長く続くはずが無く。
爪、指、拳、傘、靴、石、地面。 そこにある、あらゆる物を用いて、彼らの肉体は破壊されていく。
苦痛の悲鳴。
哀願。
涙。
そして、哀れな死。
血にまみれ、女神の褒美を期待する男達に、私は喉を震わて甲高い嘲笑を浴びせる。
何台ものパトカーが到着する音。
救急車も来たようだけど、意味は無いわね。
死人と、未来を無くした殺人者達を無視して、私は気分良く歩き出す。
混乱する警察官達の中に、今回もよく見知った顔を見付ける。
私が悪魔と出会う前、未来を約束していた男。
《サヤは、本当に、優しい子だね》
いつもそう言って、私の頭を撫でていた手。少しだけその温かさを思い出す。その柔らかな感触を、ほんの少しだけ、思い出す。
でも今は、私を捨てて選んだ、あの綺麗なモデルさんの小さな頭を、毎日愛でているのよね?
私は笑う。
完璧な、人を狂わすほどの美を手に入れた私は、今や神々の領域。
狂え。
悶えろ。
求めろ。
壊れろ。
そして悲しめ。
かつての私が、そうであったように。
あの男を指差し、
殺して
そう口に出来たその時、私はついに、全ての人としての心を失うのだろう。
狂気の現場で苦痛と絶望の余韻を啜りながら。
悪魔が、その時を待ち侘びて舌なめずりしている。