噂と平行線
高校三年間は短い。周りの人たちはよくそう言う。それはきっと忙しさに比例していて、私には目にも見えない早さで過ぎ去っていくのだろう。
「駅前のドーナッツ屋、おいしいらしいよ」
「へえそうなんだ! じゃあ今度みんなで食べに行こうよ!」
後ろの席が騒がしい。私は机に伏せたまま聞き耳を立てる。
「ところでさ、神崎くんとはどうなったの?」
来た。女子高生必須の恋の話。
「ええー? なんにもなってないよー」
「うそだあ、美穂かわいいからほっとかないでしょ!」
きゃはははっと甲高い笑い声が教室に浮く。どうやらクラスメートの美穂ちゃんは神崎くんが気になっているらしい。
神崎くんはスポーツマンでさわやか。男女ともに人気あるクラスメート。何度か話したことがあるけれど、確かに女子が騒ぐだけある。一方美穂ちゃんはかわいくて、しかしさっぱりとした性格で友だちの多い子だ。
二人は確かにお似合いのように見える。お似合い……でもそれが気が合うかどうかとなると、また別問題なのだろう。
本格的に寝ようかと腕を組みなおしたとき、ドアをノックするかのように頭を叩かれた。
「鳥居さん、いちごオレでもどう?」
私は首をもたげたまま無言で立ち上がる。
「行く」
吉野くんとは席が隣にならなければ、一生話さないような相手だと思う。
『教科書、見して』
きっかけもそんな他愛もないことだ。ただ教科書の落書きがあまりにも上手で、仲良くなりたいと思ったのだ。そのあとは私が猛烈に話しかけていた。
「あ、売り切れだ」
吉野くんが間抜けな声を出す。
「えー? じゃあバナナは?」
私はケータイをいじりながら吉野くんに問いかける。
「それもない」
「なんだろう、いつになく人気だね」
そんなにがっかりするでもなく、ぼんやりと次の授業のことを考える。
「教室戻る?」
ちらりと吉野くんを見ると、彼も彼で背伸びをしていた。
「うーん……外でもぶらぶらしない?」
「いいよ」
別にあのときの落書きに感動したんじゃない。何を考えているかわからない彼の一面を見た気がして、嬉しくなってしまった……のかもしれない。息もつかずに話しかける私に押されながらも吉野くんは私と会話してくれた。あまり喋らない人だと思っていたけれど、それは彼から積極的に話そうとしないだけであって、人が苦手というわけでもなかったようだ。
そしていつの間にかすっかり吉野くんとは打ち解けた……んじゃないかと思う。今では吉野くんからも話しかけてくれるし、前よりも考えていることがわかってきた。
しかし今、少し、気になることがある。
中庭はいろんな花が咲いている。園芸委員会が世話をしていたはずだ。花だけでなく、ミニトマトやきゅうりなんかも育てているらしい。私はミニトマトの前でしゃがんだ。
「日記とか続く?」
「ん? どういう意味?」
「いや、ミニトマトで観察日記とかつけたなあと思って。宿題ならやれるんだけど、自分でやろうって思ったときは続かないんだよね」
すると吉野くんは適当に相槌を打った。はあ、とかへえ、とか息をつくのとおんなじように。
「小学生の時はそんなに真面目じゃなかったからな」
吉野くんがぽつりと言う。
「今も真面目かどうかは微妙だと思う」
「ひでえな」
上を見上げると、吉野くんが笑っていた。
「吉野くんと鳥居さんってお似合いだよね」
一瞬、私の思考が停止した。
「え?」
数日前の放課後、クラスメイトが何気なく私に言ったので、私は意味を理解するまでまで時間がかかった。
私たちが仲良くしているのを周りの皆も見ていたらしい。そのときまで人の目なんて気にしなかったけれど、初めて私と吉野くんの関係を他人の視点から考えてみた。少なくとも私たちは気が合っているとは思う。でもそういう色恋沙汰の意味では……どうなんだろう。
私たちは友だちなのだろうか。
私は吉野くんの顔をじっと見た。
「何?」
吉野くんは笑うのをやめた。吉野くんはどう思っているのだろう。こんなこと私が考えているだなんて気付いていないと思う。
「なんでもない」
そう言いつつも吉野くんを見るのをやめなかった。
私が悩んでいようがいまいが、聞かないことには吉野くんの本心なんかわからない。それに私だって……。
「鳥居さん、下の名前なんて言うの?」
いきなりの質問に戸惑う。
「え……覚えてくれてなかったの?」
失礼なことを聞かれたと理解するのに時間がかかってしまった。
「いや、とも……なんとかだったよね?」
「全然違うし」
私は大きく溜め息を吐いた。どうせ一人で考え込んでいるのは私だけなんだ。
「もう帰ろうか、予令もそろそろ鳴るでしょう」
私は立ち上がる。校舎に向かって歩き出そうとすると、私の腕を吉野くんが掴んだ。
「ともえ」
風が吹いた。
「何?」
私は吉野くんに笑って見せた。
最近、鳥居さんがよく声をかけてくる。
「ねえねえ、吉野くん。今日は私に教科書見せてくんない?」
隣のよしみで話すようになったけれど、彼女とはなんというか気軽に話せる。
「いいよ」
いちごオレが好きで、昼休みは大抵寝て過ごしている鳥居さん。
あるとき鳥居さんの机からプリントが落ちて、拾ったときに見てしまった。
『鳥居知恵……J大』
それは進路希望の用紙だった。
「ともなんとかであってたじゃん」
俺は鳥居さんの笑顔に少しどきどきしていた。だからかなんとか話題を変えようとした。
「ともえさん、大学はどこに行くの?」
鳥居さんは考えるような仕草をした。
「J大」
返事ははっきりとしていた。それは確かに俺の中で響いた。まだ俺は決まっていない。どこの大学に行くのか、なんの職業に就くのか、俺の夢は……なんだ?
「吉野くんは?」
「俺はまだ……」
鳥居さんはまぶしい。俺にないものを持っているから。俺は鳥居さんのようになりたい。そんなことは恥ずかしくて言えないけれど。
鳥居さんの腕を少し引っ張った。
「ともえさんって呼んでいい?」
すると鳥居さんは首を傾げて
「もう呼んでるじゃん?」
俺の手をするりと抜け出した。そのまま一人で歩いて行ってしまう。
「あ、ともえさん……」
待って。
続きを言う前に知恵さんがくるりと振り返った。
「おいてっちゃうよ、しょうたくん」
俺は戸惑いながらも、知恵さんのほうへ歩き出した。
わかっている。俺は彼女に憧れているんだ。
お似合いかどうかなんてよくわからない。まだ私の気持ちもよくわからないのに。それより吉野くん改め将太くんが私の名前を覚えていた。呼んでくれた。それだけで今はいい。もっと知りたいと思うなら、もっと将太くんと近づきたいと思うなら一歩ずつ毎日歩いていけばいい。とりあえず似合わないのは噂に惑わされる私だ。
予令が鳴った。
「次の授業なんだっけ?」
「古典だよ」
隣で歩いている将太くんの腕に私の肩があたった。
「ごめん」
私は少し離れた。……この距離を少しずつ縮めていこう。