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第  二  章   闇の研究 ~実験~

僕こと二木一也は小学生の頃の記憶がない。

良く分からないけれど取りあえず何か事件に巻き込まれることになって

しまった。

絶望的な未来の果てに少年は何を見るのか!

 町の明かりが届かない暗い影の中、全身黒色の服を着、目深にフードをかぶった女が背後から音もなく忍び寄り、背中を刃物で刺す。顔は見えないが白い首筋だけが印象に残る。その肌が血で赤く染まる。

 あの顔は以前から知っている・・・どこかで見たことのある男。

 その男が路地の裏で、知らない男をしつこく痛めつける。

「いいかげん教えろよ!殺すぞ。」

 男は蹴る度に気分が高揚し笑顔になるが、その度に背中に違和感を感じる。

「死ぬのはあなた・・・。」

 聞き覚えのあるその小さくてかすれた高い声が男の耳に入ったとき、背中の違和感は突如として痛みに変わる。


 夕ちゃんは部活動の関係で夜遅くに帰ることが多かった。

 夕ちゃんは僕の通う高校とは逆方向の列車に乗って学校に通っている。

 僕は夕ちゃんを追跡している何者かを突き止めるために夕ちゃんの後を追跡、尾行している。

 夕ちゃんはそのことを知っている。夕ちゃんをつけているのが誰なのか僕自身もまた知りたかった。 悪質なストーカーなら、それを止めてやりたい。

 その日は日曜日で、僕は夕ちゃんに呼び出され、駅から家まで一緒に帰ることになった。

 夕ちゃんの家と僕の家は近所だった。

「最近、何かあった?」と、夕ちゃんは言った。

「高校に入ってはじめてできた友達が亡くなったんだ。」

 夕ちゃんは納得したらしい。

「それで落ち込んでたんだ。一也の能力を持ってしも救えなかったのね。」

 それは、小学生のあのころと同じだった。

 今、僕には小学生のころの記憶がどこかへ飛んでしまっているため、なかなか思い出せない。その症状は中学生のころからで、救えなかったことは、交通事故で重体になった子のことだ。僕はそのときはまだ、この能力を万能の物だと思い込み、彼の事を救えるつもりだと信じて疑わなかった。しかし、それは彼の寿命を一ヶ月延ばしたに過ぎなかった。

また同じことを繰り返してしまった。

「で、モジャーは見つかった?」

「いや、見つからない。その亡くなった黒沢が自分の事をモジャーだって言ってた。いつどこでどんな事件があって黒沢が死んだかは、彼の名誉のために言えない部分が多い。でも、夕ちゃんのいうモジャーって言うのが黒沢だったら話す。黒沢勝のことを何か知ってる?」

「全く知らないし、何の関係もない人ね。」

と、夕ちゃんは言った。新聞やテレビに取り上げられてクローズアップされる事はない。

 調べればこの国を覆しかねない事件だったのだ。・・・いや、そうでもないか。

 カラスはさる大物政治家の息子だった。それを黒沢の作戦で僕が殺害したのだ。

 あの事件事態、警察もマスコミもこの国の誰もが隠そうとしている。だから胸のうちにしまっておきさえすればいい。ただ、僕はモジャーの名を使って不特定多数の人間を脅迫してしまった。これは少々まずいことになるかもしれない。もし、誰かにつけ狙われるとしたら僕かもしれない。

 そんなことを考えていると夕ちゃんはこちらの顔をのぞきこむように見た。

「何を悩んでいるの?」

「別に・・・。」

 この一言で若干空気が悪くなった。

 狙われる可能性があることなどいうことはできない。僕は話題を変えてみた。

「ところで、モジャーに狙われていると思うのはなぜ?」

 夕ちゃんは首をかしげて言った。

「えっ狙われてると思ってたの?全然違うよ。そうじゃなくて、守られてるんだよ。」

 そういうと夕ちゃんは笑った。何だか腑に落ちなかった。

「じゃあ何で探して欲しいとか言ったりしたの?」

「部活もやってないし暇でしょ?一也。」

 一瞬、殺意が芽生えた。

 そんな僕の表情を見て夕ちゃんは言った。

「あっ怒った?いや実際、得体の知れない何かにつけられてる気配はあるんだけどね。それが何なのかいまいち分かんなくって。最近は一也が私と一緒にいてくれて、探してくれているせいか。そんな感じしないんだけど。」

 一応役には立てているらしい。少しうれしかった。

「そうなんだ。それで?モジャーがつけている犯人だと思う根拠は何なの?」

 そう言った直後、後ろに何かいる気配を感じた。物音がする。

「何だ?何かいるぞ。」

 振り返ってみるが誰もいなかった。

しかし、夕ちゃんは何も気にしてなかった。

「ああ、どうせマタロウでしょ。そういうイタズラするのは。」

 僕はもう一度振り返って見た。黒い学生服の少年が道の脇の植え込みに飛び込もうとしている瞬間だった。

「何だ。確かにマタロウだね。」

と、僕は笑った。

「もういいよ。分かったから。出ておいでよ。」

と、夕ちゃんが言うと少年は姿を見せた。確かに僕の弟だった。

「おいおい、今その冗談はないぞ。」

 マタロウは首を傾げた。

「何で?よくやってるのに。」

 マタロウは夕ちゃんが誰かにつけられている事を知らないらしい。

「とにかくやめておけよ。」と、僕はごまかした。

 夕ちゃんがストーカー被害にあっていることはできるだけ人に知られてはならない。

「二人は付き合ってるの?」マタロウは少し困ったような顔をして言った。

「まあね。」と、夕ちゃんは言った。ご近所付き合い、友達としての付き合いという意味では正しいが、マタロウの質問はそういう類のものではない。

 僕は誤解されたくなかったから否定しようとした。

「違・・・。痛!」

 夕ちゃんが僕の足を踵で踏んだ。

「ま、そういうことだから。さっさと帰りな。」

 それを聞くと、マタロウはさっさと帰って行った。

 夕ちゃんは言った。

「マタロウ以外の誰かにつけられているの。マタロウはいつもこのあたりでしか出没しないから・・・。もっと広域に渡っていろんな所でつけられる気がするんだ。」

 話の続きをすることにした。

「それがモジャーだってこと?」

「そう。得体が知れなくて気持ち悪いんだけどね、でもそういうのって大体妖怪の仕業だと思うんだ。そして巷で話題の都市伝説のモジャー・・・。たぶんモジャーだと思うんだ。」

「巷で話題・・・でもないと思う。守られてるとか言ったよね。他にも根拠があるんじゃないの?」

 夕ちゃんは意外そうな顔をした。

「根拠?ああそういえば覚えてないんだっけ。私がまだ小学生のころモジャーに助けてもらった事があったんだよ。」


 話しながら歩いているうちに自宅に到着した。

「じゃ、バイバイ。」

 そう挨拶をして手を振ると夕ちゃんは自分の家に入っていった。

 僕はそれを遠目に見届けてから自宅にはいった。

 部屋に入るとマタロウが携帯ゲーム機で遊んでいた。

「持ってっていいから自分の部屋でやってくれ。」

 僕がそう声をかけるとマタロウは言った。

「兄さん待ってる間、手持ち無沙汰だったからやってるだけだよ。兄さんは夕ちゃんと付き合ってるの?好きなの?」マタロウはいきなりそう質問してきた。

「好きか・・・まあ好きだけど。付き合ってない。」マタロウは下を向いて言った。

「それなら良かったね。両想いで。」

 マタロウはゲーム機を机の上に置いて部屋から出て行った。

 マタロウは何のゲームをしていたのかと、ふとスイッチを入れてみるとマタロウはゲームではなく、メモリーカード内の写真を見ていたことがわかった。

 中には写真がたくさん入っていた。その写真はとった覚えのない夕ちゃんの後ろ姿の写真ばかりだった。際どいものもある。どう見てもストーカーがとったとしか思えない写真ばかりだ。僕には意味が分からなかった。メモリーカードの中身は、今まで進めてきたはずのゲームのセーブデータが一つも入っていなかった。

「何・・・これ・・・。」

 僕は慌ててマタロウの部屋に行った。

「このメモリーカードおかしいんだけど。」

「ああ、おかしいね。」マタロウは最低なものを蔑むような目でこちらを見た。

「これ、僕のじゃないんだけど。もしかしてお前の?」

「ちげーよ。最低だな。死ねばいいのに。」マタロウは怒っていた。これを僕のものと決め付けているため、もうこれ以上は話にならなかった。

 自分の部屋に戻り、メモリーカードを取り出してみた。自分の物にはホワイトペンで、

KAZと名前が書いてある。マタロウの物と混ぜないためだ。

 取り出したメモリーカードにも自分が書いた字で間違いなくその名が書かれていた。

 紛れもなく自分のものだった。

 僕は許せなかった。何者かが僕の部屋に侵入し、良く分らない夕ちゃんの後ろ姿の写真をメモリーカードに入れたこと。そしてセーブデータを消したこと。

 誰が何の目的でこんなマネをしてくれたのか必ず突き止めてやると心に誓った。

 僕をはめようとしている奴がいる。僕はその写真をすぐに削除した。

僕は最近あのゲーム機に手をつけていなかった。僕よりむしろマタロウのほうが使っていたくらいだった。どうやってメモリーカードの中身を入れ替えたのだろうか。ありとあらゆる可能性を考えてみた。


一、僕が知らない間に何者かが部屋に侵入し、僕のパソコンを使ってゲーム機を接続し書き換えた。

 しばらくゲーム機を使っていなかったから、いつ書き換えられたものなのか僕には分らない。平日の日中、家には誰もいないので、カギさえ壊されなければ誰かが侵入したかどうかは分らない。

二、インターネットの接続中に、悪意のある何者かがゲーム機にアクセスし、ウィルスなどを使って書き換えた。

 インターネットにつないでいるときなら、いつでもできる。ただ、かなりの技術が必要。

それをできる人間はかなり限られる。

三、やはりマタロウ(弟)が書き換えた。

 

そんなことをグダグダと考えていると、いつの間にか木野は詰みの一手を打っていた。

「勝った。今日から一週間パシリね!」

 将棋を打っているときに他の事を考えるものではない。

 例の月曜日のお昼の日課だった。

 僕が頭を抱えていると木野は言った。

「そんなに悔しいの?」

 僕は首を一回だけ横に振った。

将棋の実力に関しては黒沢と違って木野とは互角だった。黒沢はまるでコンピュータのように強かったが、木野はそうでもない。勝ったり負けたりを繰り返している。

 黒沢と違ってパンを買ってこいとか、そういう要求を木野は出さない。

「心ここにあらずな感じだね。今日は。」

「ちょっとしたトラブルがあったんだ・・・。」

「良ければ話して、話してくれたら今週はパン・・・買って来なくていいから。」

 将棋で負けた僕は木野の言うことを聞かなければならないルールだ。ただ、内容が内容だけに話しても話さなくても木野との間に溝ができてしまうかもしれない。

「実は・・・。」

 話を切り出そうとした時、普段、誰も来るはずのない体育館倉庫の裏に男子三人女子一人の四人組が現れ、僕と木野を取り囲んだ。全員がこの学校の生徒らしく、制服を着ており、一人は刃物を手に持っていた。

 僕と木野は立ち上がり壁に寄り、僕は後ろ手に彼女をかばった。

 そのうちの一人が僕に向かってこう言った。

「やあ、人殺しの一也くん・・・。」

「何のことだ?」

 僕は精一杯に凄んだつもりだった。心臓が破裂しそうな位に激しく脈を打つ。

「知ってるんだよ・・・。カラスのこと・・・。」

 僕に向かって話しかける男はいやらしく笑っている。その男はわざとしたに写真を落とした。見覚えがある。夕ちゃんの後ろ姿の写真だった。

「あっ落としちゃったよ。」

 そう言って男はわざとらしく写真を拾った。

「黒沢くんと二人であの一味を全滅させたんだってね。君は。」

 彼らは後ろでその時の状況を再現して見せた。

 一人が左腕に女子を抱え、手を銃の形にして突きつける。男がふと後ろを向いた瞬間、女子が腕を解き、刃物で首筋を切る。

 あのときの状況をまるで見ていたかのように再現してみせた。

「まさかここまでするとはね。君、才能あるよ。」

「何の才能だ・・・ふざけるな!」

 僕は出来る限り声に力を入れた。しかし動揺は隠せない。

「今の違ったかな。ちょっと推理して再現してみただけだから合ってないかもしれないね。まあそんなに警戒するなよ。別に金銭が目的で君を脅しているわけじゃないんだよね。」

 僕は黙ってその男を睨みつけた。

「だから金銭じゃないって、僕たちはスカウトしに来ただけだよ。」

「スカウト?」

「そう、スカウトだ。この学校の闇の部活動、『人間の闇研究会』にね。君らが起こした事件はなかなか猟奇的で僕たち好みの事件だったからさ、ちょっと警察官の先輩のコネとか使って調べさせてもらったんだ。最後の被害者のお姉さん、ちょっと脅かしたら全部教えてくれたよ。」

「あの人に何をしたんだ。」

「ちょっとね、ほんのちょっとだけ脅したんだよ。殺すぞって。あいつらと同じことをしただけだよ。気にするな。」

 僕の胸の中に黒沢と同じ怒りの気持ちがふつふつと沸いて来た。

男の後ろでくすくすと三人が笑っている。

「ああ君、断ったらどうなるか分からないから。僕たちのメンバーここにいるだけじゃないからさ。断るんだったらせいぜい気をつけてね。特に後ろで震えている子と、この写真の子な。まじでやっちゃうから。はは。今決断してよ。」

 僕には選択の余地など残されてはいなかった。

「分かった。僕はその部活に参加する。」

 これは僕の問題だった。こんなことに木野や夕ちゃんを巻き込む訳にはいかない。

「そう、やっぱりそうするよね。無難だね。じゃあついてきて。」

 僕は四人の後に続いて歩いた。これから何をさせられるの予想がつかない。

 不安と恐怖で空気が乾き、口が乾く。

振り返って木野を見た。木野はこちらを見ている。

 木野は恐怖に震えていた・・・しかし目に力が入っていた。

 暴力に屈することのない、黒沢と同じ目だった。


 ◇         ◇          ◇


僕は彼らに連れ去られた。殴られ、気絶させられたために場所は良く分らない。

 少し頭が痛い。

四方を冷たいコンクリートの壁に囲まれた部屋の隅にビデオカメラが設置されている。

 それで中の様子を観察しているらしい。うす暗い裸の電球が天井から吊られていて、部屋の中全体を橙色に照らしている。

 脇に二人の人が横たわっている。見覚えのある顔の二人だった。

 カラスの事件の関係者・・・タカシと、被害者の早苗だ。二人とも顔に殴られたような痣がある。どうやら僕と同じように連れてこられたようだ。

 部屋の扉は鉄製で少々重たいが鍵はなくたやすく開けることができた。

部屋の扉を開けると、階段がすぐ横にある。ここは地下室のようだ。

僕は建物から外へ出た。建物は丸太を組み合わせて作られたログハウスだった。

 四方は森に囲まれ、道すら整備されていない。僕たちは森に閉じ込められたのだった。


 ここに連れてこられた理由がいまいちよくわからない。

 それが率直な感想だった。

 周りの景色に見覚えはない。でも前に来たことがある気がする。これはデジャヴだった。

僕は取り敢えずお湯を沸かすことにした。どうしてもお茶が飲みたい。外にはプロパンガスのタンクが設置され、まだ枯れていない井戸がある。食料も保存食ばかりが大量に倉庫に入っている。米もある。電線も来ている。脇にはトマトなどの生鮮野菜が取れる畑もある。これをたどれば森から脱出できるだろうか?

突然、ログハウスに設置されたスピーカーから音が流れる。

「あまり遠くへ行くなよ。二木くん。君はしばらくここを動くな。」

 僕は音が流れてくる方向を探した。

「生活必需品なら取り敢えず三人分で一ヶ月ぐらいは用意しておいたから大丈夫だ。僕達が君をこの場所に監禁する理由を知りたいと思う。モジャーだ。モジャーを利用するために君を人質にとることにしたのだ。悪く思うな。もし君がここを逃げ出したりしたら。問答無用で木野さんを殺す。君の家族もな。周囲にロープが張ってある。それより遠くへはいかない事だ。」

 ◇            ◇             ◇


 タカシは、橙色の何もないコンクリートの部屋の中で目覚めた。

まわりには誰もいない。鉄の扉で部屋の戸が閉められている。手足をロープできつく縛られ、動きにくい中、無理やりに動いて扉を押して開こうとしたがびくともしない。

「俺が何をしたって言うんだ。畜生。」

タカシは独り言をつぶやく。

タカシはカラスが死んだことを内心喜んでいた。もうこれで、変な連中と付き合わずに済むと・・・。しかし、その考えは甘かった。


それは、タカシがアルバイトを探して町中を歩き、夜遅くに帰る時の話だった。見覚えのあるカラスの仲間がタカシを取り囲んだのだ。

「よお、お留守番もまともにできないタカシくん・・・。」

 タカシは一歩後ずさりをする。

「ちっ・・・ちわーす。」

 タカシは顔をひきつらせながら何とか声を出して挨拶をした。

 タカシが求人情報の雑誌を持っているのを、彼は見逃さない。その彼はチームの二番手でカラス以上に怖い男、ニマさんだった。

「タカシくん・・・何をもっているの?」

「きゅ・・・求人雑誌です。あの、よくコンビニとかに置いてある無料の奴です。」

 ニマさんは、どこかいっちゃっている・・・そんな目でタカシを見る。

「なあタカシくん、君、喧嘩強いぃ?」

 タカシは今まで、漫画やテレビや映画に出てくる友情に熱い不良に憧れていた。

その発想が間違っている事を思い知らされたのはつい最近のことだった。

しかし、今までにこのような連中と喧嘩をしたことなどなかった。無理だった。

 ここは男らしく強がるべきなのだろうか・・・。いや、何を言ってもボコボコにされるに決まっている。タカシは今、彼ら全員を相手に戦うだけの武器を持ち合わせてなどいない。せめてナイフがあれば、勝てるかもしれない。しかし今持っていない。

 タカシは絶望した。弱い・・・何もできない自分に絶望した。

「無理です。弱いです。俺は実に弱い人間なんです。」

 ニマさんのとなりにいたコワ面の新津さんが言う。コワ面とはこわい顔のイケメンの事。

「てめ、じゃあ何で今までカラスさんとつるんでたんだよ?」

 ニマさんは新津さんを落ち着かせるように「まあまあ」と声をかける。

 そして何だか良く分らない注射器を取り出し、ペン回しのようにそれを回し始める。

「じゃあさ、喧嘩・・・強くなりたくない?」

 タカシは息を飲んだ。

得体の知れない物を注射するつもりのようだ。タカシはそう思ったが若干違った。

 ニマさんは自分の腕にそれを注射した。

「ちょっと・・・何してんすかニマさん?」

 そう声をかけた新津さんをニマさんは殴り飛ばした。

「リア充は爆発しろぉぉぉ。ああぁぁぁぁ・・・きもちいぃぃ・・・。」

 新津さんはニマさんをその背後から凄い目で睨みつけているようにタカシは見えた。


 タカシはカラスの残党どもに連れられて、薄汚いビルの中へと放り込まれた。

「ちゃんと注射してから連れて来たでしょうね?あの薬一本しかないんだけど。」

「ええ・・・もちろんです。」

「そう、じゃあ約束のお金です。」

と、暗がりでよく見えないところで誰かと新津さんが話をしている。

 周りには事務机がたくさん並んでいる。倒産した会社の古いオフィスらしい。

「これはどうも・・・。」

 新津さんはその札束を受け取ると部屋の入口付近にいるタカシをちらっと憐れむように見てからその部屋を出て行った。

 新津さんと入れ替わりに、三人の人が部屋に入ってきた。

「ああ、この人が例のタカシくんか。」

 部屋の奥からこちらに近づいて来る人も含めて、自分以外の四人は見覚えのある制服を着ていた。黒沢と同じ制服だった。

「タカシくん、薬、ちゃんと注射してもらった?」

 タカシは得体の知れない薬を注射されてはいなかった。しかし、注射されてないと答えたら・・・。先ほどの会話を聞く限り、こいつらはタカシに注射をしないといけないらしい。口では一本しかないと言っても予備を持っているかもしれない。

だからタカシは言った。

「はい、大丈夫です。気持ちいいです。」

 タカシはどうしても変な薬物を投与されるのが嫌だった。嫌で嫌でたまらなかった。

 それを聞いて、周りの四人は笑い出す。

「嘘つき・・・。あの薬をうって気持ちいいなんてことはないよ。」

 タカシは愕然とした。ニマさんは薬をうった事で気持ちよくなったわけではなかった。

 見た目に騙されてしまった。それよりも余計なことを軽率に言ってしまった自分を呪うのだった。

「まあいいや、もう一本あるし、モジャーをインストールしてない人にあの薬を投与してもただの毒、死んじゃうからな。」


 タカシは注射をうたれたあと、すぐにパソコンの前に座らされた。

「もう後はエンターを押すだけだ。これを押せば音と映像でお前の中にモジャーがインストールされる。分かっているとは思うけど、もう薬は投与されている。あと一時間以内にエンターを叩け、そうすれば死なずに済むから。」

 それだけ言うと四人は部屋の外へと出て行った。

タカシはどうすればいいか本気で悩んだ。

 エンターを叩けばモジャーという何だか得体の知れないものが自分にインストールされて、死なずに済む。しかし、これを叩けばもう後戻りはできない。この先どんな目にあうか、想像もつかない。想像を絶する苦しみが待ち受けているかもしれない。

 生きるか死ぬか、タカシはその人生で最大の選択を迫られていた。

 部屋の外で先ほどの四人が何か小さな声で話している。神経を尖らせていたタカシにはその声がはっきりと聞こえた。

「そう、やっぱり死んじゃったんだ。あの目がいっちゃってた人。」

 タカシは手を震わせながら、汗に濡れる指先でエンターを叩いた。

 

 ◇◇◇


 早苗は僕にタカシを縛り、全面コンクリートのあの部屋に拘束することを提案した。

 早苗はタカシのことを覚えていた・・・というよりも、自分と自分の兄を連れ去るときにいた人間一人一人の顔を忘れる事ができなかった。

 タカシはあのメンバーの中でも特に目立たない存在だったが、早苗と目を合わせたことから、しっかり覚えていた。あのとき、タカシは恐怖に怯える早苗と目を合わせた。

「助けて・・・。」と早苗は抑えられた口から懸命に叫ぶ。

 その早苗の姿から、タカシは目を背けた。

 早苗の恨みの念は深かった。

 早苗と僕は、タカシをしっかりとロープで縛ったあと戸を開けられないように扉と壁の間に大きな石を置いた。これでただでさえ重たい鉄の扉はもう開かないだろう。

 扉の鉄格子から中の様子が良く見える。そこから人が出入りすることは出来ない。

 その作業の後、早苗と僕は、僕がお湯を沸かして淹れたお茶を、リビングのソファに座ってゆっくりと飲んだ。


 僕が早苗の提案に乗ったのはタカシがあの事件で僕を殴り殺そうとしたからだ。

 もう一つ忘れてはならないのは、黒沢の姉を傷つけた事件にも彼は関わっていることだ。

僕はタカシに暴力で勝つ勝算が確実にあるわけではない。閉じ込めた上に手足を縛るのは残酷なことではあるが、万が一のために必要だった。

「ところでどうしてここに連れてこられたんですか?」

 僕は早苗に聞いてみた。早苗は逆に聞き返す。

「あなたは?」

 僕はこれまでの経緯を分かる範囲で説明した。

 人間の闇研究会という意味の分らない四人組に脅迫されてここへ連れてこられたことぐらいしか説明できなかった。

大切な友達が人質にとられている。だから彼らの言う事を何の抵抗もせずに聞いた。

「私も同じです。」

 と、彼女は一言だけ言った。

「彼らに・・・酷い目にあわされませんでしたか?」

「ええ・・・。」

 彼女は僕から目をそらして視線を下に向けた。

僕はそれ以上は聞かなかった。酷い目にあったのなら、それ以上具体的に何をされたか聞くことは酷だと思ったからだ。

納得できないことがあった。それは、何かと言うとここに連れてこられたメンバーが何故この三人なのかということだった。

 その時、地下室から物音が聞こえる。タカシが目を覚ましたのだろう。

「ここから出してくれ!誰か・・・助けて!」

 壁に何かがぶつかる音・・・たぶんタカシが懸命に身体を戸にぶつける音だ。

 早苗はひどく悲しそうな表情を見せた。

 

 ◇◇◇ 


 早苗が人間の闇研究会に連れ去られたのは、勤め先の美容室の仕事が終わって帰る所だった。四人の地元で有名な進学校の制服を来た学生が、早苗を連れ去った連中の生き残りを率いて夜道で襲ってきたのだった。

 早苗はいとも簡単に拉致された。その車は黒いワゴンで、以前使用された車と同じものだった。

 早苗はタカシが連れてこられたビルと同じビルに連れ込まれた。

「さて、教えてほしいことがあります。」

 一人は注射器を手に持っていた。

「この薬が何だか分かりますか? 自白剤です。この薬物を注射するとどうなると思いますか?」

 死んだ魚のような目をし、眼鏡をかけた男が早苗に話しかける。早苗は椅子に縛り付けられている。

「分らない。」

「そうでしょう。これを打たれるとですね。全身に激痛が走るのです。この痛みがあなたに耐えられますか?」

 男はそう言うと隣に立つ柄の悪い男に注射器を何気なく刺した。

刺された男は倒れ、身を極限まで縮めて痛みに悶え苦しんでいる。

男の体中の皮膚が赤くなり、はぁ・・はぁ・・と息遣いも荒い・・・。

顔をひきつらせ呻き声を挙げている。

早苗はその様子からあまりの光景に目を背けた。

「さぁ、あのときの事件の真相を教えてください。まず、どうやってあの場にいた人間の顔面を潰して殺したのですか?」

それでもあのとき助けてもらった恩から、どうしても早苗は言えない。しかしうまく嘘をつけるほど、器用でもない。早苗は押し黙った。

「しょうがない。」

 男はそういうと、部屋の奥の明かりをつけた。

 蛍光灯の冷たい光に照らされて、目隠しをされ、椅子に縛られた女性と、口を塞がれたちいさな犬が現れた。

「一人目の犠牲者は仲間です。演じていると思われても仕方ないですね。」

 男はそういうと、仲間に仔犬を連れてくるよう命じた。

「こんなこと、本当はしたくないんですがね・・・。」

「やめて!」と、目隠しをされた女性が叫ぶ。

「うるさい!」

 男の仲間は女性の顔面を殴って黙らせた。

可愛らしい黒い目をした柴犬・・・その犬はまだ幼くて小さな仔犬だった。

男は犬を離し、エサを使っておびき寄せた。そして男の手からエサを食べるその仔犬に背中から注射器を刺した。

仔犬は身を悶えさせ、苦しみ、そして絶命した。

 早苗は息を飲み、胸が苦しくなった。そして止めどない涙が流れる。

「もう・・もうやめてください・・・。」

 早苗は小さな声で叫んだ。声が出せなかった。

「おや、犬にはこの薬は強すぎたみたいですねぇ。」

 男は不敵に笑った。

 まるで何事も無かったかのように・・・楽しそうに・・・。

「話す気になりましたか?」

早苗は死んでしまった犬から目を逸した。もう見ていられなかった。

「ほう、これでもまだ話す気ないんですね。」

 男は女性を凝視した。

「じゃあ、次は飼い主さんの番だ。」

 男は早苗を見て気持ち悪く笑っている。

「分かりました・・・。話します。」

 早苗は男に真相を伝えた。

 黒沢が彼らの仲間をたった一人で撃退したこと。二木という黒沢の仲間が自分の身代わりになり、カラスを殺害したことなど全てを話した。

「そう、ご苦労さん。もういいよ。」

 薬を手に持った男がそういうと、後ろ手に縛られていたはずの女性が自ら目隠しを外した。早苗のそばで身を悶えていた男もおもむろに立ち上がった。

「ああ、痒かった。俺に変なもの刺すなよ。博士。」

 そういうと倒れていた男は博士と呼ぶ男を軽く殴った。

「馬鹿な人ですね。あなた、折角助けてもらったのに、助けてくれた人をこんなことぐらいで簡単に裏切って。」本当は縛られていなかった女が言う。

「私たちに復讐したいですか?」と、博士は言った。

そして不敵な笑みを博士は浮かべて言った。

「チャンスをあげます。」

 その言葉の後すぐに、彼は早苗の肩に注射を刺した。

 早苗の肩に注射独特の痛みが走る。

「この薬をうった者は一時間で死にます。しかし、一時間以内にあることをすれば助かります。それはあなたの頭にモジャーをインストールするのです。

 あそこのパソコンにもう既にセットしてあります。後はエンターキーを押すだけで音と映像が流れます。それを目をそらしたり耳を塞ぐことをしないで見るのです。そうすれば、モジャーは正常にあなたにインストールされ、強大な力をあなたに与えます。

 そしてあなたは先ほどの薬の毒から救われ、生きながらえることが出来るでしょう。」

 博士はゆっくりと早苗を縛るロープを解いた。

そして、周りにいた彼ら全員が部屋の外へと出て行った。

 早苗は部屋に残された仔犬を見た。

「可哀想に・・・。」

 この愛らしい姿をしていた仔犬は彼らによってここに連れてこられなければ、きっと誰かに・・・幸せな家族に可愛がられ、幸福な生涯を送る事が出来たであろう。

 その姿は理不尽な暴力によって殺された自分の兄とも重なった。

 兄は幼いころに亡くした両親に代わって懸命に早苗を支え、成長させた。

 ようやく早苗が大人になって離れる事ができるようになり、兄自身が自分の幸せを考える事ができるようになった矢先に兄は殺されたのだ。

「絶対に許さない・・・。」

 もしかしたら、先ほどの話は嘘かも知れない。それでもどうせ薬の効果で死んでしまうくらいなら嘘でも話に乗っておこうと早苗は思った。

 早苗は迷わずにエンターキーを押した。

「生き残ったら・・・必ず彼らに報いを受けてもらおう。」

 パソコンから奇妙な映像と音が流れ出す。それから目を逸すことなく早苗は見つめた。

 

  ◇◇◇

  

 僕はタカシの様子を見るために地下室に降りて鉄格子から中の様子を見た。

「またか・・・。またあんたか・・・。」

 タカシは小さく呟いた。タカシは何故か僕を憎んでいるらしい。

「あんた・・・奴らのグルなんだろ。どうして俺ばっかりこんな酷い目に会わなきゃいけないんだ。」

「何度言えば分かるんですか!違います。僕だって大事な人を人質に取られさえしなければこんなところにいません。それより、何でこんなところに連れてこられたのか教えてください。あなたこそ以前、カラスの仲間だったでしょうが!」

 タカシは言う。

「お前が・・・お前さえいなければ・・・カラスが死ぬこともなく、俺はこんなところに閉じ込められずに済んだのに。」

「違うだろ! それは、色んな人から恨まれるカラスが悪い。僕や黒沢がやらなくてもいずれ誰かがアイツを刺していたさ。」

 話は平行線で先に進まない。なんとなくイライラしてきた。

「でも、百歩譲って言いたいことは分かったから経緯だけでも教えてくれないかな。」

「分かってねぇ・・・だってヘラヘラしてるもんな。お前は俺の人生をぶっ壊しやがったんだ。」

 僕には意味が分からなかった。可笑しくもないのに僕はヘラヘラなどしているつもりはないし、人生をぶっ壊したというのも意味がわからない。タカシはどこかおかしい。

 ひたすらイライラする。

――――お前の人生なんて元から壊れてんだよ!さっさと死ね!クズ!

 と、言おうと思ったがのど元に留めて言わなかった。

「カラスを殺したりしてごめんなさい。で、連れてこられる前に何かされたりとかしなかった?」

「あん?何だって?聞こえないんだけど。」

 僕はどうやらタカシに舐められているらしい。

「どうやって連れてこられたのかって聞いてんだよ!」

「それが人に物を頼む態度か。」

 僕は完全にタカシに舐められている。弱い雑魚の監視役ぐらいの感覚らしい。

「じゃあ、今日も飯抜きでいい?」

「ああ、いいよ。毒を盛られるよりはな。」

 今日も話にならなかった。どうしたものだろうか。タカシを地下室に閉じ込めてから既に三日も経っていた。

 大体タカシは自分が縛られた上に閉じ込められている意味を分かっているのだろうか。

何かタカシに喋らせるいい手はないだろうか。

 頭の良い黒沢ならこんなときどうするだろうか。と、ふと思った。

前に黒沢と僕がタカシを尋問したときは僕の質問に対して素直に応えていたのに・・・、黒沢のようにもっと激しく脅かせば話すだろうか。


「良い警官と、悪い警官。」

 早苗は言った。

「良い警官と、悪い警官?何ですか?それ。」

 早苗は一口お茶を啜った。

「被疑者を尋問するときの警察の心理テクニックのひとつ。まず悪い警察官が机とかを叩いたりとか、脅したりしながら追い詰める。そうすると、罪を認めない本物の犯人は絶対に喋らない、逆にこの警官に対して反感を抱く。気の弱い痴漢冤罪の人は大体ここで既に心が折れてやってもない罪を認める。次にその怖い警官から優しい警官に交代する。

 今度は逆に先ほどの悪い警官を否定したり、悪い警官から庇ったりその人に同情する態度を見せるなどして、その人にとっての味方を演出する。

 そうすると悪い警官への恐怖からの解放と、良い警官への信頼からその人は良い警官には協力的になり、様々な情報を引き出すことができる。」

 早苗は言葉に詰まること無く説明した。まるで心理学者のようだ。

「早苗さん、どこでそんな知識を得たんですか?」

「海外ドラマ・・・。海外ドラマでそんなシーンがあってね。ウィキペディアで調べたの。私で良ければ良い警官を演じてくるけど・・・。」

 なんだか頼もしいのでここは早苗に任せることにした。

「ぜひ、お願いします。」

「いいよ。私も聞きたいことあるし・・・。何か聞きたいこととかある?」

「何でこんな所に連れてこられたのか。タカシの理由が知りたいです。あいつは僕のことを彼らのグルだと思っているみたいなので、たぶん僕たちの見張りで連れてこられたとか、そういう意味でここにいるわけではなさそうです。もしかしたら・・・被害者なのかも知れない。」

「彼が被害者だと思うのは甘いと思うよ。でも、まあ取り敢えず良い警官になって聞き出してみるね。」

 僕と早苗は地下室に降りた。


 早苗は地下室の扉の鉄格子を覗き、タカシに声をかけた。僕はタカシに見えない位置で二人の会話を聞く。

「タカシくん・・・。」

 ここに来てはじめてタカシと早苗は目を合わせた。

「タカシくん・・・気分はどう?」

 タカシは聞き覚えのある声に一瞬、鼓動が早くなる。

「あなたは・・・あのときの・・・?」

 タカシは鉄格子から覗く早苗を見て身体を起こして姿勢を正して座った。

「あのとき・・・助けてあげられなくて・・・本当にごめんなさい。」

 開口一番にタカシは謝罪した。

「もういいよ。助かったんだし。それより縛ったりしてごめんね。」

 早苗は微塵もそんなことを思ってはいない。

 タカシは下を向いた。

「まあね、あの男があなたのことを縛っておかないと私を殴るとか言うから・・・仕方ないよね。」

 今の言い方はちょっと酷い。僕は女の子を殴るような下衆ではない。タカシは額に青筋をたてる。

「あの男がね、私に命令したの。あなたから情報を引き出してくるようにってさ。

意味、分かるよね。あの男、私に何をするか分からないんだから。」

「やっぱり・・・あいつはグルだったんだ。」

 僕にはその発想の意味が分らない。僕がグルだったらタカシの事情なんてそもそも聞く必要がない。何でそんなことも分らないんだろう。何か変な考えに取りつかれている。

 しかし、そうではなかった。理屈ではなく心なのだ。

 心でそう思っている以上、なかなか理解を得る事は難しい。

 早苗はタカシが自分に好意を持っていることを見抜いた上で、僕のことを粗暴で悪逆非道な人のように扱うことで、タカシが僕のことを彼らのグルだという『考え』では無く、その『気持ち』を増幅しているのだ。

 汚いけどうまい方法だと思った。

「それで、できれば連れてこられる前の状況とか教えてくれないかな?」

「俺、ここに連れてこられる直前にバイトを探していたんです。それで夜、自宅に帰る途中で奴らに取り囲まれて拉致られたんです。」

 早苗は分かったという意味で静かに頷いた。

「それで、変なビルに連れ込まれて変な注射を打たれたり、モ・・・何とかをインストールしろと脅されたりとか、もう超嫌な目にあったんです。最悪でしょ。」

 最悪なのはこっちだ。

「そう・・辛かったね。」

 早苗はそういうと十分に伝わったと言わんばかりに静かに頷いた。

 僕には全然タカシが酷い目にあったことが伝わって来ない。

「早苗さんだけだ・・・俺のこと分かってくれるのは。ありがとう。」

「いいえ、こちらこそ。あなたのおかげであの男に私が酷い目にあわされる心配は無くなったわ。話してくれて本当にありがとう。」


 早苗はどうしてここまで僕のことを悪者にできたのだろう。僕は彼女に何かしただろうか。心当たりがあるとすれば、あの事件のあと、入れ替わった経緯の話をした際に胸が小さいと言ってしまったこと以外思い当たる節はない。

「あそこまで言わなくても・・・。」

 僕がそう本音を言うと早苗は少し笑みを浮かべた。

「まあ、あくまで良い警官と悪い警官だからね。あれぐらいしないと・・・。」

 しかしこれでよく分かった彼も被害者だったのだ。もう解放しても問題ないだろう。

「彼も被害者だったわけだしもう出してあげても良くないですか?」

 僕がそう提案すると、早苗は僕には予想外のことを口にした。

「いいえ、彼はすぐにでも殺すべき。」

「殺す?」

僕は一瞬目を見開いてしまった。その言葉を早苗の口から聞くとは思わなかった。

「どうして・・・そんな・・・殺すなん・・て・。」

僕は呂律が回らなかった。

「彼はいずれ人を殺すから・・・。たぶん・・・間違いなくあなたを殺すわ。」

 早苗は多分などと言ってはいるが目が笑っていない。真剣にそう言っている。

「僕を・・・。」

 確かにタカシが早苗と僕のどちらを殺すか考えれば僕を選ぶだろう。

 今、彼は酷く僕のことを誤解しているし、理解しがたいが相当恨んでいる。

 今は縛られていて身動きが取れないから大丈夫だとも思うが、それでも今すぐ彼を殺さなければならない理由が分らない。

「彼のいう『モ・・・何とか』って言うのはモジャーのこと。私も同じようにモジャーをインストールさせられたから分かる。」

 また・・・モジャーか・・・いい加減うんざりだと思った。

「一体、モジャーって何なんですか?」

「それは私にも分らない。でも彼らが言うところモジャーをインストールしたものには強大な力が宿るとか。嘘かもしれないけど・・・黒沢さんがそうだったんだよね。」

 そう、確かに黒沢は自分のことをモジャーだと言っていた。

「モジャーをインストールするってどういうこと何ですか?」

「彼らは私に変な薬を射ってからこう脅したの。今すぐモジャーをインストールしないと死んでしまうからって。パソコンから流れる音と映像から目をそらさなければ脳内にインストールされるから、エンターキーを押すようにって言われた。ただし、インストールすると強大な力を手にできると言ってた。私はエンターキーを押してその映像を見終えると同時に意識を失ったの。そして気がついたらここにいた。」

 なんとなくイメージできた。モジャーはパソコンから脳内にインストールされることではじめて機能するということらしい。呪いなのか技術なのか・・・詳しいことは分らない。

「いずれモジャーの力が発揮されたら・・・あんな縄ぐらいじゃ彼を閉じ込めておく事は不可能よ。殺した方がいいわ。」

 彼らは僕ら三人のうち二人にモジャーをインストールした。そしてここに閉じ込めた。

 彼らは僕らがこういう状況に陥る事を予測するのは容易いことだ。

 彼らはモジャーを利用すると言っていた。利用して何を企んでいるのだろう。

 このままではいずれタカシか早苗の中のモジャーが覚醒するだろう。

 その時、僕は生き残れるだろうか・・・。三人が無事に家に帰る事はできるのだろうか。

 こんなときなのに睡魔が襲う・・・きっとまた正夢を見てしまう。


 ◇◇◇


 これは夢だと言うことを僕は認識しながら見る事ができる。

 表れる夢はランダムな事が多く時間も感覚でしか分らないから時計を見るくせもつけた。

自分が見た事のない景色でも見る事ができる。

しかしここに自分はいないから詳しい時間は分らない。

辺りが暗闇に包まれている。夜の遅い時間だろうか・・・。未来の景色ということには間違いないだろう・・・。

 見覚えのない廃墟のオフィスビル。もしかしたら、タカシや早苗が言ってたビルかもしれない。

黒いフード付きのパーカーを来た謎の若い女は手に黒沢のナイフを持っている。どこで手に入れたのかは分らない。

以前に見た夢と状況が似ている。

彼女は僕をここへとさらった背後から奴に近づく。彼女が何をしようとしているのかは分らない。彼女は壁に背中を張り付けて彼らの会話を聞く。そのとき正面から彼女の顔が映る・・・木野だ・・・。

「そろそろいい頃合か・・・。彼らが争い始めたぞ。」

「実験は、もうそろそろ成功しそうですね。」

 実験・・・どういう意味だ。

「所であの三人はちゃんとモジャーをインストールできたのか? 博士。」

 彼らは楽しそうに話している。

「確認するための実験じゃないですか。」博士と呼ばれた人物が答える。

「そんなのどうでもいい。殺し合いを観察して楽しむのが目的じゃないの?」

一瞬下衆な笑い声が聞こえる。

「まあ、それもありますけど・・・。夏休みですからこういう自由研究も良いですね。」

 彼らは暫く談笑する。

「それじゃ、これ以外に報告することがあれば定例通りに発表しましょう。」

「俺、ついにG級行った。」

 一人がふざけて言う。

「ゲームの話じゃないです。」司会を博士がやっている。

「私最近、活動資金を得るための活動で、カラスの親からたくさんお金をもらいました。」

 一億円近い札束が机の上に置かれた。

「で、どうやって手に入れたんですか?」

「言えないけど簡単な方法です。さあ、何でしょう・・・?」

 突然、良く分らないクイズ大会が始まる。木野はこの問題を出す女を仮にクイズ女と名付ける。全くひどいあだ名だ。

「恐喝?」この男には注射の後がたくさんある。木野は仮に薬男と名付ける。これはイメージにあうぴったりなあだ名だ。

「ブー違います。」

「脅迫?」この男はチャラチャラしているのでチャラ男。更に酷いあだ名だ。

「さっきの答えと違いがありません。」そしてこれは博士が言った。

「正解は、スポンサー契約でした。」

 意味が分らない。

「スポンサー?」博士は首を傾げる。

「息子さんを殺したのはこの男です。口封じの意味も含めて私たちは彼を監禁し、殺害する予定です。良ければお金をください。」

 クイズ女は嬉しそうにそう言う。

「えぇ?そんな事でお金が貰えたのですか?」

「えぇ、博士貰えましたよ。」

 博士は女を疑うような目で見て言った。

「本当はもっと貰っているでしょう?我々が監禁しているのに横領は良くないですよ。」

女は笑った。

「確かに、横領は良くないですが手数料は頂いております。」

 博士もまた不敵な笑みを浮かべる。

「まあいいです。あなたのお手柄ですから。」

 博士は金庫に金をしまった。

 廊下の奥の階段を登ってくる足音が聞こえる。それは彼らの仲間の足音だ。

 木野は忍び足で急いで移動した。気付かれないよう階段の入口の死角に移動する。

 相手の人数は足音から少なくとも二人以上。木野は周囲に隠れられそうな場所を探す。

 木野は階段を挟んで向こう側のトイレに隠れることにし、匍匐(ほふく)前進でそこまで移動し隠れる。トイレの入口は押して入るドアだった。万が一を考えてトイレの入口のドアが押されたときに隠れることができるドアの内側に立つ。

 そのトイレは男子トイレだった。

 木野はその場所で脱出のタイミングを待つことにした。

 しばらくそこで何もせずにいると誰かが接近してくる足音が聞こえてくる。

 このトイレに用を足しに誰かが来る。人数は一人。緊張が走る。それを捕まえて尋問する準備はできていた。

 トイレのドアが向こうから押され、そのドアの陰に木野は隠れる。

 男は振り向かずに小便器に直行した。その背後から木野は襟首を掴み、男を自分に引きつけて喉元にナイフを突きつけた。

「言わないと殺す・・・。一也くんはどこか言いなさい。」

「何をするんですか・・・木野さん。」

 木野が拘束したのは博士だった。

「言いなさいよ。どこへ連れ去ったの?」

「とあるダムがある山中です。」

 博士は不敵に笑い木野に気付かれないようポケットから注射針を取り出す。

 何かの毒物の入った注射だ。

「そう・・・分かった・・・。あなたは用済みね。」

 博士は木野の思わぬ言葉に顔を歪める。博士は必要な情報を何も言っていない。情報を引き出すためには更に拘束し、拷問されることを博士は予測していた。

木野は博士の頬をナイフで切り裂く。博士が呻く。さらに喉を締め上げて気絶させる。

 博士の身体をを引きずり便座のある個室に座らせ、彼の持っている注射器を奪い、博士の身体にそれをうつ。

「これで死ぬなら自業自得ね・・・。」

そして木野は二階の窓から飛び降りてその場から脱出した。

 間もなく、博士は死亡した。

その死体に彼の仲間のチャラ男が気づく。

「あ、やっべ博士死んじゃったじゃん・・・。まあいいか。」


 ◇◇◇


 その夢の中で、彼は木野に殺害された。

 世間の情報は、この森のなかには一切入ってこないためそれが真実かどうかは分らない。

 ただ言えることは、正夢である可能性が非常に高いということだ。

 この夢で分かったことは、彼らはここをモジャーの人体実験の場にしたということと、木野が一人で彼らと戦っているということだ。この場所でまた死者が出る可能性は高い。

「本当に殺すんですか?」

 早苗はうなずく。

「えぇ・・・。」

 早苗は本気だった。ただ、放っておいてもタカシはいずれ餓死するだろう。

 ただ、放っておいたらいつ黒沢のような力を発揮するか分らない。

 ここにいる全員が死亡するかもしれない。

「早苗さんだけでもここから逃げませんか?」

 僕は一言そういった。

「逃げる?」

「そう、逃げるのです。ここに引き込まれている電線を辿れば森から迷わず脱出できるはずです。」

 早苗は少し目線を下に向けて考えた。

「分かった・・・。そうしてみる。」

 スピーカーから笑い声が聞こえる。

「ハハハ、ダメですよ。そんな事しちゃ。」

 聞き覚えのある声・・・彼は木野に殺されたはずの博士だ。

「一也くん、あなたは二人の監視役でしょ。逃すなんて許しませんよ。それとも森の中で彼女をやみ討ちするつもりですか・・・。なら結構です。やりなさい。」

 僕は憤りを覚えた。適当なことを言って余計にこちらを追い詰めてくる。

「嘘・・・でしょ。」

 早苗は悲しそうな目でこちらを見てくる。

「嘘です・・・。でたらめです。」

「へぇ・・・否定するんだ。木野さんがどうなってもいいの?」

 博士ではない人の声がこの家の中に響きわたる。

 僕はそれ以上何も言えなかった。分かっていることは博士が近いうちに木野に殺されるということだけだ。それで良い・・・しかし彼女の手を汚す事が良いことだとは思えない。

「本当のことなの?その・・・タカシの言うとおり彼らとグルなの?」

 早苗はもう一度そう言った。

 僕には答えることができなかった。周りを見渡して監視カメラを探す。

「はい・・・。僕は彼らのグルです。あなたとタカシを見張るよう強制されています。」

「それでいいんですよ・・・。一也くん。」

 スピーカーから博士の声が響き渡った。

 この家の中にあってはお互いに、自由に話すことが許されない状況にあることが分かった。今の話を多分タカシも聞いていた。

 僕はカメラに見えないよう小さく手を立てて横に振る動作で必死に否定しながらもグルであると言ってしまった。ちゃんと伝わっているのかは正直分らない。ただ、タカシには今の会話は丸聞こえだったことだろう。

 今の状況は僕にとって最悪だ。少なくともタカシからは憎まれ、早苗にも疑われている。

 もう無理だ。死ぬしかない。そう思ったときにふと思いついた。

「そうだ。死のう!死ねばいいんだ!はは・・・」

 僕は思わず笑いながらそう叫んでしまっていた。


「お、ついにイカれたじゃん。やったね!博士。」

モニターを見ながらチャラ男が言った。

「・・・解せぬ・・・。」

 博士はそう・・・一言だけ言った。

「解せぬって何が?」

「確かに気が狂うのはモジャーの力が発揮される良い兆候です。でも、自殺されては何の意味もないです。実験が成り立たないでしょう。つまらない。それに普通・・・モジャーだったら恨みの相手を殺すはずです。内向的に自らを傷つけるのはありえないんです。第一、兄さんをあんな目に合わせたのに簡単に死なれたりしたらつまらな過ぎるでしょ・・・。」「え、兄さん?」

 チャラ男は少し驚いていた。

「それは、知らなくて良いことです。それより、見失った木野さんの行方をあなたは探して下さい。いつでも殺せると一也くんを脅しておくには必要です・・・。それから最近、我々の仲間が一人ずつやみ討ちされて、死亡しています。あなたも注意してください。私の偽物も以前殺されましたから・・・。証拠を残さないプロの犯行です・・・。気をつけてください。」

「あ~分かったよ。じゃあまたな。進展があったら呼んでくれ。」

 チャラ男は面倒臭そうに外へ出て行った。

 博士はモニターを録画に切り替えて自宅に帰った。

 モニターを見張る交代の時間が来る。博士はその場を後にした。次は薬男の番だった。信用出来ないが、モニターの見張りは彼らの楽しみであるため、ちゃんと時間通りに彼は来るのだ。

「ち・・・。」と、クイズ女は舌打ちをした。

約束の時間に薬男が表れなかったからだ。

そして、山小屋を監視しているビデオ映像が全て切れている。

クイズ女は博士に電話をかける。

「もしもし、ビデオが変なんだけど。」

「変?何がです?」博士は夜中の電話に少し迷惑そうに返事をした。

「映像も音声も入らないの・・・。切れてる・・・。」

「あ・・・はい。わかりました。すぐに行きます。」

 博士は間もなくモニタールームに着く。

 そして、監視ビデオを巻き戻し再生する。


 二木一也はタカシの部屋に移動し、小さな声で彼に何かを話しかけ縄を解く。

「彼を逃そうと言うの?」

 早苗が入ってくる。

「僕は彼を逃します。」

「あなたはやっぱり、彼らのグルだったの?」

「そう僕は彼らの仲間です。あなた方を監視するよう言われてました。黙っててごめんなさい。」

「何で?彼を逃すの?」

 早苗は悲しそうな顔をしている。

「そうだ、何もかもこいつが悪い!こいつ一人が死ねば良いんだ。」

 タカシは力任せに一也を仰向けに倒し、馬乗りになって素手で首を締める。

 間もなく一也は口から泡を噴き出す。そしてピクリとも動かなくなった。

「死んだ?」

 モニター越しに博士は笑う。早苗はその場にうずくまる。

タカシは一也を担ぎ、外へ出て周囲に張り巡らされたロープの外、監視カメラで追えなくなる所まで移動して、彼を捨ててきたようだ。

 タカシがログハウスに戻ると早苗が包丁を構えて待ち伏せしていた。

 そしてタカシの腹めがけて思いっきりぶつかる。

「当然の報いよ。」

 早苗は一言そう言うと、包丁をタカシから引き抜く。包丁には赤い血がべったりとついていた。

 タカシはうつ伏せに倒れた。

そして、早苗はその様子を鮮明に映した正面の監視カメラを睨みつけ、近くにあった椅子でカメラを破壊した。

 室内も屋内も片っ端から全てのカメラを破壊した。


博士はその一部始終をもう一度仲間を呼び寄せて一緒に見た。

「とんだ茶番ですね・・・。」

 博士は頭を抱えた。

「えぇ?一也は死んだし、博士の目的は達成したんじゃないの?」

 と、チャラ男は言う。

「この映像じゃ、本当に死んだのかどうか確認しに行かなきゃいけないじゃないですか。彼らは死んだフリをして罠を張っているかも知れないのです。それに彼らは人離れしたモジャーの力を一切使用していない。実験になっていないのです。」

 博士は唇を噛んで苛立った。

 博士の思い描いていた筋書きはこうだ。

 まず、拘束されたタカシがモジャーの力を発揮して人間離れした力で強引に脱出し、まず一也を引きちぎって殺す。さらにモジャーの力を発揮した早苗がタカシと戦う。

 そのモジャーどうしの死闘が見たかったのだ。これでは三人を閉じ込めた意味がない。

「くそ・・・。」

 博士は思いっきり机を叩いた。

「珍しいね。博士が切れるなんて・・・。」

 チャラ男はそんな博士の姿を珍しがる。

「彼らにはお仕置きが必要ですね・・・。」

 博士はまずログハウスへの電気の供給を止めた。

 

 ◇◇◇

 

「まずはやつらの目を奪った。次はどうしようか?」

 タカシは腹部から出ている血糊ケチャップを人差し指にとって舐めた。

「それ・・・汚いけど・・・美味しいの? まあ、いいか・・・計画通りの仕返しをしましょう。」早苗は笑顔で言った。

そう、こんな人里離れた所に何電(株)の電気など引きこまれてはいないだろう。周囲は鬱蒼とした森に囲まれ、通り道は獣道だ。

 僕はカラスを殺した時とほとんど同じような浅はかな作戦を実行に移した。

 取り敢えず彼らは必ずここへ来て状態を確認しに来ざるを得ない状況になった。

 攻撃こそ最大の防御だということを僕は黒澤の将棋に学んでいた。

この状況では誰か分らないが彼らの仲間がここに来る・・・。これは戦争だ。

 もし見覚えのあるあの四人組の内の誰かだったら迷わずあの小屋に閉じ込めてプロパンガスで、爆死させてやる。条件がそろえば一網打尽だ。

 そして彼らは意外と近くにいるかもしれない。

 電線を辿って着くのは奴らの・・・他のどこかではなく彼らのアジトだ。

 しかし、僕が殺された時から半日歩いてもそこには辿り着けなかったので二人が待つ小屋に戻ることにした。

 

「ただいま・・・。」

 帰ってくるとログハウスは真っ暗だった。

「電気を止められた・・・。」

 小屋の前に早苗とタカシが座っている。彼らは茶番の通じる相手では無かった。

 しかし、彼らの目的を潰す事には大成功だった。疑心暗鬼に陥らせようとしてこの軟禁生活にスピーカーを使って介入して来た時から三人とも彼らの目的に気づき、お互いにわだかまりはあるものの、共通の敵を打倒するために協力関係を築くことができた。

 共通の敵・・・つまりあの人間の何とか研究会の四人組は、僕らを・・・玩具の人形をシルバニア何とかの赤い屋根の大きな何とかに閉じ込めて遊ぶ小学生の女児の遊びのようなマネをしてくださいやがったのだ。ひどい日本語になってしまった。

 

――――夢―――――

ログハウスの電気が止められた次の日、博士は木野を捕らえた。

 わざわざ自分の囮を使って彼女を捕まえたのだ。木野が殺害したのはなんの罪もない普通の人だったのかも知れない。

「ひどいですね・・・。何の罪もない人を殺したりして・・・。」

 木野は悔しそうに唇を噛んだ

――――よくも・・・私を騙してくれたわね・・・。――――

 木野はそれを思っても口には出来なかった。目の前の男に殺意を抱かなければ何の罪もない人間を殺さずに済む事だった。

「騙される方が悪い・・・というよりも私に殺意を抱いた事が罪なのです。」

 博士はシレっとした口調でそう言った。

「この女重いよ・・・変わってよ博士。」

「我慢しなさい。それぐらいしか君は役に立たないんだから。」

 博士はそう言ってチャラ男を軽くあしらった。

 博士はメンバー四人を引き連れて山道を登って行く。

「それにしても残念でしたね?君が殺した私たちの仲間は全部偽者で・・・。」

「・・・嘘よ・・・。」

 それを聞いて博士は笑う。

「嘘じゃないですよ?」

「嘘です・・・。」

 博士は根拠のないことと意味の分らないことは嫌いだった。

 真実と嘘の言い合いに苛立った博士は平手で木野を殴った。

「痛・・・。」

 四人は暗い気持ちのまま黙ってログハウスへと向かった。

 それは最悪の状況だった。


 ◇◇◇


 奴らが何時に来るかも予想は付いている。問題は木野が捕まっているということだ。

 既に爆破の準備は整っている。そして例のメンバーが四人ともそろっている。

 一網打尽にする事が出来る。

しかし彼らはあろうことか木野を人質に取り、小屋の中へ入って行った。

 これでは爆破することなんて出来ない。

「何やってんだよ・・・早く爆破しろ!」

 と、タカシは松明に火をつけて後ろから静かに声をかけてくる。

「待ってくれ・・・人質が・・・。」

「人質? そんなことより早く爆破を・・・。」

 博士が一人だけ外に出てきて呟いた。

「何だかガス臭いですね・・・。」

 早苗は慌てて火種を勢い良く小屋に投げつける。火種は窓ガラスを破って高い大きな音を立てて割れて飛び散るが、一瞬にしてそれを上回る巨大な音と共に小屋は爆発した。

 彼らの実験結果は最終的には自らが爆発するという悲惨な結果で終わった。


 その場に立ち尽くす僕の腕を引っ張ってタカシと早苗は帰ろうとした。

「離してくれ。木野が・・・。」

「何を言ってるの? 人質なんて居なかったわ。帰るのよ。」

 早苗はグイグイと腕を引っ張る。

「離せよ・・・この・・・。」・・・人殺し。

 僕はその一言は言えなかった。彼らを爆死させようと言い出したのは自分自身だった。

 火を放った責任は僕にあるのだ。

「人殺し?」

「そんなこと言ってないよ!」僕は叫んだ。

「いいえ人殺しよ! この死体を見なさい! これはあの眼鏡の博士とかいうあの中で一番汚いマッド野郎じゃないの。この場所にはこの死体しかない。私たちはこの人だけを殺したのよ。」

「そんな・・・。馬鹿な・・・。」

「俺も見たけど奴は他の三人と来てたけど人質なんかいなかったぜ?お前の見間違えだと思う。」

「いいえ・・・この人一人しか居なかったわ。確かに・・・。」

 三人の言い分はバラバラに食い違っていた。まるで別の空間にいたかのように。

 僕は小屋の瓦礫の中に木野が本当に居ないのか探した。しかし、周辺には博士以外の肉片は一切出て来なかったのだった。

 爆発して見つからないくらい細かくなってしまったのだろうか? 他のメンバーの物も何一つとして見つからなかった。

 僕はこの二人の言い分のずれに違和感を覚えたが、取り敢えず木野はいなかったという共通項だけは都合良く信じることにした。そうでなければ壊れてしまいそうだった。


「ふははは! そんなにうまくいくわけがないでしょう・・・。」

 博士は高笑いしながら何人も表れた。遠目に三十人くらいの同じ人が迫ってくる。

 こうしてみるとあの四人組はみんな似たような顔をしている・・・。

 これは夢ではない・・・。僕は目を疑った。木野が生きている!

「私を怒らせましたね・・・直接殺しに来ましたよ?」

 その中の一人が話し始めた。

「私も実は『モジャー』持ちだったんですよ。その能力は『繁殖』と『成長』、材料さえあれば何人でもすぐに私と同じ生物を生産できるのです。」

 僕には意味が分からなかったが嫌な予感がした。

「どういうことだ!」

「やっぱり・・・。どおりで何人殺しても代わりが出てくる訳だ。」

 博士に担がれた木野がしゃべった。

博士は木野が気を失うまで激しく殴り・・・こちら側に転がした。

僕は激しい憤りと怒りを覚えた。

「うるさいですねぇ・・・この女は・・・。私が話しているときに。」

周囲は三十人の博士に囲まれている。

「私たちは一人一人、同じ目的で同じ理由で行動することが出来ます。全員が自分自身ですから連携も出来ますし。私たちは全員ナイフを持ってきました。囲まれていてこの状況、いくら未来を知ることができてもそれを変える事ができない、頭の悪ぅい君でも理解できますよね?」

 そう、この状況になる事を予知出来なかった時点で僕はこの胸くそ悪い奴に既に負けていたのだ。もうどうすることも出来ない。博士が突撃してきたらもう死ぬしかない。

 しかし、彼らはすぐには動かずニヤニヤしている。

「冥土の土産に話してあげましょうか・・・真実を。」

 博士は語りだした。

「私がこの力を手に入れたのは中学生の頃です。そしてその頃の私は何故か異性にモテていました。私の家が政界にも強力な影響力を持つ金持ちだからという理由ですかね?

 私は思う存分に人をもてあそびましたよ。楽しくて楽しくてしょうがなかったですねぇ。

 しかし、事も過ぎれば毒なのかドンドン私から人が離れていきました。私はそのとき思ったのです。この世の人間全てが自分と同じ存在なら何をしても・・・誰からも裏切られる事などないのではないかと・・・。それは思った通りですね。楽しくて楽しくて仕方なかったです。

 しかし私を増やすのには材料が必要です。だから兄に集めてもらっていたのです。」

 僕はこいつが何をしたのかに気がついた。

 それは人間として、最も恥ずべき最低な行為だと・・・。

「材料ってまさか・・・。」


「そう女性です。『鳥の会』とかいう不良仲間とつるんで父母に疎まれて勘当寸前だった兄はお金を渡せば喜んでやってくれましたよ。本当に助かりました。なのに・・・あなたは兄を殺しましたね? あのときあの場にいた私の一人が見ていましたよ。どうやってあなたが兄を殺したのかを・・・ね? せっかく協力してくれていたのに殺されるなんて可哀想に・・・。」

 僕は拳を握り締めた。

 眠らなければ未来が見られない能力なんて何の役に立つって言うんだ。

―――アイツを殴りたい・・・死ぬまで殴りたい・・・。殴らなければならない・・・。

そう思うと黒沢の声が聞こえた。

―――お前なら出来る・・・眠らなくても未来を見る力があるはずだ。不可能な事はない・・・。眠らなければ未来が見られない何て事を誰が決めた・・・。お前なら! 次に何が起こるのか、相手がどう動くか、戦略が・・・手に取るように分かるはずだ。考えろ・・。考えろ・・・。

「もうあなたは死ぬだけですよ・・・。それより木野さんを起こしたらどうですか? 最期に話したいこともあるでしょう・・・。」

 僕は木野に近づいた。何故、木野は奴らと戦っていたのだろう・・・。それは僕のためだったのだろうか・・・。本当にそうなのか? 無闇に人を殺すような子なのか?

何故・・・黒沢のナイフを持っていた?

 博士は僕が一歩一歩木野に近づく度に何故か笑みがこぼれている。

―――その時、ほんの一瞬未来が見えた。

僕は木野が身に付けていたそのナイフを素早く抜いた。

 木野が目を覚まし起き上がる瞬間、僕は木野の首筋を切りつけて殺害した。

 博士は驚いた表情を見せた。

「何で・・・」

「あまり・・・あまり舐めたマネをするな!」

 近くにいた博士を手に持ったナイフで殺害した。

「同じ方法が俺に通用すると思ったか? クズ野郎・・・。」

 そう、俺を殺そうとした博士は俺が好きな人間を使って俺が油断したところを狙って殺そうとしたのだ。俺がカラスを殺ったのと同じ方法で・・・だ。この木野は偽物だ。

 本物は黒沢のナイフを使っているはずだし、第一この木野は可愛くない。

「モジャーの力・・・なのか?」

 博士がうろたえている。

「おおかた作った博士を整形しただけだろ。誰にでも分かるわ・・・。死ねよ!」

 しゃべった博士の口に俺はナイフを突き刺した。

突き刺した博士が何故か発火して燃え出した。博士同士に恐怖が伝染している。

「何故だ・・・何故発火する・・・意味が分らない。」

「そうね・・・そこにいた私は可愛くないわ。」

木野が森の奥から現れて後ろから素早く博士を一人殺した。黒沢のナイフを持っている。

 やはり、刺した後から博士が発火する。

「何だ・・・一体、どこにパイロキネシスの使い手がいるんだ?」

 タカシと早苗もいい感じに切れて近くの棒切れを拾って博士たちを殴りにかかっている。

 どうも一人一人は弱いらしい・・・。

 博士が散り散りになって逃げ出した。まるで蜘蛛の子を散らすかのようにわらわらと逃げる。しかし逃げようとする博士たちは次々と発火する。まるで狙ったかのように・・・。

「モジャーがモジャーを呼ぶとでも言うのか・・・何だこれは・・・怖い・・・」

 うろたえながら絶望した博士たちは逃げられない事を悟り、その場にへたり込んだ。

 もう観念したようだ。どうせ一人残らず殺すのだが・・・。

「誰だ・・・誰がこんな能力を持っている・・・。」

そうしゃべった博士も燃だして死亡した。

「私が火をつけているの・・・。悪い奴は燃やさないとね。」

 そう笑顔で話ながら現れたのは夕ちゃんだった・・・。


森の中には隠れている者もいたが夕ちゃんと木野がほとんどを殺害、もしくは拘束した。

 夕ちゃんは楽しそうに博士を並べて一人づつ処刑した。

僕は止めるつもりはなかったが異常だと思った。

「もうやめて・・・。」

 泣き出す博士を容赦なく夕ちゃんは燃やす。

「ダメだよ・・・燃えちゃえ! えい!」その光景はある意味シュールだった。

 呻き声をあげながら博士たちは跡形もなく焼け死んでいく。

「夕ちゃん・・・大丈夫かお前・・・。」

「私は夕ちゃんじゃないよ。正義のヒーロー。モジャーだよ。」

 僕はモジャーについてまだ知らない事が多いがこの事件を通じて分かった事がある。

 モジャーは・・・・僕は夕ちゃんを急いで止めた。

「よせ、力を使いすぎちゃダメだ・・・。」

使い過ぎれば黒沢のように死んでしまうかも知れない。

「大丈夫だよ。私は強いから・・・今までどれだけ悪いモジャーを燃やしてきたと思う?

 百人は超えているよ? 君、この間も私が燃やした所にいたじゃない・・・。」

「お前か・・・あの・・・モジャー殺しの通り名の女は・・・。」

 話し出した博士を夕ちゃんは燃やした。

「正義の味方だって言ってるのに・・・。」

 夕ちゃんは少し残念そうに言った。

 木野が僕の腕を引っ張って夕ちゃんから少し遠く離れた。


「一也くん・・・久しぶり。元気してた・・・わけがないか・・・。」

 いつものように、木野がこんな異常な状況の中、話しかけてくれたことが少し嬉しい。

「いや、ようやく元気になれたと思う・・・。よく来てくれたね。君の事を夢に見てたよ。」

 僕はもう疲れていたのか、変な言い回しになってしまった。

「そう、私も人殺しになっちゃった・・・。」

「いいよ、あんな奴ならいくら殺したって・・・。」

 あそこまで何の救いようもない奴は逆に珍しい。でもやっぱり本物の木野は可愛い。

 そう思うと木野は若干顔を赤らめた。何か思う所があるらしく押し黙ってしまった。

「どうかした?」

「実は言おうかどうか迷うことが・・・。」僕には何となく木野が持つ能力が分かっていた。

「人の心や考えてる事が読めるんでしょ?」

 僕は思う事を言った。それは思い当たる節がある。僕の居場所を突き止める為に博士の一人を葬った時に木野は何も言わなくても場所を突き止めるという夢を見ていた。

 そして、黒沢のふりをして僕を慰め、勇気づけてくれた・・・。理由は分らないがリアルなセリフだったのはきっと誰のことでもわかり合おうとする優しさから来ているのだろう・・・。だから僕は彼女が好きだ。

「バレてたんだ・・・。」

 木野は静か微笑みながら言った。


 あと数人、夕ちゃんが博士を燃やせば戦いはそれで終了する。

 タカシは呆然と立ち尽くしていた。

 ようやく終わったと思った。もう二度と関わり合いになりたくない連中の親玉だった奴が次々と炎に飲まれていく。

 最低な奴らだった。

 タカシは自分がそんな連中と一度でも付き合っていた事に嫌悪感を抱いた。

 でも・・・ようやく終わったのだ・・・。

「よく逃げなかったね・・・。」

 早苗がタカシに言った。戦いの最中にタカシは早苗を庇った場面があった。

 そんなタカシを早苗は見直していた。

「いや、アイツを見ていたら・・・弱いクセに・・・。」

 タカシは一也の方を見てそう言った。

 

 そして博士はあと一人になって突然高らかに笑い出した。

人を小馬鹿にするような笑い方で博士は笑う。気が狂ったかのように・・・。

「何がおかしい。」

 僕は博士に近づいた。

「これで終わりな訳がないだろ・・・。」

「どういうことだ。」

「言わなくても分かるだろうけれどここにいるのが全員ではないということだ。いずれお前ら全員を殺そうとするだろう・・・。」

 博士の一言に木野は青ざめた。

 考えて見れば分かりやすい。博士は今も増殖を続けている可能性もある。

 まず一人が二人になる、その二人がそれぞれに増えるとしたら・・・これはネズミ講だ。あっという間に同じ数の人間・・・それどころか何百人・・・何千人単位で博士がいる可能性もあるということだ。

「どうだ・・・怖いだろ・・・俺だけ生かしといてくれればその全員の居所を教えてやるが・・・どうする?」

「何人だろうが関係ないね。全員私一人で焼き殺す。」

 夕ちゃんはニヤリと笑った。夕ちゃんから黒い・・・目に見えて暗黒のオーラが発せられる。

「居所を教えてやると言ってるのだが・・・。分からっ・分らないのか?」

 博士は恐怖に顔をひきつらせた。あまりの恐ろしさに声が裏返っている。

「だから・・・そんなのいらないって。私がみ~んな灰にしてやるから。」

 夕ちゃんは無慈悲に最後の一人を発火させた。

 最後の一人は呻き声すらださず一瞬にして燃え尽きた。

 それを終えて夕ちゃんは気を失った。

「大丈夫か? 夕ちゃん! おい!」

 気を失ったが寝ているだけだった。

 木野はなにを思ったか自分の偽物の死骸の服を脱がせ始めた。

「何してんだよ・・・木野さん。」

「ちょっと、あっち向いて。」

 木野は一言言ってから黙々と作業をした。何か確かめたいことがあるらしい。

 それはすぐに終わった。

「やっぱり・・・。」

「何? どうしたって言うんだ?」僕は様子を見ないようにしながら聞いた。

「生殖器がない・・・。」

 木野は言った。

「この偽物は女子だから去勢したのかも知れないけれど・・・手術の痕もない・・・。

もしかしたらこいつらは、オリジナル以外繁殖できないんじゃない? さっきのあいつの一言には背筋が寒い思いをしたけど・・・そいつを倒せば・・・。」

 そうこの場で大量の博士を・・・主に夕ちゃんが亡きものにしたが、この中に本人はいなかっただろう。罠を張っている事を読んでいたはずだ。

 僕を殺す為に二重に計画を練ってわざわざ大量の博士と木野に見せかけた博士を連れて来たのだろう・・・。それだけ慎重な奴がこの場にいたとは思えない。

 僕とタカシと早苗の三人だけなら十分に殺せたはずだった。

 僕を騙すためにあのレプリカは一寸の狂いもなく木野の演技をしていたはずだ。

 そもそも人の考えを読める木野が捕まるはずがないのだ・・・。

 しかし、何で夕ちゃんはこんなところに来たのか・・・それは本当に謎だ。

 

僕らはようやく長い・・・本当に長く感じさせる一週間の監禁生活を終えた。

僕とタカシは夕ちゃんを交代で背負う。そしてこの山を下り、森を脱出した。


 駅に着いたのは大体夜の七時頃だった。

夕ちゃんは寝かせたまま家路に着く為の列車に乗ったとき急に頭に激痛が走った。

それは力を使った代償が今遅れてやってきたのだ。

僕もまたモジャーだったらしい。激しい頭痛に苛まれた。その痛みにのたうち回っていると、木野が僕の手を握った。

 黒沢は胸に痛みが来ていたようだったが僕の場合は頭の方に痛みが来るらしい・・・。

「大丈夫。私も夕ちゃんも一也くんも耐性があるから・・・。死んだりしない。」

 もともと体の弱い黒沢は・・・それに耐え切れず死んでしまったのか・・・。

 何で僕には耐性がある・・・。木野の手に温もりを感じると症状は少し落ち着いた。

 僕はそのまま気を失うように眠った。


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