第二章 『非日常の始まり』
薄く目蓋を開くと薄い光が室内を満たしていた。
見慣れた天井のはずなのに部屋の様子は記憶と違っていた。
こんなに俺の部屋は散らかってなかった。
こんなに良い匂いはしなかった。
ふと視線を下ろすと胸元が金色に輝いていた。
金色の正体は細く、しなやかなクリスの髪だ。
「ぅ……ん」
クリスが小さく呻く。
露わになった鎖骨、汗に濡れた微かな膨らみ。
自分でも訳が分からないまま、圭はクリスを抱き締めていた。
ヤバい、とてつもなくヤバいことをしてる。
「……むぅ」
クリスがキスをせがむみたいにおとがいを逸らした。
桜色の唇が小さく開く。
「キ、キ、キスくらいなら」
「軽はずみな行動は死期を早めますが?」
こめかみに固い物を押しつけられ、圭は凍り付いた。
ゆっくりと視線だけを動かすとセシルさんが銀の回転弾倉式拳銃を構えていた。
「セ、セ、セシルさん……俺のこめかみに何を」
「S&W社製M60チーフスペシャルです。357マグナムを使用しておりますので、この距離なら即死できます。御不満でしたら、モスバーグ社製のショットガンM500の準備もございますが?」
「どっちにしろ、死ぬじゃん! つーか、どうして、普通の御家庭に銃が!」
「以前、購入した銃を保管しているからですが?」
「じゃなくて、銃刀法違反!」
「問題ありません。この国には『無茶が通れば道理が引っ込む』と言う諺が伝わっておりますので」
「法律まで引っ込めた!」
「法律は、引っ込みません」
「あ、やっぱり」
「御自身のためにも警察の方には御内密に」
「サラッと脅迫されてる!」
「では、続きを」
「殺すと言ったばかりなのに!」
セシルさんは足音を立てずに部屋から出て行った。
「う~む、うるさいのぉ……何故、ケイがワシの布団にっ?」
「今、起きたのかよ!」
クリスは不機嫌そうに唸り、もの凄い勢いで圭から離れた。
「ま、まさか、ワシに夜這いを! い、いかんぞ、ケイ! こ、この国には『男女七歳にして席を同じゅうせず』と言う諺があってだな」
「夜這いに来たんじゃねーし」
「だったら、どうしてワシの布団に?」
「朝、起きたら隣でクリスが寝てたみたいな?」
「待てい! その言い方だとワシがケイの布団に潜り込んだみたいではないか! 目が覚めたのならば、さっさと出て行け!」
「……無理だ」
「何故じゃ?」
「男だから」
「ま、ま、まさか」
エロゲーファンだけあり察して……、
「わ、ワシの布団で夢精「んな訳ねーだろ!」
察してなかった。
「……ッ!」
「露骨に怯えた顔をして後退るなよ。エロゲーで慣れてるだろ?」
「ゲームと現実を一緒にするでない!」
「お姉ちゃん、朝だよ!」
スパン! と昨日と同じようにカルが襖を開けた。
「ん?」
カルは不思議そうに首を傾げ、
「いつの間に二人とも結婚したの?」
「「結婚なんてしてねえ/おらん!」」
「じゃ、ボクは第二婦人で良いや!」
「「第二婦人!」」
「うん、正妻は四人までオッケイだよ」
「それは複数でプレイするのもオッケイ?」
「何を聞いて……!」
「あまり良い趣味じゃないけど、折り合いを付けさせるのが家長の器だって」
「ハーレム公認!」
「ハーレムが何か?」
いつの間にか、セシルさんがカルの背後に立っていた。
「お姉ちゃんが第一婦人で、ボクが第二婦人になるの!」
「それは随分と愉快な話ですね」
ニィィィッとセシルさんは口の端を吊り上げた。
目は笑っておらず、愉快そうな雰囲気は欠片もない。
部屋の温度が下がったような気がするのも気のせいじゃないだろう。
ガクガクとクリスとカルが震えているのは予想される惨劇を想ってのことだろうか。
ちなみに圭のアレは縮み上がっていた。
「セシル、新聞ガナイヨ」
遠くからシャノンさんの声が響き、セシルさんはいつものビスクドールのような表情に戻る。
「三人とも着替えた後、リビングに集合です」
「「「はい」」」
セシルさんがいなくなってから十秒が過ぎ、圭は安堵の息を吐いた。
「セシルさんが本気だったら三回は死んでるな」
「母上は怒ると怖いのだ」
「うん、お母さんは怖いよね」
顔面蒼白でクリス、恥ずかしそうに頬を染めてカルが言う。
「母上は五年くらい海兵隊にいたからな」
「五年でセシルさんみたいになれるのか。凄いな、海兵隊」
「うん、凄いよね」
もじもじとカルは太股を擦り合わせ、蕩けたような溜息を吐いた。
「俺は着替えてくる」
※
朝食のメニューはトースト、目玉焼き、ベーコン、肉団子の浮いたスープ、テーブルの中央に山と盛られたサラダだった。
プロテスタントであるシャノンさんとクリスはお祈り、故郷の神様を信仰しているカルもお祈り、セシルさんと圭は手の平を合わせて『いただきます』だったりする。
食事を食べ終えたのは七時、しばらくしてスーツ姿のシャノンさんと制服姿のカルが席を立った。
「セシル、行ッテキマス」
「お母さん、行ってきま~す!」
むぅ、とシャノンさんは唇を突き出した。
セシルさんは娘二人と圭、シャノンさんを交互に見つめ、恥ずかしそうに俯く。俯いていても埒が明かないと判断したらしくシャノンさんに触れるだけのキスをする。
「行ッテクルヨ~」
元気百倍と言った感じでシャノンさんは革製の鞄を手にリビングから出て行った。
シャノンさんに遅れて、カルもリビングから出て行く。
ガウガウ! とシロとハイイロの鳴き声。
セシルさんは手際よく皿を重ね合わせ、キッチンへ。
「……セシルさんって」
「ドイツ人並に堅いな。人前でイチャイチャするのは苦手と言っているし、去年の七夕祭で父と手を繋ぐのに一時間も悩んでおったし、愛していると父上に面と向かって言ったのは一回きりだそうだ」
「よく結婚できたな」
「我が家の七不思議の一つだ」
「七つ目がないってオチだな」
「その場のノリで言っただけで深い意味はないぞ。それに我が家に不思議があったとしても三つくらいではないか?」
そうか? と圭は内心首を傾げた。
セシルさんだけで二十六個くらい秘密を抱えてそうのだが。
「さて、そろそろ行くか」
時刻は七時半、自転車がないので学校に着くのはギリギリになるだろう。
「圭様、ガレージにある自転車をお使い下さい」
泡だらけの手をタオルで拭い、セシルさんは圭に自転車の鍵を手渡す。
「ありがとうございます、セシルさん」
「いえ、私の責任ですので」
「今度こそ行こうぜ」
自転車の鍵を握り締め、圭はクリスを伴ってガレージへ。
ガレージには軍隊で使っていそうな車とKAWASAKIとロゴの入ったバイクが止められていた。
「この車とバイクって、セシルさんの趣味か?」
「母上は燃費よりも走破性で車を選ぶ地球に優しくない女だ」
ふぅ、とクリスは溜息を吐いた。
「セシルさんの趣味はともかく早く学校に行こうぜ」
自転車を見つめ、圭は苦笑い。
ガレージにあった自転車は壊されたそれとそっくりだった。
防犯登録を気にしなくて済むか、と圭は自転車のロックを外した。
※
学校に到着したのは昨日より少し早いくらいだった。
昨日と同じように2-Aの教室に入ると優花の姿がなかった。
話し相手がいないせいか、クリスは寂しそうに教科書を机の引き出しに移していた。
教室に入った時から美咲がチラチラと視線を向けていたが、口止めするつもりもないので圭は一時限目の教科書を取り出して軽く目を通す。
グッタリとした様子で女性教師が教室から出て行く以外は特別な事件もなく、四時限目が終わった。
セシルさんが作った弁当を食べ終え、屋上でまったりしていると美咲が不機嫌そうな顔でやって来た。
「何じゃ、委員長」
「……昨夜のお礼を言いに来たのよ」
「ケイ、フラグじゃ! フラグが立ったぞ!」
「フラグって?」
「アドヴェンチャーゲームでは選択肢を選ぶとストーリーが分岐するんじゃが、その分岐条件をフラグと言うんじゃ。このシュチュエーションで適切な台詞を選べば、委員長ルートに進めるぞ!」
「面倒臭そうだから、委員長ルートは要らね」
「ちなみに自称★神であるワシとしては……ケイ、だらしない感じで足を開け」
おう、と圭はだらしない感じで足を開いた。
「『跪いて、俺のアレを舐めろ』じゃ」
「舐めないわよ!」
「ひぃっ!」
情けない声を上げ、圭は美咲が股間に振り下ろした足を掴んだ。
「受け止めた?」
「おま、お前……本気で潰そうとしただろ?」
「あ、あんな要求したんだから潰されて当然でしょ!」
「俺が言ったんじゃねーだろ!」
ふん! と美咲は足を引いた。
凄いぞ、よく頑張った俺の反射神経! と圭は胸を撫で下ろす。
「そ、その昨夜は……ありがと」
美咲はそっぽを向き、蚊の鳴くような声で言った。
「あまり人気のない所を通るなよ。いつも助けられるとは限らねーし、あんなヤツに関わりたくないんだよ」
「分かってる」
美咲を見送り、圭は深々と溜息を吐いた。
※
帰りのホームルームも終わり、いつもなら部活に行くはずの美咲が今日に限って教室に留まっていた。
「石動、ちょっと付き合って」
「手短に済ませてくれよ」
「ここじゃ、マズイから」
ふぅ、と圭は溜息を吐いた。
人気のない場所は自然と限られる。
その中で屋上を選んだのは無難な選択だろう。
「……職員室で聞いたんだけど、優花が昨日から家に帰ってないみたいなの」
「だから?」
自分でも呆れるほど冷たい声が出た。
「もしかしたら、昨夜の大男に誘拐されたのかも」
「で?」
「だから、協力してよ」
ふぅぅ、と圭は溜息を吐いた。
あれだけ危険な目に遭いながら、美咲は危険性を理解していないらしい。
「俺は関わりたくないって言っただろ。第一、綾峰は本当に誘拐されたのか? 仮に事件性があるにしても昨夜の一件に結びつけるのは短絡的だろ」
「それはそうだけど……万が一、あの大男に」
「万に一つの可能性を潰すために戦えってのか? ったく、馬鹿じゃねーの」
「そんなに友達を心配するのが悪いことなの!」
「自己陶酔しすぎなんだよ、馬鹿が」
「……っ!」
美咲が平手を見舞うが、発作的な行動だけに動きは読み易かった。
圭は欠伸を噛み殺しつつ、美咲の手首を掴んだ。
軽く腕を捻り、美咲をフェンスに押しつける。
「ちょ、離しなさいよ!」
「これが俺とお前の実力差。お前は強いよ。俺の見立てじゃ空手でお前に勝てるヤツなんて男でもそういないさ。けど、あくまでルールに守られている場合だ」
「……痛っ!」
強めに腕を捻ると美咲は苦痛に喘ぐ。
「で、あの大男……別に大男じゃなくても良いけど、ここで止めてくれると思うか?」
体を押しつけ、圭は美咲の耳元で囁いた。
「何をしておる!」
ちょっと視線を傾けると小柄な人影……クリスが跳び蹴り。
圭は美咲から離れ、クリスの跳び蹴りを躱した。
思いっきり空振りしたクリスは着地と同時に足を挫き、これ以上ないくらい無様に転倒する。
「……うぐっ」
「何をやってるんだよ、お前は」
パン! と乾いた音が響く。
クリスが差し伸べた手を払い除けたのだ。
「話は聞いていた! 何故、ユーカが誘拐されたかも知れないのに動こうとせん! それでも、ワシの下僕か!」
「そっちこそ俺の話を聞いてたか? あんな外れたヤツに俺は関わりたくねーんだよ」
「こ、このヘタレ! お前には頼まん!」
怒鳴りつけ、クリスは美咲と共に圭に背を向けた。
※
駅前のゲームセンターはいつも通り閑散としていた。
ハードなゲーマーは隣街のゲーセンに行ってしまうし、あまり筐体を入れ替えないので人気がないのだ。
それでも、一定数の顧客を確保しているのはある役割のためだった。
ゲームセンターの隅に設けられた申し訳程度の休憩所に高校生がだらしない格好で座っていた。
肌は浅黒く、がっしりした体格だ。腰に巻いた鎖、半端に染められた髪、耳に付けたピアス、こんな田舎で自己主張の激しいヤツである。
「……久しぶりだな」
「ああ、久しぶり」
最低限の挨拶を交わし、圭は男の隣に座った。
「なあ、コート姿の大男について何か知らないか?」
「……相変わらず情報の遅いヤツだ」
「家が完全に没落しちまったから、情報のルートがここしかないんだよ」
このゲームセンターは圭のような未熟な術士の溜まり場だった。
没落した一族の出身者が情報を提供し合い、被害を最小限に留めることを目的としている。
「……噂自体は去年からある。目撃証言もかなりの数だ」
「学校じゃ聞かねーけど?」
「……死体が見つからなければ失踪事件として処理される。そして、俺達は余計なことに関わらない」
「なるほどね」
こんなもんだ、と圭は溜息を吐いた。
ここにいる連中は中途半端な実力と青臭い正義感で身を滅ぼした実例を嫌と言うほど見ているのだ。
「……やりあったのか?」
「こっちの手の内を晒しただけになったけどな。アレは独覚だよな?」
「……十中八九、そうだ」
チッ、と圭は舌打ちをした。
独覚は師につくことなく悟りを開いた者と言う意味の仏教用語なのだが、術士の間では遺伝的要素がないのに術士として覚醒した者、危険因子の代名詞として使われている。
理由は簡単だ。
独覚は容易く罪を犯す。
ある意味でクリスが使っていたファイル共有ソフトと同じだ。
裁かれないからと、行為をエスカレートさせ、犠牲者を生み出すのだ。
「仕方がねーな」
「……止めに行くのか?」
「自称・俺の御主人様とクラスメイトを、な。死んだ方がマシな目に遭うよりも、俺に心が折れるくらい痛い目に遭わされる方がマシだろうさ」
「……恨まれるぞ」
「あいつらが死ぬより恨まれる方がマシだ」
「……大した忠犬ぶりだ」
「言ってろ」
吐き捨て、圭はゲームセンターを後にした。
※
日が沈み、公園は薄闇に包まれていた。
人気はなく、クリスと美咲の声だけが響いている。
あの大男が証拠の隠滅も計れないほど愚鈍だ、と二人は考えているのだろう。
圭は素早く木の陰から木の陰に移動し、クリスの背後に回った。
這い蹲り、ぷりぷりとお尻を動かす姿は割とエロい。
「……おい、クリス」
ビクッ! とクリスは驚いた猫のように飛び上がった。
「ケイか、あまり驚かせるな」
「もう一度だけ忠告しておく。この件に関わろうとするな。警察に任せて、お前は家でエロゲーでもやってろ」
「忠告など要らん。手伝うつもりがないのなら家に帰れ」
「そうか、そうだよな」
圭は頭を掻きながらクリスと距離を詰め、彼女の脇腹を蹴り上げた。
グボッ、とクリスが訳の分からない声を上げる。
空中で反転……宙に浮いているクリスを踏みつけ、地面に叩きつける。
ケハッ! と息を詰まらせ、クリスは突然の凶行に目を白黒させている。もちろん、内臓が破裂しないように手加減はしている。
「……な、何をするんじゃ、ケイ」
「忠告を聞いてくれないから暴力に訴えてるんだよ」
立ち上がろうとクリスが手足をばたつかせるが、圭はそれを許さない。
単純に体格差の問題だ。
「こ、この程度でワシを止められると」
「思ってねーよ」
足をどかすとクリスは体を起こし、憎悪に燃える瞳で圭を睨んだ。
一瞬、クリスの口元が緩んだのを圭は見逃さない。
ダンッ! と地面を蹴る音。
背後から接近した美咲がハイキックを放ったのだ。
圭は軸足を刈るようにタックル、そのまま美咲を押し倒した。
勘弁しろよ! と圭が拳を振り上げたその時、クリスが叫んだ。
「……ケイッ!」
嫌な予感がして、圭はクリスに向かって手を突き出す。
衝撃、光が眼球の奥で炸裂する。
クリスが隠し持っていたナイフで圭を刺したのだ。
自分で刺したのに顔面蒼白、滑稽なほど膝が震えている。
とうとう自分の体重を支えられなくなり、クリスはその場で尻餅を突いた。
「こ、これがワシの覚悟じゃ!」
圭は立ち上がり、手の平と甲を交互に見る。
本気で殺そうとしたのか、T字型のナイフは手を貫通していた。
「だから?」
「ヒィッ!」
圭が傷口を抉るようにナイフを抜くとクリスは小さな悲鳴を上げた。
「魔法使いか、聞いてきたよな? あの時は言わなかったけど、俺の御先祖様は医者だったらしくてさ」
「な、何が言いたいんじゃ!」
「医者ならではのテクニックってのが伝わってるんだよ。今みたいに痛覚の遮断もできるし、俺みたいな未熟者でも自分の体なら損傷箇所の修復ができる」
圭は手の平をクリスに向けた。
血が沸騰したように泡立ち、切断された筋肉が蠢いている。
手の平と甲の違いはあるが、クリスも同じ光景を見ているはずだ。
自分でもグロテスクさに吐き気が込み上げてくる。
ゲェッ、とクリスはその場で嘔吐した。
「んで、こう言うこともできる」
圭はクリスの髪を掴んで立ち上がらせ、血で濡れた手の平を口元に押しつける。
クリスは噛みつくこともできずにされるがままだ。
「……刻め」
小さく呟くとクリスは電流を流されたように仰け反った。
グッ、と毛を吐き出す犬のような声が喉から漏れる。
「な、何をしてるの?」
「血液を媒介にした感覚支配……今、クリスは麻酔なしで体を切り刻まれるような痛みを味わってる」
ピチャピチャとクリスの股間から水が滴り落ちる。
気絶もできない激痛に失禁したのだ。
圭が感覚支配を解いても、クリスは不規則な呼吸を繰り返していた。
「激痛で人格をぶち壊すことも、快楽で狂わせることだって、欠伸が出るほど簡単だ。だからさ、優花の件は諦めろ」
「そんなこと」
美咲は折れたな、と圭は安堵の息を吐いた。
「……そんなこと、できる訳なかろう」
答えたのはクリスだった。
「で、お前に何ができるんだよ?」
「ケイこそ、どうして?」
何度目の溜息だよ、と圭は空を仰いだ。
「……俺はさ、お前らのことが嫌いじゃないんだよ。むしろ、好きだって感じてる。だから、お前らが死んだ方がマシって目に遭わされるのは嫌なんだよ」
「そうではない! それだけの力がありながら、どうして、戦わない!」
「戦う義理も義務も覚悟もねーからだよ。軽蔑してくれても良いぜ。けど、お前らも自分の両親が頭を潰されて殺されたら、同じことを考えるだろうさ」
「ケイの言いたいことは分かったが、ワシらの邪魔をせんでくれ」
クリスは優花の痕跡を探そうと地面を這う。
「分かってねーだろ」
圭は地面に倒れ込んだクリスを片手で吊し上げ、吐息が掛かるほど距離で睨んだ。
「ケイはワシらを止めようとしている。だから、ワシらを殺せない。」
「両腕両脚の骨を砕けば諦めるか?」
「ほ、骨を砕きたいなら砕け! それでも、ワシらは、いや、ワシはユーカを探す!」
血で濡れた手を見せるとクリスは惨めったらしいほど体を震わせた。
「何処まで耐えられる?」
「無論、死ぬまでじゃ!」
格好良いのは台詞だけでクリスは震えていた。
一秒、二秒……どれくらい睨み合っていただろうか。
「……分かった」
溜息を吐き、圭はクリスから手を離した。
「……ケイ?」
「黙れ、馬鹿! 分かってたんだよ、そう言うヤツだって! 何の力もないくせに吠えるし、痛い目にあっても反省しねーしさ! つーか、小便を漏らすくらい痛いんだったら諦めるだろ、邪魔されたからとか言い訳して!」
圭は頭を抱えて叫んだ。
「俺に、謝れ!」
「何たる逆ギレ! ケイこそワシに謝れ!」
「うるせえ! お前に嫌われる覚悟で止めに来たのに止まってくれないなら、力を貸すしかねーだろ!」
ポカンと呆気に取られたようにクリスは圭を見つめた。
「ケイ……もしかして、最初から?」
「そうだよ、お前が諦めなければ力を貸すつもりだったんだよ」
「ぐぬ、ぬぐぐぐ……ムキィィ!」
錯乱したようにクリスが圭に殴り掛かる。
じゃれてる猫みたいだ、と思っていたらクリスのジャンピングアッパーが顎を捉えた。
軽く脳を揺らされて圭が尻餅を突くとクリスはマウント。
パンパパン! とリズミカルな平手打ち。
「ワ、ワシは本当に、本当に怖かったのだぞ!」
「……悪かったよ」
「反省が足りん!」
パン! と平手打ち。
ようやく気が済んだのか、クリスは荒い呼吸を繰り返しながら圭から離れた。
「とにかく、ここから離れよう」
「まだ、手掛かりを掴んでおらん!」
「良いから歩きながら話す。あ~、一人で歩けるか?」
「……」
圭は黙り込んでいるクリスを抱き上げた。
「小便臭「お前のせいじゃ!」
「あんなマネしたくせに……やっぱり付き合ってるんじゃない。いつも二人で登校してるし」
「まあ、そう言う風に見えるよな」
周囲を警戒しながら圭は公園の出口を目指す。
「クリスは長く歩けないんだよ」
「え? でも、体育の授業に参加してるじゃない」
「ワシは普通に歩ける……ケイが勝手に手を貸すだけじゃ」
クリスは不満そうに唇を尖らせる。
「それで一年以上も?」
「別にワシは頼んでおらん!」
「俺が勝手に手を貸して、図々しく飯をたかってるんだよな」
美咲は訳が分からないとでも言うように眉根を寄せた。
「それって、好きだからじゃないの?」
「クリスのことは好きだぜ。こいつと一緒にいると楽しいからな」
嘘じゃないぞ、と圭は笑った。
公園の入口に止めた自転車の荷台にクリスを乗せ、手で自転車を進める。
「今回の事件についてなんだが、去年から続いているらしい」
「「は?」」
クリスと美咲が同時に声を上げた。
「警察は?」
「事件性がなけりゃ、本腰を入れてくれないだろ」
「じゃあ、どうするの?」
「何故、二人ともワシを見る」
「天才ならプロファイリングくらい」
「できるか! あれは統計学で、元になるデータがなければどうにもならん!」
クリスは圭の思い込みを切り捨てた。
「とにかく……明日、優花が家に帰っていないかを確認してからだな」
昨日と同じように美咲をバス停まで送り、圭は自転車を押しながら坂を上る。
「……クリス」
「何じゃ、ケイ?」
「どうして、クリスは優花のためにがんばれるんだ?」
「友達だからじゃ、それ以外に理由なんぞ必要ない」
「そうか」
喉元まで迫り上がる言葉を圭は呑み込んだ。
嘘にしても、建前にしても、意地を張り通せるのならクリスの覚悟は本物だ。