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しろがねの翼  作者: 夢屋満月堂
chapter2「魔眼と預言と天の星」
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05:探索者の街

 風に混じって楽の音が聞こえる。竪琴に絡む朗々たる歌声。そこに割り込む威勢のいい声は路地売りの商人だろうか。

 時は夕刻。家路を急ぐひと、街へ繰り出すひと。長く伸びた影が交錯する。

 人々の交わす囁きの合間に、犬の吼え声、鳥の声。ああ、何かを焼くような音も聞こえる。肉料理だろうか、滴る肉汁が脳裏に浮かぶ――


『あんたに胃袋があるとは初耳だ』


 エルの声音はからかうような調子を帯びている。


『空腹は感じないんですけど匂いはなんとなく……。味も想像出来てしまって、どうにも切ないです』


 身体が無くてはどうしようもない悩みに、意気消沈してアークは答えた。


『それはご愁傷様』


 笑いを含んだ相槌を聞きながら、再び遠くまで耳を澄ます。音と色彩に溢れた街は鮮やかで奔放で目まぐるしい。

 闇に慣れすぎた身には、まだ感覚が追いついていかない――


 久遠の眠りから覚めた彼の前には、日差しを一杯に浴びて輝く景色が広がっていた。

 地をしろしめす季節は炎暑の夏。

 そして、彼らが出会ってからは数日が経過していた。



* * *



 崩壊する遺跡より脱出してしばし経つ。あれからアークは、エルと二人で行動していた。

 はたして水晶に押し込められた身を"ひとり"と数えて良いのか? と問われれば――良いのだ。記憶を無くしているとはいえ、アークは確固たる人格を持つ知的生命体である。

 ただし端から見れば水晶を携えた剣士が普段通り生活しているだけ。早く身体を取り戻し、不自由から解放されたいと彼は願った。

 腰のポーチの片隅、それが現在のアークの居場所だ。周囲には様々な小物類が押し込まれている。酷く混沌とした有様を見るに、この剣士は整理整頓が苦手らしかった。


 さて、今二人が歩いているのは"探索者の街 "エドアルド。賑わいに溢れた大都市だ。この地は、学術の都、転送陣都市、発明の街など他にも様々な異名を持つらしい。

 煉瓦造りの建物が立ち並び、その隙間から大小の煙突が蒸気を吐き出している。そこかしこに見られるのは、歯車やバネ、ゼンマイ仕掛けと思しき鉄のカラクリ。術式の力も上手く組み込まれているようで、物凄い勢いで走る"馬のない馬車"などというものもあった。

 エルの横にくっついて浮かぶアークは、次々と現れる珍奇な物品に目を奪われっぱなしである。街に入ってからは息をつく暇もなかった。

 物珍しさから止め処なく質問してしまい、エルはもうずっと呆れ顔だ。口調の素っ気なさにも拍車が掛かってきた。だがそれでも律儀に返答をくれる辺りは、何だかんだ言って人が良いと思う。

 暮れなずむ街を角燈の灯が照らしてゆく。この灯りも、"光霊の吐息ルミナスブレス"と呼ばれる気体を術式制御で光らせているらしい。見慣れない様々な光景は、否応なくここが"彼の知らない時代"だと感じさせた。

 そう。この地はまさしく異邦だ――


『おい、急に黙り込んでどうしたんだ? さすがに喋り疲れたか』

『あっ、いえ別に。なんでもないですよ!』


 エルの声音には気遣うような色がある。幾分か沈んでいた気持ちを悟られまいと、慌ててアークは言葉を返した。


『そうか。ま、あんたの身体探しはこれからだ。今はまだ落ち着かないかもしれないが……ゆっくり慣れていけばいい』


 エルの手がポーチを叩く。澄んだマナが流れ込み、彼を励ますように明るくきらめいた。

 分け与えられる力に心が温かくなる。


(――僕はひとりじゃない。だからきっと大丈夫)


 そうすると現金なもので、また好奇心が首をもたげてくる。精緻に描かれた術式や、歯車だらけのカラクリ。そうしたものを見ると心が騒ぐのだ。

 

『お気遣いありがとうございます。ところで、あの角にある鉄の箱は何に使うものですか!? あっ、あとその上にある球体も!』


 気を取り直し、矢継ぎ早に質問を繰り出す。

 「しまった、声掛けるんじゃなかった……」という呟きは聞かなかったことにして、アークは再びこの時代の面白いものを探し始めた。



* * *



 エドアルドの夜は明るい。煌々と照らされた道に多くの人が行き交っている。

 その中を、エルはしなやかな獣のような足取りで進む。

 さほど長身ではないが均整の取れた体つき。身のこなしには隙がなく、動作のひとつひとつに無駄を削ぎ落とした美しさがある。


『日が落ちたというのに人が多いですね……。今の世はどこもこうなのですか?』

『いいや、ここが特別なだけさ。普通の町は大体、日の出と共に起きて、日の入りと共に寝るような生活を送ってる』

『この街は、特別?』


 アークの問いに対し、エルは都市エドアルドの遍歴を語ってくれた。この街の特異点、それは"ある遺跡を囲むように街が存在している"という部分だ。

 "転送陣都市"の異名の通り、この街は複数の大規模転送陣を備えている。いや、正確には"転送陣のある遺跡に人が集まり、いつの間にか街ができていた"と言うべきか。


 現在より遡ること三百年前。

 エドアルドという男が、それまで謎のオブジェであった"とある装置"の用途を解き明かした。彼の偉業はそこに留まらず、術式構造の一部を解析して装置を使用可能とするに至る。

 遺跡の広間に集まるいくつもの装置――転送陣。それは大陸各所に点在する遺跡へと通じる門だった。

 未知なる遺跡に心躍らす探索者が集い。

 装置の更なる研究をと研究者が集い。

 探索者や研究者の為の武器や道具の職人が集い。

 さらに、いくつかの転送先で安全が確保されると、西へ東へモノを売り捌く交易商人が集った。

 そうして気付けば街の体裁が整い、探索者・研究者・商工業者が三つ巴で治める自治都市が誕生していたのだ。


 多くの点で唯一無二の都市。探索者は様々な遺物を集め、それらを研究者が解析する。そうして有用な発明が生まれれば、商人たちが各地に広め売り捌く。エドアルドでは日々新しいモノが生まれ続けている。


『とは言え三団体は仲良しこよしって訳じゃない。むしろ上に行くほど喧嘩ばっかりさ。連中はいつだって、利権の取り合いで凌ぎを削ってる』


 そう語るエルの言葉は皮肉げだ。


『あまり大きな声で言うことでもないが――ま、あんたとの"会話"には関係ないな』


 台詞とともに小さく笑う気配。

 そう。二人の会話は肉声でなく、思念のやり取りで交わされている。往来で姿の見えない相手にぶつぶつと話したくはない、とエルが思念での会話を試してみたところ、あっさりと話ができたのだ。

 以来、街中における二人の意志疎通はこの"念話"で行われている。「食事中も普通に会話出来て便利」などとエルは言っていた。


『それにしても、探索者の皆さんは元気ですねぇ』


 道行く人々を眺めながら、アークはしみじみ言った。街で探索者は比較的わかりやすい。なぜならやたらと変な人が多いからだ。

 すぐ横では、ローブの女が杖を振りつつ商人と怒鳴り合いの真っ最中。向こうの広場では禿頭と髭面が拳を交わしている。

 唖然としつつ眺めていると、今度は大剣を背負った少年が「俺はやってやるぜぇぇ!」と叫びながら走り去って行った。昔の記憶は定かではないが、人の世とはこうも騒々しかっただろうか?


『……無駄に血の気の余った変人が多いことは否定できない』


 エルからは色々な何かを諦めた台詞が返ってきた。とはいえその彼女も、端から見るとかなり"変な人"であったりする。


『そういえば、暑くないですかその格好。いくら夜だといっても』

『……暑くないように見えるか?』

『いいえ。というか凄く怪しいです。脱がないんですか?』

『放っといてくれ』


 夏だというのに全身を覆う黒マント。目深に下ろされたフードからは口元を窺うのが精一杯だ。

 初めて出会った際は、もしやこれが当世の流儀かと気にしない事にしたのだが……そんなことはなかった。あからさまに周囲から浮いている。


『ちなみに、暑いならば何故そんな格好を?』

『…………………………し、趣味?』

『……』


 疑わしい。もっとましな言い訳はないのだろうか。心なしか挙動もぎこちない。

 ――間違いなく彼女は嘘が下手だ。


(けどまぁ、いいひとなのも間違いなさそうです。格好はアレですけど)


『何か言ったか?』

『いいえ、何も』


 怪訝な声を上げたエルに、アークは澄ました声で応えた。

 

(理由はそのうちわかるかもしれませんし。今は気にしないでおきましょう)

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