34:昔語り
――世界はかつて一度、滅びかけたのだそうだ。
封印を解く前に話しておくことがある。そう言ってサイファは昔語りを始めた。
「俺が聞いてる事の起こり。それはどっかの間抜けなカミサマが、とある男に騙されたのが始まりだ」
言葉と共に、彼は水晶に鋭い一瞥をくれる。そこにあるのは怒りか敵意か。
エルがむっとして睨みを返すと、彼はふんと鼻を鳴らした。そうして何事もなかったかのように話を続ける。
神竜から力と知識を奪った男は、それらを用いて国を興したという。技術は進み、世は大いに発展した。栄華を極めた時代がそこにあった。
「それは、古代王国のことですわね」
「あんたらにとっちゃ古代の話か。名前はやっぱり消されてるのかね。魔術王国メルクリア、それが興った国の名だ」
語るサイファの視線は遠い。
男の国を中心に、力ある文字を用いた世界への干渉技術――魔術が爆発的に発展した。今まで不可能とされていたことも、男の力で可能になった。
彼が神竜から奪った力は、世界の法則へ手を加える権限。本来の持ち主でないため全能とはいかないまでも、振るわれる力は絶大だった。
「世界の法則へ……手を加える?」
「色々あるが、一番大きいのは魔術の能力上限開放か。それまでの魔術に出来ることは少なかったし、ヒトの魔力もそこそこだった。その制限が外されたんだ。力ある魔術師が多く生まれたよ」
だが発展し過ぎた魔術のわざは、世界そのものを疲弊させた。本来、地上へ汲み出されたマナは、一定の年月で霊脈に還る。しかしその循環が追い付かない程にマナの力が濫用された。目に見えない奥深くから、大地の力は衰えて行った。
枯れた土地は淀んでいく。そしてやがて、根幹から狂った。
「それが、虚界?」
「そう。澱んだマナに負の念が絡んで、手の付けられない状態になった。どれだけ命を食らっても満足しない、飢えと虚無の塊だ」
呼び寄せた災厄により、ヒトの世は斜陽を迎える。爆発的に広がる虚界と瘴気、飢えに支配された虚界の魔物。加えて、霊脈の淀みに影響を受けての豪雨や干魃といった天変地異。
魔術師達は障壁で街を覆うが、そこに入れたのは一握りの人間だけだ。あぶれた者は死んでいった。障壁ごと虚界に呑まれた街も多かった。
「凄い魔術で栄えていたんだろう。そうなる前になんとかならかったのか?」
「ならなかったな。気付いた時には手遅れだった」
「でも……他の人間はともかくとして、その王は神竜の知識と力を持っていたんだろう。彼は気付かなかったのか?」
「奴は気付いてただろうな。――なにせ、世界を壊そうとした張本人だから」
台詞の一部に、聞き逃せない箇所があった気がする。
「は? 世界を壊そうって……国の王だろう?」
「ああ。大衆を操るには一番良い席だっつってた」
思わず言葉を挟んだエルに、吐き捨てるようにサイファは答える。
「技術を伝え、発展させた――」
「ヒトは節制を知らない。種さえまけば勝手に育ち自滅する、とさ」
目に怒りの色を滲ませて、少年は語る。
「メルクリアの国王、アルマンディード。奴が裏で糸を引いていたんだ」
* * *
世界の滅びるところが見たい。そううそぶく男の内心など知るよしも無いが、ともかく王は地位と力を生かして滅びを加速させるべく立ち回っていた。
「俺と、俺の家族は、それを止めようとする連中に協力して戦った。結果的に、王を倒すことに成功したよ。その頃はもう人も国もボロボロだったが、ともあれ権限を奪えたのはでかい」
権限、すなわち神竜の持っていた世界法則への干渉権。王を倒した人物はその力を手に、暴れる虚界を鎮めようとした。
「けれど本来の持ち主じゃない分だけ、色々な部分に無理が出る。正攻法じゃどうにもならなくて、生まれたのがここを中心とした擬似霊脈網だ」
無期限永続式の超広域術式。霊脈の補強と虚界の抑制を同時に行う、ヒトの存亡を掛けた一大術式だ。当然ながら起動のための代償は莫大で、長期使用に際しての維持・管理方法という問題もあった。
「無理、無茶、無謀を地でいくような話ですわね。一体、どうやって解決しましたの?」
「魔術の構成に、生きた人間を組み込んだ」
あっさりと出された答え。その内容に一同は思わず息を呑む。
サイファは聞き手の驚愕を横目に、淡々と話を続けた。
「肉体はエネルギーに変換され、術の起動に使われる。精神は維持・管理・調整のための機構になる。その魂は術式の核として、永遠に眠り続ける。……命の全てが、無駄なく術式のために用いられるんだ」
そこで一旦息を継ぎ、ゆっくりと目を伏せる。
「一緒に戦ってた奴らは、殆どがこの術式の礎になってる。俺が眠った後も追加で拡張されてるだろうし、もう何十人が"柱"になってるかわからねえな。術に組み込まれた人間は身体も意思も失って、歯車として眠り続ける。……術が壊れない限り、永遠に」
誰もが言葉なく立ち尽くす。沈黙の中にサイファの硬い声が響いた。
「銀翼の。あんたの封印を解くにあたって条件がある。虚界を癒すってことは、昔からある霊脈に本来の力を蘇らせるんだよな」
「……ええ、そうです」
「ならその時には、柱となった人間たちを一人残らず解放してくれ」
眼差しは強く、宿る光は切実だ。口調は静かながらも熱がある。押し込めた想いの深さを窺わせた。
「言われずとも、必ずそうすると誓います。この銘と名と魂にかけて――全ての柱をその役目から解きましょう」
サイファの金目は、真偽を測るようにひたと水晶を見据えた。心の隅々までを、見通そうというように。
殺気にも似た圧力をたっぷりと注ぎ込まれる時間が続く。
やがて彼は大きく息をつき、向けていた視線を外した。それはどこか肩の荷が下りたような表情だった。
「その言葉、忘れんなよ……」
そうしてエル達に背を向け、彼は巨大な魔石に向き直る。
「それじゃ、封印を解くか。しっかし鍵は貰ってるけども、そこから先は聞いてないんだよな」
「おい!?」
「落ち着けよ。多分なんとかなるだろうさ」
言いながら両手がひらめく。魔石を包み込む術式環が、輝きながら回転を始めた。文字が浮かんでは位置を変え、パズルのように組み変わる。
そうして、全ての動きが収束すると――
魔石の前に、灰色の影が現れた。
いつか見た謎の人物。驚きに固まるエルの前で、彼女はそっと仮面を外す。
「……姫!?」
「え……。貴女は、まさかヴィーですか……?」
「お久しぶりです。サイファ、そしてアークおじさま」
曖昧にくすむ印象が消し飛び、鮮やかな色彩が現れる。うねる緑髪と金の双眸。花開くように微笑む彼女は、一同にそっと名を告げた。
「私はガルヴィネット。……正確にはその影ですが、あなた方が古代王国と呼ぶメルクリアの元王女で――」
言葉を切り、表情をすっと引き締める。
「父を殺した反逆者です」
* * *
これまでも度々姿を見せてきた、謎の人物――ガルヴィネット。古代王国の元王女、そして反逆者と名乗る女。
彼女はサイファやアークの知人であるようだが、一体どういうことなのだろうか?
混乱するエルを置き去りに、彼らの会話は続いていた。
「姫、あんたも眠ってる筈じゃなかったのか?」
慌てたようにサイファが言う。現れた女性――ガルヴィネットは、それに落ち着いた素振りで返答した。
「先程も申し上げたように、私は影です。霊脈網の維持・監視のため、術機構に転写された人格ですよ」
そうして、彼女がここに現れた経緯を静かな口調で語り出す。
ガルヴィネットの本体は、今も術の内部で眠っている。先刻サイファが語っていた、霊脈網を支える人柱だ。
だが彼女は術式内部に自らの"影"に残して様々な使命を与えていた。アークの捜索もそのひとつだ。
神竜の精神が滅べば、連動して身体も滅び、ひいては世界法則への干渉も不可能となってしまう。それは生きた竜の身体を媒介にして、初めて可能となる技であったのだから。
抜き取られた精神が、世界のどこかに隠されている筈だった。
「方々を彷徨って、私はようやく見つけました。けれども封印はとても強固で、空間ごと閉ざされている。手を出しあぐねたまま、長い年月が経ちました」
彼女は長いまつげを伏せて言う。
そうして無為の時間を過ごすうち――やってきた好機が、白月宮へのエルの訪問だった。
「私の本体が眠る場所……最も強く干渉が及ぶ宮へ、貴女がいらしてくれたことは望外の幸運でした。貴女には強い力があり、しかも私と波長が近いのです」
「ん? ……ってことは、白月宮の崩壊はあんたの差し金か!?」
「ええ。ただ、そこから先は貴女もご存知の通り。時折姿を垣間見せ、言葉を残す程度しか出来ませんでした。所詮は影……現世への干渉は殆ど許されてはいないのです」
ともあれこの地の封印を解きましょう、そう彼女は言って腕を広げる。空間に浮かぶ魔石が、一際強い輝きを放った。
「ふぅ、大分楽になった気がします。この調子で残りの封印も解ければ良いのですが」
アークがほっとした様子で言う。
その時突然、場が大きく揺らいだ。
「何だ!?」
それは物理的な揺れではなく、精神位階に端を発する何かだ。ガルヴィネットが顔色を変える。細い指を振ると同時に、半透明の四角い窓が次々と宙に浮かび上がった。
最も大きな窓には大陸の地図、周囲の小窓には魔術文字が描かれている。また別の窓にはよく分からない曲線が波打ち、刻々と変化していた。
「この施設の近隣区域で、汚染値が閾値を超えました。侵食が始まっています」
次いで、もう一枚の窓が浮かび上がる。こちらは遠方の風景を映し出すもののようだ。黒煙を上げる港町が見える。
「場所は――海域第一区、だとっ!?」
少年の顔色は血の気を失って白い。
目の前の映像、そして大陸地図を確認する。矢印や円が多く書き添えられた地図の中、見る者の注視を促すように赤く光る地点がある。それは。
「ヴァッサノーツ……!」
閃光のように蘇る、教団地下に広がる光景。いびつに捻れて溜め込まれた瘴気が、ついに地上に解き放たれたのだとしたら――
「あの地で何が!? 戻って様子を見に行かないと!」
動揺も露わにアークが叫ぶ。
「船が無ければ街には戻れませんわ。……街が、無事ならば良いですけれど」
厳しい顔で呟くのはルヴィエ。それに応えたのは魔石の前に佇むガルヴィネットだった。
「いえ。この施設の保有座標から、街に近い位置に転送することが可能です。サイファ、貴方もどうか行ってください」
「姫!? 行くのはいいが、ここはどうすんだよ。留守にするわけにゃいかないだろうが!」
「貴方を送り出した後、責任もって閉じておきます。幻術の構成も、元通りに。優先度はこちらが上です」
彼女は既に術を編み、転送の用意を整えているようだった。
「……っ! わかった。どうか、頼む」
「急いで。下手をすれば、この一帯が虚界と化してしまいます」
たちまちのうちに緊迫した事態。
一同は顔を見合わせ――そしてひとつ頷くと、跳んだ。
* * *
人気の絶えた空間に、陽炎の女が浮かんでいる。彼女は宙に手を差し伸べており、やがてすうっと顔色を変えた。
「まさかとは思いましたが……この気配と構成はやはり」
泣き出しそうな表情で、か細い呟きを虚空に落とす。
「……おとうさま。あなたはまだ、諦めていないのでしょうか」
零れた言葉は誰の耳にも届かない。
そうして影は、揺らいで消えた。
chapter5 「蒼樹の森と花守人」 end