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しろがねの翼  作者: 夢屋満月堂
chapter5「蒼樹の森と花守人」
34/36

33:神竜

 時は、少しばかり遡る。



 * * *



『ルヴィエ、僕をエルに向かって投げてください!』


 緑と蒼の竜人が激突する傍ら、アークは必死に声を上げていた。

 エルの側にいない現在、彼は大幅に弱体化している。けれども場に溢れる潤沢なマナ――竜人ふたりの戦いの余波が、彼に辛うじて活動できるだけの力を与えていた。


(なんとか、止めないと)


 アークの予想が正しければ、彼らが争う理由は無い。エルからは軽く一蹴されたが、どちらかが倒れる前に戦いを止めたかった。

 「出番があるとしても、きっともう少し先」などとルヴィエは言うが、そんな悠長なことは言っていられない。手出しの出来ないもどかしさに、心が沸騰しそうだった。


 ままならない状況に転機が訪れたのはちょうどその時。

 エルの一撃が、通った。斜め下からすくい上げるような蹴りが蒼の竜人の身体を捉える。足先から伸びるマナの刃が、蒼鱗に覆われた半身を大きく裂いた。

 傷を負った彼は苦しげな表情を見せつつも、踊る五指で術式を描く。力ある文字が連なって円環を為し、滴る血液がそこへ吸い込まれていく。


(血の力による、術式の補強!?)


 緋色の流れを取り込んだ円環は、追撃を放つエルを囲うように閉じた。式は、ひとつ、ふたつと増えていく。十重二十重に巡らされる光の環は、まるで白い繭のようだ。

 彼女の動きが凍り付く。その身を包むのは封印の術式だ。幻を起点に相手を捕らえ、閉ざし、封じる為の機構。

 嫌な記憶が蘇る。これは、駄目だ。とてもまずい。


『ルヴィエ!!』

『……変な方に飛んでいっても恨まないでくださいましね』


 声は上手く届かずとも、正しく意を汲んでくれる魔女に感謝だ。呟きと共に、彼の容れ物たる水晶が投げられる。

 その方向は少しばかりずれていたが、場のマナを操り補正した。放物線の到達点をもう少し左にずらして――よし、なんとか届きそうだ。


「何だ?!」

 

 驚く少年の声を聞きながら、式の編み目をすり抜ける。エルの鼻先で静止すると、彼女の精神へ呼び掛ける。


『エル……聞こえますか!?』

『…………あー……く?』


 反応があってほっとした。完全に囚われてはいなかったようだ。


『貴女は本当に無茶ばかりして!』


 この地へエルが訪れたのは、ただアークのためであるというのに。いかに彼女が強くとも、そして彼が無力でも――ひとりで危地へ突っ込まれるのはやるせない。今はまだ何ひとつ返せない身ではあるが、だからこそ、どれほど危険な場であっても共に在りたいと彼は願う。

 それに、彼女の力を借りて出来ることも多いのだ。


 澄んだ光をもたらす命は、渇きを潤す水のよう。力を得たアークは水晶の束縛を逃れ、事態の打開に動き出した。事象の裏を泳ぎ、この地に根付く霊脈を目指す。結ばれた縁を頼りに、忘我の淵のぎりぎりまで潜る。


(流されないよう気を付けないと)


 マナの渦巻くそこは混沌としている。無数に流れる光の粒子は千に万を掛け合わせても到底足りない。たゆたうそれらは過去を想い、未来を夢見る命の欠片だ。ここは全てが生まれ、還る場所。万物を育む揺りかごであり、全てを呑み込む終焉の海。

 巡り廻る光の坩堝へ、振り絞るように思いを放った。現在の彼は力弱く不自由な身。けれどその本質はマナであり、マナは彼の命そのもの。表層で分かたれていようとも根幹で繋がっている。

 そう。例え精神だけの存在になろうとも、大いなる命の河は常に彼と共に在る――


(だから、どうか、力を貸して)


 命じるのではなく請い願う。千の声を聞き、万の命に思いを添わす。

 溶け出しそうな精神を留めるため、彼女との縁をしっかりと握り締めて。

 そうして、意思を込めて声を放った。


「満ちる全ての命脈よ。あるべき流れへ立ち還れ――!」



* * *


 

 宙へ浮かぶアークを中心に、銀色の光が広がった。同時に場へと働いていた、荒ぶる力が中和される。

 波ひとつ無い水面のように、静かに凪いだ空間となる。


「え……」

「何をした……っ!?」


 ふたりの術者が戸惑いの声を上げた。効果を失ったのはルヴィエによる場への干渉と、エルに掛けられた拘束の術、そして少年の衣装に仕込まれていた、"血"の力を増幅する術式の三つだ。

 蒼髪の少年はヒトの姿に戻り、苦しげに膝をついている。対するエルは竜体を保ったまま。これでひとまず、彼女の危機は去ったと言っていいだろう。


「マナが……動かない」


 呟く台詞はエルのもの。この空間のマナは当面、誰の意にも従わない。あとは彼女の戦意を抑えて話し合いに持ち込めば、事態は穏便に収まるはずだ。

 どうにか一つの山を越え、アークはほうと息をついた。


「戦いをやめてください、蒼い髪の守人さん。僕らは貴方の守るものを奪いに来たんじゃないんです」


 次いで、エルにも呼び掛ける。


「エル、貴女も落ち着いて。取りあえず攻撃を仕掛けるのは止めてください。無駄な命の遣り取りなど、しないに越したことは無いでしょう?」


 彼女は殺気を保ったままだ。今さっきまで命の取り合いをしていたのだから、当然ではあるのだが。


「マナを術から引き離し、操作を無効にするだって……? 一体お前は何者だ」


 何者か。今こそ答えなければならない。 

 はぐらかさずに、はっきりと。


「銘は白銀しろがね、名はエディムスアーク。この大陸の守護者です」


 彼は久しく使うことのなかった名乗りを上げる。守護する者――だが、守れなかった愚か者。

 その滑稽さには自嘲するしかない。


「守護者――かつての"権限保持者"か?」

「はい」


 返事をしながら内心驚く。その呼称を知っているとは、それなりに事情に通じているのか。 


「ってことはアレか。銀翼の神竜」


 傍らのエルが息を呑む。逆にアークは溜め息をつく。


「神ならぬ身で不本意ながら、そう呼ばれたこともあります」


 ヒトも彼も、創世者の落とし子であることに変わりはない。ただ、与えられた権能に差があるだけだ。


「身体と能力を奪われて封印された大間抜け」

「……否定は、出来ませんね」


 むしろ諸手を上げて賛同する。


「眉唾もんだが……場のマナの操作権限剥奪なんぞ、してのける奴はそうは居ないな。ちなみにテメエを封じた人間の名前は覚えてるか?」

「……アルマンディード」


 かつて友と呼んだ男の名を口に乗せる。呼び覚まされる感情は酷く苦い。


「そいつだけ?」

「あとは……彼の娘のガルヴィネット。けれどこちらは頑是ない幼子で、訳も分からずに利用されていただけですよ」


 それらを聞いた瞬間、少年の双眸に火が付いたように見えた。噛み締めた歯や握る拳に、ぐっ、と力が込められる。


「なにしに来やがった?」


 問いの言葉は鋭く固い。だが、ようやくこちらの話を聞いてくれる気になったようだ。


「身体を取り戻す手掛かりを求めて。先だって僕らは緋の深淵と呼ばれる場所で封印の一部を解除しました。この場所にも封印が残されているのではないですか?」

「ああ……探し物ってのはそういうことか。中央晶核の封印だな」


 そう言って彼は軽く頷く。思い当たる節はあるらしいが、むき出しの敵意はそのままだ。


「御存知で?」

「話には聞いてる」

「では、通していただけませんか?」


 沈黙は長かった。突き刺さる視線は氷の冷たさだ。


「銀翼の。あんたは、虚界を元に戻すことが出来るのか?」


 静かに、ゆっくりと力を込めた言葉。

 丹精込めて研ぎ上げた刃を、首元へ突き付けるかのように問われた。


「はい。それが僕の役目です」


 真っ直ぐに答えを返す。気負うことも、迷うこともない。

 それは彼が存在する意義に等しい。

 決して、何があっても揺らぐことはない。


 アークの言葉を聞いた少年は、溜めた息をゆっくりと吐き出した。一際強くこちらを睨む。

 よろめきながら立ち上がり、踵を返すと素っ気なく言い放った。

 

「付いて来い。案内してやる」



* * * 



 エル達一行を案内すると告げた少年。彼は広間の奥へ歩み寄ると、おもむろに柱のひとつへ手を触れた。次いで何事かを呟くと、隠されていた転送陣が浮かび上がる。

 アークの手によりマナの操作は制限されたが、遺跡自体を支える術については維持されている。転送機能も同様だったようで、そうして跳んだ先はゆるやかな螺旋を描く下り坂の回廊だった。


「周りから妙な気配を感じるんだが。じろじろと見られているような……」

「監視機構が仕事してんだ。妙な真似しない限りは何も起きやしねえよ」


 そんなやり取りを交わしつつ、エルは少年を追って足早に歩く。

 外側は硝子の壁。その向こうに、夜空にも似た藍色がゆらゆらと揺れている。時折金色の光がたなびくそこは、果たして海の底なのか、それとももっと別の空間なのだろうか。

 回廊の先は淡く照らされており、優美なアーチが連なっていた。


 蒼い髪の少年は、サイファと名乗った。彼はこの場所を守るために、遥かな時を眠り続けていたという。


「眠る、ってより術で仮死状態にしてたってのが正しいけどな。俺を叩き起こしたのはお前らが最初だよ。で、今は何年だ? そもそも暦はまだ星歴でいいんだよな」


 その問いに答えたのはルヴィエだ。歴史の証人を目の当たりにした為か、碧の瞳が爛々と輝いている。これだから魔術の徒、知の探求者というやつは。


「今の世は星歴二千二百十年ですわ。いにしえの魔術王国が倒れてからは、およそ千二百年ですわね」

「そんだけ経ってんのか……」


 零れた声音には感慨の色が濃い。千年以上の時を越えた心情はいかなるものか、エルにはとても想像がつかない。


 さて、遭遇直後に殺し合い、というおよそ最悪の出会いをしたこの少年だが、話し掛ければ応える程度の愛想はあった。言葉は乱暴、態度は冷淡だが、無視を決め込む様子はない。

 彼女は幾度かためらったのち、胸中で暖め続けていた問いを投げる。


「なあ、あんたは何者なんだ。姿かたちが変わっただろう。……私と同じように」

「知らねえのか。特異体、眷族、半竜、あるいは竜人とか。呼び名は色々だが……要はマナの影響を色濃く受けて生まれてくる個体の総称、だな」


 相手はあっさりと答えを返した。エルは話に出てきた馴染みの無い単語を、ひとつひとつ脳裏に並べる。


「……そういう種族、なのか?」

「ある意味ではそうだ。だがしかし、ヒトでもある。はっきりとした原因はわからねえが、偶発的に生まれてくる突然変異って奴らしい」


 その言葉に、思わず首を傾げる。


「各地を随分回ったが、私の他にこういう力を持つ者は見たことも聞いたこともないぞ」

「ま、俺の時代でも随分少なくなってたからな。今は更に生まれにくいんだろ。それに、てめえくらいに血の濃い奴は稀だ。自力で変化できる奴なんざ、そうそういるもんじゃねえよ」


 返ってきたのはそんな台詞だ。意識を身体の内側へと向ける。鼓動と共に、淀みなく流れる力。


「ヒトからかけ離れていくのも血の力?」


 今はもう、角も鱗も消えている。ヒトの肌質に戻った手を見つめながら問う。


「ああ。マナの化身は竜なんだと。だから、力を解放するとああいう姿に変わるらしい」

「マナの化身か。それは、銀翼の神竜のことなんだよな」

「そうだ」


 エルは、いまだ両手に握りしめていた水晶を見やる。


「……で、お前が、その神竜だって?」

「………ええまあ、はい」


 きっと今のエルを鏡で映せば、さぞかし微妙な顔をしているだろう。流石に嘘を言ってはいないと思うのだが、いっそ全てが冗談だと言われた方が余程すっきり腑に落ちる。


「なら、探してる身体ってのは、つまり」

「竜の身体です」


 黙っていてすみません、と小さな声でアークが告げる。ふるふると震える光を見ていると、やはり伝承に語られるような大層な存在だとは思えない。

 これでも、ちゃんと本体に収まればしっかり威厳が出てくるのだろうか。


「ちなみに、眷族という呼び名は」

「竜の眷族。つまりはソレのお仲間ってことらしいぜ」


 だからって従うような義理も縁もねえけどな、とサイファは見事なしかめ面だ。


「アーク……お前は知ってたのか?」

「ええと、最初は忘れてましたよ。思い出したのは緋の深淵で封じがひとつ外れてから。でも、記憶になくとも分かることはあります」


 水晶の中に浮かぶ輝きが、強く明るく澄み渡る。


「ね、いつか言ったでしょう。その力は祝福だって。貴女の中に流れる血は、霊脈に通じ、マナの声を聞くもの。……根っこでは僕に繋がるものでもあるんですよ」


 さっき彼が言ったように、けして主従の関係はありませんけれど。そのように続けたアークは少し照れているようにも見えた。


「……そう、か」


 エルは、柔らかく光る銀の星をじっと見つめる。

 長年抱き続けた疑問に、ひとつの答えが示された。だが、凝り固まった気持ちにはそう簡単に整理がつかない。理解に実感が追いつかず、感情を持て余しているというのが正直なところだ。

 得体のしれない何者かではなく、ただ、珍しい現象によって生まれるマナの落とし子。ヒトとは遠い姿を晒したのに、周囲の反応は拍子抜けするほど変わりない。

 それは大いに喜ぶべきことで――けれど、単純な安堵を覚えるには、積み上げてきた過去が邪魔をする。


(自分が何者か知れば、すっきりするかと思っていたけど)


 すっかりひねてしまった心では、そう簡単にいかないらしい。

 彼女はどういう表情をすればいいのかわからないまま、ただ、手の中の石を強く握り締めた。



* * *

 


「わたくしからも質問させて頂いてよろしいかしら?」


 それまで黙っていたルヴィエが、会話の区切りを見てじれたように言った。

 サイファは無言だ。それを消極的な肯定と取り、魔女は問いを口にする。


「貴方は、なぜわざわざ眠りにつくような真似をしたのかしら。それに、他の遺跡にも貴方のような方が存在しますの?」

「生身で寝てるのは多分俺だけだろう。ここは特殊な施設でな。防衛機構は仕込まれてるが、念には念を入れて、って奴だ」


 そこまで言って、少年は足を止めた。回廊の終端に着いたのだ。

 円形の小空間に、大きな扉が浮かんでいる。扉の表面には竜のレリーフ。それは緋の深淵で見たものとよく似ている。


「この先が施設の中枢」


 彼は扉に手を掛け、ゆっくりと押し開く。その先に広がるのは無限に続く漆黒の闇だ。中央に浮かんでいるのは大きな魔石。ここまではやはり以前見た景色と同じだった。

 だが、赤の遺跡とは決定的に異なる点がひとつ。


「蒼晶花……!?」

「おっと、あんま近付くなよ? 罠で黒こげになりたくなかったらな」


 そこに、可憐な花が咲いていた。


 巨大な魔石に、植物の根が絡んでいる。生えているのは蔓性の樹木だ。魔石を中心に伸びる幹は、複雑に枝を分けながら闇の彼方へ続いている。

 そして、枝のあちこちに咲くのは水晶の花だった。青く透明な花弁を持つ、薔薇に似た八重咲きの花だ。片手に収まる大きさで、淡く光る花びらはどこまでも薄い。触れれば粉々に砕けそうに儚い風情を漂わせている。

 だが宿るマナは膨大なもの。こうして離れて見ていてさえ、みなぎる力が感じられる。

 闇の地平に咲く花は、まるで宵闇に浮かぶ星のようだ。美しく幻想的で、けれどそれ以上に危険すぎる光景である。


「これは……何ですの」

「この花と樹は魔石生産プラントの亜種だが、特徴として霊脈に深く根を張る性質がある。そいつを利用して、塔の機構をより広範囲の霊脈に干渉できるように拡張してる」

「どうして、このように危険なものを……? 使い方を誤れば、簡単に世界を壊してしまう」


 切迫した声で問うアークに、サイファは硬く強い声を返す。


「弱った大地をなんとかするための苦肉の策だよ。マナの淀みを散らすには、無理矢理にでも力をかき集めて流すしかない」


 彼は一旦言葉を区切り、エル達の方へ向き直った。


「ここが心臓部、そして各地の施設が結節点となって大陸中を繋いでる。俺がこの地で守っているのは蒼晶花とこの術式。術師達の知恵の結晶――滅び掛けた大地を支えるための、人工的な霊脈網だ」


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