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しろがねの翼  作者: 夢屋満月堂
chapter5「蒼樹の森と花守人」
33/36

32:蒼と翠緑

 枷を外した身体と思考が勢いのままに加速する。彼女の周囲はそれと真逆に流れる速度を緩めていく。

 緑の鱗と角を備えた、ヒトとは呼べないこの姿。異形へと変化したエルは、空中を這う氷槍を無造作に叩き落とした。

 窮屈な服を脱ぎ捨てたような、言い尽くせない解放感。嫌な気分に反比例して感覚はとても鮮やかだった。浮かんだ塵の動きまで余さず追っていけそうなほど。

 敵の動作も、息遣いも、肌で触れるように感じ取れる。


 床を蹴り上げひたすらに駆ける。竜との距離が間近に迫る。構えた刃を一文字に薙ぐと、展開された防御壁がぱくりと裂けた。

 目の前に立つ瑠璃色の巨躯。とうとう相手を間合いに捉えた。


(やったか――いや!?)


 その考えを読むかのように、いきなり障壁が現われた。生まれた動揺は心に押し込め、流れに任せて剣を振る。

 玻璃の割れる高い音が響く。

 透明な盾は呆気なく砕けたが、刃の勢いも殺される。鋼の軌跡は本体にまで届かない。

 初撃を起点に袈裟懸けの斬り下ろし、次いで水平の薙ぎ払い。更に連続して斬撃を放つが、やはり大部分を防がれる。思考の中で舌打ちをひとつ。鱗にうっすら傷を付けたが、狙ったよりもずっと浅手だ。

 不可視の盾は攻撃に反応して自動で展開されるようだった。全く厄介にも程がある。


 剣戟に応じる爪牙をかわし、後方に退いて小休止を入れる。脈打つ鼓動を聞きながら、血潮の熱を少しだけ冷ます。

 エルは柄を握る手のひらを意識し、武器へ込める力の密度を上げた。剣の刀身はマナ親和性を高めた特殊合金。魔銀鋼と呼ばれるそれは一種の術具で、マナの操作と具象化を助けてくれる。反面、使う度に劣化していく厄介な消費財でもあった。


(前に直したのはいつだったっけ。……どれだけ保つかな)


 考えつつ、鋼の輝きにちらりと目を走らせる。最近は酷使続きだ。


 逸れた思考を前に戻すとエルは体勢を低く落とした。息を吐き、そのまま竜の足下へ滑り込む。股下を潜って背中へ回り、邪魔だと言わんばかりに振るわれる尻尾をかわす。

 軽やかに宙へ跳ぶと、肩口を踏んで更に上空へと身を躍らせた。

 振り向いた竜が、咆哮と共に氷槍を生み出す。飛来する凶器を身をひねって避けていく。幾本かは肌を掠めるが、気にするまでもない。硬い鱗に鎧われた身体は容易く攻撃を通さない。


「はぁッ!」


 裂帛の気合いを込めて己の獲物を振り下ろす。竜の額を二つに割るような軌道だ。


(今度はきっちり斬ってやる――)


 先程のものとは違う、桁違いに鋭さを高めた斬撃。例え盾が出現しようと、本体もろとも叩き斬る自信があった。

 だがそんなエルの姿を映す竜の目は、いかにも余裕綽々といった雰囲気だ。


(気にいらない……なっ!)

 

 空間すら断つ勢いで放たれた刃が、現れた盾にがちりと"食い込む"。青白い火花が弾け、せめぎ合う力の激しさを語った。あちらも本気で守りにきたか。

 それは純粋な力比べだ。お互いにまだ力の全てを見せてはいない。爆ぜて飛び散るエネルギーの余波が、みるみる眩さを増していく。

 視界が白く塗り潰される。拮抗して動かないエルと蒼竜。その真ん中で、キィン、と微かな音が鳴った。

 発生源は――エルが手にする魔銀鋼の剣だ。

 鋼の切っ先に小さなひびが入った。そこから先はあっという間だ。負荷に耐えかねた刀身が、泣き声のような音を残して粉々に散る。

 蒼竜がふっと嘲ったように見えた。エルをあしらう動きの中にほんの僅かな緩みが生まれる。

 だが彼女は焦らない。今この瞬間こそ狙っていた機会だ。


(そいつは見せ札。本命はこっち!)


 柄だけになった剣を放り、両の腕にマナをまとわせる。身の丈を遥かに超える光刃を、身体をひねりながら一息に薙ぐ。

 今のエルは魔銀鋼の支えがなくとも、容易にマナの刃を生みだせるのだ。


 三日月のように弧を描く軌跡が、生まれた不可視の盾を切り裂き――そして、竜の首を刈った。



 * * *



 輝く刃を振り抜きながら、エルは大きく目を見張っていた。


(――実体が、無い!?)


 まるで空気を斬っているようだ。腕に伝わるのは糸を断つような感触だけで、あまりに手応えが無さ過ぎる。

 そう考えた瞬間に異変は起きた。目の前の巨体が輪郭を失い砂のように崩れていく。同時に、空間が大きく歪んだ。

 たわんだ景色の狭間から滲み出る影。それは小さな人影を形取る。

 苦々しい響きの年若い声を、耳が拾う。


「……やってくれたな」


 金の双眸に蒼色の短髪、年の頃なら青年期の一歩手前。鮮やかな色持つ少年が、三白眼気味のきつい目つきでこちらを睨みつけた。

 顔立ちだけなら街の子供とそう違わない。だが小柄な身体から発せられる圧力は只人ではありえなかった。姿たかちこそ変われども、先程の蒼竜と同じ気配だ。

 彼のまとう、身体に張り付く奇妙な衣装に光が走る。黒い生地に複雑な紋様が浮かぶと同時に、揺らめく陽炎がその四肢を取り巻いて――


「いい気になるなよ」


 融解し、変容し、凝固する。現れたのは鋭く尖った輪郭だ。硬い鱗に包まれた四肢と、側頭部からすらりと伸びた双つの角。

 竜とヒトとを混ぜ合わせたような姿だった。細かな差異こそあれ現在のエルとほぼ同じ。

 彼女はより一層目を見張る。


(私と――同類!?)


 驚く暇もあらばこそ。

 胸元で風がうなる。ほとんど反射で攻撃を避けると、髪が一筋ぱらりと落ちた。


(……考えるのは後回し、か)


 外貌を変じた相手は、瞬く間にエルの懐へ飛び込んできていた。



 * * *



 突きつけられた青白い刃を、かざした腕で受け止める。やはり相手もマナ遣いだ。籠手のように腕を覆う深緑の鱗が火花を散らす。

 疾い。だが軽い。力任せに払いのける。

 勢いに逆らわず宙を飛ぶ相手は、くるりと身を翻して猫のように着地した。エルはすかさず距離を詰める。振るう刃の間合いは最大、ヒトの背丈を軽々と超える。

 具現化したマナに重さはなく、物質位階に実体を持たない。床や柱に遮られることなく巨大な光刃を振り回す。


 白い閃光が縦横に走り、宙に細かい賽の目を刻む。斬撃をかいくぐった謎の少年――蒼の竜人は間合いを開き、両手からマナの糸を繰り出した。

 踊る五指から紡がれる、蜘蛛の糸より細い糸。不規則な軌道を描くそれは伸縮自在の性質を持つらしい。絡みつき、こちらの動きを封じようとする。

 首元に伸びる糸を手刀で断つが、振るった右腕へ別の糸がまとわりつく。


(ちっ、邪魔くさい)


 エルは鬱陶しいそれを一気に引きちぎろうとした。だが、腕に力を込めた瞬間に、うなじをぞくりと悪寒が這う。

 本能的に動きを止める。ぐるりと巻き付くマナの糸が、細さはそのまま、鋼の強靭さに変わっていた。


(な!?)


 慌てて左指に力を集め、小刀のようにして糸を切る。不精はいけない。危うく自分自身の力で腕をすっぱり切り落とすところだった。

 マナを撚り合わせた光糸は、操り手の意思に応じて強度と性質を変えるようだ。全く厄介極まりない。


 こうなると間合いの長さは相手に有利だ。形状変化や性質操作――複雑なマナの扱いは彼女の不得手。エルの手札は断ち切る力と身を鎧う力、そして肉体強化と治癒能力で、単純にして明快な分だけ小細工は苦手だ。

 相手の懐深くへ飛び込む。立ちはだかるのは糸の壁。重ね合わさり織られたそれらは、分厚い防護の幕に変わる。


(しゃらくさいっ!)


 もっと疾く。もっと鋭く。力強く全てを断ち切り、ばらばらにほどけた糸の間を抜ける。

 彼女が狙うは近接戦闘。拳を繰り出し蹴りを放つ。だがその本質は打撃ではなく斬撃だ。マナを集めたその切っ先は、岩も鋼も紙のように斬り裂くだろう。

 しかし相手もさるもの、ぎりぎりのところで身を反らす。心臓を突く一撃は力場の盾で受け止められた。護りは瞬時に砕けて散るが、僅かにエルの動きも止まる。

 すかさず振るわれる反撃は、首を刈り取る光の糸だ。

 宙に描かれる危険な円弧。大きく仰け反り死線をくぐる。地面に手を突き後方へと一回転。体勢を直して床を蹴ると、再び相手の懐に飛び込んだ。

 蹴り、突き、払う。込められた威力はいずれも必殺。見た目が少年だろうが何だろうが躊躇いは無用だ。気を抜けばこちらが死ぬ。それはエルだけでなく、背後のルヴィエも、だ。


 蹴り上げた脚が相手に迫る――捉えた。足先から伸びた光刀が脇腹から肩にかけてを大きく切り裂く。こんな身形でもやはり血は赤いのだな、とどうでもいい思考が過ぎった。

 再生の間は与えない。距離を詰めて追撃を放つ。光を纏う腕が相手の胸を貫いた。

 と、そう見えたのだが。


 違和感に皮膚がちりつく。


 本能からの警鐘に応じて動きに急制動を掛ける、が遅い。

 目の前の"鏡像"が砕けた。高い音を響かせて氷片が舞い散り、そこを起点に糸が生まれる。

 白糸の束が散開する。エルはそれらに刃を向けた。しかし。


(斬……れないだと!?)


 彼女を愕然とさせる事実があった。糸を斬れない。斬ったそばから繋がっていく。


 異常だった。

 どうしてマナを散らせない!?


 混乱のなか足掻けども、莫大な白が押し寄せる。五体に絡んで呼吸を奪う。視界を覆い隠された。白い色に埋め尽くされて、あらゆるものが見えなくなる。

 感覚を塞がれ、マナの動きすらわからない。いつしか彼女は闇の中にいた。


 記憶の奥に横たわる、暗くて深い淵の底。


(ああ……)


 雁字搦めの身体は動かず。


(くらい。さむい)


 思考が鈍く凍りつく。ここは悪夢の中に似ている。

 動かなければ、闘わなければ――

 そんな意識も生まれたそばから揮発していく。


 そんな中。

 視界の隅に、ちいさな明かりが瞬いた。

 ほんの微かな、だが暖かな、馴れ親しんだ白銀の光。

 震える指を少しずつ伸ばす。

 言うことをきかない身体を、それでもゆっくりとゆっくりと動かして。

 そっと、触れた。


『…………アーク……』

『もう、貴女は無茶ばかりして!』


 その声は、泣きたいほどに暖かかった――





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