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しろがねの翼  作者: 夢屋満月堂
chapter5「蒼樹の森と花守人」
32/36

31:変貌

 ――ォオオオオオォォォン


 雷鳴の如き大音声が、塔の内部に轟いた。 魂を砕く竜の咆哮。聞き手を強く打ち据える、威圧の力を持った声だ。

 そこにはマナが籠もっている。弱い心の持ち主ならば、意思を挽き潰されたかもしれない。

 だがエルの場合は違った。すぐに立ち直ると、気迫を込めて頭上を睨み返す。


「探し物に来たんだが、別に中を荒らし回ろうってんじゃない。穏便に通してくれるとありがたいんだがね」


 特に何らかの反応を期待しての言葉ではなかった。しかし。


『ふざけたことを。誰一人ここを通す気はない』


 予想に反し、眼前の相手からは明確な思念が返って来た。取り付く島の欠片もない、限りなく剣呑なものではあったが。

 およそ塔の三階層にあたる位置からこちらを見下ろす金色の竜眼。ぶつかる視線に込められた熱量はいつ発火してもおかしくない。


 蒼竜は優美な仕草で首をもたげ、一層冷たい気配を纏った。空気がずしりと重さを増す。刃の嵐は消えたはずなのに、全身の皮膚を裂かれる感覚が襲った。

 うなじの毛がぶわりと逆立つ。

 呼吸を整え腰を落とし、意識を鋭く研ぎ澄ます。彼女は一振りの刃となる。


「そいつは全く狭量なことで!」


 踏み込んだ足が地を抉り、弾けるように飛び出した。



 * * *



「エル、なんとかあのひとを説得できませんか!?」

「無茶を言うな。相手は殺す気満々だ」


 響き渡る咆哮を契機に、太く鋭い氷の槍が次々と放たれる。先のような密度は無くとも脅威としては十二分だ。

 物言いたげなアークは無視してエルは手元にマナを込めた。豪速で迫る氷の投げ槍を、軌道を読みつつ斬り落としていく。

 

「ほんとに弱体化してるのか……?」


 最後の一本を打ち砕き、着地しざまに小さくこぼす。

 

「その目は場の状態も読み取れない節穴ですの? 全方位からの飽和攻撃よりはマシと思いなさいな」


 すかさずルヴィエの叱咤が飛んだ。なんという地獄耳か。


「す、すまん」

「次が来てますよエル!」


 再び上がる雄叫びで空気が震えて乱される。魔女の制御下から離れたマナが竜の意に従い凝固した。巨体の周囲に無数の氷針が生み出され、光を反射してきらきらと輝く。

 宙に浮かぶ結晶は見た目だけなら美しくもあるが、鋭利な先端は容易く肉を貫くだろう。全身針ぶすまは謹んで遠慮したい。


(威力は低くとも避けにくい攻撃。こっちを先に削りにきたか)


 場に満ちるマナの密度を読む。ルヴィエの方は自前の障壁で防ぎきれそうだ。

 轟く咆哮。かの竜は魔女のように声を用いてマナを制御するらしい。指向性を与えられた氷針の群れがきらめきながら殺到する。


「――はぁっ!」

 

 気合いと共に宙を薙ぐ。

 刃に乗せて放ったマナで針の一角が扇状に削れた。ぽかりと開いた安全地帯、そこに飛び込み竜の首を目指す。

 輝く金眼が鬱陶しげに細められた。側面から影が迫る。


「エル、尻尾が……!」


 風を裂いてしなう長い竜尾が彼女を狙う。虫を払うような仕草だが速さと精度が半端でない。とはいえ辛うじて追い付ける速度だ。調子を合わせ、縄跳びの要領でひょいと飛ぶ。


「まだです、戻ってくる!」


 すかさず尻尾が振るい直される。鞭のような一撃を再度の跳躍で避け切った、と思った瞬間その思考が裏切られる。


「ぅえ? ちょ、なんだその動きはっ!」


 途中で軌道を変えた尾がエルをすくい上げるように動く。咄嗟に無理やり身をひねり、振るった剣で攻撃を受けた。

 が、しかし。


(硬っ)


 ギィン、と耳障りな音が響く。受け止めた一撃の重さで腕がもぎ取れそうだ。

 反動で宙に弾き飛ばされ、視界が回り、壁面が迫る。そうしてルヴィエの手前ががら空きになる。

 蒼竜が吼え、数多の氷槍が生み出された。


(まずいっ……)


 壁を蹴る。風が唸る。体当たりに近い状態で空中を突っ切る。音を追い越す勢いで、槍の進路に滑り込む。

 

「せやぁぁッ!」


 身体は魔女を庇う位置に。目はしっかりと氷槍を捉える。

 この後ろへは通さない――


 ガキン、と硬い破砕音が響いた。

 きつい衝撃が身体を貫く。赤い飛沫が宙に散る。


「腕が!?」

「騒ぐな。大したことない」


 前にかざした左腕を下ろす。抉れて骨が見えているが、すぐに再生するだろう。


(しっかし、マナで固めて防御しててコレか……きついな)


 知らず眉根が寄っていく。いつもとは桁違いに厄介な敵だ。


 拳を握れば普段通りの手応えが戻る。傷は痛むが、戦闘に支障ないのは幸いだった。相手はこちらを休ませてなどくれない。攻撃は止め処なくやってくる。

 携えた刃にマナを集わせ鋼の光で円弧を描く。エルは飛び来る氷槍を砕き続けた。


 最初のような密度でないとはいえ、放たれる攻撃はどれも速度重量ともに桁外れだ。ヒトの範疇から片足を踏み外している彼女をしても、ようやく追い付けているというのが正直なところ。

 だが恐らく、相手はまだ本気を出していない。竜の瞳に切迫した色はまるでなく……どちらかといえば鬱陶しさの方が濃いように見えた。

 灼けつく痛みを噛み締めつつ、エルは深く静かに反省する。いささか見込みが甘かった。

 なんだかんだでここ数年、彼女と同格以上の存在に出会うことはなかったのだ。今回もそうだと頭から考えていた訳では無いが、驕りがあったことは否定できない。


 腕に新しい皮膚が張られたところで、再び前方へ向かって走る。尻尾と氷槍を潜り抜けて刃を振るうが、不可視の壁に阻まれる。


「ちぃっ!」


 跳ね返ってきた衝撃で腕が痺れ、加わる負荷で刃が震えた。敵の防御はなんとも硬い。


(マナをきっちり込めた状態でコレか。くそっ)


 このままでは駄目だ。攻撃が敵に届かない。時間と共に疲弊していき、弱ったところで潰される。

 ならばどうする?

 彼女は自身に問い掛ける。


 ――答えは既に出ている。

 きちんと"本気"を出せばいい。


 けれど……でも!


 頭の中で頑是無く駄々をこねる子どもがいる。いつまでも性懲りもなくぐずっている。

 心の奥にわだかまる、暗くどんよりと濁った鬱屈。触れないように、捕まらないように、ずっとずっと目を背け続けてきた。


(動け。ここで死んでもいいのか。――死なせてもいいのか?)


 迷う時間は無い。なのに逡巡してしまうのがエルの弱さだ。

 背中の向こうにある揺るぎない碧の目を想う。あの魔女の強さが少しでもあればいいのに。


(出し惜しみしている場合じゃないんだ。グダグダ考える前に、進め!)


 臆する心に叱咤を入れる。余計な思考を蹴り飛ばす。

 この身体に眠る忌々しい力。だがそれは状況を覆す可能性でもあるのだ。


 思い出すのはひとつの言葉。


『その色も、その力も、貴女を味方するための"祝福"なんです』


 今だけは、信じよう。


「――アーク」

「はい。何ですかエル?」

「少し派手に暴れてくる。危なそうだからルヴィエのとこで待っててくれ」

「え……? ち、ちょっと待っ――」


 みなまで聞かずに水晶を放る。振り返らずとも、放物線の終着点はルヴィエの手元へと届いている筈だ。

 今言ったのは半ば言い訳。もしかしたら彼ならば、何も気にしないのかもしれないけれど。


 ここから先は、一人でいい。


「頼んだ!」

「な……っ。貴女、何をするつもり!?」


 全ての力を"内側"へ向け、練り込み叩き上げ研ぎ澄ます。精錬と圧縮を重ね、ソレはやがて臨界点を超える。

 力の昇華。より速くより強く、高みへと駆け上がる。身体を構成する全てを最適化していく。


 轟々と流れる時の狭間に思う。

 この戦いが終わった後でも、彼は、彼女は、果たして前と同じように――


(埒もない。馬鹿か私は)


 そうして。

 彼女は、ヒトならざる姿へと変貌した。



* * *



 ――それは御伽噺の一幕か、あるいは太古の伝承か。

 ルヴィエの前に広がる光景は酷く現実味を欠いていた。


 蒼い鱗をきらめかせる竜と、偉大なる幻獣に立ち向かう異形の女。


 凄まじい速度で巨体の周囲を飛び回り翻弄する影。その目は爛々と金に光り、全身が緑柱石を削り出したような鱗に覆われていた。しなやかな四肢はより太く力強く変わり、側頭部からは尖った角が伸びている。要所を分厚い鱗の装甲で固めた輪郭は何とも鋭く厳めしい。

 人の身に竜の特徴を併せたような姿だった。蒼い巨体と緑の影。様々な部分が異なるものの、ふたつの根底にはどこか似通うものがある。


「竜人……とでも言うべき存在ですかしら」


 ルヴィエは小さなつぶやきを唇に乗せた。惚けているような場合ではないが、つい見入ってしまいそうになる。


 眼前の景色から強いて意識を引き剥がし、受け取った水晶へと目を向けた。左手に持つ結晶が淡く脈打っている。無機質な筈の石の奥からは、心なしか微かな熱を感じた。

 彼が必死で何かを伝えようとしていることに、不意に彼女は気が付いた。


『…………ど……か。……のと……ろへ……』


 声にならない弱々しい響き。微かな思念の揺らぎは水のように捉えどころがない。

 ルヴィエは思わず眉をしかめた。普段はあれだけ饒舌である癖に、エルの側にいなければ殆ど只の石になってしまうのか。


「……彼女のところへ行きたい、のですかしら?」


 なんとなく浮かんだ言葉を口にしてみる。すると瞬く光がほんの少しだけ明るくなったように思えた。肯定の意思を示していると取って良いのだろうか。確証は全く無いのだが。


(まあ、そう仮定しておきましょうかしら。エルのところ、ね)

 

 彼らの戦いを再び視界に入れる。

 マナが乱れ舞い、神速の域に達するそのやりとり。網膜に残るのは宙に焼き付く残像ばかりだ。


「無理ですわね」


 ルヴィエはあっさり言い捨てると己の編む術に意識を戻した。手元から抗議めいたものを感じるが、一介の術師に無茶を言わないで欲しい。

 目で追うことすら困難であるのに、いわんやそこへ水晶を放り込むなど。そもそも今のこの状態も彼の安全を願ってのことだろうに。


(……大人しくしていらっしゃいな。出番があるとしても、きっともう少し先ですわ)


 声なき声でそう告げて、口元をきつく引き結ぶ。

 今は沈黙を保つとき。

 彼と彼女は、ただ事の推移を見守るしかないのだ。


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