30:塔の守り手
「……着きましたか。今度こそ正解の道ですね」
転送先は塔の正面だった。顔を上げればすぐそこに、きらめく壁がそびえている。
高々と伸びる円形の塔は海の色を映して青い。塔の大半は硝子質だが、基底部は金属で構成されていた。
波を象った意匠の凝らされたそこには大きな扉が据えられており、海棲の蛇が彫られている。封印が施されているようだが、アークに任せれば問題なく開くだろう。
しかし――
「やばいのが居るな」
エルはつぶやきながら身構えた。尋常でなく鋭い空気が、痛いくらいに肌を刺す。
「……ただの守護体ではない、ですわね」
塔の中には剣呑極まりない気配がひとつ。相手は己の存在を隠す気がまるで無いようで、扉を挟んでなお届くのは冷え冷えとした殺意だった。
押し寄せる、万の刃を突きつけられるような威圧感。遺跡の生み出す守護体とは違う明確な意思がそこにある。
「去れ、然らずんば死ね、といったところでしょうか。話の通じる方であれば戦いたくないのですが……」
「無理だろう。問答無用で襲いかかる気満々だ。ここで引き返すならともかく、戦闘は避けられないだろうな」
アークの言葉に首を振る。なにしろここまで棘のある気配をまき散らす存在なのだ。
「確認いたしますけれど、このまま塔に入ることに異存はありまして? ……あなた方がどうであれ、わたくしは進みますけれど」
ルヴィエが腕を組みつつこちらを見やる。これほどの気配を前にしているというのに相も変わらず悠然とした所作だ。
碧く冴える双眸の中、畏れの色はまるで見えない。
「進むさ。ここで引いたら探索者じゃないだろ。前回同様、アークの身体の手掛かりが見付かる可能性も高い」
「命を懸けることになっても?」
間髪入れずの問い返し。その瞳は覚悟を測っている。
「わたくしも、水晶の彼も、進むに足る理由がある。貴女はどうかしら? 途中で足並みを乱されるくらいなら最初から居ない方がマシでしてよ」
「理由ならあるさ……さっき、あんたを守るって言ったからな。この前助けられた借りもある。それに――」
一旦言葉を区切り、扉の先へと視線を向ける。
「ひとりでどうこうできる相手じゃない。でも、二人ならなんとかなるかもしれないだろう? ここで退くのは寝覚めが悪い」
「ちょっとちょっと、僕のことも忘れないでくださいよ。ちゃんとお手伝いしますからね!」
それを聞いた魔女は肩をすくめ、やれやれといった仕草で口を開いた。
「それでは、皆で進むといたしましょうか。幸いにして扉の外までは手出ししてこないようですし、守りを固めて突入いたしましょう」
* * *
準備と打ち合わせを済ませた後、一行は改めて塔へと向き直る。
エルは既に封じの解かれた入口へと手を触れた。背丈の二倍を優に超す扉から冷たい金属の質感が伝わってくる。
この奥からは、果たして何が現れるのか。
「さて、ご対面といきますか……!」
腕にゆっくりと力を込める。
扉はその重量感に反して滑るように開き、彼女達を迎え入れた。
* * *
塔の内部は暗かった。見通せない闇の内部は敵意と沈黙で満たされている。
背中で扉の閉まる音がして、僅かに射し込んでいた光も消えた。
同時に――
「っ!?」
けたたましい音が耳を打つ。鋼の刃を叩き付けるような音が、闇の中に連続して響いた。
飛び来る無数の衝撃波が、壁にぶつかり砕けていく。球状に展開された魔術の力場に、青白い火花が次々と散った。
ひっきりなしの攻勢は絶えることがない。闇を切り裂く刃の群れは、まるで吹雪か暴風雨だ。過負荷によって術が軋み、言詞がほどけて消えていく。
ルヴィエはそのつど式を描き足しているが、掛かる負担はいかばかりだろう。凄まじい速度で術を操る魔女の横顔に焦りはないが、余裕もまた、ない。
「――アーク!」
「はい、任せてください」
エルから溢れる翠緑の光が、力ある文字として紡がれる。生み出された円環は既存の式に寄り添うものだ。張られた障壁を修復・補完し、より強固なものへと変えていく。
「補強しました。いきなりひどい攻撃でしたね……」
ふたり掛かりの術により、ひとまず障壁は安定した。エルは知らずのうちに詰めていた息を吐き出す。塔の内部へ踏み入ってから、ようやく言葉を交わす余裕が生まれた。
「出会い頭にいきなりこれか。このままじゃ動けないな、どうしようか」
壁の向こうには不可視の刃が吹き荒れている。これを突っ切るのは流石に骨が折れそうだ。エルとアークが離れたとして、ルヴィエ一人で障壁を支え続けられる保証もない。
と、そう思ったのだが。
「アーク、術式をこのまま支えることは可能ですかしら。そうね、三分ほど」
ルヴィエは頬に掛かった髪を払い、気負いの無い様子で言った。
「可能ですが……何か打つ手が?」
「ありましてよ。いきなり使う羽目になるとは思いませんでしたけれど」
次いで、ため息混じりに彼女が服の隠しから引き抜いたもの。それは――
「まさか、楔結晶……!?」
青い輝きを放つ、細長く尖った結晶体。掌に収まるほどの長さを持つ楔状の石は、おそらく結晶楔と呼ばれる術具だろう。
「なんですか? その楔結晶って」
「術式に威力増幅と持続効果を与える道具だ。けど、個人所有で……ちょ、六本だと? どんだけ金持ちなんだ」
漏れた言葉はほとんど呻きに近い。
もたらされる効果から術師にとって垂涎の的だが、世にある術具の中でも希少な品に分類される。最高純度の魔石に特殊処理を施して造られるらしいが、その製法はとある工房の秘中の秘と聞く。
「そんなに高価な物なんですか? とっても便利そうですけど」
「一本で年収の半分が飛んでくようなシロモノだぞ。気楽になんて使えてたまるか」
とはいえ空恐ろしいことに、そんな物を軽々と取り出す人物がここにいるわけだが。
当の本人はといえば驚くエルなど歯牙にも掛けず、ふんと鼻を鳴らしてみせる。
「出し惜しみをしているような状況でして? 望みを叶えるには相応の代償が必要でしてよ。それが金銭で購えるものであれば、むしろ安いものですわ」
そうして手を閃かせ、床に結晶を突き立てた。――本当に使ってしまうとは、並ならぬ経済力と思い切りの良さだ。
「この場のマナを支配下に置いて鎮めます。完全に掌握はできずとも、相手の力を削げるはずですわ」
白くたおやかな指先に新たな光が宿る。ふわりと広がる円環越しに、碧の瞳が鋭くこちらへ向けられた。
「ただし、わたくしは術の維持にかかりきりとなるでしょう。この場を鎮めた後は……エル、貴女に掛かっていますわよ」
「ああ、任せろ」
射るような眼差しに、思わずぴんと背筋が伸びる。エルはしっかりと頷き言葉を返した。
* * *
幾重にも交差する環が、細やかな紋を描いて花開く。敵からの攻勢は密度を増すばかりだったが、エルとアークはなんとか防ぎ続けた。
新たな術式がルヴィエの周囲を取り囲む。床に走る魔術の円環。円周をちょうど六等分する位置には、楔結晶が光っていた。
術具の効果は伊達でなく、恐ろしい勢いでマナが集まっている。それらは虹の光彩となり、飛沫を散らして渦を巻く。
――" Rua rui yuiraarya aheri yuah alpheer speeriear "
(集い 集え 大いなる光 どうか我が意を聞き届けたまえ)
円陣の中心に佇むルヴィエは、両腕を広げて高らかに歌っていた。透き通った不可思議な韻律が響く。世界を揺さぶる歌声が、深く豊かに場を包む。
――" Hyi eryshin el aliong ryria sheelya-she shariah-sha"
(我は望む 凪の訪れ 鎮まりたまえ 安らぎたまえ)
声に惹かれて更にマナが集う。とめどなく流れ込むそれらは円環に織り込まれ、文詞の中を駆け巡った。楽しげにさざめく光の粒子。溢れて飛び散る欠片もまた、新たな環となり広がってゆく。
――" Lalyiow lar srewing tuin"
(来たれ 安息のとき)
虹の波紋が駆け抜ける。場に柔らかい光が満ちる。
波が一気に引くように、刃の嵐が消え去った。
同時に闇の紗幕が剥ぎ取られる。光の下に現れたのは広々とした吹き抜けだった。銀と青色を基調とし、波を象る曲線に包まれている。優美な造りの大広間だ。
だが、のんびり眺める余裕は無かった。前方に巨体が鎮座している。先程からずっと向けられている、身を切る敵意の発信源だ。
見る者を圧倒する、小山の如き体躯の主。
爪牙は鋭く、一対の翼を備えている。
夜空の月を思わせる瞳は黄金。
瑠璃の鱗で身を包み、頭部からは緩やかな曲線を描いて真珠の双角が伸びている。
伝承の歌の彼方に住まう、力を統べる超越者。
その姿は、まさしく。
「――竜」
かすれた声が、沈黙の場に転がり落ちた。




