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しろがねの翼  作者: 夢屋満月堂
chapter1 「墜落剣士と囚われの水晶」
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02:邂逅

 闇に響いた謎の声。


「誰だ!?」


 女は瞬時に剣を引き戻し、抜剣の構えを取った。緊張を込めて辺りを窺う。

 だが、視界を埋める暗闇に気配は無く、白々しい沈黙が満ちるばかり。鋭く感覚を研ぎ澄ませるが、何も感じず聞こえない――

 

(いや。……人の声が、する?)


 朧に光る球体、そちらに意識を向ける。そこから微かな声が聞こえるのは気のせいだろうか。

 女は再び光球へと鞘付きの剣を差し込んだ。緩やかに動く剣先が硬い何かにぶつかる。すると。


『ああ、やっぱり誰かそこにいるんですね……』

「っ!?」


 雑音の向こうから、安堵の込もった台詞が届いた。柔らかに響く男の声。


「あんたは何者だ?  ――私の声は聞こえるか?」

『聞こえます。姿は見えませんが』


 どうやら会話は可能らしい。声の主は球の内部に居るのだろう、こうして接触している間だけ声が聞こえるようだ。

 正体不明、人であるかも怪しいが、言葉が通じるのは幸いだ。相手に話をする気があるのも。


「こっちも姿は見えない。あんたはこの"繭"の中にいるのか?」

『繭?……どう見えるのかはわかりませんが、僕はここに閉じ込められています』


 声が答える。なんとなく感じてはいたが、この術式はやはり拘束や封印の類であるらしい。但しそうと仮定した場合、あれだけ厳重な構成が組まれている割にあっさり言葉を交わせることが謎なのだが。

 ともあれ会話を続けよう。そう考えた女は問いを重ねた。


「あんたは、どうしてこんな場所に閉じ込められているんだ」

『さあ、わかりません』

「はあ?  普通は理由あって閉じ込められるものだろう?」

『そうなんですが……わからないんです。全てに靄がかかったようで、わからない……』


 弱々しい言葉。途方に暮れた口調に、思わず気勢を削がれてしまう。

 なんとなく雨に濡れた犬の姿が脳裏に浮かんだ。


「わかった。それはひとまず横に置いておこう。とりあえず自己紹介をしようか。私はエル、遺跡探索者だ。あんたの名前は?」

『僕の名前は――』


 謎の声がふっと黙り込む。

 訝しんだ女――エルが口を開きかけたその瞬間、悲鳴混じりの言葉が飛び出した。


『思い出せない。僕の名前も、出自も、どうしてこうしているのかも……。何も、思い出せない!』



* * *



 事態は先程より進展したと思いたいが、色々と頭が痛い。

 それがエルの率直な感想である。


「さて、状況を整理しようか」

『はい……』


 謎の声はしばらく「あぁ」だの「うぅ」だの取り乱していたが、「黙れ!」というエルの一喝により会話が再開された。

 以降は声の主から若干の恐れを感じるが、主導権を握れたということでよしとしておく。


「あんたはここに長い間閉じ込められている。そして記憶をどこかに落っことした」

『はい。……ううっ……』

「めそめそするな鬱陶しい。で、私は転送陣の事故でこの妙な空間に入り込んだ」

『そうなんですか。それは難儀ですね』

「そしてこのままでは餓死だ。或いは発狂かな」

『喜ばしくない未来ですね……』


 他人事のような口調にむかっ腹が立つが、実際のところ声の主には他人事だ。

 だが、エルはこの状況を打開しなくてはならない。


「単刀直入に聞こう。ここから出る方法はあるだろうか?」


 緊張をはらんだ声で問う。答えが無ければ別方面から手段を探す必要がある。――そんなものが実際あるかどうかは知らないが。

 息を詰めて相手の出方を窺っていると、しばし考え込むような沈黙の後に返答があった。


『おそらくは出られます。貴女が協力してくれるならば』

「本当か!?」


 思わず声が明るくなる。正直この相手への期待は半ば捨てていたのだが、どうにか脱出に繋がりそうだ。

 しかし協力とは一体どういうことだろう。


『僕はどうやら"力"を扱う術を心得ていたようなのですが……肝心のそれを奪われてしまったみたいで。今は、技術はあっても何もできない状態なんです。ですが貴女は違う』

「違う、とは? そもそも力ってのは何なんだ?」

『うーん、何と言ったらいいのか。貴女にはマナを呼び寄せる力があるんです。しかもかなり強いものが』


 エルはやや首を傾げる。マナに呼び寄せる力というと――


「魔力のことか? 確かに私はそれなりの魔力を持っているが、扱いの方はさっぱりだぞ」

『ううん、魔力とは少し違うんですが……。ともかく、僕は今現在ひとかけらの力も持っていませんが、それを扱う術は心得ています』

「で、私は力を持っている。扱う術は持っていないにしても」

『ええ。そして、それを貸して頂ければ色々なことができるんですよ。例えばこの檻を破ったり、貴女の望みの場所へ跳んだり』


 声の主は自信たっぷりな口調だ。対するエルは、彼の言葉に眉根を寄せる。


「そんな大層なことができるのか? 私の専門は近接戦闘で――」

『できますよ。要は使い方ですし、貴女から感じる力は充分なものです』

「妙にはっきり言うな」

『確信できますから。それに、お互い選択の余地はないのでは?』


 確かにその通りだ。彼女としても餓死発狂は願い下げである。


「私はあんたに力を提供する。その力であんたはこの繭……いや、檻を破る」

『そして僕は、貴女が元の場所へ戻るお手伝いをする、というわけです!』


 その言葉に嘘が無ければ、互いの利害は一致している。主導権が向こうにあるのは気に入らないが、それを言っても始まらない。


「力を貸すのに異存はないが、具体的にどう貸せばいいんだ?」


 エルは魔術を使えない。魔力を用いて世界の根源たるマナを呼び出すことはできても、魔術の言詞でそれらを操ることができないのだ。


「言っておくが、術式は組めないぞ。そもそも魔術文字が描けない。できるのは"読む"方だけだ」


 情けないがそれが事実。誰でも簡単なまじない――魔術の単語くらいは描けるものだが、エルにはそれすらできない。魔術文字を描くのに必要なある種の感覚、それが絶望的に足りないのだ。

 運動音痴ならぬ魔術音痴。

 だが彼女の懸念をよそに、答える声は軽い。


『平気、平気。難しいことはないですよ。今こうしてお話するのに鉄の棒を媒介にしているようですが、直接こちらに触れて頂くだけで良いです』


 つまりはこの球体内部の声の主、謎の物体に直接触れろということか。


「これ、直に触れても大丈夫なのか?」

『さあ……? ですが、こうしてお話できるところを見ると、外部からの干渉にはさほど影響しないように思います』


 確かにこの繭は外側に作用するものではないと感じるが、それ以前の問題として、とてつもなく得体が知れない。エルは知らずのうちに眉根を寄せていた。

 加えて"力を貸す"という行為、これにも不安がつきまとう。精神操作、あるいは乗っ取り。嫌な単語が脳裏に浮かぶ。

 だが、迷ったところで埒は明かない。迷うという贅沢が許されるのは、複数の選択肢を選べる場合だけだ。それに彼女は割合と頑丈にできている。普通のヒトなら明らかに死ぬ状況でも生き延びられる程度には。

 諸々を天秤に掛けて、結論はすぐに出た。絶対安全な選択などそうそう無いのだ。腹を括ってやるしかない。


「よし、わかった」


 外していた剣を鞘に納め、心を落ち着けるように深く呼吸する。


「いくぞ」


 そうしてエルは、ほのかな光を放つ繭の内部へ己の左手を差し入れた。冷たく硬い感触と共に、先程よりずっと鮮明に彼の声が届く。


『では、お借りしますよ!』


 その瞬間――変わった。

 何がどう、とうまく言葉にはできない。

 だがその時確かに、エルの世界は変わったのだ。



* * *



 ――ひとつ、心臓が力強く脈打った。


 指先から全身へ。燃えたぎるような熱が巡り、駆け出すように鼓動が早まる。

 頭の天辺からつま先まで、身体の隅々が目を覚ます。血潮の一滴まで感覚が塗り替わり、五感全てが鮮明さを増す。


 ――早鐘を打つ心臓は、まるで炎の塊のよう。強く、深く、心音を刻む。


 熱に浮かされたかのように、頭の芯がぼやけている。だが今はやるべきことがある。正体を失っている場合ではない!


『壊す、いいえ、解く……とそう念じて』

「ほどく……」


 目の前にある白繭に向けて「解けろ」と念じる。身体を巡る熱が掬い取られ、外に流れていくのを感じた。それらは繭に潜り込み、新たな模様を織り上げる。

 紡がれていく光の糸。緑の輝きが繭を染める。


『さて、こんなものでしょうか!』


 その色が完全に繭を覆った瞬間、"力ある文字"の連なりが弾け飛んだ。

 解けた言詞――事象を操る言の葉の欠片。それらは光の粒となり、綿毛のように空を舞う。


 そして。儚く漂う光の向こう、エルの指が触れている存在は。


「石……?」


 ヒトでなく、動物でもなく――拳大の、透明な水晶。

 六角柱を成す端正な結晶。氷のように透き通ったその内部には、銀の星が瞬いている。


「あんた、喋る石だったのか?」


 唖然としたエルが呟くと、水晶から反論の声が上がる。


『貴女の目にどう映っているのか分かりませんが、断言します。石じゃないです!この"容れ物"は、本当の僕の姿ではありません!』


 結晶に灯る星が苛立たしげに点滅する。どうやら彼の感情で光り方が変わるらしい。


「本当の僕って。……あんたはどう見ても石だ」

『いえ、そんなはずがありません。だってこんなに窮屈なんですよ!』

「窮屈?」

『手足を折り畳んで箱に詰めて更にその外側からぎゅうぎゅうに圧縮されているくらい窮屈なんです……っ!』

「そ、そうなのか……」


 涙声で訴えられてしまった。中の星はいかにも居心地悪そうに震えている。


「ともあれあんたは檻から出られたんだ。今度はこっちを手伝ってくれないか」

『わかりました。封印の欠片も取り込んで、一気に跳んでしまいましょう』


 言葉と共に、再び熱がエルの身体を巡る。早まる鼓動。全身の隅々を満たしていく力。


『座標の取得はお任せします。行き先を強く思い描いてください』


 そう言われて咄嗟に浮かんだのは、白月宮への入口となる転送陣だ。山麓の森の小さな祭壇。


『そこなら固定しやすそうですね。意識を澄ませ、力を広げて――』


 声の導きは大きな掌のイメージ。指し示されるがまま虚空に力を投げ放つ。

 空へ枝を伸ばすように、大地に根を張るように。豊かに広がっていく力の枝葉。

 そうしてすぐ、意識の端に引っ掛かるような手応えを掴む


『よし、繋がりました。この後は転送陣と同じで、跳ぼうという意思が引き金になります。準備はいいですか?』

「了解した。では行こうか」


 辺りを舞う燐光が、螺旋を描いてエルの身体に吸い込まれた。体内を巡る力の密度が急激に高まっていく。

 膨れ上がるエネルギー。加速する流れ。全ては跳ぶべき道の先へと集約する。

 ふたつの呼吸が重なって、みなぎる力を解き放つ。


「――跳べ!」


 弾ける白光。

 その眩しさに、エルの意識は焼き切れた。

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