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しろがねの翼  作者: 夢屋満月堂
chapter5「蒼樹の森と花守人」
29/36

28:船上にて

 目の前には見渡す限りの青色が広がっている。明るく透んだ空の青と、深みを秘めた海の蒼。時折、そのあわいを漂うように白い海鳥が飛んでゆく。

 空と海の境は遥かに遠く、どこまでも続いていた。

 彼女はこの風景を見る度に思う――ちっぽけな人の身に対して世界のなんと広いことよ、と。それはきっと古来から、幾千幾万の人間により繰り返されてきた思いだろうけれど。


 ルヴィエは眩しい陽を全身に浴びながら、風に舞い遊ぶ髪を押さえた。到着は昼過ぎの予定だが、それより早く着けるかもしれない。帆を一杯に膨らませた船は、海原に白い航跡を描いて軽やかに駆けていた。

 彼女らが目指す地は"蒼樹の迷い森"。

 いにしえより海の底に息づく遺跡であり、誰一人として中心に辿り着けないという曰わく付きの場所である。 



* * *



 ――彼方へと向かっていた眼差しは次第に時を遡り、昨夜の記憶を蘇らせてゆく。


「予想外に色々あったが明日はようやく出発だな。ええと、海路で五時間ちょっとだっけ」

「風が良ければ四時間ほどだそうです。なんだか浮かない顔ですわね?」

 

 海の街の酒場にて。ルヴィエの向かいに座るのは、魔法で髪と瞳を黒く染めた女剣士だった。

 常ならば凛と引き締まっている表情は、今は明らかに冴えがない。


「海は少し苦手でな……遠くから眺める分には良いんだが」

「そうですの? まあ誰しも苦手なものはありますわね。ただし船酔いが酷くて戦えない、なんてことにならないようお願いしますわ」

「……………ぜ、善処する」


 微妙に視線を逸らされた上に何とも歯切れの悪い返事だ。しかし万が一のときには"奥の手"もあるので、ルヴィエはさほど気にしなかった。

 立ち上る香気を楽しみながら、琥珀色の酒精をゆっくりと傾ける。


「ちなみになんで迷い森なんて呼ばれているんですか?」

「名前通りに迷う……というか、何故か目的地に着けない場所だからだな。転送陣で飛んだ先には珊瑚の森が広がっていて、その中心に塔がある。で、皆その塔を目指して進む訳だが、気付くと最初の入口に戻ってしまうそうなんだ」


 水晶の疑問にエルが答える。そこにルヴィエも言葉を挟み込んだ。


「遺跡の常として、永遠に戻らない方々もそれなりにおりますけれどね。森には守護体が大量に湧きますわ」


 協会の判定によれば、かの地の危険度は中の上くらい。熟練者ならば危なげなく探索出来るだろうという評価であるが、油断して命を落とす者も多い。


「ここの守護体は数十体単位の群れで襲ってくるらしいからな。舐めてかかると危険だ」

「貴女方は大丈夫ですか?」


 やり取りを聞く彼の声はやや心配げだ。しかし彼女自身に不安は無いし、目の前の剣士も同様だろう。


「個々では弱いらしいし、魔術もあるから余裕だよ。……障壁で抑えるか、まとめて蹴散らして貰えるとありがたい。時々でかいのも混ざるというけれど、そちらは私が受け持とう」

「ええ。そのようにお願いしますわ」


 エルの言葉に頷きを返す。対処を誤れば痛手を負うだろうが、準備を怠らなければ大した脅威にはならないだろう。

 それよりも重要なのは――


「塔に辿り着けないというのは魔術の効果ですかね」

「多分そうだろう。解いた奴はいないけどな。アーク、お前の出番だな?」

「ええ。術式の読み解きなら任せてください!」


 彼が新たな道を開いてくれるのかどうか、そして求めるものが手に入るのかどうか。虚界となった郷土を癒やし、生命ある大地を取り戻す――あてもない望みを抱いて彷徨う日々に、幕の下りる時は来るのだろうか。


「楽しみにしておりますわよ、水晶さん」


 成果が無いのは毎回だが、諦める気はさらさらない。それに今度こそ新しい展開が見られるという予感があった。

 彼女の勘はよく当たる。歩んだ先に何が見えるのか期待させてもらおう。


「遺跡についてはこんなとこか」

「あら、ひとつ忘れておりましてよ。蒼樹の迷い森といったら、蒼晶花の伝説がありますでしょう」

「あの眉唾な話か……」


 話を切り上げようとするエルに、ルヴィエは軽く待ったを掛けた。"蒼晶花の伝説"。それは雲を掴むような話ではあるが、やはり外せない逸話だ。


「御伽噺や各地の伝承、人々の噂の中に一片の真実が紛れていることは多くありましてよ」

「……蒼晶花?」


 語尾に疑問符を付けるアークに、再びエルが解説をする。


「有名な古代遺産だよ。ラピスラーズって国の国宝で、無限かつ高出力でマナを引き出せる魔石。ま、用途は制限されてるんだけど」

「制限……悪いことには使えない、とか?」

「少しだけ合っていますわね。その力はただ虚界の封印にのみ使うべし、という強力な誓約が掛かっているのですわ」


 古代王国末期にいかなる経緯でか産み落とされた奇跡の花。

 虚界に立ち向かうその力は、いつの時代にも人々の希望となっている。


「虚界が生まれる度に、その侵食を食い止めてきた歴史がある。あの石が無ければ、ヒトの住める土地はもっと減っていただろう」


 既にある虚界とは違い、発生したてのそれは爆発的に拡張する。放っておけばどこまでも広がっていくのだが、蒼晶花とラピスラーズに伝わる魔術を併せて用いることで、進行速度を大幅に遅らせることができるという。

 絶大な力を持つ蒼晶花と、かの石を用いたラピスラーズの秘術。それは時を越えて受け継がれてきた、世界の支柱とも言える力だ。


「それが今回の遺跡にどう絡むんですか?」

「この地方には昔から、"蒼晶花は海の王から授けられた宝物だ"っていう言い伝えがあってな」


 それは他愛もない御伽噺。とある英雄と深海の主との、友情と別離の物語だ。


「蒼樹の迷い森こそが蒼晶花の生まれた場所。もしかしたら他にも花が眠っているかもしれない。そんな考えを持つ者もいるのですわ」


 本気で"花"を探す夢追い人、あるいは興味をくすぐられた趣味人たち。誓約なく秘宝の力を振るえるならば、この世の栄華は思うまま――と、そんな野望を胸に秘めた者ばかりでもないだろうが。


「興味本位で入るには危険な場所だし、稼ぎだけを考えたら他にいい場所がいくらでもある。けど探索者は夢見てなんぼ、って所があるからな……。ま、浪漫があるのは良いことさ」


 いつの世にも懲りない探索者たちが、海を渡ってやってくる場所。それが海底遺跡"蒼樹の迷い森"なのである。



* * *



「おう姐さん、今日は良い風だよ。この調子ならいつもより早く着きそうだ」


 ふいに声を掛けられ、ルヴィエは現実へ立ち戻った。振り向いた先には、真っ黒に日焼けした男が立っている。


「ご機嫌よう、船長さん。今回は出航を遅らせてしまって済まなかったですわね」

「ははっ、その分貰うもんは貰ってっから気にすんな。ほいほい予定をずらされちゃ困りもんだが、今回は却って良かったかもな。ここ数日で一番の天気だ」


 厳つい顔の船乗りはそう言って快活に笑った。次いで視線をずらし、軽快に波を蹴る船体を眺める。

 我が船を見る眼差しは、まるで恋人に向けるもののように熱っぽかった。


「こういう速い船が造れるのも、元を正せばあんたら探索者のお陰だ。がっつり稼いできてくれよ」

「あまり詳しくはないですけれど、動力に風と魔工機関を併用しているのでしたかしら? 以前乗ったものより各段に速いですわね。良い船ですわ」


 この小型艇はつい最近新調したばかりだという。新式の駆動機関――魔工機関の恩恵か、以前乗った船との性能差は明らかだった。


「ありがとよ。あんたみたいな別嬪さんに言われると余計に嬉しいね」


 彼は骨ばった手で愛おしげに船縁を撫で、そこでふと表情を変える。


「そういや連れの姉ちゃん大丈夫かい? ずっと中に籠もりきりじゃねえか。姐さんはピンシャンしてるけどな」

「海が苦手だと言ってましたけど、あそこまでとは思いませんでしたわ」


 そう答えて肩をすくめる。昨晩「海が苦手だ」と零していたエルは船出直後から青い顔で船室の隅に座り込み、それきりぴくりとも動かなかった。いや、先程ふらつく足取りで備え付けの厠に行っていたか。

 軽く船酔いする程度ならば放っておこうと思っていたが、実際にはかなりの重症のようだ。


「……少し様子を見てきますわね」

「ああ、そうしてやんな。酔い止めもあるから必要なら言っとくれ」


 男の申し出に謝辞を述べると、ルヴィエは船室へと足を向けた。



* * *



 甲板から船室まではすぐそこだ。なにしろ舳先から船尾まで歩いても二十歩程度の小型船舶である。ルヴィエは船乗りとの会話から程なくして部屋の前に立っていた。

 ちなみに船体中央部には操舵室、後部には船室と厠がある。船室への扉は船の最後部に位置していた。

 エルが籠もっているそこは、大人三、四名入るのがせいぜいの狭苦しい空間だ。調度品は固定式のベンチだけ。扉の小窓から中を覗くと、相変わらず部屋の隅でうずくまる彼女の姿が見えた。

 ルヴィエはノックをして部屋に入り、軽く声を掛ける。


「入りますわよ」


 物音に気付いたのか、エルは膝に埋めていた頭をゆっくりと持ち上げていく。


「……ル……ヴィエ…………。も……ついた……?」


 しかし残念ながら、濁った目の焦点はさっぱり合っていなかった。青ざめた顔はまるで怪奇譚の屍人のようだ。


「到着はまだ先でしてよ。様子を見に来たのですけれど……」


 思わず深いため息が出る。こんな状態の相手に「大丈夫か」と問うのは愚問だろう。心なしか室内に漂う空気までもが濁っているような気がする。


「ど、どうしましょうルヴィエ……さっきからずっとこんな調子なんですよ」


 おろおろと取り乱す水晶は、取り敢えず何の役にも立ちそうにない。


「これできちんと探索ができますの?」

「……さっき………吐いた……から、すこし楽に……っぐ………………ぅ」


 言ったそばから再びうずくまるエル。地上での颯爽とした様子はどこへやら、影も形も無くなっていた。

 全く世話が焼けることだ。


「仕方ありませんわね。ちょっと顔をお貸しなさい」


 ルヴィエは素早く術式を組み立て、指先に五重の円を灯す。


「…………な……に?」

「危害を加えるものではありませんから安心なさいな」


 そのまま人差し指を伸ばして、彼女の額にそっと当てる。宙に浮かぶ円環は、触れた部分から肌に染み込むように消えていった。

 外側に見える変化は無い。だが術を受けてすぐに、エルは驚いた表情で目を見張る。  


「さて、気分はいかが?」

「……すっきりした。まだ少し気持ち悪いが、さっきより断然マシだ」


 彼女は瞬きを繰り返し、頭や腹に手を当てて不思議そうに首を捻っていた。魔術は狙い通りの効果を発揮したようだ。

 それを見た水晶が感心したような声を上げる。


「今のは幻術、特に感覚器官に対しての働きかけですか。お見事ですね」

「……貴方、一体どういう目をしておりますの? 普通はあの時間でそこまで解析できませんわよ」


 返事はつい呆れ声になる。たった今ルヴィエが使った即興式の魔術は、発動と同時に術式環が消失する。従って構成が見えるのは記述の最中のみ。さっきの術式だと一秒にも満たないだろう。


「のんびりと構築したつもりは無かったのですけれど。他人に読まれるようではまだまだかしらね」

「いや、十分速いですって……。お忘れかもしれませんが僕は霊脈の管理者ですからね。さすがにマナに関してヒトに遅れをとるわけにはいきませんよ」

「そう言えば、そんなことを仰っていましたわね……。少しは信じられそうな気がしてきましたわ」

「ええっ! 信じてくださいよー」


 水晶は不満そうに口を尖らせるが、普段からこの態度では信用できるかと言いたい。まあ、マナの扱いに神がかった技量を持つことだけは認めてもいいのだが。

 と、そこで横からエルが声を掛けてくる。


「なあルヴィエ、船酔いって幻術で治せるものなのか?」


 未だ首を傾げ、腑に落ちない様子だ。船酔いと幻術が上手く結び付かないらしい。


「実際治っておりますでしょう。先程の貴女がああも情けなかったのは、海の上という"普段と異なる環境"に適応できなかったから。ならは感覚を騙して"普段と同じ"と錯覚させれば、身体の状態も平常に戻るという寸法ですわ」

「…………要は、病は気からってことか?」


 どうにも大味な結論だとは思うが、まあ完全に間違っているわけではない。


「そうとも言えますわね。ついでに言えば、人の身体は案外と簡単に騙せるものですのよ」

「そうなのか。凄いな」


 つぶやいたエルは子供のような表情で目を輝かせた。そして、やおら居住まいを正し口を開く。


「ありがとう、本当に助かった」


 瞳に浮かんでいるのは混じり気ない感謝の念で、ルヴィエはその真っすぐさに思わず目を逸らす。

 あのような小手先の技に感謝をぶつけられると、どうにも面映ゆい。


「……ともかく、これで遺跡に着いても動けない、なんて情けないことにはなりませんでしょう? しっかりと前衛役を果たしてくださいましね!」

「ああ、問題ない。どんな敵が来てもきちんと守るさ」


 普段の調子を取り戻した剣士は、きりりとした顔でそうのたまった。全く、台詞も仕草も男前なことだ。もし彼女の性別が逆であったらタラシとして名を馳せたかもしれない。

 ――ルヴィエはそんな極めてどうでもいいことを考えつつ、「ではこちらには一体たりとも通さないようお願いしますわね」と返事をしておいた。


 航海は順風満帆。目的地まではこのまま穏やかな船旅が続きそうであった。


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