22:宿屋にて
謎の女性は街の屋根を飛ぶように駆け、やがてある建物へと辿り着いた。ティオは周囲の景色を眺め、頭の中の地図と照らし合わせる。
少女はそこが、護衛者や探索者、賞金稼ぎの人々がよく使う宿屋だとしっかり記憶していた。
「窓が開いてて助かった」
つぶやきながら窓枠を掴んだ女性は、軽やかに室内へと降り立つ。部屋には先客がいた。輝くような金髪の女性だ。
椅子に腰掛けて本を読んでいた彼女は、闖入者に気付くとこちらを向いた。
「……いつの間に窓が出入り口になったのかしら。寡聞にして存じ上げませんでしたわ」
その顔を見たティオは、艶やかな美貌に驚いた。匂い立つような花のかんばせ。今日はよくよく美人に会う日だ。
声も容姿そのままに端麗だったが、薔薇色の唇から紡がれる言葉は棘のように鋭かった。
「あー、いや、真っ正面から戻る訳にもいかなくて」
「せっかく掛けて差し上げた目眩ましが、綺麗に剥がれてしまったから?」
「う。これには深い事情が……」
緑髪の女性はたじたじとなりながらも歩みを進め、金髪の女性と向き合う。
「で、わたくしが手伝うまでもなく"彼"は取り戻せましたの?」
「いや、まだだ……。けど窃盗犯は確保した」
ティオを捕らえる彼女はそう言いながら、眼前の相手に少女を見せた。
「尋問といきたいとこだけど、その前に手当てだな。このちびさん、強面の兄さん方にも目を付けられてたらしい」
「この子が貴女を出し抜いた泥棒さん? あら、確かに傷だらけの泥だらけ」
女性は書物を閉じてこちらを覗き込む。時を同じくしてティオの胃袋がグウと鳴った。
少女は思わず頬を染める。
思い起こせば午前中は教団の門番と一悶着。そのあと昼食を取ってひと稼ぎ、と思った矢先にごろつきたちから追い回されたのだ。腹のひとつやふたつ、減るに決まっている。
言い訳じみた言葉を心の中でこねくり回していると、背中でもグウと音が鳴った。ちなみにこれはティオのものではない。
首を捻って後ろを見ると、女性の頬が僅かに赤い。
「……手当てと身繕いをしたら何か食べよう。話を聞くのはその後で」
ぶっきらぼうに宣言した彼女に対し、ティオは少しばかりの親近感を覚えた。
* * *
「水晶は"奇跡の教団"に奪われたって? 故買屋ならまだしも、なんでまたそんなところに」
「施設の中に入ろうと思ったの。お布施があればもしかしたら、って」
部屋に着いた後、ティオは濡れ布巾で身体を清められ、手当てと食事を与えられた。
衣服も清潔な古着に変わっている。金髪――ルヴィエと名乗る女性がいつの間にか持ってきて、「少しは人間らしい格好をして頂戴」という台詞ごと押し付けたのだ。
元からボロだった服は更にボロボロになり、衣服かぼろ布かの判別がつかない有様だった。正直なところ困っていたティオは、差し出された衣類をありがたく頂戴した。
そうして今。女性たちの前に座り、盗んだ水晶について知る限りのことを話している。
教団本部へ乗り込もうとして、門番に水晶を奪われたこと。教団施設は、街の三カ所にある小神殿であれば自由に出入りできること。しかし教団本部だけは昼夜問わず固く守られていて、限られた人間以外、猫の仔一匹たりとも出入りできないこと――
「中に入れるのは、教団員と、金持ちの信者だけみたい。特にたくさんお布施する人には、教祖様が特別なお祈りをしてくれるらしいの」
「金銭の獲得に血道を上げる宗教団体とは、業の深い話ですこと」
金髪のルヴィエが小馬鹿にしたように言う。
一方で、緑髪の女性――エルは首を捻りながらティオに問うた。
「特別な信者しか中に入れない、ね。そのなりで突撃するには無理があったんじゃないか?」
「わ、わかってる……。浮かれて頭がどうかしてたの」
尤もな指摘を受けて少女は赤面した。
ちょっとばかり高価な水晶ひとつ握りしめたところで何だというのか。所詮は貧しい孤児ひとり、相手にされないのも当然だ。
だがあの時は、水晶をダシに内部に潜り込めるかもしれないと本気で思っていたのだ。教団内部に入れるなら、石を売って手に入るだろう金銭も惜しくないと。
「そこまでして中に入りたかったのか? 神様とやらを拝むため?」
「違うの。あの中に欲しいモノがあるの!」
浮かれていたし、焦っていた。それは弟の身体が日に日に弱ってきていたから。
ティオは拳を握りしめる。爪が皮膚に食い込む程、強く、強く。
「弟が病気なの。それも普通じゃ治らないって噂の。治せるのは教団が特別な信者にだけ配ってる、"輝石の欠片"だけ」
一部の信者にのみ、特別な祈りと共に授けられる輝石の欠片。
生命に力を与え、あらゆる病を退ける奇跡の石。
「だからなんとか教団の中に入り込んで、盗んでやろうと思ってた」
* * *
「水晶が教団に渡った経緯はわかった。けど、簡単には返してくれないだろうな」
「証拠なんてありませんものね」
ティオの前では、難しい顔をした二人の女性が思案していた。
「潜入して取り返すしかないか。お尋ね者にはなりたくないが」
「よろしいのではなくて? 不正に奪われたモノが、在るべき場所に帰るだけ。ばれなければよいのですわ」
ルヴィエはあっさりと言い切る。それを受けてエルも頷いた。
「よし、考えるべきは手段だな。なるべく迅速に、かつ騒ぎを起こさず確保しよう」
「でも、教団の警備はとっても固いよ。正面と裏口、両方で一日中見張りが立ってるの。壁の内側でも巡回してて、魔術の結界もあるんだって。輝石の秘密を狙う侵入者が沢山いるから凄く警戒してるらしいの」
楽観的な口調に不安になり、ティオは慌てて言い募る。出所はあちこちの噂話だが、信憑性はあるように思う。
「ふうん。壁を乗り越えて行けそうな気もするけれど……」
「鼠返しと棘だらけの柵があるよ?」
「うーん。それでも越えられると思うけど、普通は色々仕掛けてあるよな。実際に現場を見ないとはっきりしないな」
そこで彼女は、ふと思い付いたように付け足した。
「金持ちに弱いなら、ルヴィエが少し服装を変えればすんなり通れそうだよな。良家の若奥様風とかで」
「では貴女が侍女役ですわね」
「……無理がないか? うん、無理だ無理。女装とか侍女っぽい振る舞いなんて自信がないぞ私は」
提案を返されたエルは大きく手を振り、うろたえた様子を見せた。迂闊なことを言ってしまった、という表情だ。
「それに、その作戦だと二人とも自由に動けない。中では見張りがつくだろうから、途中で居なくなったら不自然に思われてしまう。ばれないようにこっそり入って、自由に動ければいいんだが」
早口で喋った彼女は、ひとしきり吐き出すと難しい顔に戻った。
だが今の台詞に引っかかる部分があったのか、ルヴィエは口元に指を当てて考え込んでいる。そうして沈思黙考の後、ゆっくりと唇を開いて言った。
「こっそり自由に動く、という部分については丁度良い術式があります。それを使えば、誰にも気取られずに動くことが可能ですわよ」
* * *
たおやかな手がひらりひらりと翻る。その度に一重、二重と光の円環が描かれてゆく。空中で絡み合う大小の環は、まるで八重咲きの花のように広がっていた。
光の文字の描き手は、歌うように言葉を紡ぐ。
「目標指定は"術式完成後に術者の右手が最初に触れた人物"。持続時間は"十二時間"。術式効果は"認識の歪曲"――と言ってもわかりませんわね。見えているのに見えていない、周囲にそう誤解させる魔術ですわ」
白い指が静止する。その先に、精巧に組み上げられた術式が仄かな光を抱いて浮かんでいた。
「これは、音や臭い……何らかの要因で疑いを持たれた瞬間に解ける、それくらい脆い魔術ですわ。けれど上手く使えば、まるで透明になったかの如く動き回ることが可能でしょう。ティオ、少し目を瞑ってくださいな」
金髪の魔術師が生み出した式のかたちに見とれていたティオは、名前が呼ばれたことに気付き慌てて目を瞑った。
一秒、二秒、三秒。
「もうよろしくてよ。目を開けて頂戴」
「あれ。緑のお姉さんがいない!?」
周囲に目を凝らすが、部屋の中にはティオとルヴィエの二人しかいなかった。
いつの間にか、エルがいなくなっている。あれほど存在感がある女性なのに。
「エル、ちょっと喋ってくださるかしら」
「私はここにいるよ。二人のすぐ目の前だ」
「え……あ、あれっ。どうして?」
涼やかな声が目の前から聞こえた。そう認識した瞬間、再び彼女が視界に現れる。
いや、違う。ずっとそこにいたのだ。見えていた筈、なのになんで気付かなかったのだろう!?
ティオは混乱した頭を抱えて唸り、それを見た術者は小さく微笑んだ。
「それが認識を歪曲するということですわ。ただ、現象自体はそう特別でもありません。今は術で極端化しましたけれど……見えているけれど当たり前過ぎて意識しない、そういうものは普段からありますでしょう?」
「つまり、気配を極限まで薄くするようなものなんだな。視界に入っていても、周囲に溶け込んで気付かない」
「効果の認識としてはそんなものでよろしくてよ。気配を消すのは得意かしら?」
「任せてくれ。これなら自由に動けそうだな」
ティオの見詰める先で、エルは力強く頷いた。だがその後すぐ、困ったように頭を掻く。
「けど問題はどうやって入り込むかだ。壁を越えるか、門番を寝かせて入るか」
「大抵の屋敷には様々な障壁が張られてましてよ。もし魔術的な備えを怠っていない施設であれば、その方法で"気付かれずに"侵入するのは難しいでしょうね。大捕物を覚悟するのであれば話は簡単ですけれど」
「……力技は最後の手段に取っておきたいな」
ルヴィエの指摘を受け、エルはますます困り顔だ。
「うーん、金持ち入信希望者の振りをして中へ通して貰うとか? ……だが金を積んだところで、身分保証のない人間は信用されない気がするな」
口に乗せた案はすぐに本人により否定され、ため息と共に消えていった。
一体、どうすればいいんだろう? 自身も思考の迷路に入り込んだティオの視線は空を彷徨い、鮮やかな碧とかち合った。ついさっき見事な魔術を見せたルヴィエの瞳だ。
だが彼女は何故か、自信と余裕に満ちた表情で微笑んでいた。
「わたくしに考えがあります。この街には素敵なお友達がおりますの。エル、貴女は情報屋に伝手がありましたわね? いくつかの情報と資金と下準備。それが揃うなら、門を開ける手立てはありましてよ」
* * *
茜色の太陽が街を照らす。溶かした黄金のような海と燃え立つ街並みが眼下に見える。
夕暮れに染まる街の中、ティオはひとり立っていた。思い出すのは先ほど交わした会話だ。
「わたしは!? 一緒に行っちゃダメ!?」
「駄目に決まってる。足手纏いだし、そもそもお前は盗人だろう。情報提供はありがたいし、気の毒にも思うがそれとこれとは別。警邏に突き出さないだけでもありがたいと思え。もう目立つ盗みはするなよ? 今度こそ制裁されるぞ」
「ちいさな泥棒さん、これに懲りたら標的はもう少し選ぶことですわね。ではごきげんよう」
幼く、部外者であるティオは同行を許されなかった。とはいえお咎め無しのうえ服と食事を手に入れた。状況を考えれば望外の、あり得ないくらいの幸運だろう。
けれど――これで満足などしない。望みのモノを手に入れるまでは決して諦めない。まして、辿り着くための道筋が示されているのだから。
彼女たちは、教団に潜入するだろう。そしてティオは教団前に張り込む。そうすればきっと潜入の瞬間に立ち会えるから。
ティオには特技があるのだ。これだけは誰にも負けない、目と記憶力。そして魔力と述式を描く力。
――引き下がってたまるか。
唇を噛み締めた赤毛の少女は、踵を返して走り去った。




