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しろがねの翼  作者: 夢屋満月堂
chapter4「猫と輝石と海の街」
21/36

20:水晶と野良猫

 背の低い影が、木箱を踏んで塀をよじ登っている。へりに飛びつき懸命に身体を持ち上げる仕草は、どこか小動物を彷彿とさせた。

 越えた塀の向こうには丁度よく樹木の枝が伸びている。影はするすると幹を伝い、危なげなく地面まで辿り着いた。


(まるで猫みたいな子ですね……)


 ぼやけた視界のなか、滑り落ちそうな意識を繋ぎ止めつつアークは呟く。

 うっかり擦り取られてしまった彼は、現在幼い盗人と共に移動中である。



* * *



 先刻まんまとエルを出し抜いた子どもは、広場を抜けた後も足を止めることがなかった。唇をきゅっと噛みしめ、周囲を窺いながら走り続ける。

 行く道はだんだんと細く狭まり、暗い裏路地へ変わっていった。一見すれば袋小路、背の高い塀が行く手を遮る。子どもはそんな場所でも、雨どいや壁の出っ張り、道端に転がる木箱などを使って器用に乗り越えていく。

 大人の影を見てすかさず物陰へと身を隠す様子は、警戒心旺盛な獣の仔に似ていた。気配が消えれば動き出し、壁のひび割れや家の隙間をすり抜けていく。

 勝手知ったるその動きは街を縄張りとする野良猫のようだった。アークを奪った手際を含め、いっそ感心する程の身のこなしである。


 さて。そんなことを考えているアークはといえば、女剣士と引き離されて目下燃料切れの状態だ。しかし本来なら思考さえできなくなるところ、どうにか目覚めたままでいることができた。


 何故か。それはこの子どもが、僅かながらも"力"を持っていた為である。


 エルとは比較しようもない程の弱々しさではあるが、確かに流れるその力。微かに零れたそれを引き寄せることで辛うじて意識を保っている。

 極めて視界は不明瞭、ついでに声も出せない状態であるが、全く状況がわからないより遥かにましだ。一応ごく近い範囲の様子は見えるし音も聞こえる。

 とはいえ正直な所とてもきつい。例えるならば全身をがっちり拘束されているうえ貧血でしかも酸欠、という状態だろうか。

 これまでエルから受けてきた有形無形の恩恵をしみじみと思い知る。彼女と出会い助けられたことは、もしかしなくても奇跡的な幸運だった……。

 

 そんなことをぼんやり考えていると不意に声が降ってきた。


「ジャス、ただいま!じゃーん。今回のお宝だよー」

「わあ、ティオ姉すごい。今日は大物だね」

「んふふふっ。まあねっ!」


 そう言いながら二つの顔が覗き込んでくる。黒髪青目の男の子と、赤毛にはしばみ色の目をした女の子。共に十歳前後だろうか。

 薄暗くてよく見えないが、ここはヒトのいない廃屋のようである。いつの間にか移動は終わっており、どうやらねぐらに持ち帰られたらしい。

 アークを盗み取ったのは、ティオと呼ばれている女の子の方だ。相対しているのはジャスという気弱そうな男の子。


「ジャスはちゃんと休んでた? 具合は悪くない?」

「ぼく、大丈夫なのに……」

「大丈夫、じゃない! こないだいきなり倒れたばっかりじゃないの。今だってふらふらしてるくせに」

「う……。そ、そんなことないよ」


 見たところ二人の血は繋がっていないようだが、ティオの方が姉貴分らしい。いかにも勝ち気に振る舞っている。

 それに比べるとジャスという男の子はずっと大人しい。線も細くて、随分と弱々しげに見える――


(あれ。この子の身体……どこか、おかしい?)


 うっすらと違和感を感じて彼は内心首を傾げた。少年の身体を流れるマナ――気脈の輝きが霞んで見える。

 いくらアークの力が弱まっているとはいえ、これは奇妙なことだ。


 だがそこまで考えたところで急に視界が陰った。ぎりぎりで彼の活動を支えていた力が離れていく。


「この石は明日までジャスに預けておくね。わたしはご飯取ってくるから、しっかり守ってなさい!」

「うん。任せておいて」


(え、ちょっと待ってくださ……い…………)


 そんなやり取りを耳にしたのを最後に、アークの意識は急速に遠のいていった。



* * *


「……。…………!」

「…………よ。…………ん…から気を……けていってきてね」

「――うん。ジャス、あんたは無理しちゃだめよ。じっとしてること」


 どれくらいの時間が経ったのだろう。薄くぼやけた意識の中で、子どもたちの声が遠く聞こえる。

 同時に彼の"容れ物"へそっと触れる熱を感じた。そこから流れ込む光を動力に、ゆっくりと思考が回り始める。

 歯車がかちりと噛み合う感覚。巡る力を糧に、身を縛る封印を押し返す。


 そうしてアークは昏い眠りから目覚めた。

 ありがたいことに、またしばらくは起きていられそうである。



* * *



 そんなこんなで彼は再び、泥棒少女・ティオの懐中にあった。

 どうやら今は、意識を失ってから一晩が明けた朝であるらしい。少女は目的を持ってどこかへ向かっているようだ。

 彼は状況を掴もうと、はっきりしない視界を最大限に広げた。手足も口も無い身とはいえ、何も分からないのは不安なのだ。今はとにかく情報が欲しい。


 幼い少女が駆けているのは、廃屋の隙間を縫う細い道だ。狭苦しいうえゴミの散らばるそこも、朝の光と清々しい空気の効果で若干ながら明るく見える。

 だが、光と対をなす影の中、あるいは陽の届かない暗がりに。なんだか良くないものが見え隠れしているように思える。


(いや。気のせいじゃないです。瘴気、だ。今の僕に分かるくらい濃いなんて……!)


 第二の視界を開けば、路地裏の至る所で薄暗いもやが目につく。濁った空気が陰鬱に漂っている。

 それは"瘴気"。怒りや悲しみや欲望の固まり。強いヒトの思念……とりわけ何かを傷つける類のものに染まって、どうしようもなく変質してしまったマナのなれの果てだ。

 気づいてみれば、あちらにも、こちらにも。吐き気がしそうな程の瘴気が街角にこびりついている。


 常であれば、霊脈の流れの中で薄まり霧散する筈の濁り。だがなぜか昇華することなくわだかまっている。

 その意味するところは、土地の活力が思った以上に弱まっているということ。自浄能力が低下しているせいで、瘴気のもとを散らせないのだ。

 彼の感覚は今ほとんどが閉ざされている。なのに分かるということは相当に酷い具合なのだろう。


 そこに在る生命の輝きを、曇らせてしまうくらいに。

 弱い個体であれば、侵食され歪んでしまうくらいに。


 先程、幼い少年の身体に感じた違和感。そして瘴気に侵された生命の末路を思い出す。

 かつて目の当たりにした、忘れられない光景だ。

 まず始めに気力体力の低下、目眩や吐き気、そして指や足先への痺れが現れるという。痺れはやがて全身へと回り、次に訪れるのは精神の変調。虚脱感が心と身体を支配してゆき、食事や排泄すら満足に取れなくなっていく。

 やがてヒトであったものが抜け殻となり、こうなればもう間に合わない。最期には肉も皮膚も骨も臓腑も、身体を構成する全てが浸食され、変質し――

 

(――そうなる前に、食い止めればいい。霊脈が正しく流れれば瘴気は散るんですから)

 

 彼は追想を途中で止めた。かつての悲劇を嘆いたところで意味は無い。

 考えよう。そう強く念じた。たとえそれが無為であったとしても、考えることを止めてはいけない。

 手も足も出ない身ではあるが、そんな彼にもただひとつ。

 "思考する精神"だけは残されているのだから。

 


* * *



 暗い裏路地を駆け抜け、やがて少女は大きな建物の前へと辿り着いた。背の高い外壁に囲まれた施設だ。ひとつのドームとそれを囲う四つの尖塔が辛うじて見えるが、全貌はよく分からなかった。

 彼女はいったん足を止め、服の下に隠し持った水晶をぎゅっと握りしめる。


「待っててジャス。……ぜったいに、キセキのカケラを手に入れる」


 その言葉の意味するところは謎だったが、つぶやく声には強い決意が籠もっていた。


 顔を上げたティオは建物の正面、いかにも堅牢そうな門の前へと歩み寄る。そして可愛らしい仕草で門番へと声を掛けた。


「おじさんこんにちは!ねえねえ、"キセキのカケラ"が欲しいんだけど、どうやったら貰えるの? 神様にお供え物をしたら貰えるってホント!?」


 目をきらきらさせて、いかにも純真そうに振る舞っている。市場での一件、そして弟との会話を知らなければアークも騙されただろう。それくらい巧みな猫被りだった。

 だが、子ども好きなら一発で落とせそうな振る舞いも、気怠げに立つ門番には通じなかったらしい。男はティオに渇いた一瞥を投げつけると、面倒そうに眉をしかめた。


「汚いなりをして何言ってるんだ。輝石の恵みはお前みたいな餓鬼に与えられるものじゃない。そんなところに立ってたら参拝客の邪魔だ。さっさといなくなれ」


 渾身の演技は丸ごと無視して、彼女をしっしっと追い払おうとする。

 これに慌てたのはティオである。


「待って、待ってよ。私の宝物を持ってきたんだから! 神様だってびっくりするよ」


 両手を大きく振りながら必死の表情で食い下がる。

 これは流石に演技ではない。


「ふん、宝物だと? おおかたそこらで拾ったガラクタだろう。帰れ帰れ」

「ガラクタなんかじゃないよ。ほら!」


 門番の言葉を聞いた彼女は、ここぞとばかりに隠し持っていた水晶――つまりアークを突き出した。澄んだ鉱石がきらりと光る。

 それを見た瞬間、門番の表情が変わった。


「そいつは水晶か」

「きゃ!」

「ふうん、これはなかなか」


 無造作に水晶を奪い取り、にやにやと下卑た笑いを浮かべる。

 ティオは石を取り返そうと必死にすがりつくが、男はそれをあざ笑った。


「お前のような餓鬼が手にできる品ではないな。おおかた盗んだか拾ったか、そんなところか」

「ち、違うもん。返して!」

「まあいい。これはおれが預かっておこう。なに、きちんと教主様の御元に届けてやるぞ。神はお前の行いを見ておられる。きっと恵みをもたらしてくれるだろう」

「なにするの、神様には自分で渡すもん。それにキセキのカケラ……!」


 少女は男の衣服を掴み、なんとか食い下がろうとする。門番は石を懐に収めつつ、彼女を鬱陶しげに振り払った。


 そんなとき、道の後ろから派手な集団がやってきた。金ぴかと極彩色がけばけばしい一団だ。

 幾人もの従者を引き連れてやってきたのは太った中年男だった。絹や宝石で身を飾った、いかにも裕福そうな人物である。

 それを目にした門番はたちまち別の表情を作り上げた。


「おお、マルカズィート様! ご参拝でありますか?」

「ええそうです。神の御心に触れ、この魂を清めて頂こうと思いまして。……しかしなんですかその汚い子供は」

「神のお恵みに縋ろうとやってきたのでしょう。汚れし者にはその資格も無いというのに」


 にこにこと愛想を振りまきながら中年男に答える。その後ティオに向き直った門番は、表情を一転させて告げた。


「――邪魔だ餓鬼。斬られたくなければ消えろ」


 剣の柄に手を掛けての台詞。そこにあるのは、動物……いや、道端のゴミを見るのと同じ目つきだった。

 この男は、ただ邪魔だというだけで躊躇なくティオを斬るだろう。たとえ対象がいとけない少女であっても。

 ティオの方もそれを察したようだ。悔しそうな表情をしながら、素早く身を翻して去っていく。


 全く、胸糞が悪くなるやり取りだ!

 

 そうして彼の容れ物である水晶は、少女から門番の手へ移ってしまった。今度こそアークは完全に力を失うだろう。

 それでも最後まで見られるものは見ておこうと、彼は薄れゆく意識を開かれた門へ向けた。

 門番がこれでは教団の中身も知れたものだ。さてどんな建物が建っていることやら、どれほど悪趣味に飾り立てらていても驚きはしない……。

 そう思いながら門の奥を視界に収めた瞬間、彼は驚愕に凍りつく。


 ――そこにあるのは、漆黒の靄。

 とぐろを巻いてうねる瘴気の大渦だった。


 門で切り取られた施設内部。建物を取り巻くマナの流れは酷くいびつにねじれていた。魂を濁らせるような腐臭が流れてくる。

 頑丈な扉と高い壁の内側にくまなく刻まれた術式。それが歪みを覆い隠し、無理矢理に抑えつけている。

 だが、あまりに濃い瘴気によって抑えの術式自体が軋み始めていた。

 これではもう、長くは保つまい。


(なんですかこれは……こんなものが広がったら、みな……ゆが……で……)


 けれども思考できたのはそこまでだった。いばらのような封印が絡みつき、精神を容れ物に押し込める。世界への窓が固く閉ざされ、心は奈落に堕ちてゆく。


 驚きと焦り、怒りと困惑と悲しみ。


 様々な感情がぐるぐると混ざった状態のまま、彼の意識は再び闇に沈んでいった。


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