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しろがねの翼  作者: 夢屋満月堂
chapter4「猫と輝石と海の街」
19/36

18:潮風の街

 ――目の前で美女が酒杯を傾けている。


 金の髪が緩やかに波打つ。輝きを秘めた碧の双眸。衣装は飾り気のない仕立てながら、まろやかな肢体の美しさを引き立てていた。

 優雅な仕草で酒をたしなむこの女性は、先日出会った魔女のルヴィエである。粗野な雰囲気の酒場のなか、彼女は慣れた様子でくつろいでいた。

 だがその所作と容姿は明らかに異質だ。掃き溜めに鶴とはこのことを指すのだろう。


 ついでに言えば、並ぶ酒瓶の数も異常である。エルは五本を越えた辺りで数えるのを止めた。多種多様な硝子の瓶は全てが綺麗に空であり、食卓の半分以上を占拠している。だというのに、杯を空ける速度も、顔色も、全く変化していないのが恐ろしい。

 極上の容姿も相まって、周囲の視線を強烈に引き寄せる魔女。

 そして彼女と同席するエルにも、興味を込めた視線が投げ掛けられていた。それも複数。


 なんとも落ち着かない状況である。


 無意識のうちに指に絡め、しきりにひねっていた髪を見る。

 鮮やかな緑色は、魔女の魔法で混じりけのない黒に変わっている。金の眼もただの黒瞳にしか見えていない筈だ。大丈夫、何も問題はない。

 だが、向けられた視線がどうしても気になる。いっそ気付かなければ楽だっただろうに、鋭敏な感覚が逆に恨めしい。

 そこに害意の無いことが唯一の救いだ。


(あぁ、あの暑苦しいフードを恋しく思う日が来るとは)


 エルはこの居心地悪い状況から脱するべく、今ひとつ味の感じられない煮込み肉を飲み込んだ。

 正直なところ食欲は全く無いのだが、"探索者たるもの、いついかなる時も食を疎かにすることなかれ"というのが師の教えである。


「もう少しゆっくり食べていてよろしくてよ」


 僅かな量の食事をさっさと済ませ、あとはひたすら杯を傾け続ける魔女が言う。この状態の元凶が彼女であることを思うと、涼しげな表情が少しばかり恨めしい。


「あまり長居をしたくない。視線が痛い。いつもこんなか?」

「気にしなければどうということもありませんのに。慣れですわ、慣れ」


 あっさりと言い放つこの女性、やはり只者ではない。そういえばエルの金眼を見ても少し驚いただけで、すぐに敵を蹴散らしていた。


(まあ、そうでなければ私達について来るなんて言わないか)


 ともあれ今は目の前の皿を空にすることが先決だ。心に決めたエルは、残りの肉へと挑んでいった。


 そうしてどうにか全ての料理を胃に収め、ひと心地ついた後。

 彼女たちがこうして席を共にした理由――次なる遺跡探索へ向けた相談が始まった。



* * *



「それじゃ、次の目的地についてだが」


 食事を終えると気分も少し落ち着いてくる。水を飲み干したエルは本題を切り出した。

 必要な情報を整理しながら、頭の中で話の内容を組み立てていく。


「三遺跡のうち、空の遺跡はちょっと厄介な条件があるから……差し当たって目指すのは海の遺跡だな。これは"蒼樹の迷い森"と呼ばれる遺跡だ。ここから西の内海、三日月湾の真ん中にある」

「今度は海なんですね。いざゆかん絶海の孤島! って感じですか」


 アークが明るい声を上げる。姿は無くとも声はする、という極めて不自然な状態だが、この喧噪の中では気付く者もいないだろう。


「それが島じゃないんだな。聞いて驚け。海底にある」


 浮かれた口調の彼にそう返すと、彼は怪訝な声を出した。


「はい? 水沈してるってことですか?」


 もしかしたら、海に飲み込まれた廃墟を想像しているのかもしれない。けれども実際は大きく異なる。


「海中にでかいドームがあるんだ。透明な力場が創られていて、その中では普通に過ごせるらしい。海上の転送陣から遺跡まで一直線。辿り着いたらすっかり海の底って話だ」

「へえ。緋の深淵といいそこといい、よくもまあそんな場所に」

「全くだ」


 水晶の呆れ声には全面的に同意する。何を思ってそんな場所なのだか、狂気の沙汰としか思えない。


「ちなみにどうやってそこまで行くんですか? やっぱり船が必要ですよね」

「近くにヴァッサノーツという港街があって、そこの探索者協会から船を出してもらえるそうだ。あそこは他にも海の遺跡が多いからな。ええと。ルヴィエは以前探索したことがあるんだっけ?」


 魔女へ話を振ると、彼女は優美な仕草で杯を干した。中の液体は八割がた残っているように見えたのだが……それについては何も言うまい。


「迷い森へは、三年ほど前に赴きましたの。目ぼしい成果は上がりませんでしたけれど、協会の探索船制度はその折に使いましたわ。ヴァッサノーツの協会は地元の漁業組合と提携しているんですのよ。相応の料金は取られますけれど、あの海域を知り尽くした人間に望みの場所まで連れて行って貰えますの。なかなか面白い仕組みでしたわ」

「へぇ、そこまでは知らなかった。心強いな」


 初めて耳にする情報に、エルは感嘆の声を漏らした。


「地元の海は、地元の漁師さんに任せておけば安心ってことですね」

「だな。流石に海底はここ一カ所だが、あの辺は離れ小島やら岸壁の洞窟やら、船無しでは手を出せない遺跡がほとんどだ。協会としても遺跡に潜って貰わないと商売あがったりだろうし、この辺は持ちつ持たれつってことか」


 協会は基本的に各支部での独立採算制を取っていると聞く。探索が盛んであれば収益も上がるので、担当地域の特性に合わせて色々と頑張っているのだろう。


「ちなみにその街ってここから遠いんですか?」

「距離は遠いが時間としては近いな。それなりに金は掛かるが」

「地図の上では離れていますけど、転送陣でほぼ直結されていますの。陣の利用料はけして安いとは言えませんけれど、商いなどで日常的に行き来する人も多いですわよ」


 転送陣が見出される以前は遠い異郷であったのだろうが、現代では身近な街だ。エドアルドを拠点とする者にとっては、それこそ"お隣さん"という感覚である。


「内陸のエドアルドでも旨い魚が食えるのはひとえにそのお陰だな。ま、取りあえず私たちが目指すべきはヴァッサノーツってわけだ」

「海の街ですか。楽しみですね!」


 水晶の弾んだ声が、その場での会話を締めくくった。




* * *




 そんなこんなで一行はヴァッサノーツにやってきた。

 ここは海風と潮の香りに包まれた港湾都市だ。付近に多くの遺跡を擁しており、探索者の多い街でもある。

 午前中にエドアルドを発ったエルたちは、まずこの地の探索者協会を訪れた。緋の深淵で手に入れた魔石の換金と、海の遺跡へ行く船の確保を行うためだ。

 そのついでにめぼしい情報を漁ったり、協会割引の効く宿を確保したり。そうこうしているうちに日は上りきり、気づけばすっかり昼間になっていた。


 それにしても、日差しが強い。そう考えながらエルは空を見上げた。

 転送陣での移動は一瞬にして陸地の端と端を結ぶこともざらだ。この地の陽光はエドアルドよりも強烈で容赦なく肌を焼く。だが、さらりと乾いた気候であるためか不快感は少なく、木陰に入れば割合と過ごしやすかった。

 光を透かした木々の輝くような緑を見上げながら、エルは古びたベンチに腰を下ろす。吹き抜ける海風が気持ち良い。

 あの暑苦しいマントをずっと被らなくて済むのはありがたかった。きっかけこそ強引ではあったが、魔女に感謝しなければならないだろう。


「さて、船を出してもらえるのは明後日か。それまでどうするかな。とりあえず宿は決まってるし、出発まで別行動でいいよな?」


 言いながら手に持った魚の串焼きにかぶりつく。目の前にある広場の屋台で買ったものだが、流石は海の街。魚介類はどれも新鮮で旨い。

 ぱりっとした皮と柔らかな白身は焼きたて熱々で、たっぷりの脂に程よく塩味が効いている。そこに柑橘の絞り汁が合わさって絶妙の味わいだ。


「ええ、それで構いませんわ。確かこの街には図書館がありましたわね。出航の日まではそこで過ごすことにいたしましょうか」

「わざわざそんなところに籠もるのか……」


 エルは思わずしかめ面をした。彼女にとって書物を読むという行為は即ち睡魔に抗う修行である。勉強中に何度となく眠り込んでは師匠に叱られたものだ。


「あら。"探索を生業とするもの知恵と知識を友とすべし"。剣を振るう方は、書物で情報を得ることの大切さをご存知ないのかしら?」

「わかってる、わかってるけどな。こんな良い天気の日にカビ臭い文字の群れと顔をつき合わせるなんて物好きなことだと思ったのさ」


 小馬鹿にするような響きに少しむっとして返す。本から得られる情報が有益なのはもちろん理解しているし、その気になればちゃんと読める。

 とはいえ好んで書を読むことは皆無で、彼女が文献に向かい合うのは必要に迫られたときに限られるのだが。


「私はせっかくだから街のめぼしい場所を回ってみるよ。顔を隠さなくても良くなったし、こっちにはあまり来たことがなかったから。アークも色々興味があるだろう?」

「はい! そうしてもらえると嬉しいです。エドアルドとはまた全然趣が違いますよね。もっとしっかり見たいです」


 彼の好奇心は相変わらず健在だ。ヴァッサノーツはエドアルドのように魔工機械に溢れてはいないが、かわりに海の街らしい特色がそこかしこに見られる。

 いつかのように質問攻めにされるのは困るが、賑やかな水晶と会話しつつ街を巡るのはきっと楽しいだろう。


「この日差しの中、あちこち回ろうという方が余程物好きだと思いますけれど。ともあれ、明後日に向けた準備だけは怠らないように致しましょう」

「ああ。そうだな」


 頷き、再び街を眺める。青空を背に赤煉瓦と白漆喰の家並みが連なっている。高台の広場からは更に海までが一望できた。

 碧緑から群青へと色を変えて遥かな水平線まで続く海原。それはどこまでも広く雄大だ。生まれては消えるさざ波が、太陽を反射して光の粒を散らしていた。

 空には海猫が飛び交い、地面には野良猫がのんびりとたむろしている。

 それはつい微睡みたくなるような、なんとも贅沢な昼下がりだった。



* * *



 ところ変わって現在地はヴァッサノーツの港湾区域。漁船の集う界隈だ。

 まだ漁に出る前なのか、岸辺いっぱいに小型船がひしめいている。どの船体にも赤・青・緑といった原色のラインが引かれており、なんとも賑やかな光景だった。船上には網の手入れをする漁師の姿がちらほらと見える。

 道端に積まれた漁具や木箱、その上で欠伸をする猫がいる。潮の香りが漂う中を、海鳥の鳴き声を聞きながらのんびりと歩く。


『ねえ、エル。せっかくなので外に出してもらえませんか』


 人影の見えなくなったところで、ふいにアークがそう言った。


『あれ、そこからでも景色は見えるんじゃないのか?』


 エルは彼の収まるポーチを軽く叩く。


『見えるんですけど……やっぱり、貴女に持ってもらった時と比べて精彩に欠ける感じなんですよ。容れ物に遮られているというか』

『でもな、その容れ物は純度の高い水晶だろう? ついでに光るし。変なのに目を付けられたら厄介だぞ』


 気の進まないことを言外に示してみる。水晶は最高級の宝石でこそないが、透明で形の整ったものには相応の値が付くのだ。そしてヴァッサノーツの治安はお世辞にも良いとは言えない。

 しかしアークはめげなかった。


『でもほら、今は周りにヒトもいないですし。ちょっとだけでも良いですから!』

『うーん、そうは言ってもな……』

『誰の気配もしないじゃないですか。大丈夫ですって』


 しばしの攻防の末、やがて根負けしたエルはポーチから水晶を取り出した。掌の中、透き通った結晶体がきらりと光る。


『ぷはぁ、生き返ります。この開放感といったらもう!』

『……そんなに苦しかったのか?』


 響きの切実さに思わず問い掛けると。


『苦しいというか、窮屈で窮屈で。身体があったらあちこち凝り固まってるところですよ。やっぱりこうして見る景色の方が綺麗ですね』


 明るい口調と共に輝くアーク。強い日差しの下でも不思議と目を惹くその光から、彼の喜びの感情が伝わってくる。

 近くに人の気配がないとはいえあまり安心はできない。だが機嫌良く瞬く銀の星を見ると、まあいいか、という気分になってくる。


『仕方がないな。喋って光る水晶なんて怪しいにも程があるんだから大人しくしてろよ』

『大丈夫ですよ。本当に心配性なんですからエルは。ああ、これでご飯も食べられたら最高なんですけど。港町ですからお魚美味しいんでしょうね……さっきの焼き魚も凄くいい匂いでした』


 そんなことを言い出す彼は、まるで舌なめずりをしそうな勢いだ。魚料理を食べられないのがそこまで悔しかったのだろうか。


『石の癖に無茶言うな。今は諦めろ、身体が戻ったら奢ってやるから』

『え、本当ですか!?』


 それは咄嗟に放った台詞だったが、なかなか良い提案であるように思えた。エルはもう一言、今度はやや真剣な気持ちを込めて付け加える。


『本当だ本当。大変な思いをしているんだろう。同行者のよしみってことで、元に戻ったらしっかり祝ってやるさ。なんならここの銘酒も付けるぞ』

『ふふっ、それは楽しみです。忘れないでいてくださいよ。約束です』

『ん、わかった。じゃあその時には美味いもんを目一杯食おうな』


 そう言って彼女は口の端にちいさな笑みを刻んだ。

 約束の履行は一体いつになることやら。だが――きちんと果たせるといい。その時までこの会話を覚えておこうとエルは思った。

 気負わない言葉の応酬が、海風に浚われ空へ溶けていく。ずっと独りで旅していた彼女にとって、こんな風に誰かと話すのは久しぶりだった。

 ひとりとふたり。思った以上に違うものだ。こうやって歩いていると様々なものが鮮やかさを増していくように思う。

 海の風景だって、以前ならきっと目にも留めなかった。


『っと、誰か居るな。戻ってろ』


 エルは僅かに眉をしかめた。水晶を気兼ねなく外に出せる時間は終わりのようだ。

 道の向こうに複数の気配が生まれ、どんどんこちらへ向かっている。


『ええ、ポーチの中ですか? もうちょっと力を貰いやすい位置がいいです』

『注文が多いな……全く』


 もうすぐ人が来てしまう。

 エルはやや焦りつつも、ズボンのポケットに石を押し込んだ。



* * *



 山と積まれた木箱の上、人目につかないその場所で。

 たまたま居合わせた小さな影が、気配を潜めて一部始終を見ていたことに――とうとう彼らは気付かなかった。

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