16:虚界
ふと気が付くと、遺跡の入口に立っていた。
照りつける陽光と、熱気をさらう爽やかな風。岸壁と空の対比が眩しい。
「……あれ?」
一瞬呆けたエルは、またも意識を失っていたことに愕然とした。しかも今回はまさかの不意打ちだ。
(ここ最近、ホイホイ気を失いすぎじゃないか?)
どこぞの姫君ではあるまいし、なぜこうも気絶するのか。よもや鍛錬が足りていないのだろうか。
素振り千本追加かな、などと考えつつ遠い目をしていると。
「ちょっと、貴女、何をしでかしましたの!?」
「へ?」
金髪の魔女に至近距離で迫られ、思わず間抜けな声が出た。
聞けばエルは黒石に手を当てた後、しばらく何かを操作していた……らしい。
そして最後に、問答無用で転送機能を発動させた……らしい。
結果一行は遺跡の入口へ立っているという。記憶には全く残っていない。
欠落した時間に果たして何が起きていたのか。解き明かしたいのはやまやまだが、しかしそれよりも――
「あそこで一体何をしてらしたのかしら……?」
ぎりぎりと首を締め上げんばかりに詰め寄るルヴィエ。これをどうしたものだろうか?
対するエルはと言えば、その勢いに腰が引けていた。正直なところ非常に怖い。
「意識が飛んで、何も覚えて……」
「そんな誤魔化しは通用しなくてよっ!そもそも、大空洞からの道を開いたのも貴女の筈ですわね?」
「…………多分?」
目が泳ぐのがエル自身にも良く分かった。
「多分? じゃありません! どれもこれも、一介の剣士如きがおいそれと操れる術式では無いですわ!」
まなじりをきつく吊り上げた魔女。彼女は更に言葉を重ねる。
「大体、貴方のその人間離れした身体能力はナニ? でたらめにも程がありましてよ」
そう言ってとびきり剣呑な笑みを浮かべた。目は完全に座っており、心持ち周囲のマナも集まってきている。
「る、ルヴィエ……?」
「さあ……消し炭になりたくなければ、洗いざらい白状して頂きましょうか?」
恐ろしい微笑みの魔女に相対する羽目になったエルは、ここに至るまでの経緯を洗いざらい白状することとなった。
* * *
「にわかには信じ難い話ですわね」
腕を組んだ魔女は、片眉を上げて言った。
「信じるかどうかはそっちの自由だよ」
エルは肩をすくめる。信じようが信じまいが、彼女の語れる事実はひとつなのだ。
「貴女が嘘をついているとまでは言いませんけれど……魂を封じた水晶? 石が話す? しかもそれがあの術式を解いたですって?」
ルヴィエは辛辣な口調で詰め寄る。
「――でも、本当のことなんですよ」
そこへふいに、第三者の声が割り込む。
「誰っ!?」
「アーク!?」
二人はぎょっとした表情で水晶を見る。
エルが手にする六角柱。そこに宿る光が楽しげにさざめき――喋って、いる。
「ああやっぱり。ちゃんと聞こえてますね! こんにちは、ルヴィエ。僕はアークと申します。先程少しお会いしましたね?」
「っ、まさか!?」
「お前、ちゃんと喋れたのか……」
耳に届く豊かな響き。それは思念ではなく、空気を震わす確かな音だ。
「先程までは無理でしたよ。貴女の記憶にはないみたいですが、さっき魔石の前で術式を操作していましたでしょう? あれのおかげで封印が緩んだみたいです。おかげでエル以外の方にも声を届けられる」
水晶は眩しい程に輝いている。浮かれ切って弾んだ声音だ。
「……これでは信じるしかないですわね。全く非常識ですこと!」
首を振りながらため息をつく魔女。事実を前にしては認めざるを得ないだろう。
しかし、どうしても気になるのは。
「なんで私が術式なんて操作してたんだ……アーク、お前か?」
これである。エルには全く記憶が無いのだ。
不気味な空白には一体何があったのか。
「いいえ……僕ではありません。先程はエルの存在が急に薄くなってしまって」
「薄く?」
首を傾げると、言葉が続く。
「同時に力の供給も止まってしまったので、実は何があったか良くわからないんですが……貴女の中に"他の誰か"が入っているような感じがしました」
その意味するところに、エルは薄ら寒い気分になる。
夏だというのに鳥肌が立ちそうだ。
「ぞっとしない話だな」
「さっきの話に出てきた"仮面の女"かしら? 貴女の話が本当ならですけれど」
「なんにせよ、謎が多いですねえ」
三人三様に首をひねる。
そこで、エルはふと思い出して言った。
「謎と言えば……アーク、お前の記憶は戻ったのか? 封印が緩んだんだろう」
「えっ!? あっ、そ、そうですねっ。少し、そう、ちょっとだけ思い出しましたよ!」
なぜか慌てる水晶に不審を覚えつつ、問いを重ねる。
「それじゃ、あんたがそうなった原因はわかったのか?」
「…………えーと。騙されたというか、嵌められた?」
「……ああ」
彼女は深く納得した。
「なんでそんなに納得した顔してるんですかっ!」
「お前が騙されやすそうだからに決まってるだろう」
「ええっ!? そんなことないですよ!」
水晶はぶうぶうと口を尖らせて拗ねる。そんなところが騙されやすい印象に繋がっているのだが、彼は気付いているのだろうか?
(……いや。絶対気付いてない)
ともあれ引き続き会話は流れる。
「僕は、この大陸のマナの"監視"と"調整"を行う者だったんですが、その役目を奪われてしまって」
「監視と……調整?」
彼はしょんぼりと語るのだが、その"役目"を今ひとつ想像出来ない。おうむ返しに問いかける。
「マナの流れである"霊脈"に溜まる負の気を清めたり、流れを遮るものを取り除いたりですね。僕らの一族が請け負っているお役目なのですが、まあ掃除係みたいなものですよ」
軽い口調でアークは語る。そのような一族が存在しているとは初めて聞いた。研究者である師匠の片割れが知ったら喜びそうだ。
「良く"視て"みれば、あちこちでマナが枯れたり澱んだり。封印でまだ鈍っている感覚でもわかるくらい酷いことになってます。これではいけない。早く元に戻さなければ、皆が生きていけません」
その台詞を聞いた瞬間、魔女の顔つきが鋭く変わった。
「元に戻す、ですって?」
僅かに震える真剣な眼差し。
胸元を握り締める手には強い力が籠もっている。
「え、ええ。そうです。元に戻さなければ」
戸惑い、うろたえるアークへと食って掛かるように。切羽詰まった態度を見せて、ルヴィエは荒く言葉を続けた。
「まさか貴方は、"虚界"を元に戻せるとでも言うの!?」
声に宿るのは切実な想い。そこには悲鳴にも近い響きがあった。
* * *
虚界。それはマナの枯渇した土地のことだ。草木枯れ果て水は腐り、そよとも風の吹かぬ場所という。
死した者は幽鬼となって彷徨い続け、生あるものも正気を失う。虚界に呑まれた者たちは、やがて心も身体も変質する。
彼らは、ひたすらにマナを求めて彷徨う"虚界の魔物"になり果てる。
この世界には、そんな"虚界"が虫食いのように存在している。いつ頃生まれたかは明確でないが、古代王国の滅亡前後、急速に現れたというのが定説である。
大地にはびこる死の領域。時間をかけて少しずつ、だが確実に広がり続けている。
――今現在も、刻々と。それは世界を蝕んでいる。
* * *
「虚界、という言葉は存じ上げませんが――マナの枯渇した大地を指しているのなら、僕にはそれを癒やす力があります」
「本当でしょうね?」
「はい!」
返事は極めて明快だ。アークは、まるで何でもないことのように語る。
だが、彼は気付いているのだろうか? 虚界を癒やす――それは、緩やかに滅びゆく世界を救う力だということに。
「とはいえ、身体を取り戻さないことにはどうしようもありませんが」
今度は途端に情けない台詞だ。"がくり"という形容詞が似合う口調である。水晶の中、しぼんだ光は頼りなく揺れている。
「それで"身体探し"をしている、と?」
金髪の魔女は顎に指を添えて考え込んだ。しばらくの後。
「わかりましたわ。貴方の探し物、わたくしも協力いたします」
きっぱりと強く言い放つ。
「嫌だと言っても付いていきますわよ? 返しきれない位の恩を売りつけて差し上げますわ。その代わり。貴方が身体を取り戻したら、癒して欲しい土地がありますの」
碧の瞳は、並々ならぬ決意を湛えている。
「それが、あんたが遺跡に潜ってた理由?」
古代遺跡周辺は、総じてマナが豊かだ。それは明らかに不自然なほど。そこにはマナを操る秘術が隠されていると言われている。
エルの言葉を聞き、彼女は静かに目を閉じる。
「故郷が、虚界に呑まれましたの。呑み込まれた同朋たちは冥府へ逝くことも出来ず、枯れた大地で彷徨い続けていますわ」
瞼の裏に映る景色を推し量ることはできない。掛けるべき言葉が見つからず、エルとアークは口を閉ざした。
だが沈黙を打ち破ったのは魔女自身だった。彼女はやおら目を見開き堂々と宣言する。
曰く。
「ですから、さっさとその身体を見つけますわよ! 否やは言わせません。このわたくしが協力して差し上げる以上、無駄な寄り道は許されぬと心得なさい!!」
きつい眼差しに、叩きつけるような声の調子。その態度はまさに問答無用だ。
それを受けた二人はひそひそと念話を交わす。
『何だか大変なことになった、のかな……?』
『大変なことになりました……』
「そこ、聞いているのかしら!?」
何かを感じ取ったのか、鋭い魔女の叱責が飛ぶ。
「はーい……」
「わ、わかりました……」
彼らはげんなりと項垂れながら、力ない言葉を返したのだった。
* * *
こうして、"緋の深淵"の探索は幕を閉じた。残る遺跡はあとふたつ。
魔女を仲間を迎えつつ、水晶の身体探しは更に続く――
chapter3 「緋色の遺跡と焔の魔女」 end