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しろがねの翼  作者: 夢屋満月堂
chapter3「緋色の遺跡と焔の魔女」
15/36

14:魔女

 身体が激しく揺れている。

 腹部に感じる温もりと圧迫感。風、そして爆発音。

 ――強烈な横重力。


「きゃあっ!?」

「あ、やっと起きたか」


 誰かの声を聞いたところで、"彼女"は一気に覚醒した。



* * *



 目覚めた彼女は、眩暈と吐き気に眉をしかめた。周辺状況を確認する。

 耳元で唸る風と目まぐるしく流れる景色。恐ろしい程の速さで移動している。

 ……何故か、見知らぬ人物に抱えられて螺旋階段を下っていた。


(見知らぬ――いえ、そういえば一度見ていますわね)


 この人物とは石版の部屋で遭遇している。全身黒衣の怪しい風体、よもや忘れるわけがない。

 

 そこまで考えたところで、ゴゥン、と不穏な音が聞こえた。重い地響きが空気を震わす。

 何事かと訝しみ、彼女はそっと目線を上げた。

 術を撃ち出す守護体の群れが見えた。飛行しながら追いかけてくる。

 思わず愕然と目を見開いた。


 ――チュイン! チュイン!!

 ――パラララララララッ


 けたたましい音が聴覚になだれ込む。耳元を、頭上を、無数の光弾が通り過ぎていく。色も形もとりどりのそれらは、どれも並ならぬ威力を秘めた魔弾だった。

 事実を把握しかけたところで、ジュゥッ、と嫌な音がする。白く尾を引く魔術の弾が、頬すれすれを掠めていった。

 ちりつく痛みと不快な臭い。髪の毛の先が焦げたらしい。

 さあっと全身の血の気が引いた。


 一体、この状況は何なのだ。


「ち、ちょっと貴方、これはいったい――」

「後で。舌噛むぞ」

「なっ……きゃあっ!」


 素っ気ない声と同時に黒衣の人物が跳躍した。腹部の圧迫に息が詰まる。

 文句を言おうとしたその鼻先を、太い光線が通り過ぎていき――


 ――ドゴォン……


 着弾。階段の一角が丸ごと砕け散った。



* * *



 弾け飛ぶ火花、錯綜する光線、乱れ咲く魔術弾の嵐。

 それらをひょいひょいと避けて走る黒衣。

 ……そして、抱え上げられ、振り回されている自分。


 全く、酷く出来の悪い夢を見ているようだと彼女は思った。



* * *



 飛び交う光弾や爆発音その他諸々。それらを思考の外へ無理矢理追い出し、彼女は状況を整理しようと試みる。


 ――記憶を遡っていく。


 探索を続けていた彼女は銀盤の中心で"それ"を見つけた。

 強大な何かの足跡であろう、深淵を貫く光の道筋。

 刻々と消えていく痕跡に、時間はないと彼女は悟った。

 そうしてすぐさま術を編み、跳んだ。これが最初で最後の機会であると、確信めいた予感に急かされて。


(その結果が、今のコレというわけですわね)


 現在、その跳躍先にいるのはおそらく間違いないだろう。こんな区画は見たことがない。

 成功率は良くて五割。彼女は賭けに勝ったようだ。

 けれど。


(……残されていた痕跡。はじめに道を開いたのは、この方なのかしら?)


 そこには大きな違和感を覚える。相手はおそらく武芸者だ。足の運びや身のこなし方が、術者の持ち得るものではない。

 ならば一体誰があの道筋をつけたのか?


(今すぐ答えは出そうにないですわ。後で探ることにいたしましょう)


 疑問はひとまず横に置く。今は周囲の情報を集めなければ。


 螺旋階段の外側は透明な壁になっている。向こうには更に硝子の筒が連なっていた。驚くべきことに、並んだ筒のひとつひとつに貴重な魔石が浮かんでいる。

 空間を青く染める程におびただしい数だ。眩暈のしそうな風景だった。

 続く螺旋は吹き抜けで、薄い靄に包まれている。

 どこまでも続くその先は、まるで見通すことができなかった――



* * *



「人を運ぶならもっと丁寧になさい。乱暴にも程があってよ!」


 上下左右に振り回されるのもいい加減に限界だ。彼女は自らを運ぶ黒衣に苦言を呈する。


「生憎とそんな余裕はなくてね。我慢してくれ……っと!」


 しかし相手はどこ吹く風。まるで意に介す様子がない。


「きゃあ! ……ああもう、コレだから野蛮な戦闘職は。せめて両手を自由にさせて頂戴。防御障壁を創ります」

「そういやあんた魔術師だよな。わかった、待っててくれ」


 彼女が出した提案で、やっとそんな言葉が返ってくる。

 これで少しはましな扱いになると良いのだが。


(それにしても。普通に見ればわたくしは当然、"魔術師"になりますわよね)


 呼ばれた言葉を引き金に、複雑な想いが去来する。

 それは間違ってはいないが正解でもない。だから彼女はこう返す。


「いいえ。"魔女"ですわ」


 魔女と魔術師は違うのだ。

 知らぬ相手には意味のない矜持だが、この名乗りをやめる気はない。

 

 とはいえ、このような状況では"魔術"の方が有効だった。彼女は自由になった手で言詞を綴る。

 三重円環と繋ぎの文言。術式は一瞬だけ輝き、二人をすっぽり包む障壁を生み出した。

 水面のような薄膜が揺らぐ。

 そこに触れた瞬間、魔術弾は虚空に溶け――直後、二人の前方に再び出現する。


「これでもう、跳んだり跳ねたりする必要はありません」

「凄いな。どうなってるんだ?」

「位相をずらしておりますの。すぐにこちらへ戻ってきますけれど、わたくし達には当たりません。……ただし実体のあるものには役立ちませんわ」


 転送技術の応用で、彼女にとってはちょっとした小細工だ。だがこれは相手が単なるマナの寄せ集めだからこそ出来る干渉だった。確固たる存在に、このような誤魔化しは通用しない。


「直接攻撃に切り替えられたら対応できない、ってことか」

「ええ。そのための障壁はまたありますけれど、数に任せて押し包まれると厄介ですわ。もっと距離と時間があれば、一気に殲滅出来ますのに」


 ままならない状況に溜め息をつく。この黒衣は驚異的な俊足であるが、肩に彼女を担いでいるのだ。かたや敵は空を飛ぶ。追いつかれないのが精一杯だ。

 障壁を張り、回避が減ったことで一定の距離は稼いだものの、両者の間合いは膠着していた。この上さらに距離を稼ぐなど、とてもでないが出来そうにない。

 

「ふぅん、距離と時間が取れればいいんだな」

「取れませんでしょう?」


 軽い調子で言う相手に、彼女は苛ちを込めて返す。状況を正しく理解しているのだろうか。

 しかし、黒衣の人物は気楽なものだ。


「魔女さん、あんたは高いとこ苦手か?」

「はい?」

「ん……ま、いいか。舌噛まないようにな」


 呑気な声で台詞を放ち、ちらりと横に目をやった。そこにはようやく見えた螺旋の終着点がある。

 霞がかった床面は遥かに遠い。

 何故か、激烈に嫌な予感がした。


「ちょっと貴方、何を考え……」

「跳ぶから」


 彼の人物はあっさりと言い放つ。

 そして身を低くたわめると、そのまま吹き抜けに身を投じた。



* * *



「っきゃあああああああああああああっっ?!」


 問答無用でのいきなりの落下。

 彼女は反射的に目を瞑る。

 あまりのことに思考が消し飛ぶ。唸る風音が轟々とうるさい。

 

 胃がひっくり返るような不快感と、長いような短いような忘我の果てに。

 ダァン、と大きな音を響かせて、彼女ら二人は着地した。

 

 ――そう。何故だか"着地"したのだ。

 どういうわけか五体は無事で、挽肉にならず生きている。


 やっと地面に下ろされた彼女は、そのまま力なくへたり込んだ。恐々と上を見ると守護体たちは遥かに遠い。つまり先ほどまでその場所にいたと言うことだ。

 奇跡では図れない、明らかに尋常ではない高さだった。普通なら投身自殺となる距離だ。


「貴方、一体……!?」


 言いながら振り返った彼女は、思わず目を一杯に見張る。

 外れたフードのその奥に、露わになった素顔が見えた。緑の髪と金の獣眼。人が持つには鮮やか過ぎる色彩だった。


「さあな。こっちが知りたいよ」


 固まる彼女を前にして。

 皮肉げな笑みを浮かべながら、異貌の女は言い捨てた。



* * *



 自失していたのは、どれ位の時間だっただろうか。


「――ともあれ、距離が取れたのは有り難いですわね」


 彼女はよろめきつつも立ち上がり、頭上の敵群を視線で射抜いた。驚愕の余韻はまだ去らないが、いつまでも茫然としてはいられない。

 この最下層フロアは広大な円形空間。戦う為の広さはあるが、追いつかれたら逃げ場はない。あの数とまともに対峙すれば苦戦は免れないだろう。

 距離は十分、時間もまだある。今この好機を逃すわけにはいかない。

 強い決意を胸に刻んで、深く深く息を吸う。


 ――集中する。


 大地に満ちるマナを励起する。この地はとりわけ炎に親しく、彼女にとってはありがたい。

 周囲に陽炎が立ち昇る。


「焼き尽くします。貴女は下がっていらっしゃい」

「ちょ……相手は金属だぞ?!」


 焦ったように黒衣が言う。勿論そのようなことは承知している。


「ええ、その通り。けれど教えて差し上げます。鋼も、石も、原初の劫火のもとでは幼子のようなもの。かたちを失い、万物の源たるマナへと還るのですわ」


 渦巻くマナが炎へと変じる。かれらの息吹に呼吸を合わせる。

 意識を研ぐ。腹に力を込める。唇を湿らせ喉を開く。


 そして、高らかに"歌う"。


 彼女は魔女。奇跡の歌い手。

 魔女の魔法は祈りの歌だ。万物に根ざす意思への請願。


 ――" Rua rui aahrin alstiliah alsrah "

(集い 集え 大いなる はじまりの焔よ)


 声に引き寄せられるように、次から次へとマナが集う。

 もっと、もっと、もっと――!

 もはやそれは白熱した光の奔流。

 彼女は高揚した意識で、それらの炎へ歌いかける。


 ――" Agraar ulaargs uura iia "

(喰らいつけ 灼き尽くせ)


 歌声に応え、白焔の渦が鋼鉄の群れに殺到していく。

 轟々と吠え猛りながら、宙を眩い炎熱が疾る。


 ――" Wriiin griia dinkling lin tia "

(猛り狂い 舞い踊れ)


 それらは黒い影に喰らいつくと、貪欲に呑み込んだ。空間が白く塗り潰される。

 はぜる焔が暴れ狂う。爆発音が響き渡る。


 そして一言。


 ――” Ruafiinc ”

(解放を)


 終詞ことばを歌うと。

 光も熱も、敵の影も、全てが夢のように消え失せる。


 静寂のなか、数多の魔石が雨のように降り注ぐ音だけが響いた。



* * *



 場はすっかり静けさに包まれた。


「凄いな、あんた」

「大したことではありませんわ」


 感嘆の声を受け流しつつ、彼女は相手を正面に見据える。

 魔女たるもの、簡単に呑み込まれてたまるものか。


「自己紹介がまだでしたわね。わたくしは魔女のルヴィエと言います。貴女は何と仰るのかしら、乱暴な探索者さん?」


 最後にちくりと棘を混ぜて告げると、相手は小さく苦笑した。


「私はエルだ。探索者で、剣士。とりあえず、ここを出るまでよろしく頼むよ」

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