13:守護体
身体の奥から目覚め、廻り、溢れ出す力。
翠緑の光と白熱する世界。
浮遊感。
それらが収まると――
「うわっ!?」
目の前一杯に広がるのは、大きく傾いだ世界だった。
空間を跳んだエルは、見知らぬ空中に放り出されていた。
驚愕は一瞬だ。すぐさま状況を捉えた彼女は体勢を立て直す。
落下しつつも一回転、トンボを切って綺麗に着地。
「危ないじゃないか」
思わず水晶に文句を言うと。
『すみません、最後にちょっと干渉されちゃいました。ぎりぎり虚空間に弾かれるのは防いだんですけど!』
不穏な言葉が返ってくる。
(……いつの間にか死線を越えていたということか?)
声の焦りと光の瞬き。察するに、実は結構危うかったのかも知れない。
「とにかく"隠し扉"は越えたんだな?」
『はい。正規座標よりちょっと手前ですが、ちゃんと奥まで続いてます!』
それを確認したエルは一息ついた。
(よし、ならば何も問題ない)
顔を上げて前方を睨む。ここから先は見知らぬ場所だ。
そうして二人は、未踏区域へと踏み込んだ。
* * *
そこは、とある屋敷で見掛けた"温室"に似た空間だった。ただし規模は桁違いである。
頭上を大きく見渡せば、硝子細工の半球が見える。下に続くのも硝子の壁で、銀色に光る金属柱がそれらを要所で支えている。
ここは玻璃のドームの中だ。隅には下層への階段が見えた。
硝子越しの青い光がうっすらと影を落としている。澄んだ色彩が淡く揺らめく。光源を探して外を見ると、無数の硝子筒が並んでいた。
空間を埋める円筒の群れと筒内に浮かぶ結晶体。ゆっくりと明滅するそれらは、おそらく魔石だ。
幾百幾千もの魔石の光。それが辺り一面を照らしている――
「な……!?」
余りの光景にエルは息を呑んだ。
『どうやらここは魔石の生産施設みたいですね』
すかさずアークの解説が入る。
「確かに、遺跡のどこかには魔石を産む場所があると言われていたが……」
罠や守護体を乗り越え、命懸けで手に入れる石。貴重な筈のそれらが膨大に並ぶ光景はどこか現実離れしていた。
深呼吸するような光の明滅。全てが青の階調に染まり、まるで水底にいるようだ。
不可思議に満ちた美しい景色に、エルは思わず呼吸を忘れた。
(だがこれも、欲深い連中には金のなる木にしか見えないのかもな)
ともあれ硝子の向こうに手が届く訳でもない。彼女達の目的は別にある。
これからやることはただひとつ。探し物の手掛かりを求めて前進するだけだ。
「ちなみに帰り道はあるんだよな?」
『ええ。座標がずれてここへ跳んでしまいましたけれど、本来はあの大空洞と行き来する転送陣があるんです。位置はここの真下ですね』
「よし。じゃあまずそこへ向かうか」
軽く頷き、エルは階段へと足を向けた。
その瞬間。
《未認証ノ人員1名ヲ確認。警告スル。直チニ正規ノ認証操作ヲ実行セヨ。30秒以内ニ認証ガ行ワレヌ場合、侵入者ト判断スル》
静寂を叩き壊すように、金属質の声が無遠慮に響く。
「なっ!?」
『うわ、もう防衛機構が復活しちゃいましたか。一応眠らせる手は打ってたんですが』
同時に周囲の空間が揺らめき、うっすらと影が現れ出した。
《29・28・27・26……》
それらは次第に濃くなりながら、遺跡を守る"守護体"の姿を描く。エルは水晶をポーチに押し込み、現れゆく敵の姿を探った。
「実体化前に階段まで行くのは無理か。お出迎えは、でかいのと……ちっさいのがわらわらいるな。あと後ろの方に浮いてるひょろい奴か」
『重戦士型五体に、速攻型が二十五体。後ろにいるのは魔術主体の遠隔攻撃型のようですね。こちらは十体。凄く数が多いですよ、大丈夫ですか!?』
「うーん。多分これ位ならいけるだろう」
《20・19・18・17……》
禍々しい輪郭が相対する者を威嚇する。魂を持たない鋼の人形だ。
「進路を塞いでるな……とっとと下層に逃げられれば楽なんだが」
『それを許してくれる相手じゃなさそうです』
《10・9・8・7・6……》
鈍く光る甲冑の群れを前に、さてどう対応しようかと思案する。
「遠隔型が嫌な感じだ……。攻撃してきたら教えて貰えるか?」
『任せてください。ただ、貴女ひとりで本当に大丈夫なんですか!?』
《5・4・3・2・1……》
「ま、なるようになる……さ!」
言い放ち、愛剣を引き抜くと同時に――
《……0》
刻限が訪れる。
《侵入者ト認定。排除システムヲ起動スル》
――オオォォォォォ……ォォオン――
招かれざる客を押し包むように、地を震わす咆哮が響き渡った。
* * *
ちょっとした家なら軽く粉砕出来そうな巨体に、長大な戦斧を持つ"重装兵"。
俊敏そうな体躯、そのあちこちから刃を生やした"軽装兵"。
それらの背後に控え、術式の環を描く"魔術兵"。
厳めしくも不吉な鋼鉄の兵士達。
無機質な眼に殲滅の意思が灯り、一斉に動き出す――
* * *
「さて、お手並み拝見」
エルは呟きつつ軽く跳ねる。無人の空間に戦斧がめり込み、その背を踏んで更に跳ぶ。
刃を薙ぐ。ぎぃん、と鳴る金属音。
そうして早速、"重装兵"の巨体を袈裟懸けに断ち割った。
「まずは一体」
剣を振るった勢いのまま、巨体の背後へ着地する。鋼の崩れる地響きをよそに、すかさず敵群が殺到する。
だが遅い。
三方からの刃が空を斬る。既に彼女はそこにいない。
「いち、にい、さん……っと!」
縦横無尽に剣を振るう。銀の光が宙を舞うたび軽装兵が崩れ落ちる。だが、まだまだ敵の数は多い。鉄塊を横目に広間を駆ける。
次なる一手はどのように打つか。上下左右に視野を広げる。
『魔術攻撃きます! 右前方!』
鋭い警告に肌が泡立つ。反射で地を蹴り一回転。
耳のすぐ横を撫でるように、虫の羽音が通り過ぎる。
羽音――もとい、熱線の放たれる音だ。赤い光が足先を掠めた。
『真後ろ、左前方、左後方……次々きます!』
続けざまに、ひとつ、ふたつと浴びせられる熱線の束。灼けた臭気が周囲を漂う。相当の熱量だ。まともに喰らうのは遠慮したい。
灼熱の光は獲物を追い駆け、空間を縦横に切り裂いて疾る。横っ飛びに逃れ、あるいは敵の身体を盾にしつつ、エルは風を切るようにひた走る。
「味方には無効だからって好き放題に撃ちやがって」
つい悪態が口から漏れる。
『この熱線は連続発動式ですが、一定数打ち尽くした後に数秒の再起動が掛かるはずです』
「了解。そこが狙い目か」
すれ違う敵を斬り捨てながら"魔術兵"を屠る機会を窺う。
だがその周囲は固く守られ、容易く近付けそうにない。
『しかし、すぱすぱ切り飛ばしますねぇ……』
さてどうしようと思案する横で、アークが呆れた声を上げる。
「このくらいは探索者の必須技能だよ……っと」
宙返りついでに敵を踏みつけ大きく跳ぶ。そうしてエルは、"軽装兵"の背後に控える巨体を斬った。頭頂部から両断し、着地と同時に後方へ退く。
熱線がしつこく狙ってくる。赤光をかわして再び走る。
「マナを使った武器強化は、初歩の初歩もいいとこだ」
守護体を相手取るなら、鋼を切り飛ばす位は出来て当然。むしろ出来ない奴は死ぬ。遺跡では素の攻撃が通る事の方が珍しい。世間的に探索者全般がバケモノ扱いされる一因である。
ともあれ、心置きなく戦う為に熱線の包囲を何とかしたい。狙うは術式の再装填時間だ。
光線の途切れた空白に滑り込む。そうして身をたわめると、エルは力を込めて一息に跳んだ。
瞬きひとつで敵前へ移動し、気合いと共に抜刀一閃。
「せぃやッ!」
刃に乗せてマナを撃つ。
轟音が響き、衝撃波が敵の足を止める。すかさずエルは前へ踏み込んで、その刃が"魔術兵"を切り上げた。返す刀で頭蓋を割る。
音と共に破片が飛び散り、ふいに虚空に溶け消えた。代わりに現れるのは青い結晶。正八面体の輝く魔石。
――だがそれを回収している隙はない。動き出した敵が、四方八方から殺到する。
向かい来る刃を受け止め、流し、捌いていくが。
「ちっ」
一部は僅かに避けきれず、刃が頬をざくりと裂いた。宙に赤く鮮血が散る。
油断した。内心でそうつぶやくと、エルは鋭く目を細めた。
『……ちょっと貴女そこで突っ込みますかっっ?!』
一歩前進、敵中へ潜り剣を振るう。ぎりぎりの一線で敵の攻撃を見切る。肉を切らせても骨を断てればそれで良し。それが彼女の戦い方だ。
気合いを込めてマナを練ると、斬撃ごと敵を掬い上げる。
「はッ!!」
跳躍する。今度はマナを刃に絡め、溜めて一気に打ち下ろした。
耳が痛くなりそうな破壊の音が、遺跡の広間に響き渡る。
衝撃が床に大穴を穿ち、五つの魔石がそこに落ちた。
* * *
『無茶苦茶しますね貴女っ!?』
『それ程でも』
裏返った声にさらりと返す。アークのこの狼狽ぶりはエルにとって新鮮だ。なにせいつもは単独行動。度を超せば鬱陶しいだろうが、今のところは物珍しい。
『ああああ、なに平然と言ってるんですか! それに女性なのに顔に傷がっ!』
『傷がなんだって?』
乱暴な手つきで頬をぬぐう。
『え? あれ!?』
虚を突かれたようなアークの声。そう、もう傷は無い筈だ。
『放っときゃすぐ治る。そういう身体なんだ』
人並み外れた自己治癒能力。規格外揃いの探索者のなかでも際立つ異能だ。
『だからって、過信していいものではないでしょう!』
『ちょっとくらいは平気、平気』
やや密度の薄れた熱線を避けつつ、気のない声で生返事を返す。
『貴女のやり方じゃ、ちょっとで済まなそうだから言ってるんです!』
『うるさいな、ちゃんと避けてるだろう?』
『そういう問題じゃありません。もっと安定した戦い方があるでしょうが!』
『まだるっこしい』
『エル!!』
流石に少し鬱陶しくなってきた。エルは眉をしかめつつ、敵の一群を斬り捨てて答える。
『腕やら脚やら落とされても再生するんだ。傷なんざ気にするのも阿呆らしい』
『……は!?』
予想通りの、絶句する気配。
『ま、流石に首を刎ねられれば死ぬんだろうが。我ながら呆れる人外ぶりだよ』
唇を歪めて吐き捨てた。
彼女は思う。化け物じみたこの身体を持った理由はわからない。
けれど、逃げられないならせめて利用してやる――と。
敵影は未だ多い。
異能の剣士は、その中を息も乱さず走り続けた。
* * *
異変は、敵の数も大分減ったそのときに起きた。
――キィィ……ィィ……ィイイン――
空気を震わす耳障りな高音。
敵の大振りを避けて飛び退きつつ、発生源に視線をやったエルはそこで目を剥いた。
「な……!?」
『あれはっ!?』
何もない空間が奇妙に歪んでねじくれていた。虚空に揺らぐ水面から、金の煌めきが広がっている。
蜜の黄金と白磁の肌。それが人の身体だと理解した瞬間。
「っ!」
全身のバネを使って床を蹴る。
余計なことは考えない。ただひたすらに疾走する。
《不正アクセスヲ検出。排除対象を追加》
矢のように弾丸のように。早く、もっと早く!
転移空間から放り出され、女が逆さまに墜ちてゆく。その瞳は固く閉じられて、四肢はぐったりと力ない。
つまりは守護体たちの格好の的だ。
(間に合え……っ)
脳裏に浮かぶ攻撃予測線をすり抜ける。
飛びつきながら、かっさらう!
「っあッ」
『エル!?』
ジッ、と不吉な音がした。肩を鋭く熱線が抉った。
肉が灼ける臭いがする。稲妻が弾ぜ、思考が真っ白く染まった。
脳髄に釘を打ち込まれるかのような痛みだ。目の前が激しく点滅する。
(だが、気にするようなことじゃない……っ!)
彼女はきつく歯を食いしばった。利き腕でないのは幸いだった。
さっさとこれを終わらせよう。そう決意すると、目の前を強く睨む。
心臓から手足の隅まで、身体の中は沸騰しそうに熱い。だが逆に頭の芯は冷たく冴え渡っている。じくじくと傷は痛むが、荷物を抱える位は我慢できる。女を肩に担ぎ上げ、エルは周囲のマナをありったけ引き寄せた。
剣にまとわせるようにマナを呼ぶ。圧縮し、刃を模して成形する。愛剣を核として生む第二の刃、間合いは不可視にして長大だ。
更に、意識を集中する。肉体の限界が引き上がる。彼女はぐんと加速した。
世界は色を失って、重く、ゆっくりと流れていく。
モノクロームに染まった世界、そこは彼女の独壇場だ。守護体達は棒立ちにも等しい。
エルはそれらの木偶人形を、草を刈るように薙ぎ倒した。
――刃を払いざま、自らの腕が視界に入る。そこにうっすらと浮かび上がるのは、緑色をした不気味な"鱗"だ。
苛立ちと嫌悪感が湧き上がる。
(全く、たいした化け物だよ……!)
エルは心中で呟くと、最後の一体を斬り捨てた。
* * *
気付けばすっかり敵はいなくなった。あちこち焼け焦げ陥没した床も、ゆっくりと修復されてきている。
目の前にはあるのは散らばる魔石。そして左肩に抱えているのは、意識の無い金髪の美女だ。
「これ、さっき右の石版部屋に居た奴だよな。どうやってここまで来たんだ?」
エルはそう言い首を傾げた。跳んだ記憶はあやふやだが、普通に来られる場所でない筈だ。
『特にこっそり跳んだわけではないですからね。僕達の軌跡を辿り、強引に道を開いたんでしょう』
「そんなことが可能なのか」
『……可能不可能でいったら可能ですが、並大抵のことではありません。実際にそれを為したのだとしたら、このひとは稀代の術師ですよ』
アークの声は感嘆で彩られている。
エルは腕の中の女を見やった。輝く金髪に硬質の美貌。銀の額冠、臙脂の長衣。
稀代なのかはともかくとして、それは確かに魔術師の装いだ。
「だからって、いきなり死んだら意味が無いだろうに」
肩をすくめて溜息をつくと。
『きっと貴女にだけは言われたくないと思いますよ!』
水晶は呆れ声でそんな台詞を吐いた。全く余計なお世話である。
「それはともかく。ちょっと拾っていっていいか?」
視線の先には、大量に散乱する魔石があった。
『どうぞ。貴女の収入源ですもんね』
魔石といえば爪先サイズが一般的なのだが、これらはもう一回りだけ大きい。
「……純度もそこそこ、ランクはB+ってとこか。思わぬ臨時収入だな」
呟きながら足下の石を摘み上げたその時。
《第5区画警備部隊ノ全滅ヲ確認。ケースD想定外事態ニヨリ警戒レベル引キ上ゲ。ケースJへ移行。マナ供給リミッターA解除。警備部隊第二陣ヲ起動スル。再起動マデアト60秒》
感情の無い声が木霊し、嬉しくない情報を告げる。
エルは反射的に顔をしかめた。魔石をポーチに放り込み、意識のない女を抱え直す。
「やれやれ、休んでいる時間は無さそうだな……」
『ええ、先を急ぎましょう!』
床を蹴る。
周囲には雲霞の如く、無数の影が生まれ出ていた。