12:隠された道
『何にも見つかりませんねえええ!』
やけになったアークに対して。
「そりゃそうだ。皆が玉砕してきたんだから」
冷静なエルが答えを返す。
片方の部屋を回り終えた二人は、もうひとつの部屋へ転移していた。こちらの部屋も一周し終えた所だ。
あれから金髪の女には出会わなかった。
そして、成果らしきものは全く無し。その片鱗すら見えなかった。
* * *
エルは壁に背を預け、腕を組んで立っている。彼女は落ち着いた声で続けた。
「アヤメの占いで少し期待していたのも事実だがな、本来探索ってモノはろくな下準備もなく成果を得られる程甘いもんじゃない」
『ごもっともです……。ううう』
アークは落ち込んだ気分でうなる。それを気の毒に思ったのか、続いたのは慰めの言葉だ。
「そう気落ちするな。元々まともな手掛かりもない探索だ、長期戦になると考えて気楽にいった方がいい。焦っても良いことはないぞ? これからだ、これから」
そう言いながらエルの手は、彼の収まるポーチを軽く叩く。そこに焦りや苛立ちは微塵も無い。厳しくも前向きな言葉は何とも頼り甲斐がある。
だがしかし。だからといって寄りかかっている訳にはいかない。アークはわざわざここへ連れて来て貰っている身なのだ。その上で収穫も無しとあっては余りに心苦しい。
『うーん。本当、僕の身体は何処にあるんでしょう。分かり易い目印があればいいんですけどねぇ』
「そんなものがあったら、とっとと教えてほしいもんだ……」
溜息がふたつ、宙に溶けて消える。
『えーと、その石版を壊してみるとなんとびっくり隠し通路が!』
「出てこない。単に自己修復して終わり。ちなみに百年前に実証されてる」
『あ、試した方いたんですね』
どうにも不毛なやり取りが続く。歴代の挑戦者を退け続けるこの遺跡は、やはりかなりの難物らしい。
『壁を壊してみるとか!』
「無理だって。意外と乱暴だな? 破壊から離れろ」
『うっ……たまたま思いついただけですよ。けれどもう本当、ひょっこり手掛かりが出てきたりしませんかねえ』
楽観的極まりない台詞を吐いてみるが。
「それは無いだろ」
『ですよねー』
あっさりと流される。心なしかエルの視線が冷たい。
重みの無いやり取りを交わしながら、アークはふと明後日の方向を見やった。
そして思わず目を点にする。
『…………へっ?』
「ん、妙な声を出してどうした? って……あっ」
間抜けな声が時間差で漏れた。視線の先には、物言わず佇む"灰色"の影がいる。
途端に脳裏へ浮かぶのは、夏の街路での一幕だ。謎掛けのような言葉を放って消えた相手。
「さっきまでは居なかった、よな?」
『気配の欠片すら無かったですよ!』
これは二度目の邂逅と言って良いのだろうが、前と同じく存在感が薄過ぎる。お陰で正体を掴めない。
仮面を付けた人物は、身を翻して部屋の奥へと進んでゆく。
「追うぞ!」
転送陣へ向かう相手を、慌てて二人で追いかける。
『向こう側へ跳びました!?』
「こっちも跳ぶぞ……いた」
体重を感じさせないその動き。おぼろげな気配と相まって、まるで砂漠の陽炎のようだ。
『僕らを、待っている?』
「かもな」
彼、ないし彼女は、ゆるゆると歩き出す。一歩ずつ、ゆっくりと進み――ある地点で不意に立ち止まる。
そして。
「消えた?」
『……消えましたね』
食い入るように見詰める彼らの前で、霞のように消えてしまった。
* * *
幻のように消えた灰色の人物。何もない空間を前に、二人はしばし立ち尽くす。
「幽霊……か?」
エルが呆然と呟いて、金色の目を大きく見開いている。
『あるいは、どこかから幻影を送っているのかも』
アークの思考に幾つかの可能性が浮かぶ。残留思念か遠隔操作型の幻か、それとも意識に干渉する幻覚か。現状はまだ判断がつかない。
「この間は何やら手がかりめいたものをくれたが。今のコレも何か目的があるのかな」
『意図がいまいち読めませんね』
先日といい今といい、思わせ振りな行動ばかり。はっきりしないにも程がある。
(けれど、ヒントをくれたのは確かみたいです)
首をひねりつつ、アークはそのように結論付けた。根拠は影の消えた場所にある。
『……ちょっといいですかエル。なんだかここ、引っかかるんです』
そこは溶岩の大空洞に浮かぶ銀盤の中心地点だ。先程は気づかなかったが、今はごく僅かな位相の歪みが感じ取れる。
彼らの注意が散漫だったのか、それとも、あの灰色の人物が何か手を加えたのか。どちらにせよ進展には違いない。
『もっと良く調べたいので力を貸して貰えませんか?』
異相の歪みがあるということは、転移の仕掛けが隠されているのかもしれない。だが、水晶に封じられたままでは感覚が不明瞭だ。エルの助けが必要である。
「力を貸す?」
『僕を術式の封印から助け出してくれたときみたいに、ということです』
「ああ、なるほど」
彼女はひとつ頷くと、水晶を取り出して左手にしっかりと握った。途端に大きな力が流れ込んでくる。
意識が冴え、圧迫感が薄れてゆく。彼は大きく伸びをするような心持ちで知覚を広げた。
これならば、もっとしっかり"視る"事が出来るだろう。
(ふぅ、生き返ります……。もう本当、石の中は窮屈で敵いません!)
もやが晴れたように感覚は明瞭だ。
そうしてアークは、研ぎ澄ませた意識を場へと向けた。
* * *
物質位階と背中合わせに存在する霊的位階――その表層を漂っている、魔術文字のおぼろな連なり。そこから読み取れる意味は「存在の隠匿」と「情報取得」だ。
(さて。得られた情報は何処へ格納されるのでしょうね)
細い糸のような繋がりを辿りながら、ゆっくりと意識を沈めてゆく。
――深く、深く、事象の奥底へ。
知覚を沈めるに従い露わになってゆくのは、幾重にも絡み合う言詞と式の円環。力ある文字を繋ぎ合わせて紡がれる、精巧な絡繰りだ。
文字ひとつ、綴りのひとつが内包できるのは単純な意味だけ。だが、それらを折り重ね繋ぎ変え、あるいは展開し、あるいは格納し――この式の複雑さは、もはや余人の及びもつかない地平に至っている。
(見事なものです。一片の無駄もなく、全ての意味が調和している)
符丁と暗号が手を取り合い、数式の群れが舞い踊る。それはこの地に根を張る、繊細でありながらも巨大な術式だ。
大地に満ちる力を御し、意のままに操るため組み上げられた機構。
根源への扉を開く鍵である"力ある文字"を基盤とし、単語と文法、数理によって事象を動かすヒトの知恵。それこそが魔術であると、自分は確かに知っている。
だが果たして、魔術とはここまで洗練されたものであっただろうか?
そして。
――ここまでの"権限"を、許された技であっただろうか?
(――――っ?)
無い筈の身体に、鋭く抉るような痛みが走る。
薄々感じていた自分の認識と現実とのずれ。それが大きくなっていく。
おかしい。
歪み、狂いが生じている――
この"権限"は、違う――
偽りの――――
――――
――
「おい、どうしたアーク?!」
闇を切り裂く明瞭な声。弾けるように意識が切り替わる。
『あ……。いえ、すみません。少しぼうっとしていました』
「なんだ……しっかりしてくれよ」
呆れたようなエルの言葉。それと共に物質位階の情報が流れ込んでくる。
雑多で賑やかなそれを感じながら、アークは息を吐いた。
……少し潜り過ぎたかもしれない。彼は闇に引きずられた感覚を思い出して、僅かに身を震わせた。
だがその分確かな成果は得た。彼女に良い知らせをもたらせそうだ。
『この場所について、色々とわかりましたよ。どうやら道が開けそうです』
* * *
「何がわかったんだ?」
期待の色を滲ませたエルの問いかけ。それに対して、アークは明るい声で答えを返す。
『ええとですね。ここ、ぱっと見では気づかないですけど転送陣です』
「――本当か? 私もそれなりに"目"の良い方だと思うが、全く何も感じないぞ」
エルは胡乱げに首を捻っているが、その反応も無理はない。
『かなり厳重に隠されてますからね。僕の視覚情報を送りましょう。これなら貴女もわかりますか?』
言葉を綴る思念に乗せて、視覚から得たイメージを送る。上手く同調出来れば彼女にもこの術式が視えるはずだ。
そうして集中することしばし。
「……視えてきた。けど、よくこんなのわかったな。普通無理だろこれ」
エルからは呆れたような声が返ってくる。
『それで、もっと深層の……こっちが術式本体です』
更にもう少し同調を深める。
「………………なんだこの阿呆みたいに複雑怪奇な代物は。しかもやたらとでかいし」
げんなり、あるいはうんざりという感情の込められた台詞だ。
この芸術的な構成を前にして、もっと他の感想は出てこないのだろうか?
まあいい。あまり気にしないことにして、アークは式の説明を続ける。
『ええとですね。ここで取得された情報は奥の……第八十番目の環に格納されて、各所で参照できるようになってます。各挙動はあちら……百番以降の小さな環にひとつずつ分けて記述されていて、途中で色々くっついたり分岐したりしてますが、これらを統合・制御しているのが外側の三つの環。これらは、それぞれを監視しつつ補い合うかたちになってます。命令と挙動を細分化して記述しつつ、それらの管理が非常に完成度高く纏まってますね。さらにそこへ、暗号化回路や外部干渉の分析、異分子遮断のための術式が何重にも掛かってまして、特定情報が読み込まれない限りは転移回路に力が流れても強制分断されるようになっているみたいです。しかも、転移先座標の奥にあるのは術式制御権端末の設置フロアみたいですが、この座標情報にさえいくつもの環を経由して読み取りを邪魔する念の入れよう。いやはや、よくもここまで堅牢な防衛機構を組み上げたものですよ!』
さあどうだ、と勢い込んでみたものの。
「――すまん、途中から聞いてなかった。要点を簡潔に伝えてくれ。三行くらいで」
すっぱりと真顔で返された。せっかく気合を入れて説明したというのに。
『エル……あなたってひとは……もう!』
アークは少し泣きそうになりつつも、仕方なく言葉を練り直す。
『つまりこの遺跡の仕組みは、ものすごく複雑だけど完成度が高くて、守りも固いんです』
「ふむ」
『そしてここは、その仕組みの中心の、大事な部分に続く扉』
「ほう」
『なので、特定の人にしか見えないし開けられない"隠し扉"になってるんですよ』
極限まで噛み砕いた説明を終えると。
「やればできるじゃないか。分かり易いぞ!」
とても爽やかな笑顔が返ってきた。脱力感を覚えつつ、呻く。
『…………何か釈然としません。まあ、いいですけど』
伝わればいいのだ。そう、伝われば。何も問題は無い。多分。
気を取り直す。
「それで、隠し扉ってことは普通の方法じゃ跳べないんだな」
『その通り』
「鍵を偽造するか、こじ開けるか……そんなところか?」
先の発言はともかく、その考察はなかなか鋭い。
『いいところを突いてます。鍵となる情報、これを探し出して当てはめるのが最も綺麗な方法なんですが』
「それはできない?」
『はい。それはもう念入りに暗号化されてまして。しかも毎回変わってるみたいで、過去の履歴から復元しても無駄です』
鍵情報が拾えれば、それが一番破綻の無い方法だったのだが……遺跡の設計者もそこは百も承知していたのだろう。
「それじゃ、こじ開ける?」
『のも、難しいです。なにせ警備が厳重で。認証部分に関しては、規定外の干渉を徹底的に排除する造りです』
ここの防衛機構の固さといったら、設計者の執念、あるいは偏愛を感じる程である。
「駄目じゃないか」
眉をしかめてエルが言う。まあ普通ならば当たり前にそう思うだろう。
だがしかし、自分たちは"普通"でない。
『鍵を開けられないというだけで、向こうに行けないとは言っていませんよ』
アークとエル、二人が揃えば勝算はあるのだ。
「でも鍵が開かないんだろう? ……いや、まさかお前」
いかなる考えに至ったものか、エルの表情が渋くなる。
さて、彼女の予想内容は知らないが。
『ふっふっふ。鍵が開かないなら、鍵を壊せばいいじゃないですか』
「やっぱり力押しかっ!」
彼の言葉にエルが叫ぶ。
――ちょっと待って欲しい、とアークは思った。"やっぱり"とはどういうことか。
術式理論の構成美を解さぬ人間に、力押しなどと言われたくは無い。
(確かに色々と壊す提案をした気はしますけどっ)
『そのように言われるのは心外です。現在の僕たちが取れる手段のなかで、最も実現性の高い手法を提案しただけですよ?』
「……実は途中で考えるのが面倒になったとか言わないよな」
『そんなことはありませんよ。……………………ちょっとしか』
「おい!?」
途端、水晶を握るエルの手に異常な程の力が入る。
ぎちっ、という不吉な圧力が石の表面に掛かっていき――
『ああああ、ちょっと落ち着いて! わざわざ何百とある術式環に少しずつ干渉していくより、貴女が持っている力で防衛関連の術式を一時的に狂わせて、かつ転送回路を強制起動する方が早いし楽なんですよっ!!』
「む、そうなのか」
急速に手の力が緩んだ。
『はぁ……乱暴は止してくださいよー』
びっくりした。本当に肝が冷えた。
だが、ひと安心と思う間も無く、続いた台詞にアークは固まる。
「じゃ早速、跳ぶか」
それは思い切りが良すぎると思う。
『ちょ、ちょっと待ってください! 向こうに何があるかわかりませんけどわかってますか!? 恐らく侵入者排除のための仕掛けが用意されている筈です!』
慌てて注意を喚起するが、相手の涼しい表情は変わらない。
「道があるなら進むのが探索者だ。つまりここからが本番ってことだろう? 臨むところさ」
胸を張り、雄々しく彼女は宣言した。そこへアークは確認する。
『跳んで早々に戦闘かもしれませんが、準備はいいですか?』
「いつでも」
返ってくるのは歯切れ良い答えだ。眼差しに一切の迷いは無い。
(うーん、潔いひとですねえ……ちょっと心配なくらい)
だがまあ覚悟は十分らしい。実力も十分であることを信じよう。
言葉を受けて、アークは扉を打ち破る意思を練っていった。
『わかりました。意識を澄ませてください。貴女の力をお借りしますよ!』
* * *
はてさて、何が出てくるものやら。アークは溢れる光を織りながら想いを馳せる。
緻密な構成をいくつも描き、重ね合わせて宙に掲げる。
防衛の要を一気に叩き壊す、その下準備は整った。
(出たとこ勝負……まあ、それもよしとしましょうか!)
全てを繋いで完成する円環。
――そうして、力が解き放たれた。