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しろがねの翼  作者: 夢屋満月堂
chapter3「緋色の遺跡と焔の魔女」
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11:緋の深淵

 緋の深淵。それは都市エドアルドの南東に位置する遺跡である。

 徒歩でおよそ二週間の旅程は、転送陣を使うことで二日程度に短縮される。かつて遺跡への道は探索者で大いに賑わったという。

 だがそれも発見から十数年間だけだった。誰がどれだけ調べても、遺跡は頑なに沈黙を貫くばかり。財貨や名声を求めて集まった者達は、ひとりまたひとりと脱落していった。


 つわものどもが夢のあと。

 後の世に残されたのは、寂れ果てた遺跡と古道のみである。



* * *



「……というわけで。発見当初は大騒ぎだったらしいが、今はすっかり人気がない」


 エルの解説を聞きつつアークは周囲を見渡した。二人が立っているのは、地下遺跡"緋の深淵"の入口である。

 赤みを帯びた岩壁に、巨大な門が穿たれている。高さはヒトの大人五人分、幅は四人が腕を広げたくらいだろうか。重厚な造りのアーチが来訪者を奥へと誘っている。


『これは大きい。立派な入口ですね!』


 その偉容を見て、思わず感嘆の台詞が飛び出す。これを初めて見つけた者はさぞ心が躍ったことだろう。


「ま、入口はな。さっさと進むぞ」


 騒ぐアークと対照的に感情を見せないエル。彼女は淡白な言葉と共に歩みを進めてゆく。


(ううん、冷静ですねぇ……)


 自身のはしゃぎぶりを顧みてアークは軽く赤面する。まあ実のところ顔などまるで無いのであったが。

 ともあれここからが探索の始まりだ。彼はしっかりと気を引き締めた。身体は無くとも知覚の鋭さには自信があるのだから、せめて索敵や探査で役立ちたい。


 門の向こうには真っすぐな回廊が伸びていた。無数の柱が連なるさまは、幾何学的な調和を感じさせる。細やかな紋様の刻まれた建材は石とも金属ともつかず、灰白色の表面から柔らかな光を滲ませていた。

 見渡す限りどこにも照明具らしきものは無い。だが遺跡そのものが発する不可思議な光のおかげで、暗さは全く感じなかった。


「もう少し先に行くと転送陣だ」


 高い天井に、硬く規則的な靴音が吸い込まれてゆく。


『以前、来られたことがあるんですよね』

「ああ。全く金にはならない場所なんだがな……師匠たちと三人で旅をしていた頃、見聞を広げるためと言って連れてこられた。まあ実のところ、片方の師匠の酔狂に付き合わされただけなんだが」


 そう言ってエルは肩をすくめる。だが言葉とは裏腹に口元は愉快げだった。心なしか表情も柔らかい。


『貴女のお師匠様ですか。どんな方々なんです?』

「変人」

『は?』


 あまりにもきっぱりと返され、アークは反応に困った。エルの微苦笑する気配を感じる。


「師として尊敬しているし、私がまともに育ったのはあの人たちのお陰だから感謝は尽きないんだがな。変な人たちなのは間違いない」

『はあ……』


 彼女にそう言わしめる"師匠たち"とは、果たしてどういった人物なのだろうか。エルの口振りからして悪い人では無いのだろうが。


(そもそも探索者やってる皆さんって変な人ばっかりみたいですし。その中でも際立って変ってことなんでしょうか……?)


 首をひねったところで答えが出てくる訳もなく。

 彼があれこれと思いを巡らせているうち、気付けば回廊の終着点へ辿り着いていた。



* * *



 回廊の突き当たり、そこは円形の小ホールとなっていた。壁を這うような"火喰蜥蜴"のレリーフがとりわけ目を引く特徴だ。

 床の真ん中には、訪問者を迎えるように転送陣が鎮座していた。


「さて、この先はちょっとした見物だ」

『見物?』

「結構凄いぞ」


 エルは楽しげに呟いて陣へと向かう。アークは好奇心を抑えながら転移を待った。

 さざ波のような光が広がり、術式が動き出す。揺らめく景色が収束すると一つの像が結ばれた。


 そこは、とめどなく流れる緋色の光の只中だった。


『うわ……ぁ』


 アークは間の抜けた声を漏らしたきり、二の句を継ぐことができない。ただ惚けたように風景を眺める。


 二人が立つのは岩窟内部の大空洞、その中空に浮かぶ銀の円盤の上だ。

 魔術文字が精緻に刻まれ、要所に水晶球の埋め込まれた巨大な銀盤。それはちょっとした広場並みの面積を持つ代物で、周囲には黄金のリングが浮かんでいた。

 幾本もある金の環は、円盤を取り巻いてゆっくりと回転している。


 更にその下を見れば、眩いばかりの深紅が広がっていた。地下を流れる溶岩脈だ。煮えたぎる炎の大河が、空間を朱に染め上げている。

 見上げれば、溶岩の滝が轟音と共に流れ落ちる様が目に入った。

 

 古代王国の驚異。大地と焔の狭間に浮かぶ、金銀の魔術盤。


「これが緋の深淵――大いなる炎の遺跡さ」



* * *



『凄い景色ですね……!』


 アークは感激醒めやらぬまま、ほうと溜息をついた。緋色の大河はこちらの事情などお構いなしに流れていく。

 圧倒的な光景だ。悠々としたこの流れは、過去から現在、そして未来へとたゆまず続いていくのだろう。


「なかなかのモノだろう? まったく古代の奴らは頭がおかしい。こんな場所に人が過ごせる施設を造るんだから」


 そう言いながらエルは溶岩の滝を見上げる。本来ここは灼熱の只中だが、彼女の顔は涼しげなもの。銀盤の上は術式制御で程良い気温に保たれているようだった。

 彼女はむしろ街中より過ごしやすそうに見える。


「ま、凄いのはひとまず置いておいて。――景色に見覚えがあったり、身体の気配を感じたりはしないか?」


 エルからの問いかけで、アークは途端に気を取り直す。実はうっかり本来の目的を忘れかけていた。

 だがそもそも覚えがあるならば、ここまで心動かされることは無い筈で。


『……残念ながら、景色に見覚えはありません。身体の気配も。でも、もっと奥まで行ってみればもしかしたら!』


 がっくりと落ち込みながら、それでも一縷の望みをかけて言ってみる。

 しかしエルの表情は冴えなかった。


「うーん、ここに覚えが無いんじゃ望み薄かな」

『というのは?』

「この遺跡、残りはあと二部屋あるんだがそいつらはえらく地味でな。入口やここに比べるとオマケみたいな場所なのさ」


 返ってきたのはそんな言葉である。


『うぅん、来てみれば何かあると思ったんですけど……。でもとりあえず、残りの部屋に行ってみましょうよ』

「ああ、そうだな」


 折角ここまで連れてきて貰ったのだ、うなだれていても仕方がない。二人は気を取り直して探索を再開した。

 転送陣は円盤の外縁三カ所に等間隔で配置されている。そのうち一つは地上に続くもの。他二つが残りの部屋へと続くものだ。


(そこに手掛かりがあるといいんですけど)


 望み薄と彼女は言ったが、見てみなければ分からない。希望を捨てるのはまだ早すぎる。


「それじゃ右から行くか」


 そう呟くと、傍らのエルは陣を起動させた。



* * *



 そこは溶岩流れる大空洞とはうって変わり、やたらと四角張った部屋だった。最初の回廊と同じ素材で出来ているが、装飾はほとんど無い。これまでと比べれば確かに地味だ。

 窓は無いが天井が高く、閉塞感は比較的少ない。奥行きのある空間には黒い石版がいくつも並んでいた。


『……やっぱり、見覚えは無いです。ちなみにもうひとつの部屋はどんなところです?』

『こことほぼ同じ構造だ』


 その返答に落胆の息が零れ落ちる。来てみたものの、見覚えも、身体が近くにある感覚もない。覚悟はしていたがやはり気落ちしてしまう。

 だが、それはそうとして気になる部分もある。


『先程オマケみたいな部屋と仰いましたけど……この並んでいる石版、やたら怪しくないですか?』


 人間ひとりがすっぽりと収まる程の高さ・幅・厚みを持つ直方体が、等間隔で横に五枚、それが十組。部屋に並ぶ石版は占めて五十枚だ。

 硝子光沢の艶やかな表面には何ひとつとして刻まれていない。だが、寸分の狂いもなく並ぶ様子がいかにも意味ありげな雰囲気に見える。


『ああ。そう思うよな。でもって、ここに来る奴らは当然そこを一生懸命調べるわけだ。……ほら、あそこにいる奴みたいに』


 エルの視線の先には、石版に向かって指を沿わせる人物がいた。豪奢な金髪を持つ女性だ。

 鮮やかな碧眼が印象的で、年齢は二十代の半ば過ぎだろうか。なかなかどうして気の強そうな顔つきだが、万人が振り返るであろう美人である。

 彼女は気配に気づいたのか、こちらを見て鋭く目を細めた。考えるような一拍を置いて部屋の奥へと歩いてゆき、そこにある転送陣で姿を消す。


『あれ、警戒されましたかね』


 エルの風体は相変わらずの黒マント、フードも完全装備である。それを見た女性の表情は途端に険しくなった。

 まあ、警戒されるのも無理はない。


「邪魔が入らなくて良いだろう。とにかく、ざっと見て回ろう」


 対するエルはやや不機嫌に告げると、部屋の中へと歩みを進めた。

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