表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
しろがねの翼  作者: 夢屋満月堂
chapter2「魔眼と預言と天の星」
10/36

09:星の導き

「――っ!」


 エルは大きく目を開き、荒い息で天井を見詰めた。

 乾いた喉。滲んだ冷や汗。湿った服が肌に張り付いて気持ち悪い。

 久し振りに最低最悪の夢見だった。昨夜、珍しく人前に眼を晒したせいだろうか。

 それとも。


『――貴女を味方する為の"祝福"なんです』


 耳元へ蘇る言葉に、きつく瞼を閉じる。


(こだわったところで仕方ない)


 エルは自身に言い聞かせる。気にしない、関係ない。

 自分はもう囚われてはいないのだ。

 爪が肉に食い込むほどきつく拳を握り締める。自分は強いのだし、強くあらねばならない。


 そう。ここにいる彼女はもう、か弱い幼子ではないのだから。



* * *



 日が高い。うんざりするほど青い空に、太陽が燦然と輝いている。

 昼の街は相変わらずの喧騒に満ちていた。


『初めてですね、貴女がこんな真昼から出歩くなんて』


 道を歩いていると、いかにも意外という口振りで水晶が話し掛けてくる。確かに平時のエルは夕刻から夜を選んで行動していた。マント姿は暑いうえ、昼間は無闇と目立つのだから。

 しかし、今日はある事情からそうも言っていられない。


『訪ね先があちこち引っ張りだこの人気者でね。この時間しか空いてない』


 夕刻を過ぎてからが、"彼女"の仕事時間。それを邪魔する訳にはいかないのだ。

 とはいえ暑くてたまらない。茹だるような熱気に辟易する。本当にもう、どうにかならないものだろうか。

 せめてもの抵抗にフードの首もとを扇いでいると――ふと何かが感覚に引っ掛かった。

 些細な違和感を感じて目線を横に流す。すると。


 そこに"灰色"の人がいた。



* * *



 陽炎立ち昇る街路、人々の声が途切れた空白地帯。

 きつい日差しに塗り分けられた漆喰壁。


 白と黒。


 その影に滲むように灰色の人影が佇んでいる。

 目元を隠す仮面で覆われた面相。意識を引っ掻く違和感は、その存在の奇妙な薄さによるもの。

 それは瞬きひとつで消えてしまいそうな程に儚く淡い。


「もし、そこのお方」


 灰色が口を開く。

 男とも、女とも、子どもとも老人ともつかぬ声。


「"銀"の探し物をお求めならば」


 茫洋とソレは語る。


「大地の赤、海樹の森、空の箱庭。此方を訪ねられると良いでしょう」


 意思の無い人形を思わせる平坦な声。

 遠く近くに木霊するその響きは、不思議なほどはっきりと耳に届いた。


「大地の赤、海樹の森、空の箱庭……?」


 つぶやき、街路の影に再び目を向ける。

 そこには誰もいない。


 ――街のざわめきが、耳に戻ってきていた。



* * *



『なんだったんだろうな、アレは』


 首を捻りながらエルはつぶやいた。白昼夢と言うには明晰すぎる、しかし現実ともかけ離れた時間。


『奇妙な存在でしたね。ヒトにしては気配が薄すぎる。まるで影です』

『なにやら意味ありげな言葉を残していったが、さて』


 エルは歩きながら、与えられた言葉について考えてみた。謎々のような台詞に一応の心当たりはある。

 だがそもそもアレは何者なのだ? 何の為に出てきた? 


(銀、ってのはアークの事を指してたようだが。こっちの事情を何処まで知って……って、こんなの誰も知らない筈だろう!)


 考えるうちに段々と煮詰まってきた。只でさえ暑いというのに更に脳味噌が茹ってしまう。

 とにかく情報が少なすぎるのだ。


『それにしても、貴女はどこへ向かっているのですか?』


 エルが答えのない疑問にうなっていると、不意にアークが問いかけてきた。気付けばもう下町まで来ている。

 風景は様変わりしていた。店舗の連なる通りを抜けて今いるのは細い小路だ。蛇のようにうねる道を、罅だらけの石畳が覆っている。

 両脇には集合住宅がひしめき合い、あちこちで干された洗濯物が夏風にはためく。


『向かってるのは凄腕の占い師のところさ。あんたの探し物、手掛かりが欲しいだろう?』

『……えっ!?』


 水晶は虚を突かれたような声を漏らす。


『ちょっと変わった人物たが、的中率は折り紙付きだ。まあ楽しみにしててくれ』


 そんな風に彼へ告げると、エルは悪戯っぽく笑った。



* * *



 迷路のような下町を四半刻ほど歩いた後、エルはとある建物の前で足を止めた。周囲の建物に光を遮られてひときわ薄暗い一角、そこに建っている古いアパートだ。

 いや……古い、と言うのは語弊があるかもしれない。それを正確に言うなら、"凄まじく古い"、あるいは"ボロい"。

 蔦に覆われた壁は各所が崩れ落ち、中の骨組みが見えてしまっている。ベランダには手摺りの残骸がぶら下がり、床は歩くたび泣き声のような軋みを上げる。張り巡らされた蜘蛛の巣に、ひびの入った硝子窓。それらは訪問者に不安しか与えない。

 見た目は廃屋以外の何物でもないのだが、「これで案外住み良いんよ」というのが住人の言である。絶対に嘘だと思う。


 ――コン、コン、コン。

 ――コン、コココン。


 エルは教えられているリズムでノックを行った。扉の前でしばし待つ。すると、向こう側にこちらを伺う気配が現れ――

 一気に開け放たれた扉から小柄な影が転がり出てくる。


「きゃあああ、エル! エルやんか! めっちゃ久しぶり~っっ」


 頬をすり寄せてしがみ付いてくる子猫のような少女。小柄なその身体を抱き留めて、エルはそっと微笑んだ。


「久しぶりだな、アヤメ。相変わらず元気そうで何よりだ」



* * *



 知己である少女からの熱烈な抱擁。そんな"いつも通り"の挨拶の後、エルは室内に迎えられた。

 アヤメの居室。そこは手作りの小物で埋められた柔らかい雰囲気の部屋だ。


(相変わらず、"女の子"の部屋だよなあ……。外側は化け物屋敷なのに)


 内装を見てしみじみと思う。そこには可愛らしいキルトやリボン、レース編みが趣味良く並んでいた。甘い砂糖菓子のような雰囲気が漂っているが、程良いさじ加減なのでエルにも割合と居心地が良い。毎度ながら建物外観との落差には驚きを禁じ得ない。

 だが、この場所にはもうひとつ特筆すべきことがある。それは、棚に、床に、机に……部屋のそこかしこに築かれた書物の山である。


「……また増えてないか、本?」

「何言うとんの、増えてくのは当たり前やん」


 ティーポットを片手に事もなく言うアヤメ。流石は本の虫、稼ぎのほぼ全てを書物へ費していると言うのは伊達ではない。


「まあ、私の手土産も本なんだが」


 エルはそう言い、しばらく前に古書市で手に入れた本を取り出した。確かこの少女が探していたはずのものだ。

 彼女がそれを差し出した瞬間――


「きゃあああ、マジもんのレグロック魔術積層論や! いやぁぁん、エルっち愛してるぅっっ!」


 茶器を放り出し、書物に頬ずりしながら喜びの舞いを踊るアヤメ。薔薇色に花咲くオーラが見えそうな勢いだ。傍らにいる水晶が、その奇行に絶句する気配を感じる。


『――ちょっとちょっと、何なんですかこの娘さんは』

『ただの行き過ぎた本好きだよ』


 苦笑しながらそう告げる。今まで何度も繰り返したやり取りだが、初めは本当に驚いたものだ。


『えーと。まさかこの子が、"凄腕の占い師"?』

『そうだよ。……まぁ、彼女が"こっち"に戻ってくるまで少し待ってくれ』


 今の彼女には何を言っても聞こえはしない。ひとしきり満足したアヤメが我に返るのを待つしかないのだ。

 既にそう学習しているエルは、回転する少女を横目に脱いだマントを壁に掛けた。ついでに放り出されていたティーポットを回収。程良い頃合いだったのでカップに注いでおく。

 ――そうして約三分後。


「あ~、ほんまシアワセや。ありがとなぁエル。……で、今回は何を知りたいん?」


 ようやく現実に戻ってきたアヤメは、そう言ってエルの眼を覗き込んだ。



* * *



「ほぇー、喋る水晶かぁ。エルっちは毎度変なコトに巻き込まれとんねぇ」

「聞いたこともない事例だが、実際ここにいるからな。まあ古代文明は何でもありだから」

「ふむふむ。じゃ、その水晶君の身体の在処を探せばいいんね?」

「ああ。頼む」


 そんなやり取りを交わす二人。現在エルとアヤメは、小さなテーブルを挟んで向かい合っている。


「探し物は、"縁"が強い方が楽なんやけど……その水晶君、貸して貰うても良い?」

『良いか? アーク』

『構いませんよ』


 アークの許可を得て、エルは水晶をアヤメに手渡す。


「わぁ、光っとる。キレイやね! 喋るってどんなんかな~」


 途端に目を輝かせて石を眺める少女。ひっくり返したり耳元に持って行ったりと、"喋る水晶"に興味一杯の様子だ。


「アヤメには、こいつの声が聞こえるか?」


 もしやと思い聞いてみるが。


「いいや、ぜ~んぜん。光っとる以外、ただの水晶にしか見えんわ~」

「そうか……」


 いかにも残念そうな声で返事が来た。アークの声を聞けるのは今のところエルだけらしい。アヤメならばあるいは、と思ったのだが。


「ほいじゃ"視て"みますか」


 そんなエルの思考を余所に"占い"が始まった。真剣な表情になったアヤメは深く呼吸しながら瞼を閉じる。

 そして、数秒後――ゆっくりと開いたその瞳には、ゆらゆらと揺れる虹の光芒が宿っていた。


「――水晶君から延びとる縁の糸を辿っていくで。身体に繋がっとるのはどれやろ……コレとコレは除外、っと。うーん? 不自然に薄くてよう見えんのがあるわ。数は……いち、にぃ……三本、かなぁ」


 淡く灯る七色の光。この虹の瞳こそがアヤメ――占い師フォルトゥナの本領だ。

 その技は"占い"と銘打たれているものの、実際のところ"あらゆるものを見抜き、辿り、答えを導く"と言う方が正しい。瞳が探り当てるのはただ事実だけ。故にその託宣は正確無比である。


「ひとつは地下、ひとつは海、ひとつは空に向かって続いとる。ん? なんやコレ、遺跡かいな? けったいな力の渦が見えるで……っと」


 そこでアヤメは大きな瞬きをひとつ。途端に虹の揺らめきはかき消えた。


「ごめんなぁ、ここまでや。なんや、いいとこまで行ったんやけど邪魔が入ってなぁ……」


 頭痛を堪えるような表情の少女。こめかみを揉みほぐしながら、すまなそうにエルへ告げる。


「アヤメ、大丈夫か? 変な仕掛けでもあったのか?」


 以前の占いよりも負担が大きい様子だ。心配になってエルは問う。


「あー、平気平気。ちょこっと疲れただけ。でっかい扉みたいなもんが見えたけど、そこで弾かれたんよ。なんとかできないかなーって思ったけど……アレは無理無理。ごっつい封印でぎっちぎちやったわ」


 手をはためかせながら告げるアヤメ。対するエルは、その内容を脳裏へ収めていく。


「そうか。だが手掛かりは見つかったよ。ありがとう。地下と海、そして空の遺跡――だったな」

「そうそう。あんだけマナが集まっとるのは古代遺跡で間違いあらへん」


 道中出くわした"灰色"の言葉が蘇る。これはひょっとするかもしれない。


「しっかし陸海空の遺跡ったら、多分アレやろ、アレ」


 アヤメが可愛らしい顔に満面の笑みを浮かべる。きらきらと輝く表情は、溢れる好奇心ではちきれんばかりの様子だ。


「――こりゃ世紀の発見くるかいな? とにかくその水晶君、タダモノやあらへんな!」



* * *



 そうして戻った宿の一室。


「やれやれ、陸海空の三遺跡とは……。アヤメの見立てに間違いはないだろうが、また厄介なものが出てきたな」


 エルはため息と共に言葉を吐き出した。


『彼女は"天星眼"ですね。あのような場所で出逢うとは』

「天星眼?」


 耳慣れない言葉に聞き返すと。


『天上の星を宿し、遥かな高みより地を見通す眼のことですよ』

「ああ、なるほど」


 腑に落ちる答えが返ってきた。初耳だが的を射た表現だ。森羅万象を見通す瞳に相応しい。


『こう言ってはなんですが、よくああやって普通に暮らせてますね。引く手数多でしょうに』

「もちろんいつもは"眼"を隠しているさ。あの能力のヤバさをアヤメはよくわかってるよ。変なのに目を付けられたら幽閉されかねないからな」

『賢明なことです。でも、貴女は知ってるんですね』

「以前に色々あってな。……さて」


 ここからが本題だ。意識を切り替えたエルは地図を広げる。


「陸海空の三遺跡ってのは、数ある遺跡の中でも飛び抜けて謎の多い三つのことだ。一般人にも割と知られてて、多分、あの灰色仮面もこれのことを指してる」

『謎の古代遺跡、ですか』

「ああ。遺跡は大概謎だらけだが、この三つはとりわけ訳がわからん。だが、あんたはもしかしたら何か知ってるかもしれないな。心当たりは?」

『いえ……。ですが、忘れているだけかもしれません。行けば何かわかるかも』


 彼の声音は悩ましげだ。色よい返事でないが、もとより期待はしていない。


「ここから一番行き易いのは、地下の遺跡、"緋の深淵"だな」


 指で地図の書き込みをなぞっていく。この遺跡は以前に探索したことがある。

 エルは記憶を拾い集めつつ解説を始めた。


「こいつは"ただ、そこに在るだけ"の遺跡だ。デタラメ技術の塊だが、用途不明、守護体も出ない。採集出来るような物も無い。はっきり言って探索者にとっての旨味は無いな。ま、安全だし見た目は凄いから、物見遊山の奴や学者連中はたまに居る」

『本当に何もないんですか? あの少女の言葉では、"扉"と』


 怪訝そうなアークの言葉に、エルはとある噂を思い出す。それは探索者の間でまことしやかに囁かれる話だ。


「……あるいは眠れる遺跡ではないかとも言われている。実は隠れ区域があるとかな」


 主に夢と希望的観測で構成された話だが、完全に有り得ない訳でも無い。偽装・封印は古代遺跡の十八番だ。

 とはいえ。


「けれど、それはどう考えても眉唾ものの噂話。実際にはもう探索され尽くしていて目新しい物の無い場所だ。そんな所だが……行ってみるか?」

『ええ。駄目で元々。それに、天の星のお墨付きですから。意外と何か見つかるかもしれませんよ?』


 アークの声は張り切っている。明確な手掛かりが提示されたのが大きいのだろう、かなりやる気になっているようだ。


(天の星、か)


 エルの脳裏に、虹に煌めく神秘の瞳が浮かぶ。与えられたヒントは謎を抱えた三遺跡。

 元より雲を掴むような話だったが、更に訳の分からないことになってきた。


(ま、しばらく退屈していたし。夢と浪漫、伊達と酔狂ってのも悪くない)


 懐具合はそこそこ。商売っ気無しの探索も偶には良いだろう。

 小さく微笑む。"身体探し"の旅、最初の目的地が決まった。


「では行こうか。――緋の深淵へ」

「はい! 頑張りましょう!」



* * *



 かくて剣士と水晶は"緋の深淵"へと旅立つ。

 探索の果て、その行く手に待ち受けるものは何だろうか?





 chapter2 「魔眼と預言と天の星」 end

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ