2 追躡 ―Discussion about light and the dark―
2 追躡 ―Discussion about light and the dark―
★
「これは、グラスモニターじゃないか?」
千秋から依頼料として渡された紙袋の中には群青色の眼鏡ケースが入っていた。そして、ケースを開けるとロボットのフレームと同じ材質で縁取られた眼鏡がひとつ。けれどそれは普通の眼鏡とは違い、仕込まれた極小のカメラと、レンズに投影されるホログラフモニタを備えた物だ。しかも――
「佳苗さんカスタム」千秋が補足説明する。「携帯電話とペアリングすれば、専用ブラウザでインターネットができるし、本当だったら蓄積データとしての参照を、解析データをそのままネットサーバーで検索できるって」
「高かったんじゃないのか?」
「わかんない。けど、フルスクラッチのフルカスタムだって言ってたから」
お金はかかっていないかもしれないが、手間と時間がかかっている。
「ありがとう」
「だ、だからって、それは依頼料なんだからね。ナインのマスターを見つけるためのっ」
「わかってるよ」辰久はグラスモニターをかけ、携帯電話とペアリングする。そしてフレームに素早く二度触れると左側のレンズに青白くモニターが投影された。「これがあれば今すぐにでも探せる」
「ホント?」
「ああ」頷き辰久は、犬たちにボールを抛るナインを見た。モニター越しに見たロボットには“9X―220RP”とタグが示されている。「まずは、ロボット管理局にアクセスして、所有者を割り出す」
「できるの? そんな事?」
「たぶん簡単に」言って辰久は千秋の手を引いた。「行こう。夕方までには家に帰らないといけないからさ」
軽く傾げられた兄の首、それに「うん」と千秋は頷き、ナインの姿を横目で見ながら、胸の奥でひとり約束していた。
森を出て兄妹は、幹線道路に設置された最寄りのバス停で、備え付けのベンチに座り路線バスを待った。バスは正確に十分刻みで町を周回するため時刻表は存在しない。その代わり、ホログラフで映し出される広告が、かわるがわる新製品である第二十三世代のロボットや新型のエレカーを宣伝したり、新作映画のPVを流したりと、せわしくその色を変えていた。
けれど兄妹の目はそこへは向いていなかった。妹は兄の表情を見つめ、兄はグラスモニターへ投影したロボット管理局のホームページを睨み据えていた。
「見つかった? ナインのマスター?」
先ほどから無言の兄に、千秋は我慢しきれず訊いた。が、辰久の回答は険しく寄せた眉間のしわ。
先ほど辰久が簡単だと言ったのにはそれなりな根拠があった。それは、ロボット管理局のデータベースだ。今の時代、ヒューマノイドの所有者登録は義務付けられ、個体に対する所有者のリストが公開されている。
しかし、いくら所有者リストといっても、所有者の登録情報が全て一般公開されている訳ではなく、ロボットの型式番号・個体番号に対し、そのロボットの住所と呼べるGPS座標が数字の羅列として並べられている。
だが、第九世代――9X―220RPの型式で検索した際、個体番号が伏せられていた。第十世代のロボットではしっかりと型式・個体と繋がって示されていたのだが、第九世代以前のロボットに関しては、古すぎるのか、それとも混沌期であったからか、個体番号がすっぽりと全て、抜け落ちていたのだ。おそらくこの頃は、フレームナンバーではなく、AIボックス内に定められた個別番号のみで管理されていたのだろう。
しかしそれでも光明はある。現在データベースに登録された9X―220RPの所有者は全国で四名。全てにあたれば、見つかるだろう。このデータベースから消去される機体は、適切に処理された機体のみだ。不法投棄であれば、この中に――
「ねえ、お兄ちゃん。見つかったの? バス、きちゃったよ」
千秋の言葉で我にかえる。辰久がグラスモニターの奥を覗けば妹が言う通り、白地に青いラインを引いた路線バスが静かなモーター音をさせながらバス停に滑り込んできた。
「とりあえず、予定通りステーションへ行こう」辰久がベンチから腰を上げる。「この町にはいないって事はわかった」
「え? どういう事?」訊き返しながら千秋も立ち上がる。
「説明は、バスの中でするよ」
兄妹が乗り込んだバスは空いていた。乗り込んだのが低層階の住宅エリアだったからなのか、乗客数は少ない。冷房が利き、ひんやりとした空気の中で、読書をしたり、携帯をいじったりと様々だが、座席の相乗りがいないのを見ると、皆、独りなのだろう。言葉もなく、静かな車内だ。その通路を右に、ふたりが最後部の座席に座ると、バスのアナウンスが「発車します」と出発を告げた。
窓際に座った千秋越しに、動き出した車窓の景色が後ろへ流れ始める。
この路線バスは幹線道路往復型。ステーションから伸びる放射状の路線だ。目的地である終点まで、スムーズにいけば二十分くらいだろうか。辰久はグラスモニターに浮かぶ時刻をちらりと確認した。そこへ沈黙にうずうずしていた千秋が、口を開く。
「ねえ、お兄ちゃん。さっきの話。どういう事? ナインのマスターは?」
「それがさ、特定できなかったんだよ」
「え? 簡単にできるって言ったじゃん」
「けどね。今世界で9X―220RPを所有しているのは四人ってのはわかったんだ」
「で?」
「ん? ああ、その四人の住所座標は調べた。そこを全部あたって、9X―220RPがいなければ、その家の住人がナインのマスターって事さ。座標だけで見た感じ、ここの町にはいないみたいだから。どのみちステーションに行かなくちゃいけない」
「ふーん」
今後の予定を理解したのだろう。「四人か」と千秋は視線を窓の外へ向けた。
どこか遠くを見るような目。流れる景色の向こうに、千秋は何を見ているのだろうか――忘れ去られた森に廃棄されたロボット――そのマスターを思い描いているのかもしれない。まだ見ぬ人影へ、どうしてナインを捨てたのか問いただしているのかもしれない。時折、きゅっと結ばれる妹の口元を見て、辰久はそう思った。
静かになった車内。車窓を見れば、中層の集合住宅地を通り過ぎ、太陽光発電を内包したガラスでコーティングされた高層集合マンションが、流れ始めている。ステーションへ到着する前にと、辰久は窓際に頬杖をついていた妹を見た。
「なあ千秋」
「うん?」千秋の目が向く。
「ところで、ナインのマスターを見つけてどうするんだ?」
「え? そんなの決まってるじゃん。迎えに来てもらうの」
そう言うと思った。辰久はひとつ息を吐く。
「けど、さ。もしそのマスターに、ナインが必要とされていなかったら?」
だから捨てたのだろう。兄の目がそう言っているように、千秋には見えた。言葉がつまりそうになるのを振り払い、強い視線で兄に言う。
「それでも、迎えに来てもらうの」だって、とそこで千秋の視線が下がる。「あのままじゃ、ナイン……、可哀そうだもん」
どの道マスターの命令がなければナインはあの場所から動かないし、動けない。それはわかるが、それがロボットだろうと辰久は思う。だが、人の形をし、言葉を発するヒューマノイドは、千秋にとって物という概念を超えた特別なモノなのかもしれない。
「そうか……、じゃあもし、もしだよ」マスターを見つける事ができ、連れてこれたとして「マスターがナインを必要としていなかった場合、譲り受けようか、僕たちで」
「え?」体ごと、千秋の声が向いた。
「いや、さ。僕も学校を卒業すれば父さんと一緒にロボットの整備をしてくと思うんだけど、父さんみたいに力が強い訳じゃない」情けない話だけど、と肩をすくめる辰久。「もしひとりで作業しなきゃいけない場合、助手が欲しいかなって、さ。ちょっと思って」
「ホント?」
「まあ、税金は僕が払えると思うし、あとは父さんが許してくれるかどうかだと思うけど」
「パパはあたしが説得する」
どことなく千秋の目が輝いているように見えた。最初からそのつもりだったのか、それとも――と、辰久は微笑む。
「それじゃあ、その時はお願いするよ」
「うん。任せといて」
両手を握り込む千秋。そこから視界を前に向ければ、もうすぐバスの終点――モビリティーステーションだ。
★
日本各地に点在する町の中心には例外なく、丸く大きなドーム状のモダニズムな建造物――モビリティーステーションと呼ばれる施設がある。施設と言ってしまえばなんだか堅苦しい雰囲気だが、過去に目を向け用途から類似するものを探せば、鉄道の駅が一番近い。ただし、鉄道の駅と違う所は、線路の有無――いや、それだけでなく、駅と駅を結ぶ手段にあった。
それは空間転位装置。今世紀における日本の技術が生み出した二大発明――ヒューマノイドとモビリティーポッド――その一等だ。モビリティーポッドが生み出すモビリティーゲートをくぐれば、ペアリングされたもうひとつのゲートへと瞬間移動ができる。
そのおかげで日本国内であれば、ほぼどこでも僅かな時間で行く事ができるようになった。言ってしまえば日本国土全てが、ちょっと隣町まで行って来るよの感覚になったわけだ。物流に関しても、交通に関しても、大きな躍進だと言っていい。
しかもその利用料金は一律。それでいて格安というのだから、ステーションは平日休日関係なしに、人が集まる場所だ。
足早な人々の流れに乗ってドームの中に入れば、広く、天井の高いエントランス。外見とは対照的なバロック様式の装飾が散見されるが、人々の目がいくわけでもない。大抵の利用者は、目的があってここを通過するだけだ。誰かと待ち合わせをする時にだけ、〇〇の前、〇〇の下といった具合に、目印とされているのだろう。
そんなエントランスで兄妹は、人の流れに抗い、改札の脇に設置されたガイドモニターの前で、大樹のように枝分かれしていく経路図を眺めていた。
あくまでひとつのゲートが対応するのはひとつ。さすがに全国各地へ配置されたポッドにダイレクトという訳にはいかない。目的の場所へ行くには、分岐点であるポートステーションを何度か経由し、いくつものゲートを潜らなければいけない。その道筋を確かめているのだ。
辰久がガイドモニターの行き先検索に座標を打ち込んで、弾き出された答えがよっつ。メモ代わりにグラスモニターで画像を読み取り、投影した。さて、どこから行くべきか。
「さて、どうしようか?」ガイドモニターに並ぶルートを指差し辰久が言った。
「どれでもいいから、早く行こうよ」
「どれでもって……」と、委ねられては決断が鈍る。「じゃあ、上から順番に行ってみる?」
「それで決定」言って千秋は辰久の手を引いた。「ほら、行くよ。お兄ちゃん」
「ああ、って、おい。そんなに引っ張るなよ」
ぐいぐいと引っ張られる腕。眉間に皺を寄せながら、辰久はつなぎの中から顔写真や名前、生年月日の刻印された国民IDカードを取り出し、改札にかざす。と、使用可能を示す緑の丸印が、通行可能を示す“GO”に変わり、改札のゲートが開く。その間を通り抜け、兄妹はグラスモニターに投影した経路図をなぞって行く。
「千秋、そっちじゃない。左、左」
「もう、そう言うのは早く言ってよ」
「ひとりで勝手に行こうとするからだろ」
「じゃあ、ちゃんと引っ張ってって」
他の流れに巻き込まれないよう、はぐれないよう手を繋いでステーション内の通路を選択していく。
そもそもモビリティーゲートは、ステーションの奥へと伸びる四角い間口の通路の途中を、通路一杯、全面遮るように空間へ透明な幕を張ったようなもので、特段の目印がないため、正直、通ったか、通っていないのかの認識が、一瞬の違和感でしかない。それはよほど注意していなければ感じる事もなく、ただ普通に、距離にして数百メートルの通路を歩いていくだけで、気が付けば実際、かなりの距離を移動している事になる。過去のSFに出てくるワームホールと言い換えれば、理解し易いだろうか。
そのため一般的に、通路全体がモビリティーポッドであり、モビリティーゲートという認識があるくらいだ。言葉だけ存在するような認識でさえあるポートステーションは、基本的に通路の分かれ道を指している。通路にある分かれ道――分岐が進む度に、実際は地方別のポートステーションを踏んでいるのだ。
そうやって地方別、県別、町別と分岐していく経路。モビリティーゲートをくぐる度、ローカルの度合いが強くなっていく。通路の横壁一杯にはめ込まれた有機EL液晶には、特産物や、名所旧跡の動画が流れ、観光客のガイドもしている。そしていよいよ通路が終わり、改札が見えれば、兄妹の“長旅”もひとまず終了だ。
建物を出ると、心地よい風が兄妹の頬を撫でた。出る時に見たインフォメーションには“本日の天気は晴れ。気温、26℃”と示されていたが、その通りだと辰久は思った。
「ねえ、お兄ちゃん。ここにいるのナインのマスター?」
「うん。この大規模農園がひとり目のマスター候補、かな」
言って見据えた景色は、水平線まで広がっている緑の平原。よくよく見れば、それが水田だとわかるが、遠くから見れば緑の絨毯だ。風が地面を撫ぜれば波紋が流れ、まるで湖のように見える。
「けどさ、どこにいるの?」千秋が見回すが、高台になっているステーションから見て人工的な建造物は見えなかった。「管理棟とかないのかな?」
「いや、あるはずだよ」辰久はグラスモニター越しに、GPSマップ情報を展開する。と、どうやら背後「ステーションの裏、かな。と言っても、出口が裏なんだから、表にあるはず」
辰久が言い終わる前に、千秋は駆けだしていた。「おい、待てって」と、言っても無駄だろう。肩をすくめて兄は妹のあとを追う。
ステーションの縁をなぞり表へ回ると、多くのカントリーエレベーターで取り囲まれた事務所がひとつ――それは本当に小さなプレハブ小屋にもみえるほど、周りのカントリーエレベーターが巨大だ。その周囲はと見れば、どうやら水田ではなく一面の畑。ジャガイモの葉が揺れている。それに、ちらほらと見えるヒューマノイドや、農作業に特化した業務ロボットが緑の中で働いていた。
「うわぁ」千秋が感嘆の声を上げる。「要塞みたい」
「そりゃそうさ。こういった大規模農場のおかげで、食料自給率が八十パーセントを超えたんだ。種類をとやかく言わなければ、百パーセントだって言う人もいる」
「へー」と千秋は言いながら、坂道を下り事務所へと向かう。「なんだか、社会見学にきてるみたい」
ジャガイモ畑を横目に辰久は頷き、同意する。
「ま、一般人がこんな所に来るってのはあまりないだろうからね」
「けど、よく知ってるね」千秋はくるりと振り返り「もしかしてお兄ちゃんって一般人じゃない?」おどけて言った。
「僕たちの学校じゃロボット経済にしても、ロボット史にしても必須科目だからね。情報としてなら知ってるさ」
「で?」
「で? って?」疑問に疑問を返す。「他に何か訊きたい事でもあるの?」
「さっきも訊こうかなって思ったんだけど、農業関係で思い出したんだ。今の日本ってさ、ほとんど輸入とかしなくなっちゃったじゃない。どうしてそうなっちゃの? 世界から孤立しちゃったの? あたし社会科でさ、今勉強してるんだけど、ちんぷんかんぷんで」お手上げ、と言いたそうに千秋は両手を上げた。「置いてけ堀なんだ」
日本が世界から孤立した理由――それを小学校で考えるのはいささか早い気がする。けれど、日本の経済や歴史を語るなら、切っても切り離せないだろう。辰久は「うーん」と唸った後「かいつまんで説明するとさ」と、前置きした。
「今、世界でヒューマノイドを主に生産している国はどれくらいあると思う?」
「日本、だけ?」
半疑問形の千秋に、辰久は頷く。
「うん。そのとおり。まあ、あまり説明はしないけど、日本のヒューマノイド技術ってのは世界よりも二歩も三歩も先を行っていてね。新技術って形で発表し、特許使用料をもらえる手法を取ってる。それが、すこぶる高いんだよ。他の国としてもヒューマノイドを作れない訳じゃないんだけど、自分たちで作るのと、完成したヒューマノイドを買うのじゃ、後者の方が安いんだ」
「後者?」
「ああ」それが通じなかったか。「日本からヒューマノイドを輸入した方が安いから、他の国はつくらないんだ。独自に進めてはいるらしいけど、日本のように高性能なものはできてない」
「へー」と千秋が相槌をうつ。「でも、それと輸入って関係なくない?」
「関係なくはないんだ。日本は島国だろう? だから鉱物資源が乏しい国なんだ。それに、エネルギーに関しても、食料品に関しても、昔は海外からほとんど輸入してたんだ。けどね、ヒューマノイド産業を独占するようになって、外国は、って特に先進国はだけど、それが面白くないのさ」
「うー?」と千秋の顔が歪んだ。「面白くない?」
「そう。それで日本に経済的な圧力をかけに来た。それが、輸出入制限の始まり。けど、この時の日本政治は他の国が思っていたほど弱腰じゃなくて、それでいて強かだったんだ。エネルギー改革、農業改革、自給自足を目指し、水面下で動いていた。それに、ヒューマノイドの値上げを合わせて、徹底的に海外とやり合う姿勢を見せたわけさ」
「別に、輸入なしでもやってけますよ。って事?」
「うん。そんな感じ。だから、先進国は日本への輸出をストップさせた。条約上の禁止行為だけど、日本もそれなりなことをしたからね。お互い様なんだろうけど」
「だから、モビリティーポッドで海外に行けないわけだ……」
「そうだよ。モビリティーシステムだって、日本の独占だし、外堀としての海をそのままにできるからね」
「そーなんだー」
「まあ、それだけじゃなく、日本が、敬遠されているのってもうひとつ理由があってさ」
「それって?」
「ヒューマノイドを軍事力って考えている国もあるって事さ。あくまで理論的な話だけど、空間転位装置とヒューマノイド、これを使えば、時間も人も浪費せず、他国に侵略をする事ができるだろう」言って辰久は皮肉な笑みを見せた。「そして、そのふたつを独占しているのがこの日本なんだよ」
「でも、そんなことしないよね」
「当り前さ。戦争や、災害で日本は何度と傷付いて、そんな事をしたいとは思っちゃいないよ。けど、日本に駐留していたアメリカ軍の基地を取っ払う際、他の国から標的にされるような事があれば、“是非もなし”って当時の総理大臣は公式見解として打ち出してる」
「それって……、ロボットに戦争をさせるの?」
「狙われる事があればって事だろうけど、そうなるんじゃないかな」
「嫌だな、そんなの……」千秋はそう言って俯く。
「僕もそう思う」辰久は言い、視線をジャガイモ畑に向ける。「こうやってさ、ロボットが平和に作業していてくれればって、思うよ」
言い終えた時、辰久の目に留まるロボット。あれは……。
「9X―220RP?」
「え? どこどこ?」
「ほら」と辰久が指差す先には、ナインと同じ姿形のロボットが、膝をつき、ジャガイモの葉を眺めている姿があった。「あそこ」
「ホントだー。ナインだー」
ここで作業をしていると言う事は、ナインのマスターはここにいないと見て間違いないだろう。「おーい、おーい」と跳び跳ねる千秋をよそに辰久は、グラスモニターのメモから、一番上の項目を削除した。それにしても――
「なあ千秋。アイツは同じ見かけでもナインじゃないよ」
「はっ!」っと千秋の髪が跳ね上がる。「べ、別に、知ってたし」
「そうか?」
「そうよ。ただちょっと、あのロボットが楽しそうに作業してたから、呼んでみたくなっただけ」
楽しそう、か……。辰久が9X―220RPを見直せば確かに、太陽をボディで反射した彼は、汗水たらして働く人間のように見えた。
★
“本日の天気は、曇り一時雨。気温、28℃”
大粒の雨がザーザーとステーションの屋根を打ち、厚い雲が空を覆って灰色に染まる世界。商業都市のひとつで――すし詰めのようにサブカルチャーの集まった町を眺め、千秋は不満を兄にぶつけた。
「うそっ、一時ってのが、今ってこと?」
「そうなんだろうね。現に降ってるんだから、仕方ないよ」肩をすくめて辰久は言った。
サブカルチャーとひとくくりにしてしまうのはどうかと思うが、この町は、オタク文化が集約された場所だと言い換える事が出来た。ここから見えるだけでも、プラモデルやフィギアの展示販売所や、アニメーションやゲーム、それと漫画を扱う店が多数。かなり昔は電器街だったらしいが、今ではその店も、ロボットのジャンク品を扱うだけで、数店舗しかないと聞く。
もし天気が晴れていたなら、様々なキャラクターの姿を真似たコスプレーヤーが埋め尽くしているのだろうが、ここから見る限り人影はまばらだ。きっと今なら地下街が、そのような人たちで溢れ、祭りのようになっているのだろう。
「ねえ、お兄ちゃん」
「ん?」
「もしかしてさ、今度の目的地って、噂のアンドロイド喫茶とか?」
噂と言われても、辰久にはピンとこない。そもそもアンドロイドと呼ばれるヒューマノイドの類は、この世界に存在しないのだ。それはあくまで、言語的な括りなのかもしれないが、アンドロイドは空想の世界において存在するヒューマノイドの中でも人と全く同じ外見を持ったロボットの事を指す。
ロボット技師からすれば、その細やかな差異が気になったりもする。ヒューマノイドが実用化された社会の中で、あえてアンドロイドなどと銘打つネーミングに興味を惹かれた辰久は、からかい半分で、千秋の言う噂のアンドロイド喫茶へ足を運んだ事があった。
「いや、どうかな?」と辰久はGPSマップ情報をグラスモニターに展開させながら「けど、アンドロイド喫茶って名前だけで、結局、人間がやってるんだよ」
「え? そうなの?」
「ああ、学校の友達と何度か行った事があるんだけどさ、綺麗な女の人が、サイバッテックなコスチュームでロボットみたいに話すだけで、ロボットがどうこうって店じゃない」
「へー」とジト目になる千秋。「綺麗な人がたくさんいたんだ」
「みんなスタイル良くて、綺麗だった。受け答えも『はい、マスター』って感じだし、カラーコンタクトとかして、アイカメラまで再現してたのは凄かったね。もしヒューマノイドが人と同じ外見をもったらあんな感じなのかなって」と、そこで爪先に走る激痛。「痛ってー!」
いったい何が? と辰久は周囲を見るが、原因と考えられるのはひとり。
「なにすんだよ千秋」
「はぁ? 鼻の下伸ばしてたから引きしめてあげただけ」
「だからって、踏むか普通?」
「普通かどうかは知らないけど、あたしは踏む」
ま、確かに踏まれた訳なんだが。と辰久は嘆息し、気持ちを切り替えた。
「ま、それはそれとして、じゃあ、とりあえずマスター探しに行こうか。GPSマップを見た限り、行かなくてもよさそうだけど」
「へ? それってどういう事?」
「行けば、わかるよ」
辰久の意味深な言葉に、千秋は難しい顔をしながらも兄の後に続いた。
ステーションから南西方向に走る幹線八番道路。それを往復する路線バスに乗り、バス停よっつぶん。すし詰めと表現したサブカルチャーの町に不釣り合いな赤レンガの外壁と瓦の屋根を持つ帝冠様式の博物館の前で、兄妹は降りた。そして辰久はその建物の荘厳な玄関を示し、「ここ」と端的に言った。
しかし、千秋にはわからない。なぜここが行かなくても良い場所なのか。
「ねえ、ここって?」
「ロボット博物館」と辰久は肩をすくめて見せた。「たぶん千秋も来年には社会見学で来るんじゃないかな?」
「え? こんな所にあったの?」
名前は有名だ。兄が言ったように、社会見学のお決まりとして名高い、近代日本史を語る上で外せない場所。けれどピンときていない妹を見て、辰久は更に言葉を繋いだ。
「うん。教科書で見たことない? 青空の下でこの玄関を写した写真」
「あ、そう言えば見た事あるかも」
「僕もさ、社会見学できた時やら、なんやらで中を見て回った事があるんだけど、歴代のロボットが展示されてるんだ。その中に9X―220RPがあったような気がする」
だから行かなくていいと言ったのか。千秋はひとり納得した。けれど――
「今見ないとわかんないよね」
「そりゃあ、そうだけどさ」
言い辰久はバス停の広告に視線を移し、鼻の脇をぽりぽりと人差し指で掻いた。その仕草にしても、先の言い訳にしても、どこか中に入りたくないと言っているようだ。
「なに? イヤなの?」千秋の眉間に皺が寄る。
「ちょっと苦手な人がいる」
と辰久が零した。泳いだ兄の目を見て、千秋はニヤリと悪い顔をした。
★
半ば無理やり押し込められるように辰久がロボット博物館へ入ると、うっすらとしたオレンジ色の間接照明がぼんやりと、赤レンガの柱を照らしていた。空調により空気はからっとしていて、大理石のイミテーションで敷き詰められた床には水滴すらない。
受け付けは飾りで、カウンターがあるだけで人はおらず。入場無料の国営施設がここ、ロボット博物館。
少し薄暗いイメージがあるけれど、人感センサーが反応したのか、順路となる道筋部分の明かりが奥へ奥へと点灯していった。まるで、光の道が生まれたように、兄妹を導く。
最初は、面白半分で兄を押しこんだ千秋だったが、その演出に息を呑んだ。
「なに? これ?」
「あんまり人が来ないんで、遊び心を織り交ぜたらしいけど、少し悪趣味だよ。国営の博物館なのにそうしちゃう思い切りは見習いたいとは思うけど」
「もしかして、その人が苦手な人?」
「正解」
「あたしも苦手なタイプかも」
「だったら見つかる前に、9X―220RPを確認しに行こう」
「賛成」
意見が纏まったふたりは、光の道を奥へ奥へと進んで行く。するとまた、人感センサーに触れたのか、ぱっとスポットライトが点灯し、壁に並ぶショーケースを照らし出した。上からの光が兄妹を照らし、ケースの中のライトが陳列されているロボットを浮き上がらせる。
はじめに見る事になるのは、第一世代と呼ばれるロボット。まだ人の姿すらしていない“ロボット”と呼べるものだ。主に工業で活躍した部分的な義肢を持つそれらは、AIボックスも持たず、自立ができない機体。
そして進むにつれ、第二世代、第三世代と、展示されるロボットも進化していく。第三世代の後期では、ナインの原型とも呼べる人型になり、二足歩行が可能になった3Wタイプが飾られていた。
「ここまでが、さ。ロボットにおける創世記ってやつかな。基本的な機体構造が確立されていくんだ」
「ここからは?」
「第四世代からは、AIボックスを含むヒューマノイドとしての試作期間だよ」
辰久が目を向けると、第四世代から第六世代のロボットがショーケースの中で直立していた。まだごつごつとしたディテールのロボット。けれど、自立した二足歩行が可能だとケース内の説明書きがある。まだ一般家庭に出回ることもなく、一部の企業や、農園で使われる程度の分布だとも補足されている。
「この時から、AIが使われるようになったってこと?」千秋が振り返り問う。
しかしその回答は、辰久が口を開くよりも前に思いもよらぬ所から飛んできた。
「その通りだよ。それがロボット史最大の過渡期と言っていい」
大人びた女性の声に千秋の髪が跳ね、辰久は頭を抱えた。確か、声が聞こえたのは千秋の背後、順路の先だ。妹は振り返り目を凝らす。すると、光の道から逸れた仄暗い柱の陰から人影が現れる。
思うより響くヒールの音。そこから伸びる黒いストッキングでコーディングされたなまめかしい脚。そして黒いタイトスカートと、大きな胸を強調するようにボタンがふたつ開けられた白いブラウス。その肩にかかるウェーブがかかった黒髪が微かに揺れ、歩む女性。
光の道に出てくれば顔が覗く。少し垂れた黒い目の下には隈がうっすら見て取れた。それさえなければ、美人と言い切ってしまえるのに、もったいなく思う。だが、それは辰久の見解でなく、千秋の単純な分析だった。
そんな女性がカッカとヒールを鳴らし歩み寄ると、立ち止まり、藪睨みのような視線が、舐めるように千秋を見た。その仕草に辰久は頭痛を覚えながら、女性に対し軽く頭を下げる。
「お邪魔してます。石原教授」
それを聞いて、教授と呼ばれた女性の口角が上がる。
「おや。どこかで見た顔だと思ったら、エリート街道まっしぐらの辰久ではないか」
「だれ? ねえ、誰この人?」千秋が辰久のつなぎを引っ張り問うが、石原教授こと石原真理は、兄が答えようとする前に、言葉を足した。
「最近、坂崎とつるんでいないと思ったら、こんな幼女をテゴメにしていたのか。幼児性愛は人形愛や同性愛にすら及ばぬ愚劣な思想だと言ったはずだが」
見下すように顎を上げ、侮蔑の眼差しを辰久に向ける真理。その言葉の端々を聞いて千秋は教授を指差し言った。
「なに? なんなのあんた? あたしが幼女? はっ、目が腐ってんじゃないの? それにお兄ちゃんはペドなんとかじゃないし」
「ほう、“お兄ちゃん”と呼ばせているのか。結構な趣味してるじゃないか。実に反吐が出る。エリートは思考が腐ると聞いた事があるが、ここまで立派に腐ると、清々しい程くびり殺したくなるな」
ぎろりと覗く真理の八重歯。だが、この攻防戦は、攻防戦の体裁すら取っていない。全て辰久に向けられた言葉の爆撃に思えた。だからたまらず――
「ちょっとストーーーップっ!!」
辰久は叫んだ。広く反響した声が、遠くで鳴っている気がする。それに真理は顔をしかめ、淡々と言った。
「うるさいぞ辰久。博物館ではお静かに。だ」
「ちょっと、ちゃんと、説明するから、少し時間を僕に」準備もしていなかった叫びに呼吸を荒げながら、それでいて、なんとかそれを抑えようと絶え絶えに辰久が言った。
その姿を見て真理は鼻で笑う。
「いいだろう。教誨師として話を聞こうか」
「教授、この子は僕の妹で千秋って言います。んで、千秋、この人は僕の通ってる学校の客員教授で石原真理教授だ」
「客員教授?」千秋が聞き直し。
「妹? 義妹ではなく?」真理が不満げに表情を曲げた。
「どっちも本物、です」ふたりの顔を見比べるように辰久が言う。けれど教授の方は眉根を揉んだ。
「理解に苦しむ」
「苦しまず、呑みこんで下さい」
兄がぴしゃりと言い放ち、千秋と真理のファーストコンタクトはここで一応の幕となった。
――のだが、それで終わる真理ではなかった。
「それで辰久、家族旅行にも逢引にも不適当なこの場所で、君は何をしている? 事務所へ顔を出さなかったという事は、私に会いに来たわけではないのだろう?」
ずいと辰久による真理。それを見て千秋が間に割って入った。
「ロボットを見に来たの!」
「ほう。千秋と言ったか」両手を広げる少女を頭から見下ろしていく真理。「ロボットに興味を持つ」その目が千秋の胸のあたりで止まる。「小さくとも辰久の妹だな」ニヤリと、教授は笑った。
「ちょ、どこ見て言ってんのよ! あたしはこれから大きくなるの」
「そうか、それは実に楽しみだ。ならばそれがどれほどの才か、見せてもらおう」
言って真理は千秋の手をぐいと掴み、引っ張った。
「へっ? な、なにこの人? お、お兄ちゃん?」
順路の奥へと引っ張られて行く千秋。困惑しながら振り返る。だが、真理は妹の手を放さず、言葉を足した。
「心配するな。別に取って食ったりはしない。ただ少し、君へ手ほどきをするだけだ。学校では教えてくれない事を、な」
その言葉を聞いて辰久は嘆息した。また始まった。と。石原教授はいつもそうだ。気に入った者を見つけては、相手の事など関係なしに連れていく。そして手ほどきと言いつつ――
「辰久は事務所で待っているといい。君の相方が話し相手を募集していた」
相方? と辰久は思考する。「ああ、坂崎ですか」
「私の方は手短にするつもりだが、熱が入ればどうなるかわからない。私に攻められる妹の顔が見たいと言う変態趣味であるなら、ついてくるがいいぞ」
「遠慮しときます」
落ちつき払ってよそ事を言う兄に千秋は焦りを覚える。まさか、助けてくれない?
「ちょ、お兄ちゃん!?」
助けてよ。と言う千秋に辰久は肩をすくめた。
「まあ、少し揉んでもらえば?」
「え、イヤ。変なことしないでぇ~!」
バタバタと拒む千秋が真理に引かれ、関係者以外立ち入り禁止のホログラフを通り抜けて闇に消えていく様を見ながら辰久は、ひとつ、深く、息を吐いた。
★
「さて、ここら辺りでいいだろう」
順路から外れながらも浮かび上がる光の道で、真理が千秋の手を放すと、少女は自分の胸を抱きとめるように半身になり、教授を睨みつける。それに真理はきょとんとした。
「ん? どうした?」一歩寄る。
「触んないでよ!」野良犬が吼えるように千秋が叫んだ。
それを見て真理は、二度瞬き、ああそうか、と首を横に振る。
「なにか勘違いをしているようだから言っておくが、私にその気の趣味はない。幼児趣味や非生産的な性癖は全て嫌悪の対象だ。それとも君は、それを望んでいたのか?」
「そんなわけないし!」
「ふん。なら、しばし私の特別授業に耳を傾けてもらおうか」
「え?」特別授業? 千秋が目をパチクリさせると、真理がククと声を殺し笑う。
「言っただろう。学校では教えてくれないロボット史だ。私の専攻はロボット工学の中でも駆動系ではなく、AI機構――どちらかと言えば、そちらに寄った話になるが、ロボット史としてはそちらの方が面白い」
「AI機構のロボット史?」
「そうだ。君は今のロボットが融通のきかない石頭だと感じた事はないか?」
「あり、ます」思い浮かんだのはナインとのやり取り。
「それはロボットの思考回路と行動理念が生まれる歴史を紐解けばわかるのだが、残念ながらそれを学校では教えてはいない。そちらの理由を立場上私が口にするわけにはいかないのだが……、未来を担う、興味ある者にAI史を知る機会を与える。それが私の信条でね」
「だからって、あたしに勉強しろって言うんですか?」
「無理強いはしないよ――ただ、耳を貸してくれるだけでいい。そうやってでも得た経験が、いずれ必要だったと思う時がくる」
そう言った真理の視線は千秋を見ているようでありながらも、更に奥、未来の成長した千秋へ向いているようなきがする。それにはどこか、哀しみとも、憐みとも見える光が揺らめいていた。
千秋はその目を見て、言葉が出なかった。ごくりと息を呑み、真理の言葉を待つ。
少しの沈黙が流れ、それを了承と取った真理はひとつ頷き、右手を広げた。
「さて、前置きも長くなった。まず見るがいい。これが第四世代と呼ばれたモノたちだ」
示されて初めて見る。ショーケースに並ぶロボットたち――それは先ほどまで兄と見ていたロボット史の続き――いや、続かなかったモノたちの記録だった。紹介文では第四世代と記されながらも、先ほど見たディテールのロボットとは違う。カタピラを足にしたモノ。重機を小さくし頭部をつけただけのようなモノ。人型であるが頭部のないモノ。魚類に似たディテールのモノ。ほかにもいくつかのバリエーションを挟み、スマートな人型をしたヒューマノイドと続いている。
「これは……」千秋が零す。「さっき見たのと違う」
「そうだな、こちらに並ぶ第四世代から第六世代と言うのは、試作機のまま日の目を見る事も叶わず、姿を消す事になったモノたちだ」
カツと踵を鳴らし、真理が体を翻した。そして、ガラスケースを撫でながら歴史を紡ぎ出す。
「第四世代と呼ばれるロボットは機体の種類を見ればわかる通り、多岐にわたる思考錯誤の繰り返しだ。中では現在のスタンダードである金属フレーム式ではなく、有機構造も研究されていたのだ。ここに記録としては残っていないが、系譜とすれば、ここから枝分かれしていったと言っていいだろう」
カツ、カツ。歴史と共に先へ進む足音。
「だが、第五世代、第六世代と進むにつれ、いくつかのパターンにロボットの構造は集約されて行く。汎用性、専門技術、有機“アンドロイド”とな。しかし、専門技術の面に置いて、人型は不適合なのだ。専門的であればある程、人型というのは不釣り合いなのだよ。結局オプションとしてゴテゴテするからな。そこで、ヒューマノイドの系譜としては、専門を排斥した。一部、汎用性を専門的と捉えたものは、汎用性の中に織り込まれる事となるが」
と、そこで真理は立ち止り、振り返った。言葉の続きを待つ千秋を見下ろし、頬を緩めると、ショーケースをバンと叩く。
「さて、そこで第七世代へ切り替わる。と、アンドロイド試作機、それと、ヒューマノイドの試作機が完成する」
突然の音に髪をぴょこっと跳ねさせた千秋は、真理の言葉に促されショーケースを見る。と、そこには人の形をした――いや、人の姿をした――長い黒髪と整った顔立ちで上半身裸の男性を思わせる“ロボット”が、瞼を閉じ、佇んでいた。これが、有機アンドロイド。
ロボットと言われなければ、人だと思ってしまう程精巧に作られた姿は、千秋に悪寒を走らせ、息を呑ませる。
「この中にあるのはレプリカだが、アンドロイドは有機構造、ヒューマノイドは金属フレームを主体としているのは見てわかるとおりだ」
「あの、けど、なんでこんなロボットを作ったんですか? それに今アンドロイドっていないですよね? なんで消えちゃったんですか?」
「ふむ。当然の疑問だな。回答はひとつずついこう――まずひとつ、作った経緯は簡単だ。二足歩行が可能になった人形を人が人に似せない道理はないからな。人と同じ外見を持つロボットは過去から思想としてあったものであるし、形になるのは必然だったのだと思うよ」
「そう、なんですか……」
「では次、アンドロイドが消えた理由はAI機構が関係してくる。――第六世代、第七世代までは、AIにしても色々と勢力争いがあった。君は、MIRAIという名を聞いた事があるか?」
ミライ? 聞きなれない名前に千秋は首を振った。
「そうか……。まあいい。ミライというのは過去に提唱されたロボットはこうあるべきとする行動理念のひとつだ。それはいくつかの制約を持って、ロボットをどのような思考ルーチンで制御するのかを、簡単に定めた物なのだが」
再びカツ、と真理が先へ進みだす。
「ミライとは――
ロボットは人間の命令に服従し、作為を持って人間を傷つけてはならず、不作為を持って人間の生命を脅かしてはならない。また、人間の定めた法を遵守し、例え人間の命令であろうと、違法行為を承認・実行してはならない。
――であるのだが、言葉だけを聞けば実によくできた物だとは思わないか?」
肩越しに、真理は千秋に問う。しかし、千秋は眉間に皺を寄せるだけで、理解しているとは思えない。それをわかりながらも教授は、ククと笑い、講義を続ける。
「だがそれには、実際のロボットとして世へ出すためにいくつか問題がある。ひとつ、“人間”とは何か。ひとつ、ロボットの見る“人間”とは何か。ひとつ、ロボットが認識する“人間”とは何か。といった具合に、我々を“人間”とする存在の客観的な定義だよ。それも複雑なものではなく、一目でわかり得るほどのシンプルな定義が必要なわけだ」
それならわかる。と千秋の顔がぱっと明るくなった。
「ロボットと人間を区別した外見にする必要があった」
理解が早いな。真理は頷く。
「そうだ。それが有機アンドロイドを選択肢から消した理由のひとつだ。だがそれだけでなく、ミライを基礎原則とした場合、ロボットが人とは違う姿をしていても、自立暴走はあるとしている」
通路はつきあたり丁字路に。真理は一度、右手の通路へ目をくべ、左へと進む。
「それは、ロボットの行う法律の解釈と、違法と判断される命令を下した人間に対する今後の予測だ――命令した人間が法律に触れるならば、ロボットがそれを看過してしまう事で人間は処罰され、傷つける事となるだろう。なら、不作為を持っても人間の生命を脅かせないロボットは、人間の命令へ背けないことになる――そうした場合におけるパラドックスの存在が、残念な事に世界では溢れていた」
「でもそれって、命令した人の自業自得じゃ」
千秋が言うと、真理は肩をすくめる。
「その通り。命令した人間が愚かなだけだ。しかしロボットに与えられた命令が、愚かだろうが、悪意を孕んでいようが、人間の命令には変わりない。そんなパラドックスに挟まれながらロボットは、自らそれらを判断し、己の行動に責任を持たなければならなくなる。人が定めた法律の上でね――それならば、ミライの原則から、それらが起り得る条件を取り除けば良いとしたのが現代日本におけるロボット唯一絶対の基本原則――
“ロボットはマスターの命令に絶対服従”
――だ」
真理が言った瞬間、千秋は何とも言い難い違和感に包まれた。それは一瞬だったが、教授の言った言葉が、ずしりと未熟な胸にのしかかる。
「実は、これもまた一長一短でね。人を助けろと命令しなければ、手を指し伸ばす事もせず、声をかけることすらしない――言い換えるなら、あくまでマスターのためだけにロボットは存在すべきだと言った感じだろうか」
「けど、マスターの命令に絶対服従だったら、ロボットは人を傷つけたりするんじゃないんですか?」
カツ、と靴音が大きく聞こえた。
「ロボットは道具、だからね。使う者によっては傷つける事もあるだろう」
「だったら、あの、ミライの原則の方が」
「君は実に賢いね」真理はふっと息を吐き「だが、こう考えてみたらどうだろう」と、続ける。
「包丁は料理をするための道具だ。けれど、使い方を誤れば、人を殺す事の出来る道具――ロボットも同じだよ千秋。マスターが人を傷つけようと思い、命令しなければ、ロボットは決して人を傷つけない」
そこまで言って真理は、首を振った。
「しかし君の言う通り、ロボットの基本原則をめぐり、当時は、ミライの原則と、唯一絶対の基本原則はロボット研究者たちの間で真っ二つだった。どちらが優れているのか、どちらが人間にとって有益なのかと、昼夜分かたず議論が展開されていたものさ」
その時、真理の背中からホログラフが抜け出てきた――いや、正確に言えば、真理が関係者以外立ち入り禁止のホログラフを通り抜けたのだが――つまり、元の順路にふたりは合流した。
「しかしそんな中、この災害だ」
真理が最初に指示したのは、スライドショーで展示されている焼け野原や、倒壊したビル群、そして、瓦礫の平原を映した画像。それが流れ、次に見たのは霊峰富士が火を噴き、樹海を焼いている。いや、画像はそれだけではない。想定外と言われる大津波が、都市沿岸部を呑みこみ、引き波で全てを海に引きずり込む姿。
「日本列島大震災……」
千秋の声が漏れた。情報では知っていても、この光景は衝撃だったろう。立ちすくむ少女へ目をくべ、真理は緩やかに言った。
「過去にさかのぼっても、世界的に見ても前代未聞とも言われる大災害――列島を文字通り震撼させたマグニチュードは測定の範囲を振り切り、震度は推定で7以上の広範囲群発地震と、連動した噴火、津波――それらに伴う火災などの二次災害含め、暗い過去として振り返れば記録上だけで十数万人以上もの人が亡くなった」
だが、日本は沈まなかった。断層が隆起、沈降し、列島の地形が大きく変わろうとも、日本人は負けなかった。躓き、転んだとしても、哀しみを胸に立ち上がった。何度もそうやって前を向いてきた民族だ。心が折れなければ、希望を見失わなければ、復興の一歩は踏み出す事ができる。
当時の光景が真理の脳裏に過った。だがそれは一瞬。振り乱すわけでなく、掻き消すわけでもなく、ぐっと腹にすえ、今を見た。
「そこで災害復興が急務となった日本では、ある決断が下される」
はっきりとした声で真理は言う。それに千秋は反応した。
「第八世代……」
「そうだ。人手として、労力として、汎用性の高いヒューマノイドを復興のために実戦投入したのだ。その為にフレームは脆弱な有機ではなく、金属、カーボンフレームを利用し、AIは唯一絶対の基本原則だけを搭載してな。それが、第八世代のヒューマノイド――8X―119ER――現代ヒューマノイドの始祖であり不死鳥とも呼ばれた日本再建の要だよ」
スライドショーで映し出されたのは、被災者を救うナインに似たロボットたち。時間経過に合わせ、フェニックスたちの姿は瓦礫の処理作業に変わり、建築作業に変わり――著しく復興を遂げる背景と反比例して、ロボットたちはボロボロになっていった。
「フェニックスたちによる復興はめまぐるしく、モビリティーシステムの開発運用と合わせ、都市再編計画は有無を言わさず施行された。それが良かったのか悪かったのかは、未来で語られるべきとし、日本は他国に先駆けロボット文化を形成していったわけだ」
そして――
「不死鳥の魂と技術を世界に知らしめた日本は――基本AIを除いてもなお――世界から三歩進んだ技術特許を公開し、いよいよ家庭用ヒューマノイドの販売を開始する。それが第九世代」
言って流れた真理の視線。その先を千秋が追えば、ぴかぴかに輝く9X―220RPが胸を張って、ショーケースの中にいた。
★
教授に妹を任せた辰久は、真理の言ったロボット博物館のエントランスから脇に入ってすぐの事務所へ顔を覗かせた。殺風景な事務所だ。受付のために切り取られた窓の前にカウンターテーブルとパイプ椅子がひとつと、室内には四組のスチール製ビジネスデスクが島を作っている。あと、応接セットと呼ぶにはちゃちな、ソファがふたつ。その間にダウンテーブルがひとつあった。
そんな応接スペースで一心不乱にノート型パソコンのキーを叩く黒い長髪の少年――真理が辰久の相方と呼ぶ坂崎虎太郎の姿があった。
「やっ、坂崎」辰久が呼ぶ。
と、虎太郎のシャープな顔がクイと上がり、藪睨みの目を更に細めた。「なんだ、神谷か」
そうとだけ言い、チェック柄のシャツを着た虎太郎はパソコンの画面に視線を向け、キーを叩きだした。相変わらず口数が少ない男だと、辰久は肩をすくめ無愛想な相方の対面に腰掛ける。
「なにしに来た?」口火を切ったのは虎太郎。目線はディスプレイを向いたままだ。
「いや、邪魔者扱いされたんで、逃げてきた」
「ん」と、虎太郎の手が止まった。「他に誰か来てるのか?」
「妹だよ。ほら、この前話した」
「ああ、妹がいるとか言っていたな。それが教授の目にとまったと」
「うん」頷き。「まだ小学五年生なんだけどね」
「知る事に早い遅いはないさ。ようは呑みこめるかどうかだと思うぜ」
そこまで言って虎太郎のタイピングは再開される。
「それにしても」と今度は辰久が口を開く。「決まったの、就職先」
「ああ、さすがの肩書だと思ったね。最年少のロボット工学技師ってのは、いろいろと便利だ」
「どこ?」
「ここ」
「ここ?」それはロボット博物館?
「ああ、正式には卒業してからだけど、一応国家公務員だぜ、俺」
「どうして? 坂崎ほどのプログラミング技術があれば、一流企業だって引く手数多だろうに」
言った辰久に、溜め息が贈られる。
「その言葉、そっくりそのまま返すぜ」虎太郎の目が辰久を射抜く。「家の板金屋を継ぐんだろう?」
言われて辰久は、ぐっと唸った。「まあ、そうだけど」
「なら同じじゃないか。意志があるなら肩書は飾りみたいなものだろう」
「さっきと違う事言ってないか?」
「違わないよ。肩書は飾りだけど、飾りは利用するべきだ」
「ったく、屁理屈野郎」
ジト目で言うと、虎太郎はふっと笑い、タイピングを止めた。
「まあ、俺は理屈を実現させるのが得意だからな。屁理屈だろうがなんだろうが、筋さえ通せばプログラムは言う事を聞いてくれる」
「で、その得技を博物館で眠らせておく訳じゃないんだろう? やっぱり、国営機関としてのロボット開発機構に?」
「まあな。一応研究者としての括りだ」虎太郎はぐっと背伸びをする「教授と同じように、ここの施設でAI機構の研究をする」体をほぐし、脱力。「どんな一流企業に就職したって追加OSの製作までで、ロボットの基本AIは弄れない。俺にとっちゃ、石原教授の知識の傍で、基本AIを覗ける方が、何倍も有意義だって事さ」
「そっか」確かに。「ここなら何だってできるってこと、か」
「その為の肩書はもらったから、な」
「じゃあ、もう覗いたの?」
「ん」虎太郎は言葉に詰まったが、まあ、と口にする。「少しだけ」
「どうだった? 客観的な感想は」自然と前のめりになる辰久。
それに虎太郎は、ふふんと自慢げに鼻を鳴らした。
「凄い。としか言いようがない。アルゴリズム改編の余地は見当たらない。最短、最良、この上なしだぜ。特に再帰、論理、並列、近似、ゼロ回答はもう完成されてたと思う。近似とゼロ回答の境なんてさ、どう考えたってパラドックスを包括するはずなんだ。それすら貪欲が働いて、自立を前提としたトラブルシューティングだと思う」
「そりゃあ、そうだろ」と辰久は半眼になる。「そもそも基本AIはロボットが自立するために作られたんだから」
「まあ、な」確かに、と虎太郎は肩をすくめて見せた。しかし、「でも、それはおかしな話なんだよ、な」
「おかしな話?」
虎太郎は間違いなく優秀なのだが、その考えを上手く言葉にできない所がある。賢さが空回りして、上滑りをしているのだ。理屈をこねるロジック的な思考であるのに、どうも言葉が一足飛びで、掴み難い。と、辰久が怪訝な表情を作れば、虎太郎が嘆息する。
「つまりさ、現代ロボットの基本原則と矛盾してんだ」
つまりと切り出した割に、客観的な答えが示されているようには思えない。虎太郎との付き合いは長いが、さすがに言葉の間が読めないと、今度は辰久が溜め息をついた。
「矛盾?」
「マスターの命令には絶対と決められている割に、ひとつのロボットに対する他人の介入が容易だって事さ」
「いや、それって別に矛盾してないんじゃないの?」
「いやいや」と虎太郎は掌を振った。「マスターの命令には絶対って理由を掘り下げればさ、あくまでロボットは個人的なアイテムにすぎない筈なんだ。言ってしまえば携帯電話みたいなもので、道具でしかないと言うべきスタンス」
「確かにね。でも、ロボットは――って特にヒューマノイドはだけど、汎用性に優れた面を持ってる訳だし、複雑なマスターの命令を遂行するために必要な自立制御は、絶対条件だと思うけどね。ほら、お遣い頼んで、道中にエラーが出たら、帰って来ないなんて事もあるわけだろうし」
はい、反論どうぞ。と辰久が掌を差し出す。
「それは否定できない事実だし、必要に迫られた事だと思ってる」
だよね。と辰久が頷く。しかし、虎太郎は逆接を繋ぐ。
「でもな、その為“だけ”なら、もっと単純なプログラムで事足りるはずだ。俺が言いたいのは、“お遣い”に対する自立制御じゃなく、マスターの命令に対する自由さ、と言うか、曖昧さを言うのさ」
「ん?」と辰久の眉間に皺が寄る。「意味が見えない」
「マスターの命令は絶対でありながら――例えば、警察やロボット管理局の特殊コードによって――優先順位を奪う事ができるだろう。これは、社会通念上必要と認められる行為だ。だから、それは別に“特殊”コードとして別に組まれている」
「うん」
「けれど、自立行動中のロボットにはその特殊コードとは別に、マスターの命令を優先させつつも平行する“お愛想”機能と言うべきか、受け答え機能があるだろう――」
確かに、と辰久は頷いた。デフォルトの思考ルーチンに組み込まれているマスターでない人間からの質問へ返答する機能の事を言っているのだろう。いや、それだけでなく、あくまで絶対原則に反しない要求において、法律に抵触しないと判断された場合は、ロボットの行動に介入できる事も含めての機能だ。思い返せば、ナインと出会うきっかけになった黒い犬を捕まえろと命じた際、それにロボットが反応したのも一端と言えるか。
「それは一時であれ、マスターの命令下から外れるわけだ。既に絶対原則の枠を超えていると俺は思う」
「自立暴走だって言いたい訳?」
「ああ」と息を吐く虎太郎。「けれど、それも包括して、基本AIは作られてるんだ」
容認された暴走?「だとするならそれは暴走じゃないよね」
「定義としてなら想定内だろうけど――だったらその判断基準はどうなる?」
「どうなる、って?」色々と言葉が飛んだ。主体が見えない。
「マスターの命令にない疑律判断は、何にゆだねられている?」
「そりゃあ、ロボットのAI」自立思考を司っているのだ。当然だろ。と辰久は言う。
しかし虎太郎は、肩をすくめて見せた。
「ま、表向きにはな」
「表向きには?」オウム返しに問うた辰久が、更に眉間を寄せた。
「そう。正確に言えば違うんだ」
「それって変だろ? 思考するのはAIで、ロボット自身の行動は、AIが制御してるはず」
「お前の言う通り、制御してるのはAIだぜ」
「は?」辰久の目が丸くなる。
「俺が言いたいのはさ、思考という作業に対する数多く浮かぶ回答の中においての選択基準の事であって、AIが示す択一、若しくは併合する回答の“選ばれた”とする判断結果に至るための合意形成が、何によってなされているかだ」
「意味がわかんない」辰久は虎太郎から継がれた言葉の真意がいまいち掴めない。「結局、何が言いたい訳? 判断に対してAIが行うコンセンサスの元はなにかって事?」
「まあ、簡単に言えばそうだな。AIが思考するためにはパターンの引用が必要だろう?」
言葉遊びと言うか、ただただ説明下手なのか。言葉選びの度に苦悶する虎太郎の表情を見ればどうやら後者のようだが、結局、彼の指す主体が辰久の思うそれとずれていた。無駄に頭を使わされたと、辰久は口をへの字に曲げる。
「で、そこまでは理解したけど」結局はどうなの? と辰久は片眉を上げた。
「それはつまりロボットの“記憶”に依存してる」言って虎太郎は頭を振った。「いや、データベースと言った方がしっくりくるか」
「マスターの監視下にない行動は、過去の経験を引用してる。って、それは普通の事じゃないか。マスターの命令に対してだって、同じ事が言えるだろう。現に、そうなってる」
「本質としてなら……」と虎太郎の視線が下に。「マスターの管理下だったら、それでいい。けど、ロボット単体が、追加OSや外部からの影響によって学習し、判断の回答とすべきバリエーションを成長させていくわけだ。それを違う見方で言うなら、マスターの制御下において最終的に個性とも呼べる思考のカスタマイズをロボット自らが形成していく」
辰久の背筋に走る悪寒。ロボットは物の枠ではなく、者に歩み寄る――限りなく者に近いモノなのか。いやそれだけでない。ロボットを物として縛りたい人間からすれば、それこそ本当の暴走とも言える。
「怖い事言うなよ」
辰久が言うと、虎太郎はにいと口元を曲げた。
「それが矛盾だって言うのさ。人の制御を絶対とする基本原則――それに包括されながらも、人の利便性を押し付けた為に生まれる理論的矛盾」
万能を求めたがため、人の手にあまる。その可能性を秘めている。そう虎太郎は言いたいのだろう。
「けど」と虎太郎は続ける。「それを暴走させていないのはやっぱり、思考から行動へ移す時にかかるリミッターの役割も果たしているパラドックス的な基本原則なんだろうな」
自己完結をした虎太郎は満足そうに笑った。が、辰久には、虎太郎の言うリミッターが酷く薄っぺらい防波堤に思えた。
「でももし、その基本原則が破られたりしたら」
「それこそ怖い事になる」虎太郎の顔が険しくなった。「ロボットが人の手を離れるって事さ。でも、絶対的な原則をロボットが破れるわけがない。規則を破る事ができるのは人間だけだ」
聞いて辰久の脳裏にある仮定が浮かぶ。それを口にするかどうかを決める前に、言葉は零れ出していた。
「じゃあ、もし――」
★
「ロボットが感情を持ったらどうなるのか?」
そう目を丸くし訊き返したのは真理だった。十三世代のロボットが展示されるショーケースの前で、不安を含んだ千秋の表情を見下ろし、教授は吹き出し大声で笑う。
「面白い。本当に君は面白いよ千秋」
「ちょ、なんで笑うかなっ!」
「いやいや、すまない」と言いながらも真理は、痙攣する腹部に手を添えながら、肩を震わせる。「実にSF的な発想だと思ってね。悪気は、ない、よ」
しかし、どう見ても馬鹿にしているような仕草に千秋は頬を膨らませる。ロボットの思考について「何か質問はないか?」と訊かれたから問うたのに、ここまで笑われるとは思っていなかった。
「で、どうなんですかっ!?」千秋が不満をぶつけるように言った。
「ああ、そうだな」と真理は笑いを堪え、前かがみになりながらも言葉を紡ぐ。「その前に、ひとつ君に質問だ」
「え?」
「どうしてロボットに感情が必要だと思う?」
「どうしてって……」
「ああ、答えにくいか。なら、どうして君はロボットの感情を口にしたのかな?」
「それは……、あるロボットがいたんです」
視線を逸らしながら零れた言葉に、真理は顎を上げた。
「ほう」ニヤリと歪む口元。「詳しく聞こう」
「今日、森の中で捨てられたロボットを見つけて、それで、なんと言うか、そのロボットが寂しそうに見えて――」
千秋はここに至るまでの経緯を、ぽつりぽつりと思い出しながら説明した。森の中で見つけたナイン。ボロボロになりながら、戻るかどうかもわからないマスターを待ち続け、終いには命とも呼べるバッテリーが尽きるまで使命を遂行したロボットの事を、主観を交え、真理に語った。
それを笑う事なく、相槌も打たず、じっと千秋を見て聞いた真理は、その後に一拍間を置き、頷いた。
「うむ、マスターの命令に従い、バッテリーが尽きるまでその場で待機していたその9X―220RPが、可哀そうだと。そう言う事か……」
「そう、です……」
と、俯いた千秋の頭に、真理は優しく手を添えた。
「君は優しいね」添えた手が千秋の頬へと下がる。「ロボットの擬人化――それは、必然の思考だとアンドロイドを見た時に言ったね――実を言えば、その時にロボットへ感情とも呼べる、自立に関する思考ルーチンの決定権を加えようといった意見もあったんだ」
「え? それって」
「そう。ロボットに感情を持たせようと言う意見だよ。ミライの考察を含め、ヒューマノイドの実用化に向けて、用途というのが検討された中での事だ」真理は背筋を伸ばしショーケースに並ぶ、ヒューマノイドへ目をやった。「介護や育児、その他、人と近い場所で活動するロボットは、より人を観察・洞察し、人の生命身体を守らなければならないという観点から、“優しさ”や“思いやり”などの感情を組み込むべきではないかと提案された」
そこまで言って真理は息をひとつ、小さく吐き出す。
「しかしね、人の抱く感情というものは絶対的な理論で説明のできるものではない。私たち人間が感じた思いを、それらの言葉で表現する事は出来ても、ロボットに与える事はできない――感情とは、あくまで相対的なものであるからだ」
そっとショーケースに触れられる真理のしなやかな指。うっすらと映り込む教授の視線が、互いに交錯して、きゅっと細くなった。
「もし、それが可能だったとして、可能にしたとして、問題が浮上した。――それは、感情を搭載した場合における、ロボットの危うさだよ」
虚と真、ふたりの真理が千秋を流し見る。
「奴隷制度を知っているか?」
「漫画で読んだ事があります」
聞いて真理は瞑目し、「そうか」と、頷き言葉を続ける。
「結構だ。過去に作られた階級制度。それも人間が人間を区分けし、上位の者が下位の者をある種の道具として扱ったものだ。アンドロイドに関する思想も元を辿れば、これに似たようなものかもしれない。思い通りに権限を蹂躙できる対象の存在を示す事で、己の尊厳を他よりも上であると確認する――合理的でありながらも、破滅的な思想だな」
真理の言う“合理的”には頷けないが、“破滅的”に千秋は小さく頷いた。
「もし君が、同様のいじめを受けていたらどうする?」
「いじめてくる相手を、やっつける」
強い眼差しで言う千秋に真理は、はははと笑い、掌で己の表情を隠した。
「だとすれば、奴隷解放が奴隷たちの中から生まれるのも必然ではないかな? 君の言う通り、自らの尊厳を勝ち取るために、制度の破壊を望んだとしても不思議じゃない。過去を振り返っても、それが成されなかった階級制度はないよ。人間が歩んだ歴史の中にはね」
と下がった指の隙間から真理の目が覗く。
「つまり感情は、道具と定めるべきロボットには過ぎたものだという結論へ至るわけだ。いや、正確には恐れたと言うべきか――人と同じ歴史を歩む可能性を秘めた存在を、自らの手で生み出してしまう事など、ナンセンスだろう」
それはやはり真理の言った“危うさ”なのだろう。あくまで道具として生み出されるべきだとするロボットがそれぞれの抱く感情によって制御不能に陥ってしまっては、人としての尊厳が破壊される。物と生物の間を超えたヒエラルキーの逆転だ。
「で、最初に君が言った質問への答えだが――ロボットが感情を持ったらどうなるのか――それは実に単純明快と言える。先に言った“人間”の定義が、外見にのみ決定されるものでないとすれば、それは――もうわかっているだろう?」
打ち下ろされる真理の言葉に、千秋は俯き両手をぎゅっと握った。そして与えられた答えを絞り出す。
「ロボットが……、人間になる」
「正解だ」満足げに真理の口角が上がる。「まあ、あくまで“仮定”での話だが、あながち間違いではないだろうさ」
「だから、ロボットに感情は必要ないんですか。人間のわがままのためにずっとほったらかしにされても、悲しいとか、寂しいとか思う事も出来ず、ずっと……」かすれそうになった語尾に、千秋の口が一文字に結ばれ、きゅっと目線を真理へ上げた。「ずっと壊れるまでいいなりになる事って、すごく悲しい事なんじゃないんですか? それすら感じられないなんて、悲しすぎませんか?」
少し潤みが見える少女の瞳。それを見返し真理は言う。
「言いたい事は凄くわかるよ千秋。けれど君は、ロボットと争いたいのかい? 悲しい思いをさせる相手を敵とするなら、私たち人間はロボットの敵になる。それでも、ロボットには感情があった方が良いと思うかい?」
「させなければいい」
聞いて真理の眉がピクリと上がる。なにを――と。そこへ千秋は言葉を重ねていく。
「悲しい思いをさせなければいいっ!」
思いをぶつけるように向けられた言葉。それに真理は首を横に振りそうになる。けれど、心の底で湧きあがる歓喜に、微笑をたたえ、頷いた。
「そうだな。それができるのならば、ロボットと人は“対等”になるだろう」それはどの道間違いない。「しかし、“今”のロボットにそれを求める事は出来ないよ。それでも君は、ロボットを悲しませないようにできるかい? 心を持たないロボットに、優しさを与える事ができるかい?」
「やります。やってみせます」
いつの間にやら千秋の目から潤みが消えた。その代わり、輝きとも呼べる意志が溢れ出しているようにも見える。それに真理は背を向けた。
「そうか……、なら今日の講義は、これで終わりにしよう」
「え?」
肩透かしを受けた千秋の戸惑いに、真理はカツと、順路を一歩進む。そして振り返らずに言った。
「置いてけ堀のロボット、そのマスターを探す途中だったのだろう?」
「はい」
「辰久の待つ事務室はエントランスから脇に入ってひとつ目の扉だ。そこで坂崎といちゃいちゃしているだろうから、耳でもつまんで引っ張っていけ」
「はいっ!」
闊達な返答をして千秋は踵を返し、駆け足で順路を戻って行く。遠ざかる足音が残響となって真理の耳に届かなくなると、教授はショーケースに向き直った。そして、手を伸ばし、ガラスケースに触れる。
透明な壁の向こうには、いよいよ人のシルエットに近くなったヒューマノイドの姿。それへ重なるように、虚の真理が、真の真理を見据えていた。
「押し付けるべきではないな……、知らない方が幸せと言う事もある」
それに、いずれわかる事だ――
★
「お兄ちゃん、次、探しにいくよ」
バンと勢い良く事務室のドアを開け放った千秋。マスター候補もあとふたりだ。絶対にナインのマスターを見つけて、ナインを自由にしてあげるんだ。と顔に書いてあった千秋の表情が、事務所の惨状を見て固まった。
いや、固まったのは千秋だけではなかった。事務所の隅のソファの上で、重なり合うように横たわっていた兄と虎太郎が顔を強張らせ、千秋を見ていた。よく見れば、グラスモニターを手に持った辰久が、残った片手で虎太郎の腕を取り組み伏せているように見える。更に見れば、虎太郎の被服がはだけ、薄い胸板が覗いていた。
――坂崎といちゃいちゃしているはずだろうから――
真理の言葉が千秋に過る。まさか……。息を呑んだ。
そして時は動き出す。
「あ、これはな」と辰久が弁明しようとするが、千秋に聞く耳はない。
すたすたと半眼無言で辰久へ歩み寄り、耳をギュッと引っ張った。
「いだだだだっー!」
情けなく悲鳴を上げる兄。それを冷徹に見据え、千秋は言う。
「弁解は罪悪よ、お兄ちゃん」そこまで言って、千秋の顎が上がり、蔑みを含んだ視線で兄を見下す。「それに、非生産的な性癖はどうかと思う」
「ちょ、なにを勘違いして」
バタバタと痛みにもだえながら辰久が言うと、虎太郎が声を上げて笑った。
「すっかり教授に洗脳されたな。それに耳年増ってか」
「おい坂崎っ! 笑ってないで助けてくれよ」