信仰
アメリカ・ニューオリンズ 一般市民 エリオット・フィッシャー
私は先祖代々、カトリックの信仰を受け継ぎ、幼い頃から敬虔な信徒として育ちました。
神父の言葉に耳を傾け、日曜ごとにミサへ行き、祈ることが当たり前の日常だったのです。
どんな困難も神の試練であり、正しく祈れば救いがあると信じ、それを疑いませんでした。
巨獣が当たり前の存在となり、世界が混乱に陥っても、私たち信徒は「いつか神の救いが訪れる」と信じ続けていました。
──ですが、30年代、40年代と年月を重ねるうちに、状況は悪化するばかりでした。
巨獣は頻繁に現れ、都市を破壊し、産業や物流は寸断され、やがて食糧さえ不足し始めた。
巨獣は頻繁に現れ、都市を破壊し、産業や物流を寸断し、やがては食糧さえ不足し始めました。
けれど、何より決定的だったのは、私たちの街そのものが襲われ、工業地帯が狙われた時でした。
あそこでは、増え続ける巨獣に対処するために、政府の要請で急ごしらえの兵器開発が行われていたんです。
既存兵器の量産に加え、対巨獣用の新兵器や毒ガスまで……。
でも、働いていたのは、もともと普通の工場の職員たちで、兵器なんて扱ったこともない人ばかりでした。
そんなところに巨獣が現れて、施設は破壊され、大規模な火災が起き、有害な化学物質が木々や川、ひいては海にまで流れ込みました。
現場の人たちは必死に食い止めようとしましたが、経験も装備もない。
対応は遅れに遅れて、その間に街全体が汚染に巻き込まれてしまったんです。
魚は浮かび上がって死に、川の水はドロドロに濁り、強烈な異臭を放ちました。
水道インフラは優れたろ過技術でも限界に達し、ついには遠くの地域から水を運ぶしかなくなった。
土も空気も汚染され、木々は枯れ果て、動物たちは姿を消し、地域によってはガスマスクが無ければまともに呼吸もできない。
ニューオリンズは人の住めない荒れた世界に変わりました。
最初のうちは政府や機関も対処しようとしました。
けれど、複数の化学物質が混じり合っているせいで、どう手を打てばいいのか分からない。
やがて状況が悪化するにつれ、余裕のなくなった政府は私たちを切り捨て、支援は途絶えました。
毎日のように病人が出て、子どもたちが次々と亡くなっていったんです。
当時を知らない世代からすれば、さっさと安全な土地へ移ればよかったと思うでしょう。
でも、すでにアメリカ全土は巨獣で溢れ返っていて、安全な水を運ぶだけでも危険な地帯を越えなければならなかった。
多くの街が崩壊していて、近くの都市まで行くにしても途方もない距離を進まねばならず、その道中は常に死の危険が付きまとう。
それに、世界や都市が自分の存続のために余裕がない中、行き着いた先の人々が私たちを受け入れてくれる保証など、どこにもありませんでした。
開けた場所を見つけて一から生活を築くにも、時間も資材もない。
結局、汚染されたこの街に留まる方がまだ“現実的”だったのです。
飲める水も食糧も、住める場所さえも限られており、周囲には汚染に適応した巨獣がうろつく環境でしたが、それでもその生活をどうにか維持する以外に選択肢はありませんでした。
政府からの救いは望めず、状況が良くなる兆しもない。
そうなると、信仰に生きてきた私たちにできることは一つしかありませんでした。
今をどうにか耐え忍び、神に祈ること──それだけが残された拠り所だったのです。
神父様が語ってきた「神はいつも私たちを見守っている」という教えにすがり、誰もがひたすら救いを求めて祈りました。
答えが返ってこなくても、祈ることをやめるわけにはいかなかったのです。
でも、何も変わりませんでした。
どれだけ祈っても、どれだけ懺悔をしても、川は汚れたまま、人々は病に伏し、苦しみ続けました。
救いの手はどこからも差し伸べられず、神の奇跡を信じていた母も友人も、私の目の前で息絶えたのです。
巨獣の襲撃はさらに頻繁になり、ただでさえ減っていた街の人口は、ついに半分以下へと追い込まれました。
私はその頃、もう信仰を続けることが苦しくなっていました。
神父様は「これは試練だ」と私たちに言い聞かせましたが、私たちはすでに十分すぎるほど苦しんでいた。
その先に何があるのか、誰も答えてはくれない。
巨獣が再び街を襲い、家族や友人が次々に命を落としていく中で、私の心は少しずつ冷たく、暗くなっていきました。
祈り続けるのに、なぜ神は沈黙したままなのか?
その問いだけが胸の奥でぐるぐると渦巻き、やがて信仰がひび割れて崩れていく音を、私は確かに聞いた気がしたのです。
転機が訪れたのはその頃でした。
2057年のあの日、街の北部に巨獣が出現し、人々はまた避難を始めました。
私も半ば諦めながらシェルターへ向かおうとしていた──その時です。
汚染された海の水面が、地鳴りのような轟音とともに盛り上がり、巨大な影──が現れたのです。
黒く硬質な外殻に覆われた顔を見た瞬間、私は新たな巨獣が現れたのだと思い込み、血の気が引きました。
周囲の人々も誰もが息を呑み、声を失ってその姿を凝視していました。
しかし次の瞬間、その巨体は北部から迫っていた巨獣に突進し、信じられないほどの力で敵を切り裂いていったのです。
牙で噛み砕き、口からは熱線を放ち、尾から放たれた無数の棘が巨獣の胴体を貫いた。
そして最後の一体に向かって赤い閃光のような熱線を吐き出すと、轟音と爆炎とともにその巨獣を跡形もなく吹き飛ばしました。
あまりに異様で、理解を超えた能力を前に、私たちはただ圧倒されるしかありませんでした。
誰もが息を飲み、恐怖と畏怖がないまぜになった沈黙の中、ガクラ様はゆっくりと身を翻し、汚染された海へと姿を消していったのです。
戦いを終えてガクラ様が立ち去った後、戦場だった街には大量の棘が残されていました。
それは異様な光景で、最初は誰も近づこうとはしませんでした。
毒かもしれない、爆ぜるかもしれない──恐怖の方が先に立ったのです。
しかしやがて棘から伸びるツタが自ら電柱に絡み、信じられない量の電力を供給し始めました。
それだけではありません。
棘の影響を受けた土壌は変質し、周囲の植物は見たこともない速度で芽吹き、驚くほど栄養価の高い実をつけ始めたのです。
汚染に侵された土地からはもはや何も得られないと絶望していた私たちにとって、それは新たな資源であり、食糧の再生そのものでした。
電気はもう何年も使えず、資源も尽きかけていた。
その全てを失った私たちの世界に、突如として与えられた恵み。
それはまさに、奇跡そのものだったのです。
──しかし、本当に奇跡だったのは、その二日後でした。
長年、化学物質で汚染されていた自然が、ガクラ様の棘弾を中心に浄化されていったのです。
腐敗して枯れ果てていた木々の幹からは新たな芽が吹き、茶色く濁っていた地面に小さな花が咲きました。
ガスマスクが必須だった街の空気は澄みわたり、私たちは久しぶりに肺いっぱいに息を吸い込むことができたのです。
あの黒く濁り、異臭を放っていた川や海は、透き通るように清らかな水へと変わり、やがて魚の群れが戻ってきました。
死んだ土地だと諦めていた場所が、まるで夢のように息を吹き返していったのです。
何年も神に祈り続けても浄化されなかった世界が、ガクラ様が現れてからわずか二日で回復を始めた。
その光景を前に、私たちは言葉を失いました。
それからというもの、私たちの復興は急速に進みました。
ガクラ様の棘からもたらされる資源は、人々に電力や建材を与え、私たちはそれを活用して戦力を立て直し、防護壁を築き直すことができました。
さらに、ガクラ様によって一時的に余裕を取り戻したことで、途絶えていた政府からの支援も再び届くようになったのです。
もちろん、防護壁が完成して戦力と防衛設備が整うまでの間、巨獣は幾度となく街を襲いました。
けれども、その度にガクラ様が現れ、私たちを救ったのです。
祈らずともガクラ様は自らの足で現れ、どれだけ深く傷つこうとも巨獣を倒し、復興の鍵を残して去る。
そして必要な時にはまた来て、町を守ってくれる。
神がどれだけ無言を貫こうと、ガクラ様は行動で示したのです。
私たちが長年、神に祈っても届かなかった救いが、ガクラ様には確かにあった。
人々に襲いかかった巨獣に自らの腕を盾として守り、荒廃した世界を浄化し、さらには新薬の素となって多くの命を救ったのも、すべて私たちが祈り続けてきた神ではなく、ガクラ様によるものでした。
その行動が繰り返されるうちに、私たちの胸の中で信仰の形は決定的に変わったのです。
「彼は我々を見捨てない。」
「神は遠くにいるが、ガクラ様はここにいる。」
やがて、その言葉は人々の口から口へと伝わり、祈りの言葉そのものが変わっていきました。
かつて「神よ」と呼びかけていたその声は、自然に「ガクラ様よ」へと置き換わり、共同体全体の祈りの対象は確かに移っていったのです。
その中には、かつて神を信じ、聖書を掲げて神の声を代弁してきた教会関係者すら、多く含まれていました。
彼らもまた、沈黙する神に裏切られ続けてきた者たちです。
かつての信仰を抱き続ける者たちは、目の前で繰り返される現実──ガクラ様による確かな救済の前に、声を上げることすらできず、ただ受け入れるしかありませんでした。
この世界が混乱に満ちていた時、神は沈黙し、ガクラ様は戦った。
どちらを信じるか──私は、後者を選びました。
もしかすると、神は最初からいなかったのかもしれない。
あるいは、私たちが「神」と呼んでいたものは、ただの人間が作り上げた幻想に過ぎなかったのかもしれない。
けれど、ガクラ様は確かにそこにいた。
祈らずとも現れ、血を流し、命を削りながらも、見返りを求めずに私たちを守り、過酷な世界を生き延びるための機会を与えてくれた。
どれだけ異形で荒々しく、巨獣だと分類され、いかに科学で解明できる存在だとしても──奇跡を起こし、私たちを救ってきたのは、紛れもなくガクラ様だったのです。
だから私は、もう目に見えぬ神に救いを求めたりはしない。
私は、この世界に実際に存在し、行動で示したものを信じることにしたのです。
それが、私にとっての唯一の「信仰」であり、「救済」なのです。
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