日常の崩壊
カナダ・モントリオール 学生(当時) コビー・カスバート
初めのうちは、たとえ世界が混乱に陥っても、都会にいればまだ安心だって思ってたの。
あの頃のモントリオールには避難所になる施設もあったし、食料もそれなりに行き渡っていた。
街の外れには臨時の軍事基地が設けられていて、軍の車両が市内を走る様子も見慣れた光景になっていたわ。
実際、巨獣は軍が対処すれば倒せる生物だったし、私たちは彼らに信頼を寄せていたの。
“何かあっても、軍がどうにかしてくれる”そんな楽観的な空気が街には満ちていた。
浅はかに聞こえるかしら?
今にして思えば、そうね。
でも、そう思っていられたのは、あの時までだった。
アメリカで最初に巨獣が出現したとき、私たちの生活はまだ何も変わらなかった。
学生だった私や妹は毎日学校へ通い、授業を受け、帰宅して宿題をしていた。
親たちも仕事や買い物に出かけ、家の夕食時には巨獣のニュースを流しながらも、「水くらいは備蓄しておく?」なんて、どこか他人事のように話していたわ。
非常ベルが鳴って避難ルートを歩く訓練ですら、ちょっとした学校行事の延長のようなもの。
だって、私たちはまだ巨獣の“本当の恐怖”を知らなかったから。
自分たちは安全な場所にいる。
そう思い込んでいた。
でも、状況は確実に悪化していった。
メキシコやアフリカ大陸の国々の行政機能が止まり、人が押し寄せ、通信が絶たれたという報道が続いた。
やがてカナダ国内でも、巨獣による被害が報告されはじめた。
モントリオールにはまだ直接の被害はなかったけれど、街の空気が目に見えて変わり始めたのは、その頃からだった。
学校のカリキュラムも変わっていった。
いつもの授業は姿を消し、代わりに自衛やサバイバルに関する講義が増えていった。
武器の知識や狩猟の方法、応急手当の基礎を聞かされたし、授業は体力をつけるためのものばかりになった。
初めて銃に触れたのも、その頃。
先生が「これは体育の一環だ」と冗談めかして言ってたのを覚えてる。
体育の授業で腕立てとランニングの代わりに射撃訓練──変よね。
でも、これまで学校で受けてきたどの授業の中でも、人生で一番役立ったのはそれだったわね。
街では“対応マニュアル”が配られ、防災訓練は“巨獣災害訓練”に名前を変えた。
テレビでは、ドラマもバラエティも急に減って、CMでさえ避難先の確認や緊急時の行動手順を訴えるような内容ばかりになった。
「危険を感じたらすぐに動け」「備蓄は最低三日分以上を」「家族で集合場所を決めておこう」まるで、危機が“明日”にでも来ることを当然のように前提にしているようだった。
次第に、街全体から余裕がなくなっていった。
スーパーでは買い占めが始まり、店先での口論や殴り合いも珍しくなくなった。
中には、買い物帰りに襲われて、持っていたものをすべて奪われた人の話もあったわ。
それでも、誰かが止めに入ることはもうなかった。
ただ、自分の家族を守るので精一杯だったのよ。
うちの母も、ついに銃を持って買い物に行くようになった。
あの人は、銃なんて大嫌いだったのに。
それでもある日、ボロボロになって手ぶらで帰ってきたの。
「ごめんね、何も買えなかった」と言いながら、いつもの笑顔がまるで貼りついた仮面のように見えたのを、私は今でも忘れられない。
家の戸棚は缶詰だらけになったけれど、それは“万が一の備蓄”であって、私たちが日常的に食べることは許されなかった。
食卓に並ぶのは、保存の利かないパンや菓子ばかり。
食べながら、「これは最後のパンかもしれないね」なんて、冗談とも本気ともつかない会話をしていたわ。
父は整備士をしていたけど、信じられないほどの依頼が毎日押し寄せてきた。
車を持っている人たちは皆、「逃げる準備」を始めていたのよ。
ガソリンスタンドには連日、朝から晩まで列ができていた。
父が「二缶分確保できた」って言って帰ってきたとき、本当に嬉しそうだったけど、その顔にはひどく疲れが滲んでいた。
笑顔の端が、どこか震えていたように見えた。
私たち姉妹は、それぞれに自分の部屋があったのに、いつしか同じ部屋で寝るようになった。
いい歳して、毎晩が不安で仕方なくて誰かの気配がないと眠れなかったのよ。
布団に潜りながら、妹とよく話したわ。
「サバイバルになったら、毎日お腹すくよね」
「私があなたに注射したら、きっと神経やられそう」
「お姉ちゃんって鈍くさいから、私の方が長生きするかもね」
そんな冗談めいた会話を交わしながら、互いに安心しようとしてた。
その頃にはもう、私は“覚悟”を決めたつもりでいた。
世界が変わっていくなら、私たちの意識も変えなきゃいけない。
古い常識じゃ生き残れないそう、自分に言い聞かせていた。
でもね、今にして思えば、まるで足りてなかった。
私は本当の意味で、まだ何も知らなかった。
何を失うのか、どれだけ壊されるのか、何より、自分がどこまで変わってしまうのか……そのときの私は、まだ夢の中にいたのよ。
襲撃が起きたのは、私たち姉妹が学校にいた日のことだった。
モントリオールの港に、巨獣が姿を現した。
ニュースが入った瞬間、校内に緊張が走ったわ。
でも、それで終わりじゃなかった。
間もなく、別種の巨獣の群れが、別の方向から接近していると報告が入ったの。
一度に複数種の巨獣が襲来する、最悪のシナリオ。
それぞれの巨獣には異なる戦術が必要で、軍は対応を分断され、街は一気に混乱へと突き落とされた。
先生たちの指示で、私たちは他の生徒と一緒に校舎を出て、隣接する避難施設へと移動した。
誰も叫んだり泣いたりはしていなかったけど、それは訓練通りだったからじゃない。
あまりにも現実感がなくて、みんな思考が止まっていたのだと思う。
とにかく、言われたとおりに動いて、ただ静かに、事態が過ぎるのを待ったの。
どれくらい経ったかは、もう覚えていない。
避難所の中では時間の感覚も、音も、外の光すらほとんどなかった。
ただ妹の手の温度だけが、私を現実に繋ぎ止めていた。
そして、全てが「終わった」と告げられたとき、外に出て見た街は、まるで別世界だった。
道路は裂け、建物は骨組みを残して潰れ、空は煙で色を失っていた。
あの“普通の生活”は、確かに今朝まで存在していたのにもう、どこにも見つからなかった。
しばらくして、避難所にあったテレビでニュースが流れた。
巨獣は軍によって駆除されたと。
けれど、モントリオールと軍は甚大な損害を受け、都市の放棄が決定されたそう報じられた。
それを聞いた瞬間、私たちは互いに顔を見合わせて、すぐに家へ向かった。
軍や救助隊の姿はまばらで、瓦礫の中を歩いて帰った。
覚悟していたけれど、家は無傷だった。
略奪にも遭っていなかった。
奇跡のようだったわ。
備蓄していた缶詰や水、救急セットもすべて手つかずで残っていた。
それで、私たちは待つことにしたの。
あの混乱の中でも、両親が家に戻ってくると信じて。
家族で決めていたのもし街が危なくなったら、家に戻って合流し、荷物をまとめて、車でオタワかケベックシティへ向かうって。
だから私たちは、その通りにした。
ちゃんと、待った。
でも、父も母も、何日経っても帰ってこなかった。
朝になっても、夜になっても、扉は一度も開かなかった。
通りのどこかに足音が響くたびに、窓から顔を出して確かめたけど、知らない人ばかりだった。
「きっと道に迷ってるだけよ。すぐ戻ってくる」
そうやって、私は自分にも、妹にも言い聞かせていた。
でも……何も変わらなかった。
それから、また少し時間が経った頃だった。
人々がぞろぞろと、街を出ていくのが見えた。
車を持たない人たち、あるいは失った人たちが、荷物を背負って、歩き始めていた。
聞けば、みんな他の街を目指しているという。
「ここにいても、危険なだけだ」
「どこかに安全な場所があるはずだ」
そんな言葉を残して、誰もが背を向けていった。
私たちは、ただ見送るしかなかった。
けれど、心は揺れていた。
行くには遠すぎる。
車もないし、私たちには運転すらできない。
ヒッチハイクなんて望めないし、歩いて行くにはあまりに無謀だった。
道中で巨獣に出くわす可能性だってある。
野宿、飢え、病気、他人の悪意……不安の種は、数えきれなかった。
そして、私はどこかで信じていた。
「きっと、ここにいれば両親が帰ってくる」って。
どれだけ時間が経っても、どれだけ何も変わらなくても私はずっと、あの家に縛られていた。
あの食卓も、あの笑い声も、あの何でもない日々も……全部、忘れられなかった。
もう戻らないと分かっていながら……。
でも、時間が過ぎていくうちに、期待は諦めに変わった。
このままいても、何も変わらない。
崩壊した街は戻らないし、待っていても、両親は帰ってこない。
あの日は、もうどこにも存在しない。
認めたくなくても──それを受け入れるしかなかった。
だから私は、決めたの。
妹と一緒に、ここを出るって。
「行こう」って声をかけた時、妹は何も言わなかった。
反発もしないで、ただ静かに、頷いた。
……あの子も、分かっていたのよ。
どれだけ未練が残っていても、どれだけの危険があろうとも世界が変わってしまったのなら、私たちも変わらなきゃいけなかった。
それが私たちに残された、唯一の選択だったから。
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