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アズリエル

死神が忍び寄る音。

誰だって怖いに決まってる。

虫も、動物も、植物も。

なのに、どうして人間は

自分たちだけが苦しいと思うんだろうね。


「やーい、弱虫優太!」

「悔しかったらスマホ買ってもらえよ!」

学校が嫌いだ。

周りと少し違うだけで、皆仲間はずれにする。

僕以外誰も帰らない方向に1人歩く。

家も嫌いだ。

シングルマザーのお母さんはいつもイライラしている。いつもお兄ちゃんと喧嘩する。

明日地球が無くなればいいのに。

今日もそう願いながら、蝉が鳴く夕暮れの道を歩く。


「君。」

「……え?」

麦畑にざあっと風が吹く。

気づいたら上下黒のパンツとTシャツを着ている人が立っていた。

「(え……?さっきまで誰もいなかったのに……。)」

必死に心臓が飛び出しそうになる胸を両手で抑える。

黒い人はずっとにこにこ笑って僕を見てる。

どう見ても不審者だ。

どうしよう。防犯ブザーは持ってるけど、今周りに誰もいない。だけど……。防犯ブザーに手が伸びない。動いちゃいけない。そんな気がする。おでこから汗がじわっと流れる。

「君。」

声が出そうになるのを必死に抑えた。

「何か飲めるものを持ってないかい?」

無視だ、無視。関わるな。頭はそう言ってくるのに、耳から入ってくる声は、学校の皆やお母さんより優しくて。

「……。」

その人の顔をよく見た。

綺麗な人だ。お化粧をしているのか、肌がすごく白くて、唇は白雪姫みたいに真っ赤だ。でも体が大きいから男の人なのかな。でも髪の毛は真っ黒で長くて、砂で汚れてるけどCMに出てくるお姉さんみたいだ。

「君も持ってないか。参ったな。」

はっとなって蝉の声が急にうるさくなった。

「ご、ごめん!給食で残した牛乳ならあるよ!」

ランドセルから出した牛乳を渡すと、不審者さんはストローを刺してあっという間に飲んでしまった。

「はー、助かった。この辺ってお店ないんだね。」

「うん。お母さんも先生も皆車に乗ってるよ。」

「そっかー。いやー、参ったなあ。君、宿屋さんとか知らない?」

「駅の近くならあるけど、すごく遠いよ。」

「ほんと?うーん、今夜は野宿かなあ。」

困ったように笑いながらぽりぽりと頭をかく。なんだろう、この人、綺麗なのに、すごく冷たい、気がする。

なのに、目が離せない。

思わず、あ、あの、と続けた。

「この辺にずっと誰も住んでない家ならあるよ。」

「え、本当?案内してくれる?」

「うん。少し歩くけどいい?」

「もちろん。その間にたくさんお話をしよう。」

怖い。なのに、嬉しかった。お母さんも先生もお兄ちゃんも、誰も僕の話を聞いてくれないから。僕は不審者さん、じゃなくて、えーと、この人に色々話した。学校で虐められてること、先生も助けてくれないこと、お母さんも体が大きくなったお兄ちゃんといつも喧嘩していること。

「君は、とても辛そうだね。」

あの人は途中で止まって僕と頭の高さが同じになるぐらいまでしゃがんでくれる。

「大丈夫。君のせいじゃないから。」

あの人は頭をそっと撫でてくれる。お父さんがまだいた頃、お母さんが僕にしてくれたみたいに。僕はその場で泣き出してしまった。周りには僕たちのほかに誰もいない。あの人はただ僕を抱きしめてくれた。その温かさが優しくて、余計に泣いてしまった。


「ありがとう。おかげで外で寝ないで済むよ。」

「うん。でもここ、草だらけだけど大丈夫?」

「外よりましだよ。君は優しいんだね。」

にっこり笑ってもらえて、僕はあわてて下を向いてしまった。

「君も少し中で休んでいきなよ。」

「うん!」

5時までには帰れってお母さんに言われていることも忘れて、僕はあの人について行った。

「大してお構いもできませんが。」

「そんな!あなたと一緒にならどこだって、あ。」

口を両手でばっと抑える。名前も知らない人に変なこと言っちゃった。怒ってるかな、あの人の方を見たら、変わらずニコニコ笑っていた。

「おやおや、君はよほど私を信頼してくれているんだね。光栄だな。」

指を口に当てながらクスクスと笑うあの人は可愛かった。

「ところで君、好きなヒーローはいるかい?」

「え、なんで?」

「興味本位さ。私にも憧れのヒーローがいたよ。誰にも理解されなくても自分を貫く孤高のヒーロー。私もそうありたいと願っている。」

「そ、そうなの!?すごい!あなたはヒーローなんだね!」

「そんなものじゃない。ヒーローじゃ私の理想は叶えられないんだ。だから私はヒーローにはなれないんだよ。」

「ううん!あなたはヒーローだよ!だって僕にこんなに優しくしてくれたから!」

はっとした。つい夢中になって話しちゃった。気持ち悪いって思われたかな。でも不審者さんは優しく笑うだけだった。

「ふふ、じゃあ優しい君に牛乳のお礼も兼ねてサービスしようかな。君は何が欲しい?」

「え?」

「なんでも叶えてあげるよ。君の年頃だとゲームソフトか最新ゲーム機かい?」

「……いらない。」

「ん?どうして?」

あの人はこてっと首を傾げる。

「全部お兄ちゃんがとっちゃうから……。」

お気に入りのヒーロー人形も誕生日に買ってもらったゲームもとられた。お母さんは知ってるはずなのにお兄ちゃんを怒らない。

「じゃあ、まずはお兄ちゃんに君からとったものを返してもらおうかな。」

「え?そんなこと……。」

「出来るよ。だって、私は特別だからね。」

にっこり笑うあの人は、嘘をついてるようには見えなかった。

「さあ、遅くなるからもう帰りな。きっと君にとっていい方向に変わってるよ。」

あの人は僕にひらひらと手を振ってくれる。いつもは重くて仕方ないランドセルが、軽く感じた。


「優太!俺が悪かった!許してくれええええ!!!」

家に帰るとお兄ちゃんが青ざめた顔で僕のところに飛んできた。僕からとったものを全部抱えて。ヒーロー人形にゲームソフトにお小遣い。不審者さんの言う通りになった!僕は飛び跳ねて喜んだ。持ってた怪獣人形と一緒に遊んだ。その間お兄ちゃんは部屋の隅で震えてたけど、僕は見ない振りをした。

「ただいま。」

「お母さん、おかえり!」

「あら、翔太。今日は大人しいのね。いつもそうならいいのに。」

お母さんは僕を無視して夕飯の支度をする。いつものことだけど、今は気にならない。

「あのね!今日ね!綺麗な人に会ったの!すごく優しかった!」

「翔太、後で宿題見せなさいね。」

「それで帰るのが5時過ぎちゃったんだ!ごめんなさい!」

お母さんは眉毛がピクッと動いてゆっくり僕を見る。

「あんた、あれだけ5時には帰れって言ったよね?」

「う、うん。でもね!あの人が!」

「言うこと聞けない子なんかいらない。」

お母さんは鬼みたいな顔をして、ゆっくり包丁を振り上げた。


「僕……帰りたくない……。」

「こんなに震えて、可哀想に……。何があったの?」

お母さんに包丁を向けられて、ほっぺが少し切れた。お母さんが僕をゴミみたいな目で見るのはいつものことだけど、あそこまでされたのは初めてだった。怖くて怖くて家を飛び出してあの人のところまで逃げた。全部全部あの人に話した。

「それは、許せないな。」

ざわっと背筋が寒くなる。なんだろう、あの人の声は心地いいのに、背中に針を向けられてるみたいだ。逃げたい。でも、逃げたくない。

「あ……。」

僕が泣いてると、あの人の雰囲気がふっと柔らかくなった。

「ああ、ごめんね。君を怖がらせるつもりはなかった。」

会った頃みたいに優しく頭を撫でてくれる。

「今夜は泊まっていきなさい。明日になったらお母さんは優しくなっているよ。」

「嘘だ……。」

「嘘じゃないよ。ずっと傷つけられてきたキミには難しいかもしれないけど、私を信じて。」

「……ほんとに本当?」

「うん、本当だよ。私は特別だから。」

僕はほっとした。そしたら急にお腹が鳴った。そういえば晩御飯食べてない。

「ほら、食べて。拾い物だけど、大丈夫。食べられるから。」

あの人は缶詰を渡してくれた。

「え、いいよ!あなたのでしょ!?」

「私は大人だから大丈夫なんだよ。子供は食べなきゃ駄目。」

お腹が空きすぎて、受け取ると缶詰を開けて夢中になって食べた。乾パンだったから結構お腹いっぱいになった。

「眠い……。」

「うん。ゆっくりお休み。明日になったら世界は変わっているよ。」

あの人の声が優しくて、僕は静かに眠った。


「ただいま……。」

土曜日だからそのまま家に帰ったら、お母さんが出迎えてくれた。

「あら、おかえり。優太。昨日は大丈夫だった?変な人に襲われなかった?」

「え、う、うん。」

「良かったー!さ、ご飯できてるわよ。食べましょ。」

な、何が起きてるんだろう。お母さんが怒らないで僕に話しかけるなんて。お兄ちゃんは?

「優太は成績がいいのねー。あの人とは大違い!勉強して偉い人になって、お母さんを楽させてね。」

お母さんの話も聞かないで、お兄ちゃんを探した。僕たちとは違うテーブルで小さなお皿に盛られたご飯を食べてる。まるで犬か猫みたいだ。

「どうしたの?ああ、翔太?いいのよあんな子。ずっと優太のこといじめてたでしょ?私の子供は優太だけよ。」

お兄ちゃんの肩がびくっと震える。

おかしい。怖い。何かが起きてるのに、それが何か、何でか全く分からない。でも、元に戻りたいとは思わなかった。だって、お母さんがやっとこっちを見てくれたから。


それから僕の周りはどんどん変わった。先生も学校のみんなも優しくなった。お母さんは家計が苦しいはずなのに僕にスマホを買ってくれた。ライムでクラスの皆と連絡できるようになって、ますます友達は増えた。怖い。嬉しい。怖い。嬉しい。どっちつかずのまま、僕は毎日を過ごした。だって、この世界では僕は虐められない。誰も僕を傷つけない。それは、僕がずっと望んでたことだから。


「ただいま。」

いつも通り学校から帰ると、お兄ちゃんが飛んできた。

「優太ーー!!!」

顔は青ざめていて、ほっぺは涙でびしょびしょだ。

「母さんが……。母さんが!!」

足をもつれさせながら引っ張られるようにリビングに行くと、お母さんは天井からぶら下がっていた。


「おや、優太くん。こんにちは。」

「お母さんを返して!」

僕はあの人の家へ行った。

「あなたは特別なんでしょ!?お母さんを返して!!」

「それは出来ない。私は命を奪うことは出来ても、返すことは出来ないんだ。」

「え、じゃあ、それじゃあ……。」

足がガクガク震える。もつれて尻もちをつく。怖いのに、あの人から目が離せない。

「そうだよ。君のお母さんは、私が殺した。」

背中の毛がぞわっと逆立った。

「あの女、金にがめつくてね。金の無心が鬱陶しかったんだ。あれでも2児の母親だから大目に見てあげてたのに、馬鹿なやつ。」

な、何を言ってるの……?

「ひ、人殺しは犯罪なんだよ!!」

「うん。知ってる。でも、死んでも治らない馬鹿っているんだ。君の母親はその典型。自分の不倫が原因で離婚したくせに優太くんに責任転嫁して。あ、君は知らなくていいことだったね。」

にこりと笑う不審者さんの優しい顔は会った時のままだ。あの時は嬉しかったのに、今は怖くて仕方ない。

「あ、あなたは捕まっちゃうんだよ!」

「大丈夫。私は特別だから。」

だめだ。あの人は相変わらずにこにこ笑ったままだ。

「言いたいことは終わりかい?じゃあ今度は私から話そうか。君はなんで人を殺しちゃいけないと思う?」

「え?だ、だって、人殺しはいけないんだよ!」

「逆にどうして人は殺しちゃいけないの?私が可愛がってたミケは母親が猫が嫌いって理由で河に捨てられた。夏休みに飼ってたボンは、近所の子供が羽を引きちぎって飛べなくなった。どうして人間は、自分だけは何してもいいと思ってるんだろうね」

静かに話すあの人は、どこか寂しそうだった。

「子供の頃は恋愛ゲームも好きだったんだ。でも、私が選んだ女の子は情緒不安定でね、主人公のハムスターを殺しておいて血の着いた顔を向けてにっこり笑うんだ。人間は傷ついていると言えばなんでも許されると思ってる、そう感じたよ。」

あの人は僕の前まで来てしゃがみ込む。ついっと人差し指を僕の顎に当てる。寒い。耳がキンキンする。指で喉を撫でられて息ができなくなる。

「人間は今も動物や虫や植物を殺してるよ。自分が追い詰めてるものの苦しみを見ないふりして。いや、それらの苦しみにすら気づけてない。自分が一番可愛いから。私は、この世にある命は平等だと思ってる。それに気づかずこの世界にのさばる人間が嫌いなんだ。」

「わ、分からないよ……。」

「そうだね。君には難しいことだったね。でもね、私は人間皆嫌いな訳じゃないんだ。君みたいな優しくて聡い子供は好きだよ。」

体が動かない。不審者さんは僕の横を通り過ぎようとした時、あ、そうだと続ける。

「私の名前はアズリエル。興味があったら調べてみてね。」

バーイ、とだけ言って、あの人はいなくなった。動けない。風が麦の香りを運んでくる。


僕とお兄ちゃんはあの後、優しいおじさんとおばさんに引き取られた。お母さんを亡くした僕たちに優しくしてくれて、毎日美味しいご飯を作ってくれる。話もよく聞いてくれる。これもあの人が用意したことなんだろうか。そう考えると体が冷たくなる。でも、人間は案外適応するもので、平和に小学校、中学校を卒業する頃にはすっかりこの日常を受け入れていた。

「優太くんも、もう高校生か。」

「しかも県内トップの学校に合格だなんて。本当に賢いわぁ。」

「ありがとうございます。おじさん。おばさん。」

話もそこそこに、僕は自分の部屋へ戻った。ふと机の上の社会科資料集が目に入る。表紙は死神の宗教画だ。そういえば、と思いぱらぱらとページをめくる。

「あった。アズリエル。」

その正体は死の天使。今まで気付かないふりをしていたけど、あの人のことを思い出した。

「どうして人を殺しちゃいけないの?か。」

あの幼少期の出会いは、あまりに鮮烈だった。確かに、虫や動物を殺すのと人を殺すのは何が違うんだろう。でも、普通の人はそんな疑問を抱かないんだろう。僕が歪んでいるのか、世界が歪んでいるのか。

「それでも……。」

僕はあの日会った死の天使に感謝をしている。あれがいなかったら、僕は今も惨めに暮らしていた。死の天使がもたらしたのは母の死だったけど、どこまでも僕を優しく包み込んでくれた。重くて苦しくて痛かったけど、それでも、ひどく心地よかったんだ。

まぶたを閉じると、麦畑の前で、あの人が静かに微笑んでいる。ざあっと麦のそよぐ音。汗腺がぶわっと開く。ばっと目を開けると、いつの間にか空いていた窓からカーテンがたなびいていた。

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