第7話
顔を真っ赤にしたフェリスはケダモノを警戒するようにオズから距離を取る。
よく見ればオズの舌が触れた首筋まで真っ赤になっていた。
その様子にオズは思わず噴き出した。
「ハッハッハッハ! この俺を前にそんな反応をされたのは初めてだよ!」
魅惑の美貌の男が破顔して腹を切って笑う様は、いつもの怪しげな雰囲気から無邪気で少年のような雰囲気に変わる。
目じりに涙まで浮かばせて笑う彼にフェリスはもっと顔を赤くする。
「そんなに笑わなくてもいいじゃないですか!」
「ハハハ、いや、300年以上生きて初めての経験をするとは思わなくてね、」
笑いすぎて息が整わないオズにフェリスはもっと顔を赤くした。
その様子を更に笑うオズ。
彼の笑いが止まるまで、更に少しの間を要した。
「俺もまだ若いということか。初めての感覚だ!」
油断すると笑いがぶり返しそうになるオズにフェリスはじっとりとした目線を向ける。
「いいだろう、これが君からの報酬ということにするよ。貴重な経験だった」
ああそうだ、とオズは不意に思い出したかのように懐に手を入れる。
そうして一つの指輪を取り出した。
「ミアが君に荷物を全て処分したと言ったと思うが一つだけ処分できなかったものがあってね。これを君に」
それは真珠がトップに飾られた質素な指輪だった。
――フェリスにとって、酷く馴染みのあるものである。
それは母が唯一身に着けていた装飾品だった。
仕事中は目立つ装飾品は身に纏えないため目立たぬようチェーンを通して首からさげ、肌身離さず持っていた代物だ。
フェリスは両手でそれを受け取り胸に抱いた。
数少ない、そして一番思い入れのある形見が返ってくるとは思っていなかった。
「ありがとうございます、オズワルド様!」
「気にしなくていい。我々の手に余っただけだ」
フェリスは深く深く頭を下げる。
これだけは、母の特別だった。
指輪を両手で持ち、フェリスはじいっと
見つめる。
母との思い出が身に沁みた。
ひとしきり思い出を噛みしめてから、礼の品を一つ思い当たった。
フェリスは首元の服を少しはだけさせ、照れてしまい頬を紅潮させながら述べる。
「オズワルド様、その……先ほどは拒否してしまいましたが」
「いやいい。俺は報酬はもう貰ったと言っただろう。そこまで飢えてはいないよ。それに、」
オズはフェリスの唇に人差し指をあてた。
「俺のことはオズでいい、と言ったよ。よろしく、フェリス」
フェリスの瞳を見つめてオズは言う。
そのきざったらしい仕草に頬を少し染めながらフェリスはうなずいた。
「よろしく、オズ」
フェリスの中でオズがお貴族様から抜けた瞬間だった。
これまでフェリスは貴族には敬語を使わなくてはならないと条件反射で思っていた。
しかしこの男は貴族然としながらケダモノで、フランクで……なんだか、対等に扱ってくれている気がした。
よくよく考えれば吸血鬼は貴族ではない。
フェリスは気を楽にしてオズと相対した。
類稀なる美貌の持ち主で吸血鬼。彼は自分をまだ若いというが、自分の何十倍も生きている存在。
そんな彼と暮らすなんて、明日は読めないが楽しそうな気がしてきた。
屋敷で過ごす日々しか知らないフェリスはそのことにわくわくしてくる。
「明日は何をするの?」
「私は君より長く生きる吸血鬼だ。たったの幾日幾月はものの年月に満たない」
迂遠な物言いにフェリスは疑問符を浮かべる。
その様子を見てオズは言い直した。
「つまり、君の好きなところに行こう」
「私の、好きなところ……?」
そんな自由はこれまでフェリスに与えられた事は無かった。
「すぐに答えられないのであればここで適当に過ごすのも悪くないだろう」
初めての自由に戸惑うフェリスを、オズはそうフォローする。
自分の居場所はお屋敷で、それ以外に考えた事など無かった。
移動の機会があっても、それは主人に付き添う事しかないと思っていた。
望外の幸運がフェリスに訪れる。
「えー! それなら国の西に行ってみたい! 王都もいいし、あの宝石の名産地もいいし、隣の領地の高原も見晴らしがいいって有名だし……」
フェリスは年頃の娘のように(といっても正に年頃の娘なのだが)はしゃぐ。
あまりにも多い行先にオズは頭の痛そうな顔をした。
「せめて行先は絞ってくれ」
「好きなところに連れて行ってくれるんだよね!?」
「もちろん、連れて行こう。連れていくが、あまりにも多いのは勘弁してくれよ?」
「分かった! 明日の朝までに考える!」
フェリスは嬉しそうに言う。
憧れの場所はたくさんあった。
ウキウキでフェリスは寝室に戻っていった。