女子供は床で飯を食え
あの人は、病気で戦争に行けなかった事が心残りで、近所の方々からも非国民だの志が低いだの言われ続けた事もあってか、やがては心を病んでしまいました。
時は戦争真っ只中。調理用の鍋から日用品まで、少しでも金気のある物は容赦無く軍が持ち去ってゆき、我々は欠けた茶碗で唇を切る事も良しとされました。
日に日に配給も減り、裏の山から野草を採っては売ったり食べたりと細々く暮らしておりましたが、これでも我々はまだ裕福な方であったと聞きます。都心では盗人や押し入りが相次ぎ、配給を巡り暴動まで起きる始末。私はそれを聞いて強く心が締め付けられる想いでした。
あの人は、近隣に赤紙が来る度に歯痒い面を見せ、御国の為に何も出来ないと惨めな口調で時折粗暴を働きました。しかし出兵の見送りで泣く母親の顔を見ては、私は決して羨ましくは思いませんでした。後三年後には一人息子がああなるのかと思うだけで、芋粥が喉を通りません。
──女子供は床で飯を食え!
国を思う気持ちが募りに溢れたあの人は、ある日突然にそんな事を口にしました。
戸惑う息子をそっと抱き締め、私はその意を問おうとしましたが、あの人は聞く耳を少しでも持ち合わせてはいませんでした。
仕方なく息子と冷たい床に座り、私達は粥をすすり始めました。
──俺は厠で飯を食う!!
椀を持ち上げ、あの人は勢いに任せた様に、便所へと向かい閉じ籠もってしまったのです。突然のことに私と息子は顔を見合わせ、眉を下げました。
しばらく経っても出て来る気配がありませんでしたので、私はそっと厠の戸の前で耳を傾けました。すると、あの人は国の為に何一つ出来ない不甲斐なさからか、すすり泣きながら粥を食しておりました。
しかし、こんな事をしても国の為に何一つならないというのに、私はそれを止める事すら出来ないのでした。
息子達の遺骨が届き、ただただ泣き続ける母親を見た時は、この世の終わりかと思いました。後一年、息子は国の為に軍へ向かう志を、いつの間にか植え付けられており、私は強く学校教育とやらを憎みました。
あの人が大きな鶏肉を持ってきたのは、息子の誕生日の事でした。いつも通りは私達は床で、あの人は厠で、絞めた鶏を食べました。いつもよりあの人の泣き声が大きく聞こえたのは気のせいではありません。きっと息子の出兵に思うところがあるのだと、私は信じることにしました。
お国のために頑張ってこい。その言葉を呑み込んだあの人の顔は今でも忘れられません。
息子が戦争へ向かう事はありませんでしたが、敗戦の報せを聞いたあの人の泣き顔と、私の泣き顔と、つい先日息子を亡くしたばかりの奥さんの泣き顔と、大の大人が揃いも揃って顔を付き合わせ泣いたのは、それっきりでした。