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軍営  作者: 横山士朗
11/12

謙信編 越中平定から七尾城攻防へ


  *講和と断絶 


 翌天正三年(一五七五年)一月十一日、吉日のこの日、長尾喜平次顕景が改名した。上杉弾正少弼景勝の誕生である。

 同時に樋口与六も元服し、諱を兼続とした。

 景勝と兼続は、儀式を終えた後に、御礼の言上のため、揃って謙信の下を訪ねていた。

「御実城様のお陰をもちまして、こうして二人ともに、それぞれ改名並びに元服の儀を滞りなく終えることが出来ました。ここに深く感謝申し上げます」

 二人を代表して景勝が御礼を申し述べた。

「左様な堅苦しい挨拶は抜きじゃ。これからは三人で祝い酒と参ろう」

 謙信の指図で、すぐさま三人の前に酒と肴が用意された。

「先ずは祝着じゃ」

 謙信は盃を軽く掲げると、それを一気に飲み干した。それを見ていた景勝と兼続も、(うやうや)しく両手で持った盃を緊張した面持ちで飲み干した。二人とも酒はいける口らしい。

「御実城様は私との約束を守り、こうして果たして下さいました」

 口を開いたのは、元服したばかりの樋口兼続である。

「忘れるはずもなかろう。与六、いや兼続が文武に勤しむ様子は、いつも気にしながら、新兵衛たちから聴いておったぞ」

 近臣として活躍していた彌太郎や新兵衛らは、年齢を考慮して、今は春日山で預かっている子供たちに武芸や教養を授ける役回りを担っている。もちろん、その中から秀でた才覚の持ち主を更に伸ばすと同時に、その様子は謙信の耳にも、逐一届ける手筈となっていた。

「そうでしたか。それでは後ほど、あらためて老臣の皆さまには、御礼を申し上げたいと存じます」

「うむ、そうするがよい。皆喜ぶことであろう。景勝が戦で城を離れていた時も、一人遅くまで文武に励んでいたらしいではないか」

「はい、それも今日こうして元服の日を迎えられたことで、全てが報われた気がいたします」

「いいや、今日で終わりではなく、今日が始まりじゃ。お主にはこれから景勝の片腕として、しっかりと、その役割を果たして貰わねばならぬ。頼んだぞ」

「はいっ、承知いたしました」

「御実城様、ご心配には及びませぬ。兼続は坂戸の城を出た時から、既に我が随一の側近でございます。きっと、御実城様のご期待以上の働きを、これからお見せ出来ることと存じます」

 普段は決して口数の多い方ではない景勝が、珍しく饒舌だ。これも兼続の元服が、どれだけ嬉しくて仕方ないかの表れであろう。謙信は満たされた盃を口に運びながら、素直に喜びを噛みしめていた。

「今考えれば、景勝と伴に兼続を春日山に送り込んで下された、お主の母上に感謝せねばならぬのう、景勝」

「仰せの通りと存じます」

「景勝、そして兼続、お主たちにはひとつだけ儂から伝えておく」

「はい」

 突然真剣な眼差しとなった謙信を前にして、何を言われるか分らない二人は、些か当惑しながらも、盃を膳に置いて次の言葉を待った。

「いずれこの儂も、お主らより先にこの世を去ることになろう。その時、この日の本の時勢がどう動いているのか、変わっているのか、今は無論知れたものではない。儂が一番恐れているのは、その時が越後最大の危機かもしれぬということだ。分かるな」

 二人は同時に唾を呑み込み、頷いた。

「お主たち二人は、その危機を乗り越えなければならない。いや、言い換えよう。お主たち二人が力と知恵を合わせれば、必ず乗り越えられる。そう儂は信じている。この話を二度とすることはなかろう。それぞれの胸の奥にしっかりと刻みおくのだ。そして、()()()()()()に思い出して動け。良いな」

「はい」

 二人は同時に返事をした。

「二人は全てが同時じゃのう。余程気が合うとみえる。良し、本当に固い話はこれで終いとしよう。今宵は儂も嬉しい。気分が良い。三人で飲み明かそうではないか」

「承知しました」

 今度も元気よく二人が揃って返事をした。互いに眼を見合わせた三人が思わず笑っていた。


 柿崎和泉守景家が亡くなった。木崎城からの急報だった。

 前の晩まで、普段通り元気に酒盛りをしていたという。翌朝、床の中で静かに横たわる姿が発見されている。その顔は眠っているように安らかだったらしい。享年六十二歳だった。

 元亀四年元旦には、村上義清が先立っている。二月前には、初陣から仕えてくれた本庄実乃も、静かにこの世を去っていた。若者の成長・台頭と引き換えのようにして、謙信を支えてきた老将が、ひとりまた一人と消えていく。その度に、何とも言い表せない虚無感が謙信を襲っていた。

昼は一人毘沙門堂に籠り、ひたすら祈り続け、夜は酒で紛らわし、現世の無常を噛みしめる日々が続いていた。

 やがて、柿崎の家督は晴家が継ぐことになった。越相同盟の折に、小田原に人質として赴いたその若者だ。晴家に、父のような剛胆さと繊細さの両方を、求めるのは難しい。しかし、小田原での人質生活は、これから一族の長として必ず役に立つはずだ。今はそれを信じるしかない。

 その日は雨上がりの空に浮かぶ雲間から、時折姿を見せる月が綺麗な日だった。その月明りを頼りに、ひとり酒を傾けていた時のことだ。ふいに幻次が現れ、謙信の前に跪いた。

「如何した、何かあったか」

「火急の報せでございます」

「申せ」

「去る五月二十一日、三河国長篠城の西方、設楽原にて織田信長・徳川家康の連合軍と武田勝頼が激突、どうやら武田勝頼が大敗した模様でございます」

「勝頼如き若造が、信玄の遺言を破って討って出たか。仔細は如何した」

 信玄の死は三年を待たずに、死後直ちに各地に広まったが、勝頼には三年間は体力を蓄えよ、との意味も含めた遺言であったはずだ。やはり気が逸り、功を焦ったか。

「未だ掴めず、分かり次第あらためてお報せ申し上げます」

「うむ、急げ」

 幻次が立ち去った後も、胸の鼓動の高まりは治まらない。

 これで信長との手切れが早まるのは間違いない。謙信と信長は、武田という共通の敵を抱えて、繋がっていた関係に過ぎない。

 武田勢の損害次第では、暫くの間、勝頼は立ち上がれまい。一挙に信長が勢力を拡大するのは目に見えている。信長が次に目指すのは、ひとつは播磨から西の国々であり、もうひとつが北の越前加賀のはずだった。

 数日後、幻次から設楽原における合戦の詳細が入った。

 織田・徳川の連合軍三万八千が、武田勢一万五千を完膚なきまで打ちのめしたという。武田勢の死傷者は一万にも及ぶらしい。

 中でも、山県昌景・内藤昌秀・馬場信春・真田信綱といった信玄以来の重臣が、(ことごと)く討ち死にしており、総大将の勝頼だけが、再起を託され逃れていた。

 どうやら、勝頼は討ち死にした重臣らの反対を押し切って、信長と家康の大軍に真っ向から挑んだらしい。

 格別の策がないにも拘らず、三倍近くの敵に真っ向勝負を仕掛けたら、こうなるのが分らなかったのだろうか。もしそうであれば、それは大国を治め、大軍の命を預かる将としては、失格と言わざるを得ない。

 信玄は嫡男・義信を自らの手で殺め、後継とした勝頼も戦上手とおだてられ、過信した挙句の果てがこれでは、おそらく浮かばれまい。甲斐源氏の嫡流である武田家も、進退窮まったと言う他ない。

 後日、信長から謙信に対して、設楽原での大勝を誇示する内容の書状が届けられた。多少の誇張はあるが、幻次から知らされた内容とほぼ同じだった。

 設楽原での大勝を機に、信長は謙信と距離を置くだけでなく、謙信の怒りを買う勝手な動きを取り始める。

 手始めは、山浦国清への接触だった。謙信を通さずに直接、北信濃の切取りを書状で促す、という無礼を平気で行ってきたのだ。

 国清は村上義清の子であり、今は謙信に臣従し、越中国に在番している。その国清に対して、謙信を通さず直接書状を送るなど、内通を(そそのか)しているとしか思えない遣り口だった。

 これに一番驚いたのは、送られた当の本人、国清である。国清は幼い頃に父と伴に葛尾城を追われながらも、救いの手を差し伸べ、今では一門衆として取り立ててくれている謙信に、並々ならぬ恩義を感じている。

 その謙信から事実無根とは言え、内通の疑いを掛けられては堪らない。すぐさま、その書状を春日山城に回付したことで、謙信の知るところとなっていた。

 信長の横暴はこれだけに止まらない。

 常陸国の佐竹義重と下野国の小山秀綱に対しても、設楽原での大勝を報せるとともに、討ち漏らした勝頼を、攻め滅ぼして欲しいと、直接要請してきたのだ。

 これまで、関東諸将に対する事柄は全て、関東管領である謙信を通して行ってきたにも関わらず、このあからさまな態度の変化である。

 これに一番怒りを覚えたのは佐竹義重だった。これではまるで、信長に臣下の礼を取れと言わんばかりの内容ではないかと憤慨し、信長に対して書状を突き返すと同時に、謙信にも顛末を報せてきたのだ。

 元々独立心の強い関東諸将である。謙信はその意向を十分汲み取ったうえで、あくまでも対等同盟という形式で、味方を募ってきた経緯がある。

 義重にすれば、関東管領の謙信からでさえ、臣下の礼を求められたことがない。武田勝頼に一回勝ったくらいで、調子に乗っている信長になど、おいそれと従うはずもなかった。

 謙信自身は、佐竹義重からの報せを冷静に受け止めていた。

 信長がようやく本性を見せただけなのだ。それが早いか遅いかだけの話であり、いずれこうなるのは分かっていたことだった。

 謙信にもう迷いはなかった。例え味方が誰一人としていなくても、信長と戦い討ち滅ぼすしかない、と密かに決意を固めていた。

 天正三年(一五七五年)十二月、足利義昭からの使者が、春日山城にやってきた。大館藤安という幕臣である。兄の晴光には、永禄二年の上洛時に面識があったが、藤安とは初対面だった。使者を遣わしたのは、これまでの経緯から、御内書を送りつけただけでは心もとない、と義昭が考えたからに違いない。

 義昭の備後国・(とも)の浦への動座は、延期を重ね、年明けにようやく実現するらしい。未だ紀伊国に留まっているとのことだ。

 藤安は早速、義昭からの言伝を話始めた。

「公方様は山内殿の上洛を心待ちにしておられます。上洛して逆賊・織田信長を成敗して欲しい、と心から願っておいでです。此度、不本意ながらも一旦備後国へと、ご動座なさいますが、必ず毛利殿の大軍を率いて捲土重来(けんどちょうらい)を果たすと意気込んでおられます。その時は、是非とも山内殿には、東から攻め上って頂きたいとの思し召しです。そのためにも、一日も早く北条や武田、それに一向宗との和睦をお望みなのです」

「公方様のお望みは、かねてより重々承知いたしております。畏れながら申し上げますが、小田原とは先年迄同盟関係にありましたが、先方から一方的に断交を申し入れてきたもの。説得は小田原に対して、お願い致したいところでございます。また、武田についても北条との同盟が堅く、我が越後を敵視している以上は、極めて困難と心得ます。一向宗も石山本願寺に和睦を申し入れても、依然として良き返事を頂けず、今日に至っております。以上からご理解頂けるとは存じますが、原因は全て相手方にあり、この謙信一人に対して、和睦を求められましても、それは相手があること故に筋違いというもの。是非とも、相手方をご説得頂きたいと存じ上げますが、大館殿は如何お考えでしょうか」

「山内殿のお申し出はご尤も、と存じます。公方様も方々に手を尽くされておりますが、なかなかに難しく、良き返事を貰えてはおりませぬ」

「それでは、公方様が如何に我が上洛をお望みでも、困難を極めるは必定。しばしご猶予を頂戴する他ございませぬ」

「それでも、唯一望みを託せるところがございます」

 意味ありげな大館藤安の言葉に、謙信は急に興味を持った。

「そのひとつとは」

「石山本願寺でございます」

「本願寺顕如様は、武田との誼から、和睦に応じてはくれませぬが」

「それが近頃、少し様子が違うのです」

「違うとは、如何なることでしょう。もう少し詳しくお聞かせ願えますか」

「武田殿も代替わりで、勝頼殿の代になられた。その勝頼殿が数か月前、信長に惨敗を期したことで、顕如様も距離を置き始めているのです。まして勝頼殿は、三条の方が産んだ子ではございません」

「なるほど。実に機敏な動きですな」

 皮肉を込めた表現で、謙信は伝えたつもりだ。

「そのうえ、十月の越前国における一向宗徒への猛攻の後に、一旦は信長と和睦した顕如様ですが、どうやら怒りは収まっていないようなのです」

 事実、同年八月に、信長は越前国の一向一揆を攻撃し、大打撃を与えていた。

「とすると、信長との再度断交も間近ということでしょうか」

「公方様はそのように睨んでおります。公方様は備後国にお移りになったら、すぐにでも本願寺と山内殿との和睦の仲介を、密かに進めるつもりでお出でです」

「それは願ってもないこと。ご存知の通り、越中や能登の一向宗徒は、ほぼ鎮静化させておりますが、金沢御坊が控える加賀の宗徒には、まだまだ手が掛かりそうな状況故に、もし和睦がなれば一挙に道が開けましょう」

「それは頼もしい。今の話を聞けば、公方様もお喜びとなります」

「お待ちくだされ。とは申せ、信長を叩き潰し、小田原を滅ぼして後となります故に、上洛迄には少なくとも、あと数年を要するものと思われます」

「それでも、数年の後に実現するのであれば構いませぬ。早速、紀伊に戻り公方様に本願寺との話を進めて頂くよう申し伝えます」

「宜しくお願い申す」

 謙信の目の前に、一筋の希望の光が表れた瞬間だった。

 そもそも、(みやこ)には畏れ多くも(みかど)が鎮座し、その帝から政事を委託された、将軍がいなければならない。そして、その将軍は全ての武家を統べるのが本来の姿だ。その秩序が保たれて戦もなく、安心して暮らせる世の中こそが、民が求めている国の姿でもあるはずだった。しかしながら、乱世という時流を正当化し、かつては成り上がり者の三好長慶が、そして今は織田信長が、将軍をないがしろにして君臨しようとしている。このことは謙信にとって、断じて許容できることではなかった。

 確かに義昭公にも将軍の資質としては疑問が残るところがある。しかし、だからといって、その御方を廃し奉る、あるいは追放しても良いことには、決してならないはずだ。管領や国主は、将軍が如何なる御方であれ、あくまでも、その高貴な血筋を引く御方を補佐し、正しい方向に導くべきなのだ。

 謙信は自らの理想実現に向けて、ようやく、その第一歩を踏み出そうとしていた。


 天正四年(一五七六年)一月、将軍足利義昭は、紀伊国由良の興国寺から、毛利領の備後国(とも))の浦に動座した。かの地は昔、足利尊氏が、光厳上皇から新田義貞追討の院宣を賜ったとされ、

足利将軍家にとって、縁起の良い場所である。

 義昭は早速、積極的に動き始めた。毛利輝元に信長追討と幕府再興に協力するよう、求めると同時に、本願寺への対謙信和睦工作を進めた。

 思った通りだった。前年の信長による越前一揆勢への攻撃で、一旦は怖じ気づいた顕如が、信長と和睦をするも、決して屈服した訳ではなかった。むしろ、時が経つに連れて、信長に対する怒りの炎は増幅する一方だった。

 そこに、謙信との和睦と同盟の話である。石山本願寺・顕如にとっては、まさに「渡りに船」の話だった。

 同年五月、将軍足利義昭の仲介により、遂に謙信と本願寺顕如との和睦が成立した。同時に謙信と毛利輝元との同盟も結ばれ、ここに織田信長との断交は決定的となった。


 信長は安土にいた。

 琵琶湖の南東部に位置するこの地に、巨大な要塞の築城を、始めたばかりだ。

 今は越前から呼び戻した柴田勝家を従えて、城普請の進み具合を眺めている。勝家には、前年の越前国一向一揆殲滅作戦以降、北陸方面の総司令官を命じていた。もっとあからさまに言えば、謙信対策である。この安土城も、北陸道から京を狙う謙信対策の城でもある。

「とうとう、謙信が本願寺と和睦したらしい」

 信長が勝家を呼びつけたのは、他でもない。この話をするためだ。

「それはまことでございますか」

「これで謙信とは完全に手切れとなった。既に毛利とも手を結ぶことが決まっているらしい」

 信長はこれまで毛利氏との友好関係を保ってきていたが、足利義昭が毛利領である鞆の浦に動座したことによって、解消されたのも同然の状態だった。

「顕如の奴、去年の越前攻めで懲りたのかと思ったら、そうでもないらしい。また儂に牙を()こうとしておる」

「少しやり過ぎましたか」

「いや、あれでよい。いずれ、本願寺は潰さねばならぬ相手。それが少し早まっただけと考えればよい。そもそも、坊主が寺とは名ばかりの城郭内に、宗徒を武装化させて籠るなど、実に怪しからん輩じゃ」

「しかし、雑賀衆も中に引き入れて、相当火縄銃の使用にも手馴れているそうでございますし、油断は禁物かと存じます」

「権六」

 信長は非公式の場では、いつも昔ながらの名で呼んでいた。

「はい」

「儂は少しも油断などしてはおらぬ。言葉には気をつけろ」

「申し訳ございませぬ」

「本願寺攻めには右衛門尉を向ける。周囲に出城を設けて孤立させる。心配ない」

 右衛門尉とは佐久間信盛のことだ。

「兵糧攻めでございますね」

「うむ。それより、お主は越後の動きだけに集中しろ」

「ははっ」

「ただでさえ軍神と恐れられる謙信じゃ。その謙信が一向宗と手を結んだのだ。下手をすると、これまで積み上げてきたものが、全て水泡に帰する恐れすらある。加賀の一向一揆殲滅はどうなっておる」

「それが越前において一揆が再燃し、未だ手を焼いている状況で、とても加賀までは、手が」

「馬鹿者、早くやれ」

「はい、早速」

「能登の七尾城はどうだ。調略は上手くいっているか」

長続連(ちょうつぐつら)綱連(つなつら)父子が、未だ遊佐や温井らの重臣と対立しているようで、これもなかなか手古摺っております」

 勝家は流れる冷や汗を、押さえるのに必死の様子で、言葉も徐々に小さくなる有様だ。

「何を愚図愚図しておる。鬼の権六の異名が泣いておるぞ。こうしている間にも、謙信は能登と加賀の攻略に向けて、着々と準備を進めているに違いない。とにかく急げ」

「直ちに戻り進めます」

「いずれ大軍を送り込む。謙信との決戦となれば、儂が直接出向かざるを得まい。それまでお主が下地をしっかり固めるのじゃ。行け」

 逃げるように引き下がった勝家から目を逸らし、信長は琵琶湖の遥か北方に目を向けて、一人呟いた。

「謙信、来るなら来てみろ」

 信長が目指す天下一統の前に、敢然と立ちはだかる巨頭、それが謙信である。来るべき宿敵との決戦に思いを馳せながら、信長はその場に立ち尽くしていた。


  *越中平定

 

 昨日の敵は今日の友、とはよく言ったものだ。越前国の織田軍の脅威を身近に感じた加賀の一向宗徒からは、同盟締結が伝わると、これまでの確執などまるで無かったかのように、出陣を要請してきた。

 謙信は、魚津城代として、越中の国全体を束ねている河田豊前守長親をすぐさま、春日山城に呼び戻した。

「一向一揆勢が味方となった今、あとは織田方と目される城を、虱潰しじゃ」

「ようやく、前が見えて参りましたな」

「越中の様子は如何じゃ」

「我らが新たに国を統治する者である、との認識が民の間にも徐々に浸透して参りました。本願寺との和睦により、この道中も一向宗徒に襲われる心配もなくなりましたし、これからは益々越後との往来も増えることでしょう」

「うむ。そのためにも越後と同じことをやろうと思う」

「越中に府内や柏崎と同じ街並みを作ろうとお考えですか」

 越後は永禄の大飢饉を乗り越え、近年益々、商いが盛んとなり、民の暮らしも格段に改善されつつあった。

「そうじゃ。先ずは鰺坂備中守と相談し、闕所(けっしょ)は我らの直轄領とすることを進めよ」

 闕所とは戦いなどで領主を失った土地のことである。

「それは内々に進めております」

「やるではないか」

 それでこそ、儂が見込んだだけのことはある、という言葉が思わず出そうになったが、謙信はそれを呑み込んだ。

「それから、放生津(ほうじょうつ)と伏木浜の港の拡張整備を直ちに進めよ」

「承知しました」

「放生津は楽市とせよ。町人の諸役は三年免除、津料や渡役も当分の間は免除で良い」

「それならば、直ぐにでも人は集まり、商いが盛んになります」

「これまで越中は一揆や戦続きで、人心の荒廃も進んでおろう。それを救えるのは我らじゃということを、肌に浸み込ませる必要がある」

「仰せの通りと存じます」

「豊前守」

「はい」

「儂の下に仕官して何年になる」

「十七年でございます」

 長親は突然聞かれたことの意図が分からず、戸惑いながら応えた。

「時が経つのは早いものじゃ。よくぞ、この儂に尽くしてくれた」

「何をおっしゃいますか。それがしは今でも、あの日吉大社での邂逅を忘れてはおりません。つい昨日のことのように思い出されます」

「そうであったな。最初は敵の間者と疑っておった」

「はい、それも忘れてはおりません」

「儂が病に倒れた時は、寝ずの看病をしてくれた」

「あの時は、何もかもが必死でした。今となっては、それも良き思い出です」

「うむ」

「御実城様」

「何じゃ」

「急にどうなさったのですか。これからもこの豊前守は、どこへも参りませぬ。御実城様の下でこの命尽きるまでお仕えする所存です」

「わかっておる。ただ、この十七年間は無論良きこともあったが、辛いことの方が多かった気がする。その時に限って、儂はお主に辛い役回りを押しつけてきた。厩橋に沼田、そして今は魚津と、常に敵と隣り合わせの最前線に身を置かせてきた」

「それも、それがしへのご期待の表れと信じ、誉れとは思えども、一度も辛いと思ったことはございませぬ。それに」

「許す、申せ」

「父と共に日吉大社で待ち伏せし、仕官の直談判を行ったのは正解であったと、今でも自負しております。御実城様を選んだ目に狂いはなかったと、今こうして自信をもって申せます」

「言うではないか」

 良い話の内容を自信家の長親が言葉にしてしまうと、必ず鼻につく言い方になる。それは変わりないらしい。

「言うことを、お許し頂きましたので」

 謙信は思わず吹き出していた。

「もうよい、話を戻そう。越中の国内を整備しながら、年内には平定させたい。残った敵対する城はどれくらいじゃ」

栂尾(とがのお)、増山、それに湯山城の三城でございます。確たる証拠があるわけではありませんが、それらは能登・七尾城の長続連(ちょうつぐつら)綱連(つなつら)父子と繋がっているものと思われます」

「長と言えば、信長に通じている奴じゃ。いずれにせよ、次は能登の平定に向かう。その最大の難関が七尾城となる」

「そして、次はいよいよ織田勢との決戦ですか」

「恐らくそうなる」

「今から楽しみです。御実城様が、織田勢を蹴散らすお姿を、想像するだけで血が騒ぎます」

「そのためにも、お主には益々活躍して貰わねばならぬ。いつでも軍を出せるよう、直ちに戻り準備するのだ。越中在番の皆にも、儂の意向を伝えよ」

「承知いたしました。ではこれにて」

 下がろうとする長親を謙信は引き止めた。

「まあ待て。直ちに戻れとは言ったが、明日でよい」

「はい」

 何を言いたいのか分からない長親が、微かに首をかしげている。

「今晩は儂の酒の相手をせよ、と言っておるのだ。魚津に戻るのは明日でよい」

「ありがとうございます」

 謙信の一声で、二人の前に酒と肴の膳が運ばれてきた。


 天正四年(一五七六年)七月十三日、毛利水軍が石山本願寺近くの木津川口で、信長の水軍を撃破したという。謙信にとっては朗報だった。

 信長の兵糧攻めに業を煮やした本願寺・蓮如が、毛利輝元を動かして、海路兵糧を運ばせ、信長勢と激突した結果だという。

 この戦勝により、兵糧は石山本願寺内に難なく運ばれることになり、一時危機が叫ばれた本願寺勢は、一気に勢いを盛り返すことになった。

 謙信がこの機を逃すわけがない。

 天正四年八月、軍勢八千を率いて越中にむけて出陣した。

 未だ敵対する栂尾城、増山城、湯山城を次々と陥落させ、いよいよ能登への進軍開始という時に事件は起きた。

 それは越後・越中の国衆間の問題ではない。新たに味方となった、一向宗徒間における主導権争いが勃発してしまったのだ。

 石山本願寺から派遣された七里頼周(しちりよりちか)と、加賀の首領である鏑木右衛門・奥政堯の間で、どちらが宗徒を率いて、戦の指揮をするかという話だ。差し詰め、現代で言うところの、公務員で言えば官僚キャリア組であり、企業であれば本社エリート組と、現場の叩き上げ組の間に起こった主導権争いだった。

 謙信の本音とすれば、誰が一向宗徒の指揮を取ろうが知ったことではない。謙信勢と連携した動きを取り、敵を攪乱してくれれば、それで充分だった。

 当初は一揆勢内部の問題として、介入を避けてきた謙信だったが、双方が譲らず膠着状態が続く以上は、看過出来なくなっていた。

 謙信は石山本願寺・蓮如に対して、禍の詳細を報せたうえで、裁定者の派遣を要請した。蓮如の意を受けて、やってきたのは坊官・下間頼純(しもづまらいじゅん)である。

 当事者三人と謙信、それに下間頼純が顔を揃えたのは、天正四年十一月十六日のことだ。

「それぞれの言い分を聞こう、先ず七里殿」

 この場を仕切るのは、当然、裁定者である下間頼純である。

「それがしは顕如様からの命を受けて、加賀に下向してきている。当然、一揆勢を指揮するのはそれがしでござろう。それに対して何故、鏑木殿と奥殿が同意して下さらないのか、理解いたしかねる」

 口火を切ったのは七里頼周である。

「七里殿がこう言っておられるが、鏑木殿と奥殿は如何思し召しか」

「加賀の内部のことは、我らが一番熟知しておる。我らにはこれまで、金沢御坊を代表する指揮官として、任務を果たして参った誇りがある。その我らを七里殿は真っ向から否定し、二言目には顕如様の御名を出して、とにかく従えの一点張り。これでは、我らだけでなく、宗徒全員の納得が得られるわけがなかろう」

 鏑木右衛門に続き、奥政堯が話始めた。

「それに失礼ながら七里殿は、指揮官というものが如何にあるべきかを、ご存じないとお見受けする。どれだけ兵法をかじったのかは存ぜぬが、余りにも指令が横暴であり、あれでは誰もが従うことを嫌がって耳を傾けようとは思わぬ」

「それはお主達が、回りを唆し扇動しているからであろう」

「言いがかりはお止め頂きたい。我らがいつどこで誰に対して、唆し扇動したのか、応えて頂こうではないか」

「まあ、そのように互いが喧嘩腰では、纏まるものも纏まらぬ。つまり、お二人は七里殿に、予め、諸事相談をして欲しい。また、物言いを改めたうえで、指揮してくれれば文句はない、ということで宜しいかな」

 頼純が割って入った。

「もちろんでござる。郷に入っては郷に従えという言葉がござろう。諸事予め我らに確認したうえで指揮して貰えれば、このように(こじ)れることはなかったはず」

 右衛門が応え、政堯も頷いた。

「こう二人が言っておる。この機会に七里殿も、お二人と心を割って、万事予め相談するようにしては如何かな。人は決して理屈で動くものではない。動くのはあくまで気持ち次第ですぞ。もう少し肩の力を抜いて、他の方々と接することを心がければ、自ずと道は開けていくものと存ずる。如何であろう」

 頼純の諭しに対し、七里頼周もようやく折れて応えた。

「分かりました。今後は何事もお二人と相談のうえ、戦に臨みたいと存じます」

「さて、これで一件落着と行きたいところだが、お二人も最初から、七里殿とこうして腹を割って話せば、このような騒動にはならなかったはず。我らだけならいざ知らず、こうして山内殿にまでご心配をお掛けしてしまった以上は、何らお咎めなしとは参らぬ」

「少し、お待ちくだされ」

 下間頼純の言葉を遮ったのは、謙信だった。それまで、瞼を閉じて腕組みをしたまま、一切黙して語らず、を貫いていた謙信が、ようやくここで、話に割って入った。

「この謙信に対するお気遣いは、一切無用に願いたい。何よりも一向宗の皆さまがひとつに纏まり、我らと共に、戦ってくださることこそが肝要と存ずる。これまでお話を聞いて参ったが、鏑木殿も奥殿も、決して七里殿への私怨にはあらず。戦における士気が如何に大切であるかは、この謙信がよく存じているつもりです。あくまで戦う宗徒全員のために良かれとの思いで、お二人が止むに止まれず、諫言に及んだものと解しております。それであるならば、此度の件は、お咎めには及ばず、と断じても良いのではなかろうか。如何かな、下間殿」

「山内殿から、そこまでご寛大なお言葉を頂戴しては、否とは申せませぬ。それでは、此度のことは全て不問ということで、七里殿も宜しいかな」

「無論、異議などあろうはずもありませぬ。お二人に何らかの罰があるならば、もう一方の当事者たる我が身にも、御沙汰があって然るべきと存ずる。寛大な裁定に感謝申し上げる」

「それでは方々、ここからがいよいよ正念場でござる。我が上杉勢と一向宗徒の方々が気持ちを一つにして、敵を完膚なきまで叩きのめしましょう。宜しくお頼み申す」

 謙信の一言で、騒動は決着をみることになった。雨降って地固まる。これでようやく、謙信は能登に軍を向けることが出来る。天正四年も十二月を迎えていた。


  *能登侵攻

 

「実にみごとな城構えでございますなあ」

 傍らに馬を進めていた直江大和守景綱が、七尾城を眺望し、思わず感嘆の声を上げていた。

 謙信も気持ちは同じだった。難攻不落と呼ばれるに相応しい城であることを、認めざるを得なかった。春日山城に勝るとも劣らない、聞きしに勝る名城である。

 天正四年(一五七六年)十二月、謙信は能登国への侵攻に当たって、先ずは越中国境の石動山城(いするぎさんじょう)に軍を配し、能登の最重要拠点である七尾城に(くさび)を打った。石動山城は石動山脈の南に位置しており、その北端に七尾城がある。

 謙信は、その七尾城を目前にして、大軍を進めながら城を眺めている。むろん、物見遊山ではない。城の全体像を把握するためである。

 七尾城は能登国守護である畠山氏の居城である。天然の地形を巧みに利用してつくられた、まさに要塞という名に相応しい城である。

 城の名は、七つの尾根に由来しているとのことだ。

 先ず、城の東側を流れる蹴落川(けおとしがわ)と、西から南に流れる大谷川は、天然の外堀の役割を果たしているに違いない。

 また、城の周りを囲む山麓の惣構えは、断崖と柵で覆われており、大軍の攻めにも相当耐えうると考えたほうがよさそうだ。惣構えの外は、城下町になっている。城と町が一体ということだ。

惣構えの中は武家屋敷であり、いざ戦となれば、屋敷が楯代わりとなる。攻め手にとっては相当厄介なつくりだ。

 山麓から山頂に至るまでの景観は、まさに圧巻と言うしかない。それぞれの尾根筋には、石垣を施した数多の曲輪が軒を連ねている。

 頂上の本丸に辿り着くまでは、二の丸や三の丸を含む数々の曲輪群を突破しなければならないが、各所で堅固な守備が待ち構えており、行く先々で、攻め手を苦しめるに違いない。

 尾根伝いの道も敢えて細くしていて、大軍で一挙に攻め上がることは出来ないだろう。逆落としをかけられれば、大勢の攻め手が、谷底に突き落とされる危険すらある。

 城内の守兵は二千と寡兵であるが、味方の二万五千の兵で総攻めをしても、これでは相当の犠牲を覚悟しなければならず、決して得策とは言えない。

 先ずは、城を攻囲しながら、水面下で密かに進めている、城内の重臣・遊佐続光の内通による開城を推し進めるしかなさそうだ。

 謙信としては、多少の月日を割いてでも、城方が降参し開城するのを待つ他ないと判断している。力づくによる開城は、あくまで最後の手段でしかない。

 一方の七尾城内でも、今後の方向性を巡って、意見が纏まらないまま、重臣間の対立は激化するばかりだった。

 この時、能登国守護である畠山氏の力は、重臣たちの台頭によって、既に無きも同然であった。

永禄九年の政変で、畠山義続・義綱父子が追放され、重臣たちの手によって、擁立されたのが未だ元服前の義慶である。義慶はまさに傀儡の国主でしかなかった。しかし、その畠山義慶も天正二年に、重臣の企てで毒殺されていた。

 その毒殺を巡って対立したのが、親・上杉派の遊佐続光と親・織田派の長綱連である。そして、義慶の毒殺後に守護として祀り上げた弟の畠山義隆も、謙信が城を攻囲した時は、病死して間もない時だった。

 つまり、謙信が攻め上がって来た時は、能登の国主不在という混乱真只中にあった。

 謙信は先ず城内に向けて降服の勧告を行った。降伏すれば、本領を安堵するということも添えた決して悪くはない内容である。しかしながら、この勧告の取り扱いを巡り、七尾城内の重臣の意見は真二つに割れた。

「今は家中で争っている場合ではない。本領を安堵してくれるというのであれば、この際、越後の軍門に降るのが得策と考えるが如何か」

 遊佐続光が口火を切った。その意見に対しては、案の定、長続連が反発してきた。

「本領安堵など当てにはならぬ。断固籠城し戦うべし」

「上杉謙信殿は、義を大切にされる御方。その御方が我らを騙し討ちになどする訳がなかろう」

「誰も騙し討ちなどとは言っておらぬ。ただ、食い扶持が減らされるのが、降伏した側の常でござろう」

「謙信殿は一度言ったことを、撤回するような御方ではない」

「そんなことは分からぬ。だいたい、お主は越後贔屓(ひいき)が過ぎるぞ。謙信殿が決して裏切らないと言うのであれば、その根拠を示して頂こうではないか」

「そういうお主も、織田贔屓ではないか。せいぜい、信長殿に擦り寄って、褒美を貰う気でおるのであろう」

「お主こそ、謙信殿と内々に褒美を貰う約束が出来ているのではないか」

 終始この調子で、重臣の意見は纏まるどころか、話し合いは平行線のまま、徒に時間だけが過ぎていく。纏まらないということは、自ずと城内は籠城ということになる。

 城内の遊佐続光からは、協議が不調に終わったことのお詫びを、内密に報せてきていた。

 こうなると、七尾城の攻略に当たっては、やはり持久戦に突入するしかない。兵が倦むことのなきよう、入れ替わりながら大軍で攻囲を続け、降伏を待つことになる。

 ただ、いつまでも呑気に攻囲を続けるわけにもいかない。城内の兵糧は少なくとも一年分の備蓄がなされていることは分かっている。しかも、城内には天然の井戸が幾つも掘ってあるから、水の心配も皆無だという。

 呑気に構えているうちに、もしも織田勢が大軍で北上してくるようなことがあれば、城内と織田勢からの挟撃も覚悟しなければならない。そうなれば、一転して危機を迎えることになる。

 どこかの時点で、遊佐続光に強く決断を迫ることも、想定の内に置いたうえで、謙信は七尾城の攻囲を開始した。

 

 天正五年(一五七七年)、謙信は七尾城を攻囲したまま、正月を陣中で迎えた。

 陣中とあっては、たとえ僅かでも、城内から攻撃を受ける可能性がある以上、正月のお祝いどころの話ではない。しかし、謙信は元旦と二日だけは、軍を半分に分けて、一人二合までの細やかな酒盛りを許可した。厳しいだけでは、いざという時に力が出せない。息抜きも必要なことは、これまでの長い戦歴の中で自ずと身に着けた教訓でもある。

 謙信の下にも、直江景綱、河田長親、鰺坂長実、斎藤朝信、山浦国清らが集まり、細やかな酒宴が催された。

「我らの動きに対して、信長がどう出るか、実に見ものですな」

 景綱は上機嫌だ。

「恐らく、越前国を任せている柴田権六とやらを、送り込んでくるに違いない。信長自身は毛利水軍に海戦で敗れており、今はその立て直しに懸命らしい」

 謙信が杯を口に運びながら言うと、それを一気に煽った。

「となれば、信長自身が北上してくるのは、我らが柴田勢を破った後になりますな」

 河田長親も負けずに酒を口に運んだ。

「恐らくはそうなる」

「御実城様は越前まで攻め込むつもりですか」

 斎藤朝信が訊ねた。

「うむ、戦況次第ではあり得る。しかし、先ずは加賀までを固めることが大事だ。能登と加賀を平定し、信長防衛の最前線をしっかり固めねばならぬ。味方となった一向一揆衆と力を合わせれば、信長もそう易々と動くことは出来ぬはずじゃ。そのうえで、民には越後のように、穏やかな暮らし振りを味わって貰い、一揆など必要のない国へと徐々に変える必要がある。もともと、一向一揆は、政事に対する不満が大きくなったことが原因で起こったものであろう。今は越中に手を付け始めたばかりだが、いずれは能登や加賀の民の暮らし向きも、豊かになるよう変えてゆかねばなるまい」

「なるほど、民の暮らし向きが変われば、一向一揆もやがては消滅すると」

「それは誰にも分からぬ。本来、信仰は心の内にあるもの。信仰のために武器を持ってしまった今、それを力で止めさせようとすれば、必ず軋轢が生ずる。儂としては、信仰を持ったまま、我が軍勢に正式に組み入れても良いとは思っているが、それは果たしてどうであろう」

「とても良いお考えと存じます」

 酒は下戸の鰺坂長実が顔を赤くしながら頷いた。

「いずれ、金沢御坊とは、ゆっくり話す時が来よう。今は七尾城の攻略が先じゃ」

「御実城様、いずれ信長と刃を交える時は、必ずそれがしが先陣を賜り度いと存じます」

「何故じゃ、源吾」

 源吾とは山浦国清のことである。

「信長はそれがしに対し、畏れ多くも御実城様への忠義を、反故にさせようとした、礼節を弁えぬ憎き相手でございます。さような奴には、自ら鉄槌を食らわされなければ、どうにも腹の虫が治まりませぬ」

「気持ちは分かった。しかし、そういきり立つものではない。確かに、あの一件は儂も腹が立っている。しかし、それよりも儂はお主の忠義が心底嬉しい。その時が来て、お主の気持ちが変わらぬ時は、あらためて考えよう」

「ありがとう存じます」

「すると、御実城様は織田勢を駆逐し加賀平定の後は、関東に向かわれるので」

 酒のせいで、些か饒舌になった鰺坂長実が訊ねた。

「うむ。小田原とは決着をつけるつもりじゃ。来年には大軍を率いて小田原の氏政を討つ。信長との決戦はその後になろう」

 そう言い終えた謙信は、何気なく直江景綱に目を移した。すると、何やら先ほどの様子とは違い、顔色が急変している。

「大和守、具合が悪そうだ。今日は休むがよい」

「いやはや、情けない。これも歳のせいでしょうか。何やら急に気分が優れぬようになりました。

申し訳ござりませぬが、お言葉に甘えて、先に休むことにいたします」

 立ち上がったその時だった。身体が横に傾いたかと思うと、それに気づいた長親と朝信が、咄嗟(とっさ)に立ち上がり、白眼を剥いたままの景綱を抱きかかえていた。

「誰か、薬師を呼べ」

 謙信は大声で叫んだ。動揺していた。親父殿が倒れた、死んでしまうのか。そんな思いが、急に謙信を襲い不安を掻き立てていた。

「薬師は未だか。早くしろ」

 謙信はもう一度叫んでいだ。


  *景綱の死


 天正五年(一五七七年)二月、謙信は七尾城の攻囲を任せて、富木城、熊木城、穴水城、甲山城、棚木城といった能登国北部の諸城を、次々に制圧していった。

 輝虎率いる一万三千の軍勢来襲に驚いた各城兵には、その時点で抗う気持ちは失せていた。大半の将兵が投降するか、夜中に城から逃亡する始末だった。

 能登国内で謙信に従わないのは、七尾城の他、加賀との国境に位置する末森城と奥能登の松波城を残すのみとなった。

 正月に倒れた直江景綱は、既に大事を取って越後に帰国させている。今頃は与板城の床の上で養生していることであろう。幸い一命は取りとめたが、薬師の見立てでは、心の臓が相当弱ってきているとのことだった。

 景綱本人は恐らく、自らの体調異変に気がついていたに違いない。自分に悟られまいと、最後まで気丈に振る舞っていたのだろう。

 いつまでも元気だと思っていた、いや、勝手に思い込んでいただけのことだ。だから、傍にいながら、体の異変に気が付いてやれなかった。知らず知らずのうちに、無理をさせてしまっていたのだろう。

 父であり、兄であり、一番の相談相手でもあった景綱が、今は隣にいない。皆が戦勝に沸き、再び七尾城に向かう道中も、謙信ひとりだけは、何とも言い表せない寂寥感(せきりょうかん)(さいな)まれていた。

「ご注進、ご注進」

 遠くから声が聞こえてきた。

 一人の騎馬武者が、七尾城の方角から、こちらに向かって駆けてくる。間違いなく、自分への報せだろう。嫌な予感がした。

 その騎馬武者は謙信の十間ほど前で下馬し、駆け寄るなり告げた。

「御実城様にご注進申し上げます。去る三月五日、直江大和守景綱様が、与板城にて息を引き取られたとのことでございます」

 予感が的中してしまった。景綱はもうこの世にいないのか。

「豊前守、豊前守を呼べ」

 河田長親が慌てて駆けてきた。

「御実城様、如何なされましたか」

「大和守が死んだ。儂は一旦越後に戻らねばならぬ。七尾城の指揮はお主に任せる」

「承知しました」

 意を察した長親は、ただ謙信の命令だけを待った。

「城の攻囲を続けろ。夜襲には気をつけろ。篝火を焚いて、交替で夜通しの警戒を怠らぬよう。儂が戻るまでは、城からの脱走は一人たりとも許してはならぬ。もし、降伏してくる者があれば、それだけは許してやれ。投降が増えれば城内の士気も下がる。馬は少なくとも三日に一度は駆けさせろ。兵の調練も怠るな。頼んだぞ」

「ははっ」

 謙信は思いつくだけのことを長親に託した。長親のことだ、言われなくともそれくらいは、間違いなくこなすはずだ。それでも、言っておくべきことだと思っていた。

 謙信はその日、五百の騎馬兵だけを率いて、越後への帰り路を急いだ。一日でも、一刻でも早く戻りたかった。途中で襲われる心配は殆どない。それでも、少人数での移動は決して周りが許さなかった。諦めた謙信が出した譲歩は、騎馬隊のみでの帰国だった。

 春日山に一旦帰城し、翌朝早く与板に向かった。夢中で駆け続けた。所々に替え馬の手配がなされていた。疲れがないと言えば嘘になる。しかし、景綱に早く会いたい。正確に言えば、もう景綱は、この世にいない。会おうとしているのは、景綱の脱け殻なのだ。それでもいい、その思いが謙信を突き動かしていた。

 与板城の門前で謙信を出迎えたのは、一人の姫だった。景綱の娘、(せん)である。暫く会わないうちに、いつの間にか、二十一歳の大人になっていた。義母の結は景綱の亡骸に、付き添ったままだという。

 景綱の亡骸が安置されている部屋に通された。線香の匂いが鼻を突いた。

 傍には結の姿があった。謙信の姿をみて、動こうとしたが、それを手で制した。最期を看取った時から幾日も経過している。相当疲れているに違いない。それを隠そうとする姿が痛々しかった。体もやせ細り、以前より一回りも小さくなったような気がした。

 謙信は静かに景綱の死に顔を見て、手を合わせた。自ずと涙が込み上げて、人目も(はばか)らず泣いた。嗚咽(おえつ)がとまらなかった。

 三十五年以上の長い付き合いだった。儂のために全てを捧げた後半生だったはずだ。後悔はなかったのだろうか。これまでは間違いなく、景綱あっての自分だった。それは紛れもない事実だ。

 初陣、守護代継承、上洛、関東管領、信玄との一大血戦、越山、越中能登侵攻、その時々で相談し二人三脚で歩んできた。いつも温かい目で自分を見守り、時には心配し、叱ってくれる唯一の人間を、今本当に失ってしまったことを実感した。

 ここに横たわっているのは、紛れもなく直江景綱その人でありながら、既に景綱ではない。魂が抜けた後の亡骸に過ぎなかった。既にやがて土に帰る物体と化していた。 

 葬儀は盛大に執り行われ、遺体は直江家菩提寺である徳昌寺近くの墓所に埋葬された。傍には蒼衣が眠っている。

 謙信は墓前で、蒼衣の御霊に向かって詫びていた。 


 済まぬ。親父殿にはもっと長生きして貰おうと思っていた。儂が頼り過ぎたことが祟ってしまったのだと思う。今更どうしようもないと分かっていても、悔やんでも悔み切れない。

 親父殿には、これからの儂をもう少しの間、見守っていて欲しかった。儂は近いうちに、また能登に戻らねばならない。それが終われば、次は小田原攻めだ。近頃急速に力を拡大している織田信長との決戦もある。あらためて上洛も果たさねばならぬ。せめて、その時まで、親父殿には生きていて欲しかった。

 もう、そちらでは親父殿に会えたのであろうか。親父殿が寂しがらぬよう、面倒をみてやってくれ。いずれ、儂もそちらに行く時が来よう。その時は、また一緒に宴を楽しもう。蒼衣の笛に合わせて、儂が琵琶を弾く。良いとは思わぬか。それを楽しみに待っていてくれ。

 

 謙信は(まぶた)を開き、ようやく立ち上がった。

「長い間、お祈りなさっておられましたね」

 話しかけてきたのは、結である。景綱の死から、何とか立ち直ろうとしているのだろう。努めて明るく振る舞おうと、話しかけてきたに違いない。しかし、まさか二十年以上も前に亡くなった、蒼衣に話しかけていたなどとは、とても恥ずかしくて言えたものではない。

「そうであったか。そんなに長い間であったか。全く気がつかなかった」

 誤魔化しの一言を発するのがやっとだった。

「伺っておりました」

「えっ」

 何を、という言葉は呑み込んだ。

「御実城様と亡くなられた蒼衣様のことです」

「もう遥か昔のことだ」

 照れながらの一言だったが、結は謙信の心の中を見透かすように続けた。

「されど、御実城様は今でも、蒼衣様のことをお忘れではない。それはとても素敵なことです。そして、女子(おなご)にとって、これほど嬉しいことはございませぬ」

「生きておれば、の話であろう」

「それはそうなのですが」

 俯いてしまった結を見て、要らぬことを言ってしまったことに気づき、謙信は後悔していた。

「済まぬ。正直に言おう。蒼衣は今でも儂の心の中に生き続けている。最初で最後の想い人じゃ。儂が死ぬまで忘れることはない」

「やはり、そうでしたか。お話下さり、ありがとうございます」

「結殿」

「何でございましょう」 

「春日山に参らぬか」

「えっ」

「勘違いされては困る。儂も五十近くなって、そろそろ身の回りの世話をしてくれる(ひと)が欲しいと思うようになって参った。しかし、妙な気持ちを起こされては困るし、気心が知れた方の中で、誰かおらぬかと、探していたところじゃ。結殿さえ良ければ、是非にもお願いしたいのだが」

「しかし、私は近々剃髪し、亡き殿の菩提を弔おうと思っておりました」

 結は近々剃髪することを決めていた。名も礼泉尼と改めるらしい。

「それは存じておる。儂が春日山におらぬ時は、勝手になさるがよい。むろん、与板にも来て貰って一向に構わぬ」

「果たして、亡き殿が何と思われるか」

「大和守もきっと喜んでくれるに違いない。そう思えばこそ、結殿に勧めておる」

「しかし、それではお船が、与板にひとり残ることになります。父が亡くなり、そのうえ義理とはいえ、母の私がいなくなっては、寂しい思いをすることになります」

「お船には、婿を取らせる。直江家を断絶させるつもりはない」

「そのような御方を、既に御実城様はお決めなのですか」

「心当たりがある。元は上野国・総社城主である長尾平太に次男がおる。藤九郎という者じゃ。

これとお船を夫婦にしてはどうかと思っておる。如何であろう。お船も早や二十一歳と聞く。決して悪い話ではあるまい」

「それはまことに良いお話かと存じます」

「では春日山に戻り次第、この縁談を進めるとしよう。それで、肝心な結殿のお返事は如何かな」

「直江の家が安泰であり、婿取りとなれば、姑がいてはむしろ邪魔となるでしょう。喜んでお仕え申し上げます」

「それは良かった。こうして、大和守と蒼衣の墓前で、結殿と話が出来たことも、何か不思議な(えにし)のようなものも感じる」

「まことに左様でございますね」

 二人はあらためて墓前に手を合わせた。

 景綱の四十九日法要を済ませて後、結は剃髪し礼泉尼として、謙信がいる春日山城に出仕した。

お船も総社長尾氏の藤九郎を婿に迎え、直江家も無事存続することになった。総社の長尾藤九郎は、直江与兵衛尉信綱として、直ちに謙信に従い能登に向かうことになった。

 

  *落城への(きざはし)


 天正五年(一五七七年)六月、あらためて能登国・七尾城攻めに向かおうとした謙信に、またもや訃報が舞い込んできた。

 三条城主・山吉豊守の急死だった。僅か三十六歳という若さである。

 謙信が越中能登への遠征に当たり、暫く春日山城の留守居役を任せていたので、三条に戻って日が浅かったはずだ。

 その日は久しぶりに領内を見聞し、何事もなく帰城していたらしい。夕餉を運び入れようと声をかけても返事がない。不審に思った近習が居室を覗き見たところ、文机に顔を伏して倒れている豊守を発見したとのことだった。発見した時には、既に事切れており、全く手の施しようがなかったらしい。

 これで、謙信は支えてくれる二人の巨頭を、相次いで亡くしてしまったことになる。そして、礼泉尼となった結は、夫と弟を立て続けに失ってしまっていた。

 豊守には子がいたが、未だ幼く三条城主を任せる訳にはいかない。そこで京から呼び戻したばかりの神余親綱を、城主として三条に派遣することにし、山吉家は木場城主に領地替えさせることにした。

 神余親綱はこれまで京において、雑掌として朝廷や幕府との交渉役を担い、また青苧の取引でも、国元の蔵田五郎左衛門尉との緊密な連携で、大いにその手腕を振るってきた。

 しかし近年は、信長の山城国支配が強まるにつれて、自ずと活動の幅が狭まり、その役割も徐々に縮小してきていた。

 そこに信長との断交という決定打が加わってしまった。そのまま京にいては、命すら狙われかねない。そこで謙信は、商いを昔から取引のある商人に、全てを委ねることとし、親綱を越後に引き上げさせていたのだ。

 神余親綱は春日山城の本丸である、実城に呼び出されていた。そこに袈裟を纏った法衣姿の謙信が現れた。

「儂はもうすぐ能登に参る」

「七尾城攻めでございますね」

「そうだ、金沢御坊と協力し、出来れば加賀まで切り取る。お主には春日山城の留守居役を命ずる」

「ははっ、承りました」

「それから、既に聞き及びのことと思うが、儂が戻り次第、三条に行って貰う」

「有難き御役目なれども、山吉殿のご遺族が主を失ったうえに、領地替えではあまりに不憫(ふびん)でなりませぬが」

「その気持ちは儂も同じじゃ。しかし、嫡男であった盛信が早逝し、もう一人の子も景長と名乗らせ、形ばかりは元服させたが、未だ幼子でとても、蒲原の要である三条は任せられぬ」

「しかし、木場への領地替えとなれば、減封は免れますまい」

「それも仕方あるまい。ただ、一部の家臣は儂が引き取るつもりでいるから、暮らし向きに不自由はさせぬつもりじゃ」

「それを伺い安堵いたしました」

「相変わらず、お主の心根の優しさは、変わらぬと見える」

 謙信の顔に笑みが浮かんだが、それも直ぐに消え、真剣な面持ちに戻った。

「知っての通り、三月には大和守を、そして此度は丹波守(豊守)を相次いで失うことになった。

これまで、丹波守が揚北衆への楔の役割を果たして参ったが、今度はその役目をお主に任せる他ない」

「承知しております。京暮らしが長いとは申せ、もともとは越後で生まれ育ちました故に、揚北衆の難しさは、決して忘れてはおりませぬ」

「揚北衆は独立意識が極めて強い。戦では心強い味方だが、未だに儂の言うことを聞き入れぬことがあるから、正直手を焼いておる。お主には、今まで京で危ない橋を幾度も渡って貰ったが、今度はその代わりに、揚北衆と儂の間を繋ぐという、難しい役割を担って貰うことになる。頼んだぞ」

「無論でございます」

 謙信はあらためて、親綱の顔を見た。確か四歳年上だから五十二歳になるはずだ。頭はすっかり白髪が目立ち、顔にも深く刻まれた皺が、これまでの苦労を物語っているようだ。

「小次郎殿」

 謙信は珍しく親綱を別名で呼んだ。

「何でございましょう」

「決して無理だけはしないでくれ。正直言って、儂はもう我が重臣を失いたくはない。お互いにもう若くはない。儂が上洛した頃とは違う。どうか体だけは労わってくれ」

「有難き御言葉。痛み入ります。御実城様こそ、能登攻めが近づいております。どうか御身大切に。戦勝をご祈念申し上げます」

「うむ。留守中は任せた」

「ははっ」

 謙信は親綱に盃を取らせ、注がれた酒を共に一気に煽った。


 ちょうどその頃、能登の七尾城内では、予期せぬ大変なことが起きていた。

 疫病が蔓延していたのだ。原因は糞尿の処理にあった。

 天正五年五月、河田長親は七尾城惣構(そうがま)えの外側を全て焼き払うよう命じた。その際に、残っていた相当数の民、つまり平時は商工を生業とする人々の一部が、惣構えの内部に、慌てて駆け込んだのだ。

 水源が確保されているので、飲み水は問題ない。食料も城内の備蓄と逃げ込む時に持ち込んだもので、ある程度は凌げる量を確保している。

 しかし、惣構えの内部、つまり武家屋敷や城内では、民の排泄物を処理するほどの厠を用意しているわけではなかった。その結果、城内の至る所で糞尿放置が横行してしまう。それに輪をかけたのが、夏の暑さだった。城内は鼻を覆うほどの激臭で溢れてしまう。その不衛生がもたらしたのは、激臭だけに止まらなかった。

 それが疫病の発生である。疫病は忽ち城内全体に広がり、人々の命を次々と奪っていった。まさに七尾城内は危機的な状態に陥っていた。

 この状況を見かねた遊佐続光は、再び重臣同士で今後の対応を話し合うことにした。続光の他は、長続連、温井(ぬくい)景隆、三宅長盛といった顔ぶれである。

 続光は、あらためて謙信への降伏と臣従を提案した。

「病による死者は、民を合わせると既に三百人を超える。重病人はこれとほぼ同数の二百八十人。既に限界を超えておる。これ以上の籠城は無理であろう。降伏を申し入れようと思うが如何であろうか」

 温井、三宅の両氏が頷くなか、親・織田派の続連だけは、依然として強硬に反対の立場を崩そうとしない。

「あくまで徹底抗戦あるのみ。今更、開城などあり得ぬ。降伏するくらいならば、今すぐに討って出て、全員討ち死にした方がましじゃ」

 続連の主張に対して、反論したのは三宅長盛だった。

「それならば、貴殿とその一族だけが討って出ればよいではないか。我らは降伏に賛成じゃ」

「討って出る、と言ったのは物の例えじゃ。それだけ降伏には反対じゃ、ということだ」

「しかし、このままでは戦うどころか、全員、病の餌食になるだけですぞ」

 今度は温井景隆が諭すように言った。

「我らはその病で、次期当主に担ごうとしていた春王丸様まで失ってしまった。このうえ、貴殿は如何しようとお考えか」

 この時点で畠山家の血筋は絶えてしまっている。

「いいや、ひとつ方法がある」

 続連が自信ありげな表情で応えた。

「それは如何なる方法か」

「民と病人と家族は全て、高屋敷から締め出して、下の武家屋敷に住まわせて隔離する。病人以外は全て高屋敷から上の屋敷に住まわせる。新たに病に罹った者は全て外の屋敷に移って貰う。これでいずれは病も無くなろう」

 高屋敷の外から惣構えまでは、一般の武家屋敷である。そこに病人を全て押し込めようという考えだった。

「それは病人と民を全て見殺しにするとの同じではないか」

 長盛が憤って言う。

「それも仕方あるまい。先ずは御家を存続させることこそ大事」

「民を見捨てて何が御家か。貴殿は己の身が可愛いだけではないか。己だけが良ければ、それで良いと言うのか」

 続連の身勝手な言葉に、思わず長盛は食って掛かった。

「何を無礼な、もう一度言ってみろ」

 興奮した続連を制したのは遊佐続光だった。

「我らが喧嘩腰で何とする。落ち着いて話し合おうではないか」

「ひとつ伺っても宜しいでしょうか」

 今度は温井景隆が続連に質した。

「高屋敷より上に下級武士を住まわせる屋敷はない。如何しようとお考えなので」

「それは倉があるであろう」

 確かに城内には武器蔵や兵糧蔵などを備えているが、とても全員が寝泊まり出来るような場所はない。

「全員が寝るのは無理でございます。それに布団も枕もない」

「野宿も仕方あるまい」

 続連は平然と言って退けた。

「やはり、貴殿は己が良ければ、他はどうでも良いとお考えの方のようだ」

 長盛の怒りは収まりそうにもない。

「止さぬか」

 続連が怒り出す前に、続光が制した。

「もうひとつ、申し上げたい」

 温井景隆は努めて冷静に、続連に対して反論するつもりだ。

「もし、そのような手段に出ればどうなるか、お分かりにならないのですか」

「どうなると言うのじゃ」

「夜陰に乗じて脱走する兵が、後を絶たぬことになりましょう。それこそ、我らは戦わずして、負けをみすみす認めるようなものです」

「それほどまでに言うのであれば、この話は取り下げぬでもない。しかし、上杉の軍門に降ることだけは、断固として反対する」

 長続連は、この一点だけは譲歩するつもりがない。

「しからば何といたすおつもりか」

 いよいよ、遊佐続光の番だった。もう続連の本音を引き出すしかない。

「織田信長殿に援軍を乞うつもりだ」

 他の三人は耳を疑った。代表して続光が発した。

「これまでも貴殿は、信長と内通していたはずではないか。我らはそれを見て見ぬふりをしておった。それでも、今に至るまで援軍を派遣してこないということは、七尾城に興味がないか、他の優先事項があって手が回らないか、のどちらかであろう。この期に及んでも、織田信長殿を頼るおつもりか」

「以前と今では事情が違う」

「どう違うと言うので」

 今度は温井景隆が続連に質す。

「謙信は既に能登国の大半の城を手中に収めてしまっている。もし、この七尾城が陥落すれば、一向宗徒が支配する加賀国を通り越して、直ちに越前国に攻め入るであろう。それを信長殿が看過出来るとお思いか。今度こそ、必ず援軍を差し向けてくれるはず」

 得意げに話す続連に対して、遊佐続光が反論した。

「もし、援軍を差し向けたとしても、加賀の一向宗徒が黙って通すとお思いか」

「今や、飛ぶ鳥を落とす勢いの信長殿の軍勢じゃ。見事蹴散らして、駆けつけてくるに違いあるまい。そうなったら上杉軍は、我ら城兵と織田勢の挟み撃ちの危機を迎える。撤退する他に途はあるまい。これにて我らは解放され、万々歳ということになると思うが」

「そのように上手くいくとは思えませぬ」

 続連の持論に景隆が水を差した。

「それはどういうことじゃ」

「信長は信用出来ぬということです。貴殿の言う通り、この城が無事解放されたとしましょう。その時、我らが、今のまま城に留まれるとお考えか」

「それは当然、そうなるだろう」

「果たしてそうでしょうか。難攻不落と言われて久しい城です。そのような城をみすみす旧主に預けたままにするとは思えません。ましてや、主たる畠山の血筋は、既に途絶えております。信長殿であれば、自分の家来を入れるか、破却して能登の別の場所に新たに築城したうえで、我らを配置換えにするのではないでしょうか」

「それは上杉とて同じではないか」

 景隆の思わぬ冷静な反論に遭い、狼狽した続連の半ば捨て台詞だった。これに続光が黙っているわけにはいかない。

「謙信殿は断じて左様な不義理はいたさぬ。それはこれまでの関東や越中、信濃での仕置きが証明しておる。頼ってきた者には支援を差し伸べ、降伏してきた者にも、必ず一度は寛大で慈悲深い判断を、下されておるではないか」

「過去がそうだからといって、この城にも同じ判断を下すとは限るまい」

 こうなると続連の言葉は苦し紛れでしかない。そこに遊佐続光が、続連にとって耳の痛い話を蒸し返した。

「いいや、これには根拠がある。昨年の降伏を促す書状には、畠山義春様を当主と迎えるようとの進言があった。謙信殿の下には、越後の名家である上条家の養子となった、畠山家の御血筋がおられる。春王丸様を失った今、その御方を主と仰ぎ、名門畠山家を存続させることで、必ず我らの安泰が図られるというものじゃ」

 更に、その続連に追い討ちを掛けるように、今度は三宅長盛が語り始めた。

「織田信長の近年の所業には、目に余るものが多過ぎる。比叡山延暦寺を焼き討ちして、僧兵とは関係のない、老若男女も皆殺しにするなど、人の心を持った者の行為とは言えない」

「それは比叡山が朝倉義景殿を匿い、結託したからであろう」

 遊佐続光も負けてはいない。

「それだけに止まらぬ。滅ぼした北近江・小谷城主の浅井久政・長政父子の髑髏(どくろ)頭部に金箔を施し、酒を飲んだというではないか。とても人間の所業とは思えぬ。更に降伏を申し入れた長島一向一揆二万の老若男女を、宗徒だというだけで、火攻めにして皆殺しにするなど、常軌を逸した遣り口は目に余るものがある。そのような御方には、近々必ず天罰が下されると思わぬか。それでも、貴殿は織田殿の援軍を乞うと言われるか」

「いずれ織田殿の身に天罰が下さるかなど、我らには関係なきこと。今どうやって、この危機を乗り越えるかを考えているのだ。よいか、我らは今、生きるか死ぬかの瀬戸際におるのじゃ。今は強大な力を持つ織田殿を頼るというのが当たり前の策であろう。何故、お主ら全員が、上杉の肩を持つのか、儂には理解出来ぬ」

 これが続連の悲痛な叫びでもあり、心の底から湧き出た本音だった。

「確かに、今の織田殿には勢いがある。京や堺も抑えておる。しかし、西には公方様をお迎えした毛利がおり、石山本願寺がある。先だっては毛利水軍が、織田の水軍を打ちのめしたという。そして、東には上杉謙信という、今や戦の神とも崇められる巨頭がいる。それらが手を結び、信長を追い詰めている以上、決して信長一強と決まったわけではない。むしろ戦となれば、上杉殿に軍配が上がるのは、先ず間違いあるまい」

 つい先ほどまで、感情的に続連と対立していたとは思えない、三宅長盛の冷静な言葉だった。

「左様なことを今更言われても遅いわ」

 続連の投げやりな一言に他の三人は驚いた。何が遅いのか、それは続連が続けて放った一言で明らかになった。

「一昨日の晩、既に信長殿宛の使者を出しておる。今頃は海路、西に向かっておるはずじゃ」

 なんと、続連は他の重臣に断りもなく、勝手に行動を起こしていたのだ。続連の家人の一人が、城の西側の急斜面を下り大谷川沿いに進み、遠回りをしながらも無事港まで辿り着き、続連に()()()()()僧に書状を渡していた。

「信長殿は越前に危機が迫っているとなれば、必ず柴田殿に命じて大軍を送り込んでくれよう。我らは、その織田殿の援軍が来るのを待とうではないか」

 こうなると、長続連の完全な開き直りだった。今までの話し合いは何だったのか。三人は失意のままに、その場を後にするしかなかった。

 その夜、三人は密かに温井景隆の屋敷に集まった。もちろん、続連に知られることは(はばか)られる謀議のためである。

 本来は筆頭家老である遊佐続光の屋敷に集まるところだ。しかし、遊佐屋敷は本丸を出たところに位置し、どうしても他の目についてしまう。万が一にも、続連に知られることがあってはならなかった。

 その点、二の丸近くの温井屋敷は、比較的目が届きにくい場所にあり安心だった。

 もちろん、首謀者は遊佐続光である。

「こうして、再度お集り頂いたのは他でもない。対馬守(続連)のことだ。これ以上、奴の独断専行を許すことは出来ぬ」

「同感です。織田贔屓は以前からのことで、仕方ないと諦めておりましたが、我らに断りもなく援軍要請などあり得ませぬ」

 即座に三宅長盛が反応した。

「しかし、どうしようというのですか。このままでは早ければひと月のうちに、織田勢が進軍して参りますぞ」

 温井景隆も、親上杉派ではあったが、織田軍が来るとすれば、どうなるか予想がつかず、ただ困惑している。

「いや、ひと月ということはあるまい。柴田勢だけならせいぜい一万程度。それで謙信殿に立ち向かうほど愚かではない。軍勢を揃えて北上するまでは、確実にふた月あるいは三月を要するであろう」

 遊佐続光の冷静な判断だった。

「しかし、その間にも流行り病が、どこまで広がるか見当もつかぬ。我らには一刻の猶予もありませぬぞ」

 長盛が焦って言うのも尤もな話だ。疫病は治まる気配すらなく、今も感染拡大を続けている。

「我が結論を言おう」

 続光が意を決したように口を開いた。

「対馬守を斬る」

「しかし、どうやって。用心深い対馬守殿を殺めるのは、決して容易ではありませぬぞ」

 温井景隆らしい一言だ。

「確かにそれが難しい。しかし、今は無理でも、こちらが隙を見せれば、必ず向こうも隙をみせる時が来よう。その時には一気呵成に動く。対馬守だけではなく、屋敷にいる一族郎党全員を討ち滅ぼした後に、すぐさま開城する。もはや、我らに残された道はそれしかない」

「こちらが隙をみせると言っても、なかなか難しいことですぞ」

「それは貴殿と儂は信用されておらぬから難しい。しかし、普段から冷静で、決して真っ向から対立していない温井殿ならば話は違う」

 続光にはすでに思い描いた策があるらしい。

「よいか。これから温井殿には、時をかけて少しずつ、対馬守との距離を詰める動きをして貰う。そして、機会をみて二人だけの謀議と称して、極秘の宴に誘う。ひとりでいる対馬守を仕留めた後、武装した我等の手勢全員で長屋敷を襲う」

「なるほど。しかし、距離を詰めるきっかけが難しゅうござる」

「それも儂に考えがある」

 その後も三人の謀議は続けられ、それは深更に及んでいた。

 

 それから数日後、本丸の一室には再び集まった四人の重臣の姿があった。

「此度は温井殿からのお声がけとは珍しい。何事であろうか」

 事情を知らない長続連が口を開いた。

「過日、対馬守殿からご提案のあった、流行り病に罹った者の区分けの話でございます」

 温井景隆が話し始めた。他の二人は、初めて聞く素ぶりで耳を傾けている。

「ほう、それは貴殿たちが、声を揃えて反対したではないか」

「仰せの通りです。しかし、その後屋敷に戻り、考え直したのですが、良い案を思いついたので、ご足労願いました」

 もちろん、これは遊佐続光の入れ知恵に他ならない。

「お聞かせ願おうか」

「確か、対馬守殿から伺った案は、民と病人と家族は、全て高屋敷から外の武家屋敷に住まわせて隔離する。病人以外は全て高屋敷から上の屋敷に住まわせる。こういうことで間違いござりませぬか」

「その通りじゃ」

「確かにこのままでは無理がございます。しかし、武家屋敷をもう少し細かく、区割りしては如何でしょうか。病人とその家族の区画、民の区画、その他の武家の区画と分けるのです。そして、相互に近づくことがないように、一定の居住並びに、通行禁止区画を設けるのです。如何でしょうか」

「それは良い考えだ。それにしよう」

 自分の考えを組み入れた景隆に、続連は微笑みかけながら賛成した。

「それに、これ以上、流行り病が広がらぬように、交替で武家屋敷の外れに、大きく深い溝を掘りましょう。糞尿はその場所以外で済ませることを禁止するのです」

「それも妙案じゃ。よくぞ我が案を土台に考えたものじゃ」

「いいえ、これも全て対馬守殿の卓越したお考えを基礎にして、思いついたまでのこと。つくづく感服いたした次第でござる」

「いや、それほど褒められたものではないが」

 遊佐続光は続連の表情を横目で探った。その表情はやはり、まんざらでもなさそうだ。

「他の御二方は如何でしょうか」

 ようやく、景隆が続光と長盛に話しかけた。反対があるわけがない。

「異議なし」

「異議なし」

 この日の疫病対策をきっかけとして、温井景隆は、少しずつ長続連との距離を縮め、これまでの蟠りの解消に努めていくことになる。


 その同時刻だった。信長は安土城本丸御殿で、長続連の使者に会っていた。

 天守閣は普請の最中だったが、本丸御殿は既に完成している。その本丸に通された使者は、目を丸くして驚く他なかった。全てが色艶やかで、至る所に金細工が施されている。この世の贅を全て集約したと言ってもいい。絢爛豪華という言葉そのものだった。

「名を申せ」

 信長の言葉に、僧侶姿のその使者は答えた。

「能登国・孝恩寺の住持、宗顓(そうせん)と申します」

「この書状には、貴殿が長続連殿のご子息とあるが、それはまことか」

「仰せの通りでございます。三男故に、幼き頃より寺に預けられております」

 後の長連龍(ちょうつらたつ)である。

「一刻も早く援軍を乞うとあるが、それほど急を要するのか。七尾城は難攻不落の城であり、兵糧さえあれば、何年籠城しても、十分に持ち堪えると聞いておるが」

「御仏にお仕えする身の拙僧には、仔細は分かりかねます。しかしながら、城内では流行り病で亡くなる者が後を絶たず、織田信長公による援軍にすがり、一刻も早く開城したいというのが、父の意向と聞き及んでおります」

「もし儂が援軍を断ったらどうなる」

「それも分かりかねます。しかしながら、もしも七尾城が陥落すれば、上杉勢は一向宗徒と手を組んでおりますので、一挙に越前まで攻め上るのでは、との(ちまた)の噂でございます」

「坊主の割に案外詳しいではないか」

「畏れ入ります」

「この書状、確と読んだ。いずれ、謙信とは戦わねばならぬ。越前まで攻めて来るとあれば、是非もなきこと。むろん、援軍には応えよう。しかし、儂にも考えがある、暫し待て。それまで貴殿は、安土見物でもしながら、ゆるりと休むがよい」

「畏れながら申し上げます」

 宗顓は信長の怖さを知らない。

「何じゃ」

「我が父は一刻も早い援軍を必要としております。何卒、お聞き入れ頂きますようお願い申し上げます」

 普段であれば一喝するところの信長だったが、その日は余程機嫌が良かったとみえる。

「そなた、還俗したいのであろう」

 さすがに、宗顓は即答をためらった。その顔を見て信長は笑っていた。

「答えずともよい。その顔にちゃんと書いてある。いずれそなたには、我が書状を持参して、越前国の北庄に下向して貰う。それからは、城主の柴田権六勝家に従って、能登に向かうがよい。それまで安土に留め置く。よいな」

 急変した信長の有無をも言わせぬ鬼気迫る表情に、宗顓は圧倒されていた。

「承知仕りました」

 宗顓はその一言を口にするのがやっとだった。

「もうよい、下がれ」

 信長のその一言で、宗顓はすごすごと引き下がる他なかった。

「儂に物申すとは、なかなか胆の据わった奴とは思わぬか、五郎左」

 信長は傍らに坐していた、丹羽五郎左衛門尉長秀に話しかけた。この時の長秀は安土城の普請総奉行として、常に信長に近侍している。

「なかなかに面白き坊主と心得ます」

「畿内の平定が先じゃ。能登への援軍の前に、北から謙信に揺さぶりをかけてみるか」

「北からとは、出羽の伊達輝宗殿でしょうか」

「そうじゃ。ただ、輝宗も慎重な質ゆえに、単独では決して動こうとしない」

「とすると、越後国内の揚北衆のいずれかにも内通を誘うということですな」

「察しがよいな、五郎左。本庄繁長に声をかけるよう、輝宗には促すつもりじゃ」

「しかし、本庄殿と言えば、確か八年程前に謀反を起こし、謙信に帰参を許された人物ではありませぬか。果たして応じますでしょうか」

「それはやってみなければ分からぬ。しかし、一度背いた者は、往々にして二度目もあり得る。あとは伊達に任せる他あるまい」

「なるほど。それでは早速手配いたします」

「うむ、急げ」

 こうして十三日後に、伊達輝宗の密書と共に、信長の書状を受け取った本庄繁長だったが、これを一笑に付して、一切採り合うことはなかった。

 繁長は謙信に帰参を許されたその時から、自らの至らなさを思い知り、悔い改めて忠誠を誓っている。今後は何が起ころうとも、謙信と上杉家に尽くそうと心に決めていた。

 その二通の書状は、繁長の手によって、謙信の下に届けられることになり、信長の調略が結実することはなかった。


 天正五年七月、謙信は再び能登に向けて進軍した。

 本庄繁長からは、信長からの内通の誘いがあった報せを受け取っている。繁長が翻意せず、内通工作が失敗したことが分かった以上は、信長もいよいよ実力行使しかないはずだ。こうなると七尾城の、一日も早い攻略が急がれる。景綱に加えて豊守の急逝という、思いがけない不幸な出来事のために、能登出陣が遅れてしまったが、あとはこの遅れを、如何に挽回するかしかない。

 謙信は七尾城を南方に見上げる天神河原に本陣を敷き、早速軍議を催した。

「豊前守、これまでの戦況を言ってくれ」

「ははっ」

 謙信が帰国の間の総司令官は、河田長親が担っている。

「城の開城工作も、長続連殿らの強硬な反対によって、未だ実現してはおりませぬ。遊佐続光殿からの密偵の話では、長一族を根絶やしにするしかないと決めたようで、その下拵(したごしら)えをしているとのことでございます」

「その下拵えとは何か」

「長続連殿は実に用心深く、人を簡単には信じない質とのことです。重臣の中では唯一織田派ゆえに、これまでは、なかなか誅する機会すら見いだせずにおりましたが、温井景隆殿が翻意したように繕い、今は続連殿との関係修復に当たっている模様です」

「それで如何するというのだ」

「機会をみつけて、続連殿を温井屋敷に誘い出し、饗応を装い、遊佐殿はそこで一挙に片を付けるつもりでおります」

「わかった。騙し討ちは儂の好むところではないが、これ以上時をかけることは出来ぬ。止むを得まい。ところで城内の流行り病のほうは如何した。城下に火をつけたことで、思わぬ仕儀となってしまったが」

「一時はどうなることかと思いましたが、沈静化に向かっている模様です。惣構えから高屋敷に至る武家屋敷一帯を区分けし、病人を隔離することで、ようやく活路を見出したようです。未だ安心は出来ませぬが、暑さも収まるに連れて、やがては、収束の方向に向かうものと存じます」

「それを聞いて少し安堵した。それでは、これから我が策を言う」

 謙信のその一言に、参集した諸将が、一斉に顔を上げた。

「一度、総攻撃を仕掛ける。正確には仕掛けたふりをする」

「それは、どういうことでございますか」

 思わず、斎藤朝信が口を開いた。

「全軍で惣構えと蹴落川方面に討って出る。但し、遊佐続光には予め報せておく」

「しかし、その攻撃の加減が分かりませぬ」

 今度は山浦国清が(いぶか)しがった。

「よいか、我らの兵に犠牲を出してはならぬ。一向宗徒には後詰めに徹して貰う。この戦闘には参加しないよう、予め同意を取り付けておくことだ。我らの攻撃は強弓と火縄銃のみとする。惣構えには矢楯で防御しながら慎重に近づくが、敵の攻撃に晒されぬよう、一定の間合いは保つ。

たとえ、城内に隙が出来たとしても、そこを突いてはならぬ。但し、惣構えの前線には最初、長続連が出て来るよう仕向ける。その時だけは本気で攻撃することを許す。次に出てくるのは温井景隆であろう。ここでは死者を出さぬよう加減する。あくまで本気の攻めと見せかけねばならぬ故に、惣構え攻めの総指揮は儂が取る。蹴落川への攻撃は豊前守に任せる」

「ははっ」

「同じように攻撃は銃と矢攻めのみじゃ。強弓は不要だ。城兵に届かぬ距離か、または当たらぬように、上に向かって放つのだ。銃は反対の山に向かって撃て。一人数発で良い。全将兵に徹底してくれ。よいな」

「承知」

「しかし、これは何のための総攻撃でございますか。全く意味をなさいと思われるのですが、こう思うのは我一人でしょうか」

 鰺坂長実が言うのも尤もな話だ。この策の意味が分かっているのは、長親以外に数人いるかいないかであろう。

「長続連を討つ機会をつくってやる」

「どういうことでしょうか」

 その声の主は直江与兵衛尉信綱だった。この戦いから、景綱の後継として謙信に従軍していた。

「遊佐続光には予め、攻撃の日付と刻限まで報せておく。続光には蹴落川の守備に着くよう指示する。それに三宅長盛も従うだろう。そうすると、惣構えの正面には、後から戦支度を終えた長続連の軍が守りにつくはずだ。その後詰めとして温井景隆がつけばどうなる」

「続連殿は大いに喜ぶことでしょう」

 聞きなれぬ声の方に目をやると、若武者が末席に坐している。上杉景勝に付き従い、軍議への参加を初めて許された樋口与六兼続だった。

「与六、続きを皆に説明してみよ」

 謙信は、この機会に兼続を試そうと思った。謙信の意を受けた兼続が、堂々と自らの説を披露し始める。

「長続連殿にとっては、これまで、遊佐続光殿の味方と思っていた、温井殿との距離が徐々に縮まりつつある中で、自分と同じ正面の惣構えを守備してくれるのですから、これほど嬉しいことはないでしょう。恐らく、温井景隆殿も遂に同心してくれたかと、勘違いするのではないでしょうか。そんな気持ちの変化の後に、温井殿が自分の屋敷に、続連殿を誘い出すのです」

「しかし、どうやって。用心深いと言われる続連が、他の屋敷に出向くかどうかは怪しいものだ」

 直江信綱を含め、軍議に参加している者のうち、未だ半数は半信半疑と思われた。

「どうでしょう。例えば、本来、序列としては下の温井殿が戦支度に遅れ、後詰めに回ったお詫びに饗応したい、と言えば悪い気はしないと思うのですが。これまで重臣の中では、孤立していた長続連殿ですので、それを良い機会と思い、完全に自分の味方に取り込もうと考えるのではありませんか。それがしが同じ立場であれば、そういたしますが」

「なるほど」

 皆が兼続の説明に感心して唸るなか、謙信が更に付け加えた。

「与六、もうよいぞ」

「ははっ」

「確かに慎重な続連じゃ。一人での誘いとなれば如何かと思うであろうが、嫡男の綱連や家来数名も可と言えば、先ず断る理由はない」

「御実城様、その時期はいつ頃になりましょうか」

 河田長親だった。

「流行り病がもう少し落ち着いた頃がよかろう。豊前守はその辺りを引き続き、遊佐殿と探ってくれ。儂の見立てでは、あとひと月といったところじゃ」

「畏まりました」

「それから、斎藤朝信と山浦国清の二人には、加賀国境の末森城の攻略を命ずる。兵三千と一部の一向宗徒を率いて明日出立せよ」

「承知」

「よいか、他の皆はよく聞いてくれ。引き続き警戒は怠るな。馬も駆けさせろ。調練も交替で行え。七尾城の次は恐らく、織田勢との戦になる。気を引き締めてかかれ」

「おう」

 全員の声が揃い陣幕の中に響き渡った。

 その晩、景勝と兼続は謙信の陣内に呼び出された。

 何故呼び出されたか分らぬ二人は、緊張した面持ちで勧められた胡床に腰掛けた。

 その二人に向かって、謙信は柔らかな物腰で話し始めた。

「何事かと思ったであろう。心配いたすな。これから、こうして二人に面と向かって話すこともそう多くあるものではない。そう、ふと思い立ち、呼び出したのだ」

 二人は少し安心した表情で謙信を正面から見つめている。

「喜平次は、今日の軍議の中で、与六が話したことは、最初から分かっていたのか」

「はい、分かっておりました」

「うむ。お主もそういう顔をしておったので一応聞いた迄じゃ。では、儂が皆の前で与六に話をさせたことを、どう思っておるか」

「皆に与六の存在そのものと、若輩ながらも才覚に秀でていることを、皆の前で示したかったのではありませぬか」

「その通りじゃが、もうひとつある。与六は分かるか」

「ひょっとして、御中城様の近臣としての我が存在を、重臣の皆さんに周知して貰いたいと、考えられたからでしょうか」

 喜平次景勝は、春日山城の二の丸を与えられ、この頃から御中城様と尊称されるようになっている。

「うむ、分かっておったか。今頃、それぞれの陣内では与六の噂で持ち切りのはずじゃ。喜平次景勝には、与六兼続という中々の切れ者が傍におる、とな。与六の名声が上がれば、それは自ずと喜平次の名声にも繋がる。これからも与六は遠慮するな。喜平次も与六を押さえ込んではならぬ。儂は一向に構わぬ。お主たちは幼い頃から一緒に育ってきた仲で、気心も互いに知れておろう。二人が力を合わせれば、怖いものは何もない。そうやって二人には、儂の後の越後を背負っていって欲しいのじゃ。よいな」

 二人は黙って頷いた。

「御実城様」

 言ったのは与六兼続だった。

「今のお言葉は大変嬉しくもあり、正直申し上げて荷の重さも感じます。それに、御実城様の遺言のように聞こえてしまい切なくもあります」

 その与六の正直さに、謙信の顔は思わず綻んでいた。

「そうか、遺言のように聞こえたか。それならばそれでよい。但し、大丈夫じゃ。まだまだ儂は死なぬ。いや、死ねぬ。これからまだやらねばならぬことがある」

「織田信長との決戦ですか、上洛ですか」

「それもある」

「小田原攻めですね」

 珍しく景勝が自ら口を開いた。

「うむ。とにかく、心配いたすな。ただ、今お主らに言ったことは、生涯決して忘れてはならぬ」

「はい、天地神明に誓って」

 景勝と兼続はお互いの目と目を合わせていた。

「話はこれだけじゃ。下がって休め」

 二人が去った陣幕の中にひとり残った謙信は、不思議な感覚に襲われていた。それは肩の荷を一つ下ろした時のような身軽さに似ている。謙信は暫くの間、その余韻に浸っていた。


 越前国・北庄は大混乱に陥っていた。

 天正五年(一五七七年)八月、織田信長の命により、織田方の主だった武将が、続々と集結してきたのだ。滝川一益、丹羽長秀。羽柴秀吉、佐々成政、前田利家といった錚々たる面々が、一箇所に集められたのは、二年前の長篠城を巡る設楽原の合戦以来である。

 それに美濃や若狭の国衆も加わり、よく言えば活気に溢れているのだが、悪く言えば、まさに「混乱ここに極まり」であった。

 これらを統率するはずの総大将・柴田勝家は、戦にかけては猛将として名高いが、大軍の差配となると素人同然である。これまでに経験が多くないから仕方ないのだが、それが許される立場でもない。

 各武将の陣地区分け、兵糧や秣、水の手配から厠まで、戦以前のこととして、次から次に発生する課題に対処しなければならない。その場しのぎが通用したのは最初だけで、軍勢が三万を超える時点では、勝家自身が、もうお手上げ状態だった。与力である前田利家と佐々成政も、勝家に振り回されている有り様である。

 その勝家の姿を見るに見かねて、手助けしようと勝家のもとを訪ねたのが、近江国・長浜城主である羽柴秀吉だった。

 そもそも、勝家は成り上がり者の秀吉が大嫌いである。木下藤吉郎からの改姓改名に当たっても、自分の苗字から一文字貰ったなどという、見え見えの機嫌取りに、正直虫唾が走る思いであった。おまけに勝家の性分は頑固一徹ときている。秀吉とは、犬猿の仲のように、そりが合うわけがない。

 一方の秀吉も、好き好んで勝家の手助けをしようと、申し出ているわけでは決してなかった。手助けをしないことには、自軍の将兵が困るから、仕方なく下手に出ようとしているに過ぎない。

「修理亮殿(勝家)、お手伝いいたすことがあれば、遠慮なく申しつけくだされ。諸事慣れぬことばかりで、大変でござろう。お察し申し上げる。それがしなどは、昔から戦の周りの細かいことばかりを仰せつかって参った故に、かように些末なことには、やり慣れており申す。さて、何から手をつけて参ろうか」

 こう言われた勝家は、最初から喧嘩腰である。

「藤吉郎、そなたに頼むことなど何もない。引っ込んでおれ。これくらいの差配、儂一人で十分じゃ」

「しかし、事実、我らは未だに陣地の割り当てすら、受けてはおりませぬ。これから、加賀や能登に攻め上るにも、この状態が続くようでは、肝心な戦の前に、将兵の士気が萎えてしまいまする。それは、決して我らだけではございませぬ。どうか、意地など張らずに、この藤吉郎に何なりとお命じくだされ」

 最後の一言が拙かった。勝家を完全に怒らしてしまった。

「誰が意地を張っていると申すか」

「失礼があったのであれば、どうかお許しくだされ。しかし、このままでは、我らの軍全体が立ち行かなくなりますぞ」

「今後に及んで儂を脅すと申すか」

「決して脅しではございませぬ。事実を申しております」

「もうよい、とにかく帰れ。そなたの助けなど必要ない」

 ここまで言われては、さすがの秀吉も限界だった。

「そこまで言われるのであれば、明日までに全ての割り当てをお願いいたす。それが無理であれば、残念ながら上様にお報せする他ござらぬ」

「何が上様じゃ。殿に媚び(へつら)い出世してきた、お主になど分かって堪るか。とにかく帰れ」

「いくら柴田殿とは申せ、我慢なりませぬ。それでは我ら羽柴軍は勝手にさせて頂きます故に、一切の文句はお受けいたしませぬ。どうかご承知おき願いたい」

「おう、勝手にいたせ」

 かくして、秀吉は北庄城から南の愛宕山に陣取り、自軍の将兵の英気を、養うことのみに専念した。まさか、六年後、この山に柴田攻めの本陣として、再び登ることになるなど、この時の秀吉は夢にも思っていないことだった。

 それから数日の後、勝家から軍議の招集がなされた。天正五年も早や、九月を迎えようとしている。

 完成したばかりの北庄城本丸には、織田家の名だたる武将が、一堂に会していた。

「それでは軍議を始める。むろん、主題は加賀と能登攻めをどうするかだ。先ず、皆の忌憚ない意見を聞こうと思う。先ずは、今の戦況を、前田又左衛門から説明してもらう」

 勝家の話に代わって、前田利家が話始めた。利家は、越前一向宗との戦いから、勝家の与力として従軍している。

「先年の上杉謙信殿と石山本願寺・蓮如殿の和睦以来、一部を除き能登と加賀国は、ほぼ謙信殿の勢力下と言えます。しかし、その謙信殿に属さない代表格が、能登国の七尾城であり、此度はその重臣である長続連殿から、援軍を求められております。上杉勢の七尾城攻囲は既に、八か月余りに及んでおり、もしも、七尾城が陥落するようなことになれば、この越前も自ずと危うくなります。それを危惧した上様が皆さまに命じられ、こうして参陣頂いた次第です」

「しかし、七尾城と言えば、難攻不落で知られる天然の要害。水源も確保しており、兵糧さえ確保しておれば、数年は持ち堪える城というではないか。如何に軍神と恐れられる謙信殿でも、そう容易くは、落とすことなど出来ないであろう」 

 こう言ったのは滝川一益だった。

「それがそうでもないようです。城下を焼かれ、一部の民が城内に逃れたために、糞尿処理が追いつかず、流行り病のために、城内では相当数が亡くなっているようなのです。加えて、家臣団は一枚岩にあらず、現在は謙信殿への降伏賛成派が多数を占めており、一刻の猶予もない状況となっております」

「それは拙い。急いで出陣しなければならぬ」

「お待ちください」

 滝川一益の出陣賛同に対して、水を差したのは羽柴秀吉だった。

「流行り病は収まったのでしょうか」

「夏も去り、ようやく収まりつつあるとのことです」

 どうやら、勝家よりも、与力の利家が詳しく情勢を把握しているらしい。

「しかし、未だ完全に収まっていないとすれば、我らの将兵とて危なくありませんか」

「藤吉郎、臆病風にでも吹かれたか」

 勝家が(あざけ)るような表情を秀吉に向けた。

「いいえ、これはあくまで、これからあり得ることを述べた迄です。柴田様は最初にご自分でおっしゃったことをお忘れか。間違いなく、皆に忌憚のない意見を聞く、とおっしゃいました。その忌憚ない話を、自ら遮るような言動は、切に慎んで頂きたい」

 ぷいと横を向いた勝家に、助け船を出したのは前田利家だった。

「しかし、今は病人との区画を設け、臨時の厠を設けるなど、失敗の教訓を踏まえて工夫をした結果、次第にその効果が出ている模様です。涼しさが増すにつれて、やがては収まるものと存じます」

「では、その流行り病を、我らがあまり気にする必要はないと言うのですな」

「左様、心得ます」

「わかりました」

「ところで、七尾城内は親・上杉派が主流とのこと。内紛の可能性はないのだろうか」

 秀吉に替わって言い出したのは丹羽長秀である。

「それは何とも言えませんが、今のところは、その懸念はないと思われます」

「その根拠は」

 利家と長秀の応酬が続く。

「温井景隆殿という重臣がおりまして、依然は親・上杉派だったようなのですが、この頃は一定の距離を置いて、徐々に長続連殿の考えに近づいているようなのです。力の均衡が崩れ、必ずしも親・上杉派が有利とは言えぬ以上、内紛の可能性は低いものと考えます」

「なるほど」

「果たしてそうでしょうか」

 長秀の納得とは反対に、またも反論したのは秀吉だった。

「七尾城の主は、かつては京の三管領を務めた御家の畠山殿。その主君を追放し、また毒殺の噂まである家臣団ですぞ。そのように一概に信用して良いものでしょうか」

「藤吉郎、そなたは何が言いたい」

 またも勝家は秀吉に対して、挑戦的な言葉を発した。

「それがしは一軍の将たる者、例えそれが極めて僅かであっても、あらゆる可能性を念頭に置きながら、判断することが肝要ということを、申し上げたいだけでござる」

「確かに筑前守殿の言う通りでござった。それがしの軽率な物言いはお詫びする」

 またも間に入ったのは前田利家だった。

「いいや、又左衛門殿が謝る必要はござらぬ。あくまでも、ここは軍議の場。皆で考えを出し合うことこそが一番必要であって、どなたかのように、一々目くじらを立てられては、進む話も進まぬ」

「おい、藤吉郎」

 思わず立ち上がった勝家を、佐々成政と利家が(なだ)めた。

「ところで又左殿、お主は七尾城の情勢に詳しいようだが、何故そのように知っておられる」

 勝家と秀吉の対立により、険悪となった場を元に戻そうと、皆は必至である。その先頭を切って、滝川一益が利家に問い質した。それは実のところ一番、皆が不思議に思っていたことでもあった。

「安土の上様が手配した間者からの報せでございますよ。長続連殿の使者が救援を求められて以降、上様は七尾城内に、数名の間者を密かに送り込んでいるのです。能登の城外には他に数名、加賀にも既に二十人ほど潜ませております」

「そういうことか」

 滝川一益は、蓄えた顎鬚に手をやりながら、利家の方を見てしきりに感心している。それを尻目に秀吉は尚も続けた。

「皆に迷惑を掛けぬよう、ここからは又左衛門殿か内蔵助殿に伺いたい」

 内蔵助とは佐々成政のことである。成政もこの時、勝家の与力を命じられていた。

「何なりとお答えいたそう」

「では先ず、我らが能登に向けて進軍中に、万に一つ、七尾城が陥落の憂き目に遭っていた場合、何とするおつもりか」

「それは加賀国辺りで落城を知った場合を、想定してのことでしょうか」

 佐々成政が訊ねた。

「左様」

「そうであれば、上杉軍の動向を確認のうえ、どうするか適宜判断する他ないと存ずる。もしもそうなった場合は、城内の間者からの急報が必ず入るはず。それから判断しても、決して遅くはありませぬ」

「なるほど、しかし越前を一歩出れば、あとは一向宗徒がどこで待ち伏せしているか分らぬ国に、足を踏み入れることになります。如何なる罠が待ち構えているかも知れず、慎重に進軍する必要があります」

「それは斥候を増やして確認しながら進軍すれば、済む話かと存ずるが」

 今度は前田利家が答えた。

「一向宗徒は民の間に紛れ込んでおります。いや普段は民なのです。いくら斥候を増やしても、どれだけ意味があるか、分かったものではありませぬ。皆さんは長島一向一揆での苦戦をお忘れではあるまい。柴田殿も滝川殿も、その時何があったか、何が行われたのか、全てご存知のはずです。同じことを繰り返してもよいと、お考えなのでしょうか」

 秀吉の懸念は的を射たものだった。信長と長島一向宗徒との戦いは熾烈を極め、織田勢も信長の弟をはじめ、多くの将兵を犠牲にしている。その仕返しと見せしめのためであろう、信長は投降した一向宗徒二万人を焼き殺すという、残忍極まりない行動に出ていた。秀吉はそのような悲劇が二度とあってはならないと思っていた。

 この秀吉の言葉には、さすがの柴田勝家も黙り込むしかない。勝家も滝川一益も、信長の命とは言え、宗徒を焼き殺した張本人なのだ。

 秀吉の主張は更に続く。

「そのうえ、加賀国には金沢御坊が控えております。御坊とは名ばかりの、石山本願寺同様の巨大な城郭ですぞ。もし、我らが上杉軍と対峙中に背後から襲われでもしたら、どうなるとお思いですか。上杉勢と宗徒の挟撃に遭い、大敗は免れないでしょう」

「筑前守殿は、七尾城を見捨てろということでござるか」

 いかにも、一本気の前田利家らしい発言だ。

「見捨てろとは言ってはおらぬ。ただ、むやみに進軍することが、如何に危険かを説いておるつもりじゃ」

「しかし、危険ばかりを気にしていては、我らの務めが果たせぬと存ずるが如何か」

「危険を極力減らしながら、慎重に進めても良いのでは申しておる。ではあらためて、又左衛門殿と内蔵助殿に訊ねよう。加賀や能登の実査はどこまでお済であろうか」

「未だ大聖寺川以南でござる」

「大聖寺川までとは加賀国の入り口、南部の僅かな地域でござろう。我らにとって、他は未開の地ですぞ。地の利は敵が握っているのに、いくら大軍を進めても、これでは無謀過ぎます」

「藤吉郎、そなたは上様の命に従えぬと申すか」

 遂に堪忍袋の緒が切れた柴田勝家が、顔を赤らめて秀吉に食って掛かった。

「そうは申しておりませぬ」

「しかし、先ほどから黙って聞いておったが、お主は加賀能登への進軍を行わないための、方便を繰り返しているとしか思えぬ」

「軍を進めるにしては、事前準備と確認があまりに杜撰だと申しております」

「何だと。我等とて、上様の命をひと月前に受けたばかりじゃ。左様な時間などないわ」

「しかし失礼ながら、柴田殿には越前国を上様から頂戴してから、二年という長い月日がございました。よもや、この立派な北庄の城の普請ばかりに、気を取られていたわけではありますまい」

 ここまで来ると、もう二人の言い争いを止める者は誰もいない。さすがの前田利家も、お手上げだった。

「知ったような口を叩くな。お主のような臆病者に言われる筋合いではない」

「臆病者で結構でござる。それによって、上様からお預かりしている大切な数千と言う将兵の命が、無駄に失われないのであれば、喜んで臆病者の(そし)りをお受けしましょう。果たして皆様は、どちらが上様の命に従っているとお思いか」

 秀吉が訊いても答える者などいるわけがない。二人のある意味、子供じみた言い争いに、付き合うつもりはない。

「藤吉郎、左様な問いかけなど無駄じゃ。そもそも、この戦の総大将は儂じゃ。それに従わぬということは、すなわち軍令違反ということになる。そのうえ、お主は武士にとって、一番大事な気持ちが欠けておる。それは何か分かるか」

「分かりませぬ。分かろうとも思いませぬ」

「そうであった、お主は元々武士ではなかったな。であれば仕方あるまい。それは義の心じゃ。弱き者が助けを求めているのを、知らぬふりをすることこそが不義であり、武士としてあるまじき行為なのじゃ」

「例え不義であっても、正しい戦の仕方はあるはずです」

「もうよい。お主と話をしていても一向に前には進まぬ。ならば申してみよ。お主の正しい戦とはどうすれば良いと思っておる」

 勝家は腸が煮えくり返りそうな怒りを押さえ込み、これが秀吉に与える最後の機会だと自分に言い聞かせた。

「先ずは加賀国南部より、じっくりと我らの支配を固めながら、北上して参るのが上策と判断します。柴田殿以外は、この土地に慣れておりませぬ。これからは寒さとの勝負にもなります。我らは北国の寒さには、不慣れでございます故に、これからの戦にも支障を来すかもしれませぬ。一向宗徒の動きも牽制しながら、徐々に攻め込むべきと存じます」

 秀吉の話を聴いた勝家は一笑に付した。

「そんなことをやっていては、来年になっても能登国など進むことは出来ぬ。ここは多少の危険は覚悟のうえで、北上しようと思うが如何かな」

 勝家は他の皆の顔を伺うが、全員が下の方か天井を見上たままで頷く者はいない。全員は勝家と秀吉の策の間で揺れていた。ある意味では双方に理がある。どちらが正しいとは、一概には言えない状況だった。

 そんな時に秀吉の叫んだ一言が拙かった。

「皆の衆、ここで柴田殿に従い、例え戦に勝ったとしても、柴田殿の手柄にしかなりませぬぞ。恐らく我らには、何の褒美もありませぬ」

「筑前、お主は褒美欲しさに参っているのか」

 滝川一益を怒らしてしまった。褒美が欲しいのは誰もが同じだ。しかし、それだけでもない。武士のとしての矜持がある。それが頭から抜けた秀吉の失言だった。もともと武士ではない秀吉だが、織田軍団を率いる部将の一人としては、決して許される一言ではなかった。

「儂は柴田殿と行動を供にする」

 最初に言ったのは丹羽長秀だった。

 その後からは次々と丹羽長秀に追随するだけとなった。結局、秀吉の策に乗ろうとする者は誰一人としていなかった。

「分かりました」

 秀吉はひとり立ち上がった。

「そこまで皆の衆が堅物とは知らず、今まで主張して参ったそれがしが愚かであった。但し、それがしは、柴田殿に従軍することは出来ぬ。いや、例え従軍したとしても、どこかで諍いを起こすに違いない」

「藤吉郎、待て。早まるな」

 昔の名で気軽に呼べるのは、かつて長屋暮らしを共にした前田利家である。

 一度、利家の顔に眼を向けた秀吉は、軽く笑みを浮かべると、首を横に振って告げた。

「羽柴筑前守秀吉、今この時をもって、この戦から手を引かせて頂く。我が軍勢は直ちに退陣し長浜に帰参する旨、ここにお届けいたす」

 その言葉通り、秀吉はこの日のうちに、越前国・北庄の陣を引き払い、居城の長浜へと帰ってしまった。


(最終話へ続く)

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