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帰ってこない夫  作者: 西子
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ヴェロニカの結婚生活は順調だった。

最初こそ、駆け落ち結婚ということで周囲は騒がしかったけれど、ジェームズの不器用ながらも熱心な領地経営や政治活動のおかげで、少しずつ認められていき、批判する人も減っていった。

むしろ、貴族女性の間では、世紀の大恋愛として有名になり、密かに憧れを抱かれる始末だった。

とはいえ、ヴェロニカはあまりその辺りのことには興味がなかった。

ヴェロニカにとって大切なのは、ジェームズが幸せかどうかという、その一点のみだった。

という訳で、ヴェロニカの目下の悩みは、子どもを授かれないということだった。

ジェームズは、病弱なヴェロニカに気を遣ってか、急ぐ必要はないと言ってくれるが、ヴェロニカとしては、早く嫡子が欲しかった。

自分の為というより、ジェームズの為に。

代々、受け継がれている公爵家の血筋を守りたい一心だった。

だが、こればかりはどうしようもなかった。


子を成せないまま、さらに時は過ぎていった。

気付けば、結婚から数年以上の歳月が経過していた。

この頃からだ。結婚生活に翳りが生じ始めたのは。

最近、ジェームズの様子がおかしいのだ。

話しかけても上の空で、何か悩み事があるのは明らかだった。

だが、ジェームズはいつもはぐらかしてばかりで、ヴェロニカに悩みを打ち明けてはくれなかった。

最近、ようやく歳相応に落ち着いて来たヴェロニカだったが、この時ばかりは生来の行動力を発揮した。

つまり、ジェームズを尾行したのだ。

この頃にはすっかり儚げでミステリアスな公爵夫人の肩書きが板についていたヴェロニカだったが、突飛な言動は相変わらずだった。

だが、その結果、ヴェロニカは知ってしまった。

ジェームズが他の女性と会っていることを。

ジェームズは人目を憚るように、バーや宿屋で頻繁に密会を繰り返していた。

悲しかった。

理由を問い質したかった。

でも、できなかった。

ヴェロニカを愛していないからだと言われたらと考えると、どうしても怖くて聞けなかった。


ーーもしかして、わたしに子どもができないから?だから、ジェームズは愛人を作ったの?


貴族にとって一番大切なのは、やはり嫡子の有無だ。

跡継ぎがいるのといないのとでは、雲泥の差とも言われている。

ヴェロニカへの愛が冷めたのかどうかは、また別の問題で。

とにかく、後継者問題を早く片付けたいとジェームズは考えたのかもしれない。

ジェームズにとっても、年齢的な期限はあった。

優しい彼は、病弱なヴェロニカを気遣って無理をさせたくなかったのかもしれない。

そう考えると、ますますヴェロニカは何も聞けなくなってしまった。


そして、その数ヶ月。

ジェームズは明らかにヴェロニカを遠ざけるようになった。

ヴェロニカには町屋敷を当てがい、自分は領地の屋敷に閉じこもるようになった。

さすがに、ヴェロニカは理由を問い質した。

ジェームズは仕事が忙しいからだと言ったが、絶対にそれが理由だとは思えなかった。

ヴェロニカはとうとう、密会している女性の存在を知っていると明かした。

ジェームズはかなり狼狽した様子だった。


ーーやっぱり愛人なんだわ。


ショックだった。愛人かと問うても、彼が否定しなかったからだ。

もちろん、肯定もしていないので、愛人の存在を認めた訳ではないのだが、ジェームズはしばらく放っておいて欲しいと言った。

君も好きなように過ごしていいからと。

信じられなかった。

それでは、まるでヴェロニカも浮気していいと言っているみたいではないか。

ヴェロニカは泣いた。

一人、寝台の上で、涙が枯れるまで泣き続けた。

泣きたくても涙が出なくなった頃、出会ったのがサイラスだった。

サイラス・マクファーレン、彼は、まだ二十歳前後の見目美しい青年だった。

何となく、彼は初恋の人を探しているのだと思った。

そして、それがヴェロニカなのではないかと考えていることも。

もちろん、ヴェロニカは過去にサイラスと出会ったことなどなかった。

それをわかっていて、ヴェロニカはずっと曖昧な態度を取り続けた。

サイラスが人違いしていることを承知の上で、黙っていた。

意図的に勘違いさせて、ヴェロニカを愛するように仕向けた。


ーーわたしは今から、この青年の優しさに付け入る。不器用だけれど真っ直ぐな彼の心を利用するのよ。


サイラスは少しだけジェームズに似ていた。

見た目は全く似ていない。

だが、不器用なまでに優しいところがそっくりだと思った。

先に誘ったのはヴェロニカだった。

サイラスには自分から言い寄るように持っていったが、ヴェロニカが既婚者だったことで、彼はそれ以上、踏み込んでこなかった。

サイラスは間違いなく紳士だった。

こんなところまで、ジェームズと似ていると思った。

だから……。


ーー彼を利用して、ジェームズに振り向いてもらおうとするわたしは、どこまでも非道な女だわ。


ヴェロニカは二人っきりの時に、サイラスに唇を許した。

サイラスのキスは優しかった。

包み込むような、労わるような、そんな彼の性格を映し出すものだった。

でも、ヴェロニカの心はどこまでも虚しかった。







それから暫くして。

ヴェロニカは寝台に横たわったまま、重い咳を繰り返した。

元々、病弱だったヴェロニカは難病を発症し、隣国の療養先に滞在していた。

ジェームズは、付いて来てくれなかった。

でも、その方がよかった。

こんなに弱った姿を、愛する彼に見せたくなかった。

ジェームズには、昔の美しいヴェロニカの姿だけを記憶しておいて欲しかった。

でも、さすがに一人で寂しく死んでいくのは、辛かった。

隣国という見知らぬ土地、当然知り合いもいなかった。

だから、サイラスが追って来てくれた時は、少し安堵した。

とはいえ、これがジェームズだったら良かったのにと、心のどこかで思う自分がいて、やはり自分は最低な人間だなとヴェロニカは自嘲した。


療養中、ヴェロニカを訪ねて来たのは、何もサイラスだけではなかった。

その訪問は突然だった。

歳若い美女が、ヴェロニカの療養先にやって来たのだら、

最初、ヴェロニカはサイラスの妻かと思った。が、違った。

エイミーと名乗った美女は、どうやら、サイラスに一方的に懸想しているらしい。

ヴェロニカに対しての敵愾心をひしひしと感じた。

だから、お見舞いの品の中にそれを見つけた時、ヴェロニカは思わず微笑んだ。


ーードクウツギね。彼女、わたしを殺したいのかしら。


きっと、殺したい程、サイラスを愛しているのだろうと、ヴェロニカは考えた。

羨ましいと思った。

方向性はどうあれ、エイミーは愛する人の為ならば何だってする、それだけの胆力があった。

病の中のヴェロニカには、ジェームズの愛人を殺しに行くことさえできない。

それが口惜しかった。


ーーでも、これを口にすれば、すぐに死ねるかもしれない。楽に、なれるかもしれない。


なぜ、ヴェロニカがドクウツギのことを知っていたのかというと、簡単な話だ。調べたのだ。

ヴェロニカは幾度となく自殺することを考えていた。

実際、サイラスが来てくれるまでは、一人苦しむくらいなら、自殺を図ってあっさり逝きたいと思っていた。

それを叶えてくれるものが今、目の前にある。

ヴェロニカは手を伸ばした。

が、それはエイミーによって阻まれた。

エイミーは、ひったくるようにして見舞いの籠を持ち帰ってしまったのだ。


ーーあら、残念ね。これで終われるかもしれないと思ったのに。


肩をすくめた時、ヴェロニカは、ふと床に落ちているドクウツギの実を発見した。

先ほど、籠をひったくられた時に、飛び散ったのかもしれない。

ヴェロニカは重い身体を起こし、ドクウツギの実を拾い上げた。

口に運びかけ、そして止めた。

心のどこかで、まだジェームズへの未練があった。

生きていれば、見舞いに来てくれるかもしれない。もう一度、死ぬ前に会えるかもしれないと思ったのだ。

ヴェロニカは首にかけていたペンダントを持ち上げた。

ジェームズからもらった大切なペンダントだ。

特別仕様のペンダントは、写真をはめ込む部分をスライドさせると、中に小さなものであれば入れられるようになっていた。

ヴェロニカはドクウツギの実をそこに入れた。

もし、本当に死にたくなったら使おうと思ったのだ。

使用するのは、ジェームズへの未練がなくなった時だが、そんな日はきっとやって来ないだろうとも思った。

ヴェロニカは瞳を閉じた。

こんな時でさえ、傍にいてくれるサイラスよりも、見向きもしてくれないジェームズを想ってしまう自分は、なんて滑稽で嫌な女なんだろうと思いながら。

ヴェロニカは浅い眠りについたのだった。



その後も、ジェームズがヴェロニカの元へ来てくれることはなかった。

サイラスに「愛している」と言われる度、ヴェロニカは曖昧に微笑み、そして思った。

そのことばを、どうしてサイラスではなく、ジェームズがかけてくれないのかと。

ヴェロニカは最期まで、非情な女だった。

ジェームズを想いながら、サイラスを利用し続けた。

自分はおそらく地獄に堕ちるのだろう。

人を欺き、利用して。

こんな女、ジェームズが見捨てて当然だった。


ヴェロニカはハンカチを撫でた。

ジェームズの為に繕った刺繍を、指でなぞっていく。

例え、ヴェロニカが死んだ時、このハンカチやペンダントを棺に入れてくれたとしても、地獄に持っていくことはできないだろうと思った。


ーーでも、この想いだけは……彼を想うこの情だけは、地獄まで持っていく。これは、わたしの、わたしだけの唯一のものだから。


ヴェロニカは安堵したように瞳を閉じた。

そして、それ以降、その瞳が開けられることは二度となかった。


結局、ヴェロニカの元にジェームズが帰ってくることはなかったのだった。

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