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帰ってこない夫  作者: 西子
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ヴェロニカは、まだ十二歳の子どもながら、いかにも儚げで、ミステリアスな美少女である。

が、その実かなりお転婆で、家族からは「黙っていれば、文句なく小さなレディーなのに」と言われていた。

ヴェロニカはとにかく外の世界に興味があった。

病弱ゆえに、あまり外に出して貰えないことが、逆にヴェロニカの好奇心を掻き立ててしまうのだ。

だから、度々、家を抜け出しては、叱られるということを繰り返していた。

淑女としては程遠い突拍子な行動だが、十二歳という年頃を考えると、いくら女の子とはいえ、責められるいわれはない。

と、ヴェロニカ自身は免罪符のように思っている。


という訳で、今日も今日とて、ベッドで横になっているようにという母親の指示を綺麗に無視したヴェロニカは、ウキウキと外へ出かけて行った。

今日は、彼女にしては割と調子が良い方だ。

無理をするなというのは、いかにもヴェロニカにとって、非道な物言いに思えてならなかった。

という訳で、ヴェロニカは無鉄砲にも、一人でとある目当ての場所へと、足取り軽く向かっていた。


ーーここを曲がれば、劇場ね。


そう、ヴェロニカの目当ては、トーマス・ウィリアムズ原作の王国の悲劇を観劇することだった。

ヴェロニカは、母親から上演の題目を聞かされてからというもの、指折り数えて待つほど、楽しみにしていた。

が、当然ながら両親には観劇を反対された。

ヴェロニカは歯噛みする思いで、悶々とした日々を過ごしていた……訳ではなく、連れて行ってくれないのなら自分で行こうと考えたのだった。

何とも非常識な考えではあったが、ヴェロニカから言わせれば、自立心の成せる業だと自負している。


ーーでも、せっかくの舞台なのに、今回の主演は大根役者ね。


ヴェロニカはやり切れないように頭を振った。

今回抜擢された主役の男優は見目麗しく、大層舞台映えすることで有名な役者だったが、いかんせん、演技力はお粗末という、大変残念な演者だった。

なぜ、よりにもよってヴェロニカが大好きな王国の悲劇の主役を彼がという思いは、もちろんあった。

とはいえ、観劇自体は純粋に楽しみだったので、ヴェロニカは跳ねるような気持ちで、道路へと飛び出した。

この道路を渡った先に劇場があるのだ。

が、そのはやる気持ちが良くなかった。


「きゃっ」


足元が疎かになっていたヴェロニカは、その場でつんのめった。

しかも、場所が悪い。

そこは、馬車が行き交う大道路だった。


「危ないっ!」


そのことばと同時、ヴェロニカの目の前に馬車が迫ってきた。

ヴェロニカは思わず目を瞑った。

轢かれる、そう思ったすんでのところで、馬車は脇へと逸れ、路肩で停車した。

さすがのヴェロニカも驚いて、茫然自失となった。


「大丈夫かい?!」


御者が血相を変えて、降りてくる。

ヴェロニカは何とか頷き、御者の手を借りて立ち上がった。


「お嬢さんは一人なのかい?ご両親は?」


フルフルと首を横に振ると、御者は困ったように眉を下げた。

と同時くらいだっただろうか。

馬車の中から、コンコンと音が響いた。


ーー杖で叩く音かしら?


ヴェロニカが不思議に思っていると、御者が慌てたように馬車へと駆け寄った。

車内に向かって、何言かことばを交わしている。

ややあって、御者は、ヴェロニカの元へと戻ってきた。


「お嬢さん、旦那様がもしよければお家までお送りしようかとおっしゃっているんだが、どうするかい?」


少し悩んだ末、ヴェロニカは頷いた。

実は、先程の転倒で、足を痛めたのだ。

観劇に未練は多いにあるが、足に痛みが走り、流石に一人で帰るのは無理そうだった。

それに、馬車の中にいる人物は、大層立派な馬車に乗っているので、おそらく貴族だろうと思われた。

御者のおじさんも優しそうな人だったので、大丈夫だろうと、無鉄砲にもヴェロニカは考えた。

というわけで、ヴェロニカは御者の手を借り、馬車の中へと入ったのだが……。


「お、お邪魔します」


車内には、不機嫌顔の銀髪の男性がいた。

年齢はヴェロニカの父親とそう変わらないくらいだろうか。

傍には、上等な作りの杖がある。

先ほどの音は、やはり杖で叩く音だったのだ。

杖には紋章が刻まれており、ヴェロニカが見当付けたように、やはり貴族だろうと思われた。

が、とにかく男性は機嫌が悪かった。

虫歯でもあるのかしらと、ヴェロニカは思う程に。

ヴェロニカがお礼を言っても、話しかけても完全に無視している。

逆に気になって、ヴェロニカは男性をよく観察した。

すると、男性はぐしゃぐしゃに丸めた紙を手に持っているではないか。

ヴェロニカは思わず声を上げた。


「王国の悲劇のパンフレットだわ!」


途端、男性と目が合い、思い切り睨まれた。

だが、ヴェロニカは怯まなかった。


「劇を見たんですか?わたし、この劇が大好きで」

「くだらない」


初めて、男性が口を開いた。

吐き捨てるような物言いに、ヴェロニカはピンときた。


「やっぱり、劇を台無しにしたんですね……あの主役の人」


ヴェロニカがガックリと肩を落とすと、男性は少し興味を引かれたようだった。


「やっぱり、とは?」

「だって、あの人、大根役者だもの。いくら見た目が良くても、あの演技じゃ、まだ猿の方がマシなくらいだわ」


キッパリ言うと、男性は目を丸くした後、不意に俯いた。

そして、肩を揺らした。

最初、怒っているのかとも思ったが、どうやら違ったらしい。

男性は笑っていたのだ。

必死に声を抑えてはいるが、笑い声が漏れている。

ヴェロニカは何か面白いことを言っただろうかと考え、でも笑ってくれたのなら良いかと思い直した。

何となく、この男性のことを気に入っていたのかもしれない。


その後、車内では、ただヴェロニカが一方的に喋っていた。

これが家族であれば、いつも黙るように注意されるのだが、男性が黙って聞いてくれたからか、ヴェロニカは自分のことを沢山話した。

体が弱いせいで、両親が外に出してくれないこと。

秘密の抜け道があって、いつも屋敷を抜け出していること。

社交界デビューしたら、歳が離れた婚約者と結婚しなければならないこと。

ヴェロニカの屋敷が近付くまで、男性はヴェロニカのそんな退屈な話に耳を傾けてくれたのだった。


ーーきっと、凄く優しい人なんだわ。


男性はきっと見た目で誤解されるタイプなのだろう。

ヴェロニカもそうであるように、人は外見で判断されることがほとんどだからだ。

だからこそ、ヴェロニカは無性に男性のことを知りたくなった。

もっともっと彼の優しさに気付きたかった。


「わたしはヴェロニカです。あなたは?」


屋敷の近くで、馬車から降ろしてもらいながら、ヴェロニカは尋ねた。

答えてくれないかもしれないと思ったが、男性は案外すんなりと答えてくれた。


「ジェームズだ」

「素敵な名前!昔の王様と一緒だわ!」


無邪気に言うと、ジェームズは微苦笑を浮かべた。

目尻にシワができる。

ヴェロニカの目には、それがとても素敵に見えた。


これがシドニー公爵とヴェロニカの初めての出会いだった。

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