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ルーマニア海軍史  作者: 狛犬えるす


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幕間:閑話

 これまでルーマニアについて長々と述べてきた。そして、次よりはついに彼の大戦について述べる段階に来たわけだが、一旦話を別に移そう。

 というのも、これから書き連ねるうえで個人的な感情と事実により無視できないミームが、一部にあるためだ。筆者は自分が書くルーマニアについての話で、そのミームが無意識的に発露されるのを嫌う。そのため、まずこの話をフリースタイルか書き散らしとかでとりあえずは述べなくてはならないなと思った。

 要は、ただの自己満足によるものなのだが、一応読んで欲しい。こればかりは見やすく改行するつもりだ。



 それと言うのは、大戦時におけるルーマニアの最弱神話と蝙蝠的立ち回りについてである。

 これの発端はよくは分かっていないものの、執筆時において日本語版ウィキペディアには、アメリカ人のヴィンセント・エスポジート著の「Atlas of American Wars, Vol 2」の引用文がある。




〝軍事的に見て、ルーマニア軍の行動は最悪と言えた。彼らはトランシルヴァニアに野心を覗かせる間、南部のブルガリア軍の存在に対してなんら注意を払っていなかった。加えて自軍の攻撃が山岳地帯で阻まれた時、反撃に備える事もしなかった。そしてなにより、ルーマニア軍は「戦力を集中させる」という行動を一度も試みなかった。〟Vincent Esposito, Atlas of American Wars, Vol 2, text for map 40(日本語版ウィキペディア・『ルーマニア戦線』2024年6月28日付け引用)




 非常に無能による弱さを簡潔にまとめたものだが、この時点で判断材料としてこれらが適当ではない部分がいくつか存在する。

 そもそもとして引用元の「Atlas of American Wars, Vol 2」だが、これはアメリカ陸軍士官学校でも使用された注釈付きの地図が掲載されている本だ。第二巻にあたる引用元は1900年から1918年までを修めたものであるが、ご存じのとおりとしてアメリカがこの時期に戦場にやってくるのは1917年のことである。たしかに士官学校で使用されていたのなら由緒正しい、軍事的な思案に向いた資料ではあるものの、純軍事的な地図とその実体については乖離があることはよく言われていることである。(著者の感想だが、そもそもトランシルバニア山脈の山岳部でアメリカ人の言う兵力集中が出来るのならやって見せてもらいたい。そこがワラキア平野でも構わないが、そうなればロシア人師団も交えることになる)


 また、上記をあくまでこじつけとして排除した場合にも疑問が残る。当の敵対者であるエーリッヒ・ルーデンドルフは、自伝においてルーマニア軍に対する勝利に関しては触れたが、それを全滅させることには失敗し、駐屯兵力を遺さなければならないことにも触れている。これは現在、英語版ウィキペディアの「Romania in World War I」のページで引用を確認することが出来る。

 加えて、ブカレストが陥落するとさっさと降伏したという認識もまったくの誤認であることも明記しておきたい。ルーマニアは首都のブカレストが落ちてなお、ルーマニア政府、王室、公的機関もベッサラビア(現モルドバ)のヤシに移転して協商国陣営として踏みとどまり、協商国が事前に了承していた軍事物資や軍事顧問を受け取り、戦時中には困難な軍の再編作業を成し遂げた。陸軍も海軍も、そして空軍も戦い続けていた。

 

 そうして、マラシュティの戦い(Battle of Mărăști)で彼らは再編後に勝利を得て、ドイツ帝国軍と二重帝国軍による攻撃である第三次オイトゥズの戦い(Third Battle of Oituz)に守り勝ち、ついにはマラシェシュティの戦い(Battle of Mărășești)でも勝利した。

 最大の問題はルーマニアではどうともならない、ロシア帝国の崩壊にある。ロシアの戦争離脱によってルーマニア戦線に派兵されていたロシア軍の一部などは統率を失って略奪者となる有様で、ルーマニア軍が略奪者となったロシア師団を砲撃し散り散りになったロシア人が近隣のドイツ帝国軍に降伏するといった珍事すらあった。誰がどう見ても明白に地図で孤立した状況下で徹底して抗戦するなどという無謀は、すでに首都を失陥しているルーマニアに選択できるものではない。武器も弾薬も医薬品も食料も、なにもかもが届かない状況下で死に絶えるように命令するなどというのは、日本人であればどれほど無謀であるか百も承知であるはずだ。




 将校が文盲であったとか、まったく近代的ではなかったという点も見過ごせない。

 日本人には馴染みの薄いバルカン史を捲れば、第一次世界大戦の前には第一次バルカン戦争と第二次バルカン戦争が並んでいる。これについて、著者はある程度ざっくばらんにすでに解説している。バルカン諸国と呼ばれる国家は往々にして、時代の先駆けとなるような国家と比べてどうしても劣る点があるというのも、分かると思う。

 たとえばバルカンのプロイセンと呼ばれたブルガリアは、従来の組織と比べて非常に〝重い〟編成をしていて、その補充がスムーズにいかなかったことや、海軍面でもパッとしない。セルビアは常に二重帝国と言う大国としのぎを削ってきており、懐は苦しいながらも優秀な人材が揃っており士気も高かった。ギリシャなどは貧乏もいいところで陸軍に関しては非力であったが、文字通り国家の威信をかけて整備した海軍はオスマン帝国海軍と渡り合って勝利した。




 ルーマニアに関していえば、どちらもそれなりで、第一に秀でていたのは外交面においてと言えるかもしれない。ルーマニアはドイツと二重帝国と言う、軍事力にも経済力にも秀でている近隣の大国と秘密条約を結んでいたし、なにより第二次バルカン戦争において講和会議が行われたのはルーマニアの首都、ブカレストにおいてであった。中小国という括りの中において、ルーマニアの持つ微妙なこのバランス感覚は珍しいものだ。これは利点にも欠点にもなりうるのだが。

 一般的に言われる寝返りだとか、蝙蝠的な立ち回りというのは、たとえばウィキペディアや本を見ている時にふらっと陣営を鞍替えした時に言われていると思われるが、たとえばイタリアはその末に本土決戦と半ば内戦染みた国家分裂の憂い目に合い、軍民問わず少なくない血を流している。ルーマニアなどは第一次世界大戦、第二次世界大戦と共に本土まで敵が文字通りになだれ込んで来たような形で、それでも戦争を戦い続けている。第一次世界大戦では絶望の包囲下に落ちるまで、第二次世界大戦ではもはやなんの展望もないと悟るまで。




 また補足しておくと、文字が読めない将校がいたという直接的な記述も著者は見たことがない。もしかするとカロッサの『ルーマニア日記』のまだ読んでいない部分に隠されている可能性があるけれども、とりあえず知っている情報の内の中でこれを述べたい。

 これまで述べてきたように、ルーマニアにとってもっとも深刻な問題は国民の多くが農業に従事している農民であるが、その農民が奴隷にように搾取され扱われていることのほうで、彼らの平均寿命は40歳に満たず、当然として乳幼児死亡率も非常に高かった。もちろん、文字などは読めない。

 ルーマニアにおける識字率は1899年の22%から1912年には39.3%に増加し、戦間期におけるいわゆる『大ルーマニア』の時期1930年に行われた国勢調査によれば57%となっている。ブルガリアは1926年には60.3%、ハンガリーは1920年には84.8%と、数字を見れば周辺敵国と比べて低かったことは確かだ。義務教育の制度があったとしても、制度的に未成熟で機能していなかったり、そもそも農村部には学校が無かったり、あるいは家庭的事情――子供も労働力と成り得るということを、現代の我々は時として忘れがちだ――などで出席状況が芳しくなかったり、中退したり、あるいはそれを修了したとしても続く教育機関への進学が不可能であり、使う機会もなく忘れ去ることもある。こうした農民が兵士になることはあっても、縁故もなく金もなく学もない者が将校になるのは、控えめに言ってかなり苦労をしたはずだ。

 ルーマニアは1889年には首都ブカレストに陸軍高等軍事学校を開設し、海軍の人材育成のためにも軍事学校が開かれていたところを考えると、将校の身で文盲というのは悪い面も悪い面、それも最底辺の方に目を向けた時にいるかもしれない、程度の話ではないだろうか。ルーマニアには廃止されてなお、ボヤールという強力な地主階級が残っているし、軍にも実家がそうであるという者も存在するためだ。まだ見ぬ資料が存在する可能性も考え、断定的に否定はしないが。



 さらに憶測だが、こうした最弱神話が存在するときに頭に気に掛けなければならないのは、白人による白人差別もあるのだと思う。

 一昔前、日本において最弱筆頭として扱われてきたのはもっぱらイタリア軍であった。現在は邦訳資料もいくつか出てきているし、それらの事情に明るい方々もネット上にちらほら存在するため、これもやや時代遅れかライト向けな話となっている。もはやこれも事実よりもこの人種、この民族ならばやりそうだという先入観によって形作られたエスニック・ジョークの域を出ない。


 さて、ここにイタリアよりも通じている日本人識者がおらず、同じラテン系民族で、中小国で、経済的にもパッとしない東欧の国がある。

 かの国の国民は西欧のカトリックでもプロテスタントでもなく、正教オーソドクスを信奉していて、田舎っぽくて、垢ぬけない。当然、主流ではない。

 肌は白いが賢そうではないし、なにより歴史的に国家として存続し続けていたわけではない。列強と文化の狭間で、ぐりぐりとぽかんと揉まれてきたのだ。

 本当にそうであったかなど、そう語る人々にとってはさして問題ではないのだろう。私はこうした事柄にほとほと疲れてある種、諦めているから、便利なものを持ってくる。

 カート・ヴォネガットの著作『スローターハウス5』からこの言葉を引用する。



そういうものだ(So it goes)



 ルーマニアの民間伝承の『ミオリッツァ』において、羊飼いは自分を殺そうとする企みを小さな雌羊(ミオリッツァ)から聞かされる。

 彼は自分の死を受け入れて、死んだ後にはこれを伝えあれを伝え、そうしてこう伝えてほしいと語る。彼は死の運命に拳を振り上げるでもなく、自分の羊たちや老いた母親のことを心配している。一種の運命論的な話がこの国には伝わっている。

 ルーマニアは、ロシアとヨーロッパ、そしてアジアという三つの異なる地域に挟まれた位置に存在する中小国の一つである。そのため、長らくルーマニア人を結ぶものは国ではなく、言語であった。東欧の言語語族を見れば一目瞭然だが、ルーマニアはスラヴともテュルクとも違う、ラテンから続くロマンス諸語に分類される。調べれば分かることながら、その歴史的な過程でスラヴやテュルクからの借用語も存在するが、それ以上にラテンの血が濃い。


 ルーマニアが国を形成した後、ラテン系の手本として深くフランスに通じたことは既に述べたが、一方でルーマニア人という自らの民族の証明は、ルーマニア語によって補完された面もある。日本において民間伝承などが収集され纏められ編纂され、それが作者不明の物語として国語・道徳で大きな柱となることがあるように、ルーマニアにおいても同様のことが独立を夢見てきた文化人によってなされた時期がある。民謡・民話・伝説、ルーマニア語によって語られるそれらはルーマニアを形作る要素となり、それらも体制によって時として形を変えることもあったが、逆を言えばとりあえず体裁を整えながらも命脈を保ち続けている。先に述べた『ミオリッツァ』もその一つだ。

 

 著者はルーマニアの朴訥とした平地風景と、現代と中世が乱雑にとっちらかった長閑な山岳風景の、どちらにも不思議な親近感を持っている。

 だからというべきか、面白がってそれをあざ笑うような行為は道徳的にも感情的にも賛同できない。冗談を冗談だと分かりあった仲で通じることが、それも分からずに冗談を本気で捉えてあたかも真実のように語ってしまうのは、情報化された現代における裸の王様のようなものだと思う。

 たしかにルーマニアに関する話でも容認できないような小話はある。カロル二世などは王太子時代、第一次世界大戦のさなかに所属していた山岳猟兵連隊を脱走・駆け落ちして、オーストリア軍将校の保護下に入り中央同盟国の占領下のオデッサで結婚式をあげて、国王と王妃どころか政府を大いに激怒・失望させたという実話持ちだ。だが不思議なことにこのことについてあれこれと笑える話を製作する人はいない。著者などはPCゲームの『ハーツオブアイアンIV』でルーマニアのカロル二世に一プレイで十数回はキレた口だが、彼のこのとんでもない小話を知ったのはそれから結構経ってからだ。これこそ嘲笑うのには持って来いだと思うのだが、あまり人気は無いようである。


 


 とりあえず、思いついたままに書いてみたため、解説から外れたものとなった。

 とはいえ、ざっくり何を言いたいのかは伝わったと思う。何分、研究者でもルーマニア人でもないただのルーマニア好きな日本人が調べたものだから、もっと良い資料が世界のどこかには眠っているはずだ。これについての建設的議論がもし将来起きるのなら、そうした資料が少なくとも数個、あるいは贅沢を言えば十個ほど本や論文などを積み上げて、実際のところはどうだったのかが導き出されれば幸いだなと思わずにはいられない。

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