第6話 元暗殺者の実力
デポルカの街の中でも最底辺と言われる場所、売春小屋地区へとやって来た。
豚小屋のような狭く汚い小屋が立ち並んでおり、どこからともなく悪臭がただよう。
この小屋の中で、売春婦の中でも最底辺と言われる女たちが、驚くくらい安い金で体を売っているのだ。
「お恵みをー……」
頭を下げる物乞いの前を通り過ぎると、2人の女の姿が見えた。
1人は布に包まれた赤ん坊を抱いており、優しい言葉であやしている。
もう1人は、客を探しているようだ。俺をちらりと見た。
「うっ……」
赤ん坊を抱いた女の前を通ると、すさまじい悪臭がただよってきた。
――いや、まさかな?
俺は母親にバレないよう、赤ん坊の顔をのぞきこむ。
……なんということだ。
赤ん坊は完全に腐敗しており、ウジがわいている。
この女、気が狂っているのか……。
「ダンナ、その女には関わりなさんな」
物乞いが話しかけてきたので、俺は彼の元へと歩み寄る。
「彼女に一体何が?」
「自業自得ってやつですわ。麻薬に手出したせいで、飯を買う金がなくなったんでさあ。母親の方は、客から飯を奢ってもらってましたが、子供は餓死したって訳です。ちなみに赤ん坊みたいに抱いてますが、確か4歳くらいだったと思いますぜ」
「麻薬……そんなものが出回ってるのか……」
「このあたりの女は、やってる奴多いですぜ。この近くに麻薬工房があるんじゃないかって噂でさあ」
なるほど。ということはもう1人の女は……。
俺は先ほど、俺をちらりと見てきた女をうかがう。
――うむ、やはりそうだ。
一見、客を探しているように見えるが、闇ギルドがある建物を時々見ている。
あの女には、入るところを見られたくないな。
「おじさん。1ラーラ恵みますので、一つ頼まれごとをしてもらえませんか?」
「おお! なんなりと!」
「あそこに立っている女を買おうとしてください。実際買う必要はありません。数秒ほど、絡んでもらえればいいです」
「お安い御用ですダンナ!」
1ラーラを渡すと、物乞いは即座に立ち上がり、売春婦――いや、おそらく売春婦ではない――の女と交渉を始めた。
俺は、女の視線が物乞いに向いたのを確認し、その隙に闇ギルドの建物に入る。
狭い店だ。本棚がいくつも置かれているので、よけい狭く感じる。
看板には【白ヘビ古書店】と書いてあった。表面上は本屋らしい。
本はどれも、ほこりをかぶっている。売る気がないのは明らかだ。
そもそも、本を求めてこの地区に来る奴など1人もいないだろう。偽装工作としては三流以下だ。
「いらっしゃい。どんな本をお探しかな?」
立派な白いあごひげを生やした男が、机の前に座り俺を出迎えた。
「バルガスさんの紹介で来ました」
「おお! そうかそうか! では簡単な面接をして良いかな?」
「もちろんです。よろしくお願いします」
「うむ。ではこちらに座ってくれたまえ」
俺はあごひげを生やした男の前に座る。
「ではいくつか質問させてもおう」
「はい」
俺の名前、年齢、家族の有無、交友関係、同居人の存在を聞かれる。
「なるほど……完全に孤独なのだな」
「お恥ずかしいことです」
「気にする事はないぞ。今日から我々が仲間だ」
「おお! では!」
「うむ、レイ・パラッシュ君。闇ギルドへようこそ。私はギルド長のタエンボス。さっそく仲間を紹介しよう。――さあ、こちらへ」
タエンボスは扉を開け、中へと入った。
俺も彼の後に続き、部屋の中へと入る。
「むんっ」
タエンボスが本棚を押すと、地下へと続く隠し階段が姿を現した。
「けっこう急だから気を付けて」
「分かりました」
階段を降りながら考える。
あー、これは絶対黒だな……。
タエンボスは、バルガス同様、俺の能力についてまったく聞いてこなかった。
なぜそれで、俺を採用してしまう?
闇ギルドは荒事をする仕事だろう?
きわめつけは、俺の交友関係ばかり尋ねてきたことだ。
この理由は一つしか考えられない。俺が行方不明になった場合、探す人間がいるかを探っていたのである。
さてさて、何が出てくるかな?
地下に降りると、3人のローブを着た男が、檻の中に入れられたスライムに液体をかけていた。
湯気が上がり、スライムが苦しそうにもだえる。
なんだ? 酸でもかけているのか?
「どうだね?」
「あっギルド長、いい感じです。金属は一切腐食しませんでした。あとはもっと肉を溶かす力を強くすれば、実用可能かと」
「うむ、それは良かった。――みんな聞いてくれ。新人のレイ・パラッシュ君だ」
「よろしくお願いします」
俺は頭を下げながら、3人の男の眼を見る。
――ああ、こいつら。何人も殺してるな。
だが殺し自体は素人なのだろう。人殺しのオーラをまったく隠せていない。
そこが、俺とお前たちとの違いだ。
「どうも……」
「よろしく」
「歓迎します」
3人は、無表情で軽く会釈を返してくる。
分かるよ。どうせ死ぬ奴に、良い感じで接する必要なんてないもんな。
「では、歓迎の乾杯といこうか。用意してくれ」
タエンボスに言われた男が、奥からワインとワイングラスを持ってきた。
男がワインを注いでいる間、俺はワインの銘柄を確認する。
ふむ、アメリ・ラマルチーヌか。強い香りと酸味を持つ銘柄だ。
毒の匂いと味をごまかすために、これを選んだのだろう。
男がワインを注ぎ終わる。
「期待の新人、レイ・パラッシュ君に乾杯!」
「乾杯!」
俺はワイングラスを転がし、香りを嗅ぐ。
――俺の鼻はごまかせないぞ。この独特の甘い臭い……ペラン毒だな。即効性の強力な睡眠薬で、主に動物や魔物を生け捕る時に使われる。
「いい香りですね。ではいただきます」
俺はワインを一気に飲み干す。――うむ、うまい!
貧乏人には、こんないいワインを飲む機会がないからな。
「おいしいかね?」
「ええ、とっても。ごちそうさまです」
タエンボスたちが微笑む。
悪い笑いだな……邪悪さがにじみ出ているぞ?
通常だと、効き始めるまであと5秒くらいか? ――4……3……2……1……。
「あれ……急に眠気が……」
俺はテーブルに突っ伏す。
実際はまったく眠くない。
俺に毒は効かないのだ。
幼少の頃、訓練で様々な毒を飲まされ、各種耐性を会得している。
あれは本当につらかった。
「よし、牢に入れろ」
「はい」
一番体格のいい男が俺をかつぎ、奥へと運ぶ。
なるほど、奥には牢屋があるのか。
「むんっ!」
牢屋の中に転がされる。
「へへっ……お前には、実験台となってもらうぜ。より中毒性の高い麻薬を作るためのな。――って、聞こえてねえか」
男が去っていく。
やはりそうだった。
ここは闇ギルドなんかじゃない。売春小屋地区に出回っている麻薬の、工房だ。
そして、その麻薬を試すための実験体を、バルガスはあの酒場で見繕っていた訳だな。
教会やギルドから見放され、消えても問題ない連中を。
俺は目を開けると、握っていた拳を開く。
そこには小さな真鍮製のカギがあった。
あの男からスリ取ったのだ。
カギがなくても、ロックピックで開けられるとは思うが、けっこう音がするからな。こっちの方が確実だ。
むくりと起き上がると、驚いた顔をした中年の男が、向かい側の牢屋に見えた。
俺は静かにしているようにと、人差し指を口の前で立てる。
あの男もまた、バルガスにだまされ、連れてこられたのだろう。
そしてこの骸も……。
俺がいる牢屋には、白骨死体が転がっている。
自然にこうなったという訳ではなさそうだ。おそらく酸で溶かされたのだろう。
そういえば奴等は、スライムで酸の実験をしていたな。
「仇はうちます」
そう言って、俺は牢屋のカギを開けた。