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マイナスのじじょう  作者: 高崎 恵実
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ことの起こり

 酔ってたんだ。

 そりゃもうベロベロに、正体が失くなるくらい酔っ払ってた。

 でなきゃ、こんなことあるはずがない。

 行きずりの、素性も知らない男性と裸でベッドの中にいたなんて。


「え、えと……」

 冷静になろう。

 ともかく冷静に。

 まあ女も40代を半ばを過ぎて、しかもバツイチ独り身ともなれば、今さらじたばたしても仕方がない。何があろうと自己責任。……わかっては、いるのだけれど。

「…………」

 深呼吸して、とにかくここから離れたい。

 身体を起こし、散らばった衣服をかき集め、ベッドから抜け出そうとした途端ーー

 左手首を掴まれて、息が止まるほどに驚いた。

「起きるにはまだ早くない?まだ4時すぎだよ」

 目が覚めてるとは思わなかった。

 この期に及んでもまだ昨夜の記憶はさっぱり戻らないけど、素面の目で見て、なかなかいい男だ。けど……

 若い。どう見ても一回り以上は若い。

 いい年齢して、一体どんなナンパに引っかかったんだ。

 しどろもどろになりながら、何とか言葉を継いだ。

「いや、でもね、一旦帰って着替えないと……さすがに昨日と同じ服ってのは……」

「会社のロッカーに、予備の服置いてあるんでしょ?」

 そんなことまで話したのか!

「会社に近いホテルなんだから、もう一眠りできるよね。睡眠不足はお肌に悪いですよ、課長」

 そう言いながらかぶさっていた前髪をかき上げる。笑顔に見覚えがあった。

「き、木元君?!」

 木元 望。

 先月、中途採用で入社した新入社員。

 びっくりし過ぎて固まったまま、もう一度ベッドの中に逆戻りして……

 とりあえず、会社に遅刻しないで済んだのは奇跡と言ってもいいかも知れない、うん。



 自己紹介が遅れたけど、私の名前は宮田千夏。

 当年とって45歳、都内某中堅メーカーの総務課で課長をしている。

 大学を出てから転職もせず勤めて20数年、このポジションが高いか低いかはわからない。

 まあ、女一人そこそこ貯金できるくらいの収入はあると言うところか。


 午前中のルーティンを終えて、昼休みに入る頃にLINEの通知が入った。

“ヤッホー、千夏。昨夜の彼はどうだった?うまかった?”

……聡子、だ。

 昨夜の記憶が断片的に甦る。

 そうだ、昨夜はこいつと呑んでたんだ。

 橋本聡子は大学からの付き合いで、親友と呼べるくらいの存在だ。そもそも昨夜は最悪な出来事の愚痴を聞いて貰うために呼び出したんだった。

 そこまで思い出したところで、LINEにメッセージを打ち込んだ。

“詳細は今夜。いつもの店で”

“了解。時間も同じね”

 承諾の返事を送って、私は小さく息を吐いた。



 待ち合わせの店には、私の方が早く着いた。

「いらっしゃいませ。ご注文は?」

「生レモンサワー。食べ物は連れが来てから」

「畏まりました」

 注文を終えて少しして、聡子がやって来た。

「お待たせ~、いやぁ、二連チャンで呑みなんて珍しいよね」

「……まったくね」

 溜め息まじりに答えると、聡子はまあまあと言うように笑顔を見せた。


「……で、さ」

 聡子の注文分も届いて、乾杯した後、改めて聡子に尋ねた。

「昨夜は確かにあんたと呑んでたよね、二人で」

「そうよぉ。傷心のあんたを慰めようって滅多に行かない高級ホテルのBARラウンジでしんみり語り合ったんじゃないの」

「だよねぇ」

 そうだった。

 ことの起こりは元夫の俊輔からのはた迷惑なメールだった。

「本日5時45分、無事男児誕生!母子共に健全。跡取り出来たぞ!」

 新生児の写真添付をされたメールを出勤して確認したものの中に見つけた時には、朝だと言うのに本気で帰りたくなったもんだ。

「でもさ。千夏、離婚してから元旦那の連絡先、ブロックしてなかったの?」

 聡子の問いに、私はまさか、とかぶりをふった。

「してたわよ。LINEはブロック、スマホは着拒、引っ越しだってして、住所も変えたもの……プライベートはね」

「そっか、取引先かあ」

 そうなのだ。

 元夫、桂木俊輔はもともとうちの会社に備品を納入していた会社の担当者だった。

 その後、異動や昇進で担当者ではなくなったが、会社としての付き合いは変わっていなかった。

「社用のメルアドを離婚理由で変更申請なんか出来ないし、それでも貸与のスマホは無視してたら、PCの方に送って来て、それも無視してたら……」

 こちらの昼休みに合わせたかのように、俊輔が乗り込んで来た。

 受付からの呼び出しを断ることも出来ず、エントランスに行った途端に物凄い形相で詰め寄られ、返信しなかったことを詰られた。

――お前が産めなかったあの子の代わりを、理恵が産んでくれたんじゃないか!

 そのことに感謝と祝福を送るのが当然だと言い募る彼に、何と答えただろうか。

 とにかく、やっとの思いで外に連れ出し、追い返すことには成功した。

 不機嫌さを隠そうともせず、足早に去って行った元夫の背中を睨み付けながら私は自分のスマホを出して聡子に今夜の約束を取り付けた。多分その時、半泣きの顔をしていたと思う。


「本当にね、いくら浮かれてたからって、自分が裏切って離婚した元嫁に、今嫁の出産報告する奴の神経疑うよ」

 あんたは何にも悪くないよ、そう言って貰ってそれまで堪えていたものが溢れ出るのを感じて、元夫の悪口を肴にグラスを重ね、許容範囲を超えてしまっていたらしい。

「まあ、調子に乗って呑ませ過ぎたこっちにも責任はあるし、けど流石に私一人で送って行くのはちょっと…って思ってたところに、彼が話しかけて来たのよ」

 聡子もいつから彼がいたかは覚えていないと言う。

 ただ、酔っ払った私がグラスを掴み損ねてこぼしそうになった私を支えて、グラスを渡してくれたのだと。

―随分呑んでますね。そろそろ引き揚げ時じゃないですか?

 普段から言い馴れている口調だった。それは聡子も感じていたらしい。

「こっちがびっくりするくらい対応がスマートで、若いくせにこいつ馴れてんなって思って。それでつい任せちゃったんだよね」

 あのまま部屋をとったんでしょ?どうだった?と尋ねられたので、記憶を掘り起こした。

「……悦かった、と思う」

 扱いは、確かに馴れていたと思う。

 酔った私を抱えるようにして部屋を取り、ベッドに寝かせ、ツインベッドの片方に潜り込んで、朝まで過ごす――その選択だってあったのだ。

 それを遮ったのが、他でもない私自身だった。

――ね、セックスしよ。妊娠も、病気の心配もない、絶対安全のセックスしよう。

 離れかけた腕を引き戻し、バランスを崩しかけたのか倒れ込むように覆い被さって来た身体を抱き締めながら言った科白どんな気まぐれで応えてくれる気になったのか。

 優しかった。優しさと激しさの混じりあった愛撫と接吻に溶かされ、何度も昇り詰め――眠りにつくまでずっと抱き締めてくれていた。

「ここだけの話、今まで付き合った男の中でピカ一だった。俊輔も含めてね」

「……あっそ。まあ、これで少しでも気が晴れたんなら良かったんじゃない?行きずりの相手としたら悪くなかったようだし」

「そうだね……うん」

 確かに今朝もチェックアウトを済ますなり、「それじゃ」と一人で行ってしまった。社内でも姿を見なかったし、向こうもこれっきりのつもりでいると思っているのだが。

「一生に一度くらい、こんな経験も良いかもね」

 せめて彼にとって忘れたい黒歴史にならないでくれたらいいと少々ムシの良すぎる願いが頭をよぎったことは、聡子に言うのはやめにした。




 聡子と別れ、帰りの電車に揺られながら、やっぱり相当傷ついていたんだな、と改めて思っていた。

 元夫への未練など1ミリグラムも残してはいないが、産むことの出来なかった子供への罪悪感は、消えることなく胸の奥にある。

 空っぽのお腹を抱えるようにして、一人涙も出ない絶望を味わった夜。

 二度とあんな夜を過ごしたくなくて、聡子にすがるつもりが結局こんな成り行きとなってしまった。

 まあ、いい。

 明日は金曜日、週末の買い出しを帰りに済ませて、土日は部屋でのんびり過ごそう。

 最寄り駅到着まで、そんなことを考えながら、窓の外を見ていた。



 駅からマンションまでは徒歩約10分、どんなに体調が悪くてもタクシーを使うのは気が引ける距離ではある。

 さすがに2日続けて呑むなんて久しぶりだし、風呂もそこそこにベッドに潜り込んでやろうと思って、改札を出たところでいきなり声をかけられた。

「お帰りなさい。随分ゆっくりだったんですね」

「き、木元くん?!」

 今朝別れたきりだった、彼、木元 望がそこにいた。

「何でここにいるの!?」

「何でって、課長の帰りを待ってたに決まってるじゃないですか」

 そう答えるなり、彼は私の腕を取り行きましょう、と私の腕を取り歩き出した。

「ちょっと、行くってどこに……?」

「課長のマンションに決まってるでしょう。帰るんだから」

「ちょっと待って!何で知ってんのよ?!」

 今のご時世、個人情報保護の観点からも社員の自宅住所などの情報開示はされていない。

「入社のオリエンテーションの時、世間話の中で話してたじゃないですか?」

「は?」

 そんな覚えはない。

 彼のような中途入社の新入社員は、基本的に配属部署で直属上司が研修をする。

 ただこの時は、その上司のスケジュールが合わず、他部署の新人と併せて私がオリエンテーションすることになった。

 その休憩時間に色々と世間話をしたことは覚えている。

「確かに最寄り駅くらいは話したかも知れないけど、具体的な話はした覚えはないわよ」

「調べましたから」

 こともなげに言う彼の後をついて行く形になりながら、私の頭の中は、?マークで一杯になっていた。


 

 マンションの玄関先で立ち話もなんだからと、部屋に招き入れることにしたのは、やっぱり昨夜の一件について、彼の動機を確認しておきたかったからである。

「取り敢えずその辺に座ってて。今、コーヒーでも……」

 淹れる、と言い終わる前に背後から抱き締められた。

「ちょっ、……一体何……?!」

「……あれっきりなんて、言った覚えはないですけど」

「は、あ……?!」

 信じられない科白を聞いた気がする。

「お互いバツイチの独り身同士、まずは身体からのお付き合いってことで、よろしくお願いします」

「いや、あのね……」

「相性も悪くなかったでしょう?」

「だからって……」

 返答に詰まった、その一瞬を狙われた。

 一層強く抱き締められ、首筋に唇が触れた。

「あ……」

 くるりと反転した目の前に、彼の顔があった。

「ベッド行きます?それともここで?」

「……ベッド」

 言い訳は、出来ない。

 一夜限りのこととの決心はどこかに消えてしまった。

 もういい。

 流されてやる。

 どこまで行けるかわからないけれど、二度と消えない傷が残るだけかもしれないけれど、覚悟は決めた。

 今度は素面のまま、私は彼――望を自分から引き寄せた。


 これが彼との関係の始まりだった。



 







 

 





 


 





 

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