いや、まあ、その。 6
アリス・ド・デニム伯爵夫人の立つ窓から見える中庭の中で、一寸した騒ぎが起こっていた。庭の端を周回する、ナーラダのリコの周りに、ハーケンの小隊の男どもが、集まって走リ出していた。其れも、マリアには決して出せない速さの走り方だった。
ハーケンに育てられた、彼女の運動能力は目を見張る物があった。アリス・ド・デニム伯爵夫人は、ナーラダのリコが本気で走る姿を見たことが無かったけれど。
親代わりとして、育てたハーケンに言わせると、同じ頃の彼女より速く走れるとのことだった。流石に膂力では、男に適うことのなかった、彼女ではあるけれど。兎に角素早さでは、負けたことがなかったのでる。
その話を聞いたとき、彼女は何をしてくれているんだと言いたかった。本来なら、伯爵令嬢として、何の不自由も感じることなく。御令嬢として暮らす権利を持っていたにも拘わらず。若い頃の自分みたいに育ててくれるなんて……。
今のナーラダのリコを見ていると、見習い騎士だったウエルテス・ハーケンやリントンたち を引き連れて、国中を駆け回っていた頃を思い出してしまう。一寸ワクワクしていることは、誰にも言えない。
若しかすると、あの子が捨てられていなかったら、とんでもない令嬢に育ったかも知れない。内心一寸見てみたい気がしている。
笑いが赤い唇から、漏れ出してしまう。あの子に出した課題は、此れで台無しになった。この砦に勤める人間で、マリアとナーラダのリコを見分けることが出来ない人間は、兵隊以外だと其れほど居ない。何より小さかったマリアを良く此所へ連れてきていたのだから。
ナーラダのリコは、流石に双子だけはあって、見分けが付かないほど良く似ている。それでも、微妙なところが違うのだ。何より筋肉の付き方が、根本的に違う。
ウエルテスが、気をつけっていたとしても、ああやって走り回れば、あの子を慕っている若い連中が、見て見ぬ振りなど出来ない。何時も楽しく遊んでいる連中なのだから。
「辞めろ。追いかけてくるんじゃない」
ナーラダのリコが叫んでいる。
「姉上。何処かで見たような景色が見えますね。間違いなく、彼の娘は、姉上の娘に違いありませんね。淑女とは見えないところなんか、そっくりです」
「困ったところばかり似てしまっているわ。マリアとは全く違う。影の仕事は出来ないわね」
「彼の娘は、メイドが良いところでしょう」
アリス・ド・デニム伯爵夫人の頬に、一筋の涙が流れ落ちる。既に遙か昔に葬った、自分の恥ずかしい行いが、目の前に存在している。当時は、じゃじゃ馬姫と呼ばれて、何時も侍女達を困らせていた。
久しぶりに、アリス・ド・デニム伯爵夫人は声を出して笑った。何故可笑しく感じたのか、自分でも判らなかったのだが、何故か心の底から可笑しくなってしまったのである。若しかすると、此れまでの心労から、心を守るために、笑いが必要だったのかも知れない。
リントンのして遣ったリという顔が、脳裏に浮かんでくる。少し気に入らない。後で文句を言ってやろうと心に決める。
「姉上、私の意見は変わりません。彼の娘を、我々一族の一員とすることには反対です。せいぜいメイド程度に留め置いてください。それでも、側には置いておくことが出来るでしょう。メイドとしておくだけなら、双子の呪いは降り掛かってこないでしょうから」
ディーンがそんなことを言っている。結局彼の意見を変えることは、出来なかった。
アリス・ド・デニム伯爵夫人は此れからの、事を考えている。ナーラダのリコが、自分に良く似た娘だとすいると。いくら私が反対したとしても、彼の家族をナーラダ村に送り出す算段をするだろう。それなら、彼女の望みを叶えてあげた方が、私のことを好きになってくれるかも知れない。




