ピクニック日和
ヘクター・リントンは実に楽しげに、自分の愛馬に乗っていた。目的の場所まではあと少しの処にきていながら、口笛を吹いている。久しぶりに先行する姫様の後追いである。実に懐かしい想いが、彼の頬を緩ませていた。
彼の格好は、何時もの執事の物でも無く影としての衣装でも無い。いわゆる戦装束である。デニム家の紋章の刺繍の入った、サーコートの為たには古いけれどよく手入れの行き届いた皮鎧。頭にはリントン家の紋章が彫り込まれている兜がある。
腰のベルトに下げられているのは細身の剣。彼の馬を追いかけているのは、何時も彼に付き従っている下僕が二人。彼らは、いつも通り影働きするときの格好を為ている。
領都の門を守っている兵士達が、僅かな手勢でやってくるリントンに対して敬礼で向かい入れる。既に彼らは、街の中で起こっている紛争に気付いてはいるのだ。其れを納めるのは、彼らの仕事では無い。外敵が侵入しようとしているならば、其れを排除するのが仕事なのだ。
ましてや、姫様が出張ってきているのである。なおのこと私兵団の出る幕では無かった。これは明確に、予備兵に任せるという意志が示されていることだった。
「さて、この事件をどのように納めていただけるのでしょうか。実に楽しみなことです。まあ、残念なことは私の側にウエルテス・ハーケンの奴がいないことですかね。奴の慌てる顔が見られないのは実に残念ですがね」
リントンは皮肉な笑いを浮かべて、姫様を追いかけていた頃の、ウエルテス・ハーケンの定位置と成っていた右隣を眺めた。今は彼は、奥様の護衛任務に就いているので、どのみちのこの祭りには参加することが出来ない。後で文句を言ってくるかも知れないが、奴は姫様を十二年間も独り占めしていたのである。文句を言われる筋合いでは無い。
アリス・ド・デニム伯爵は、幼かった頃から、飛んでも無いじゃじゃ馬だった。その頃の彼女は、王女で有ながら町中にいざこざがあれば、馬を駆って真っ先に飛出していくお姫様だった。現在の彼女は、そのようなことを考えられないほど、大人しくなってしまっていたけれど。
其れが、今の国に併合されて、夫を持つように成ってからは、別人のように成ってしまった。貴族令嬢らしくなったと言えなくもないのだけれど。当時を知る、家臣団にとっては悲しい変化と言えるだろう。
其れが今、失われていた娘によって、先陣を切る姫様が戻ってきたのである。其れを浮き立たないでなんとする。こう見えても彼は長年仕えていた、忠臣には違いないので有る。
矢張り女傑の娘も女傑なのだ。そして、ウエルテス・ハーケンに、仕込まれた体術は、一個小隊に比肩すると聞いていた。その上、作戦立案能力も大した物だという。
マリア・ド・デニム伯爵令嬢を救い出した作戦を提案したのは、彼女だと聞いている。それならば、この問題も解決して見せてくれるだろう。勿論あまり拗れる前に、彼自身が出て行って解決するつもりではあるが。出来ればナーラダのリコ様の手腕で、解決するところを見たいと思う。
ヘクター・リントンは、何より年甲斐も無くわくわくしてしまっているのだ。楽しかった青春の思い出が、姫様との一寸した冒険の数々が蘇ってくるようで懐かしかった。
読んでくれてありがとう。




