奥様のストレス発散 8
「馬鹿な」
と、ハーケンが呟く。
アリス・ド・デニム伯爵夫人にとっては、分の悪い試合に違いなかった。体格差は如何ともしがたい物で。あまり賢い選択とは言えないだろう。武器を使用するなら、未だしも素手による試合だ。
伯爵夫人が捕まったなら、其れで試合は終了となる。彼女に出来る事は、組み付かれないように早さで相手を崩して行く。小技で崩しながら、出来るだけ痛手をハーケンに与える。それ以外に方法が無かった。
アリス・ド・デニム伯爵夫人の心の中には、夫に対する怒りが、かなり大きく成っており。放っておくと、取り返しの付かない事に成ってしまいそうな気がしていた。
此れは八つ当たりである。アリスの内心にある怒りを、誰かにぶつけたくなった。だから、ぶつけても問題に成りにくいハーケンに、ぶつける事に為たのである。昔から知っている、彼なら大丈夫だろう。いわば甘えである。
二人は身を低くして、互いの隙を覗いながら右回りに回る。ハーケンは隙を見て、組み討ちに持って行こうとして動く。アリスは、組み付かれないように為ながら、速い打撃を加える。
アリスの打撃は、速くはあるが腰を入れていないので、大して威力は無い。あまり踏み込むと、組み付かれて終わりである。
実は彼女の体得している、体術は鎧を着た状態で使うための物なので、組んだ後の関節技や投げ技が主体である。其れは、ハーケンも同じで、組まれたら勝ち目が無い。
動きの速さなら、アリス・ド・デニム伯爵夫人の方が上であるけれど。其れはわずかな差でしか無く。体格差は歴然で、追い詰められているのは彼女の方だった。
でも、アリス・ド・デニム伯爵夫人の頬に微笑が浮かんでいる。楽しそうに、彼女はハーケンの突きを避ける。まるで遊んでいるように、二人は技を繰り出している。
互いにじゃれ合っているのだ。ヘクター・リントンは、楽しそうにじゃれ合っている二人を眺めながら、餓鬼の頃を思い出していた。男勝りのデニム家のお嬢様に使える、護衛兵と側仕えでは有ったけれど。彼女の結婚で、全てが悪い方に変わってしまった。
彼奴が貴族だったなら、今頃こんなに苦労しないで済んだろうに。本当に領主としての義務を、奥様が果すように成らずに済んだだろう。あんな屑を夫に為なければ、女傑などと呼ばれないで居ただろう。
読んでくれてありがとう。




