賢者様
村の周りは見渡す限り、麦畑になっている。今は金色の穂がゆらゆら揺れている。その畑の所々では、村の衆がせっせと世話をしている。豊作は間違いないだろう。村の衆の表情は明るい。
蝉の鳴き声に負けないくらい、村の女達の歌声が聞こえる。作業をするときには、みんなで歌を歌うのが習わしになっている。あたしも無意識に歌を歌い出す。隣を歩くボルグは、顔を赤くして、あたしの手を掴んでくる。
あたしは、ボルグのぎこちないその仕草は少し良い感じに思えた。でもときめいたりはしない。だって、中の人であるあたしは結構経験してしまっているのだから。十三歳の男の子を異性としては見ることが出来ない。どちらかというと、ボルグ君のお兄さんあたりなら良いかなと思う。今、彼は十七歳だったかな。
ボルグのお兄さんは、アレクと言った。すらっとした長身の彼は、黒髪を短髪に切りそろえ、いつでも笑顔を忘れないような人だった。あたしは少し憧れていたりする。何より、前世で付き合ったことのあるタイプとは全く違う。どきゅんは、もうこりごりなのだ。
少し息が上がってきた頃、賢者様の庵が見えてくる。こぢんまりした一階建ての建物で、黒い柵に囲まれた敷地の中には、灰色のローブが干されている。早朝に洗濯したのだろう。もう乾いてきているように見える。
黒い柵の上から、黒猫が顔を覗かせて、あたし達を観察してくる。彼女はケイトリンさんという。賢者様の飼い猫である。
あたし達が声を掛ける前に、扉が開き、灰色のローブを着た白髪頭の老人が出てくる。彼の名前は、オルドのアスと言った。
ナーラダ村の知恵者である。村の衆の相談役で、文字を読み書きの出来ない者のために、代書などをやってくれている。
あたしにとっては厳しい教師である。この人のおかげで、この世界の言葉が読めるようになり。常識をしることにつながったのである。
「先生、あたしこの村を出ることになりました」
あたしがそう言うと、賢者様は少し青ざめた。
「領主様の所へ行くのかい。まさかとは思うが、やってしまったのでは無いだろうね」
賢者様は父ちゃんの計画を知っていた。
「令嬢は生きているわ」
あたしはそう答えた。
「そ、そうか。良かった。お茶でも入れよう」
賢者様は、あたし達を庵の中に手招いてくる。




