雇用契約
読んでくれてありがとうございます。
デニム伯爵夫人は、あたしの応えに片眉を上げて、微笑んでみせる。どちらかというと苦笑いに近いか。
彼女の後ろに立っている、ジャスミン・ダーリンさんは無表情を貫いている。案外あたしの上司になるのが、この男になるのかも知れなかった。
あたし的には、デニム伯爵令嬢の影武者なんかには成りたくない。だから、報奨金をくれて、バイバイしてくれるのが一番有難いんだけどな。だいたい、十二歳の子供が影武者が必要になるほど危険なのだろうか。
ゲームが始まる前に、何があったのかはあたしはほとんど知らない。何もゲーム本編では語られていなかったのだから。原作シナリオには書かれていたらしいけど、そこまでのめり込んで遊んでいたわけじゃ無いしね。マリア・ド・デニム伯爵令嬢と入れ替わった、あたしは、後には引けなくなってたんだろうとは思うけど。ヒロインちゃんを陥れるために、国を揺るがせるようなことをする子じゃ無かった。
シナリオの都合かも知れないけれど、自分が成ってみるとひどく違和感があるのよね。案外誰かにはめられたのかも知れない。
「うちの娘は、まだ十二歳の子供だ。そんな危険な事をさせる訳にはいかない」
あたしが考え事をしているうちに、デニム伯爵夫人の申し出を断ろうとしている。普通の親なら、まだ子供の年齢の娘を、危険な仕事に就かせたいとは思わないだろう。
実際、父ちゃんは、伯爵令嬢を助けることにすら反対していたのだから。何しろ、今の父ちゃんはあたしに対しては激甘なのだ。変な男を連れてきたら、全力で殴ると言っているし。たぶん相手によっては、一発で死ぬんじゃ無かろうか。あたしは、ゲームの攻略対象者のうち三人は生きていないんじゃないかと思ってる。
「此れは相談ではありませんわ。命令です。あなたに拒否権はありませんわ」
「・・・・」
デニム伯爵夫人の言葉が、父ちゃんの言葉を遮った。人に命令することになれた人間の圧力のある声音である。
「此れが雇用条件です」
ジャスミン・ダーリンさんが、分厚い紙の束を取り出して、父ちゃんに無理矢理押しつける。
「悪い条件で無いかと、思われますが」
「救うんじゃ無かった」
父ちゃんの心の声が、漏れ出てきた。あたしに説得されたのが、失敗でしたね。




