楽しいお使い
目の前には、中々拝めない姿の、ウエルテス・ハーケンの娘が立っている。栗色の髪を、無造作に纏めている姿は、起きがけの整えられる前の物で、個人的な空間に入っている実感があった。これを目撃したことは、決してハーケンの奴に知られるわけに行かない。知られたら、なにをされるか判った物では無いのだから。
そんな思いに気が付いたのか、リコが懐から金袋を取り出し、半銀貨を俺に握らせてきた。この程度のお使いなら、別に何の問題も無いのだから。小遣いなんか要らないのに、それでも律儀に押しつけてこようとする。
一応、今の彼女は遠征隊の指揮官だ。命令する立場には違いないのだから、言って来いで済む話しにも拘わらず。そう言った心遣いが、一寸は嬉しかったりする。
どのみち、彼女に対して不都合なことをしよう物なら。ハーケンの奴との訓練という栄誉を賜ることになる。そのあとは、一週間は使い物にならないことが決っているから、誠心誠意お使いしたいと思っている。
ニッコリの隊の仲間は、其れこそ英雄ハーケンと共に、戦っていたことがある。残念ながら、あれは負け戦には違いなかったから、当時のアリス王女様の犠牲の下に、命ながら得ることが出来た生き残りだ。まあ、その当時の俺は餓鬼だったんで、騎士様の従僕の見習いくらいの立場だった。
遠くから、王女様と英雄ハーケンの活躍を、見る程度しか出来なかったけれど。今は、その英雄の娘から、お使いを命じられた。あとで、隊の連中に、話してやろうかと思う。絶対、彼奴らは羨まし柄るに違いないのだから。
「この事は内緒にしておいて欲しいの。其れと、短剣ぐらいは持っておいた方が良い。意外にこの街は、治安が悪いみたいだから」
「畏まりました。其れでは行って参ります」
ニッコリは一つ後方に下がると、使い慣れた敬礼をする。マリア・ド・デニム伯爵令嬢にそっくりな、顔を緩ませる。遠目には、気付かれないくらい似ているけれど、その仕草は貴族の其れではなく、どちらかと言えば、奥様が若い頃のやんちゃを為て居た頃を思い出させる物だった。
扉を閉めて、手の中にある封蝋がされた、紙の手紙を懐に収める。中になにが書かれているのかは、一寸見当も付かなかったけれど。書かれている内容は、格好重要なことなのかも知れない。
この領都ベレタに入るときにあった、不穏な事件のことも有る。なにか、陰謀があるのかも知れない。
一兵士でしかない、ニッコリにとって計り知れないことだけれど。この手紙には、そういった事に関することが書かれているのかも知れない。ましてや、この屋敷の下僕にではなく。私兵を使って届けさせる。そして、武装を促すようなことを言うと言うことは、若しかすると危険な情報なのかも知れない。
ニッコリは廊下を普段よりも速い速度で、歩き出した。取りあえず、自分の剣を取りに行くことにした。単なる、遊びに行く序でに熟す仕事ではなくなってしまった。




