書類との格闘 15
扉を叩く音が響く。仕事を終えて、レイナが此方に来てくれたのだろう。
クリスが、微笑んで席を立つ。彼女が右手で、立とうとするあたしを押しとどめる仕草をしていた。
「私だよ」
レイラの声が、扉の向こうから聞こえる。
クリスが立ち上がり。扉の向かい、扉を引き開ける。かなり大胆な青い衣装を纏った、レイラとあたしの視線が交わる。強烈な甘い香りが、あたしの脳を刺激する。身体が、どことなく疼くような気がした。おっぱいが少しだけ大きくなったような、錯覚を感じる。ヤバい物じゃないだろうな。
正直窓を開けて、換気したいような気がするけれど。此所の窓は、木戸で閉め切られている。
「あんたか。昨日の今日で、何の用なんだい。必要なお話は、だいたい昨日話して置いたと思うけれど」
「うっかりしてて、繋ぎの段取りを決めていなかったから。其れと、あたしの文官を送り出しちゃったんで、誰か応援してくれる人を紹介して貰おうかと思って」
「そう言えば、御屋敷から馬車の車列が出て行ったっけね。あれは、何処かに使いを送り出してしまったわけか。其処に、仕える奴も一緒に向かわせた。馬鹿なんじゃ無いの。其れで困っていれば世話無いわ」
レイナは気怠げに歩いてきながら、強い言葉を投げかけてくる。黒くて長い髪を、無造作に梳りながら、閉じられている木戸と、暖炉に視線を向ける。
何を考えているのか、あたしにはさっぱり解らない。お仕事が結構キツかったのか、あたしの訪問が予想外だったのかも知れない。
「ディックの奴は、私があんたと話すことが、気に入らないだろうね。繋ぎについては、ディックの奴があとで動く予定だった。だから、あんまり気にしなくても良かった。態々来ることも無かったのよ」
「……」
「クリス、悪いけれど木戸を開けてちょうだい。真面目な話しをするのに、あたしが使っている香水の香りは、一寸不向きだからね。あんまり長い間嗅いでいると、可笑しくなっちまうから。お嬢ちゃんには刺激が強すぎる」
クリスさんが、木戸を開けると、夜の空気が部屋の温度を急激に下げる。春が終わろうとしているとは言え、未だ未だ夜とも成れば、暖炉に火を入れなければ寒い。それでも、彼女が使っている香水の香りを長い間嗅いでいるよりはましなのかも知れない。
「私、帰ろうか」
クリスさんが、そんな事を聞いていた。
「構わないよ。貴女もいたら良い。貴女もお仲間には違いなんだからさ。それに、帰るにしても、この時間じゃ一人歩きは危ないから。一緒に帰ろう」
「彼女も影の人なの」
あたしの質問に、レイナが視線で肯定する。
「使える手が欲しいって事か。で、どんなのがお望みなんだい」
「書類が読めて、其処に書かれている嘘を見抜ける人が欲しいと思っている」
あたしは簡潔に、必要なことを話した。スパイなら、文字位は読める。その上、出来れば計算も十分出来て。書類の中の、お役所言葉に精通してる人が欲しい。
「また難しい注文だね。そう言った奴は、居るにはいるけれど。こういった事の出来る人間は、大概こう言う汚い仕事場には来ないからね……貴女は運が良い。此所に居るとすると、私か此所に居るクリスくらいしかいないね。此所に居る女の殆どが、真面な教育なんか受けていないから。文字も読めなきゃ、計算は一桁まで。私とクリスは、四則計算位は出来るし。何より、私たちは元貴族でも有るからね」
レイナさんは、事も無げに驚くようなことを告白してくれる。貴族の御嬢様が、卑しいとされるような仕事を為ている。何らかの事情があるのだろうけれど、自分から引き受けるようなことではないから。




