書類との格闘 14
「知っていたわ。昨日男の子と、此方に来ていたわよね。訳ありのお姫様」
クリスは、その黒い瞳を輝かせて、普通に笑ってみせる。この時の彼女の笑顔には、嘘が微塵も感じられない。良い笑顔だった。
彼女は、あたしから少し離れた席に腰を下ろして、先にティーカップに口を付けてみせる。その辺りも、貴族の習わしを理解していることが感じられる。安心して、飲める物だと証明してくれているのだ。
「ありがとう」
あたしはお礼を言うと、煎れてくれたお茶に口を付ける。良い香りのする紅茶だった。紅茶の香りと、このお茶の旨味が口いっぱいに広がる。茶葉は其れほど、良い物では無いようだけれど。入れ方が、断然上手なんだろう。少なくとも、あたしの煎れるお茶より美味しかった。
これで、御屋敷で使っている茶葉を使ったら、どれほど美味しくなるんだろう。何で、こんな処で仕事を為ているのか判らない。あたしは、侍女ですって言われたら信じてしまうかも知れない。
少し時間が経つと、あたしは血の臭いに気が付いた。クリスが休憩に入っている理由が分るような気がした。月の物が始まってしまったのだ。だから彼女が、着ているワンピースが、朱色な訳が解ったような気がした。
月の物が始まってしまうと、女は中々辛い思いをする。何しろ此所には、タンポンも生理用ナプキンですら無いのだから。恐らく彼女が使っているのは、ある程度の大きさに切りそろえた、布切れを綺麗に洗濯した物だ。こう言った仕事を為ている女だから、街の女性より収入が大きいとは言え。無い物はどうしようも無い物なんだ。
奥様ですら、真面な生理用品を使っていはいない。少し綺麗な肌触りの良い物を仕える程度だ。
月の物が来てしまった以上、女は人前には出ることが出来ない。ましてや、こう言った仕事を為ている関係上、大人しくしているほかに方法が無い。
昨期の言葉から、あたしの事はある程度察している。この人は、見た目が普通っぽいけれど。間違いなく影の人となっている女性だ。ここに何人影の人がいるか知らないけれど。この人は間違いない。
「本当に美味しいお茶だわ。茶葉は其れほどでも無くても、こんなに美味しく入れることが出来るなんて、何か秘訣があるなら教えて欲しいくらいだわ」
「ふふ。そんなにたいそうな秘訣なんか無いわよ。ただ、入れるのに適した温度と、蒸らす時間を計っているだけですもの」
話せば話すほど。クリスが、ただの安い娼婦に見えなくなってきた。勿論、生きるためだけに身体を売っている人では無い。この邦のために命を削って、活動している人だ。其れも、平民出にしては何処か貴族の御令嬢のような仕草が染みついている。案外、頼んだら書類仕事なんか遣ってくれそうな気がする。
そんなことをあたしが考えているとき。上階から階段を降りてくる、足音が聞こえてきた。誰か、お仕事が終わったんだろうな。この足音の主が、レイナさんだと良いなと思う。
「これは失礼な質問に成るかも知れないけれど。貴女は、貴族の御息女なの」
「何故そんな風に思うの」
「何となくよ。そんな気がしたんだ」
微妙な笑顔で、あたしの顔をまじまじと見詰めてくる。失礼な質問に、怒っているようには見えないけれど。決して歓迎しているようにも見えない。失敗したかも知れないな。もし彼女が、貴族としての教育を受けているのなら、あたしの手伝いをお願いしたい気がしたんだよね。だいたい、あたしが此所に来たのだって、少しでも彼の膨大な書類との格闘に、手を貸して欲しかったからだ。
レイナさんも恐らくは、書類を読むことの出来る人だ。出なければ、ああして情報を入手することなんか出来ないだろう。身体を売るだけしか出来ない人ではないと思う。ディックが連れてくるわけが無いのだから。




