影の人 4
「そうかなぁ。私は時間なら、結構在ると思うけどな。恐らくあの子だって、飯くらいは食わなきゃいられないだろ。此れから御屋敷では、歓迎の宴が催されることになっているから。出て来るとしても、深夜になってからだと思うよ。朝になってから、見に出て来た方が良い気がするんですけど」
レイナの読みは、概ね正解だと思う。暗くても、小さな明りさえあれば、堀の中に入っていけるほど、恐ろしく目が良いらしいから。朝になって、側仕えに近付くことを止められるよりは、深夜でも直接柱を見て貰った方が良い。
あれでも、今は主筋の御嬢様だ。そう言った人間が、危険な橋の下に入るのを、止めないわけが無い。此れもリントンさんの言葉なんだけれど、姫様なら、必ず自分の目で確認したがるはず。
遊んでいて、出て来た彼女と接触できませんでしたでは、リントンさんに何をされるか判らない。あれで、結構嗜虐的な処のある御仁だから。俺としても、痛めつける理由を献上したくない。
「彼の姫様は、あれで物わかりの良い子ではあるけれど。俺は御前の匂いを付けて、ああいった子供の前に出たくは無いな」
「相手は餓鬼なんだろ。判りゃ為ないよ」
「矢っ張り止めておくわ」
ディックは少しばかり、自分の性格を呪いながら、レイラの申し出を断った。彼女の甘い香りは、男をどうにも成らない気持ちにさせてる。男を可笑しくする、元々の体臭と特別な香水の威力は、彼らですら抗いがたい気持ちにさせる。
「俺は上に行っても良い」
相棒は陥落してしまったらしい。流石に酒が入っていると、自制が効かなくなるようだ。
にっとレイラが笑う。その黒い瞳には、残念そうな感情が浮かんでいる。それでも、この暗がりで見る彼女は、何処か妖艶な蛇の化身のように見えた。
「そっ。じゃあ早速行きましょ。野暮天はほっといてね。特上のサービスをして上げるわ」
レイラが相棒の腕を掴む。其れで、残何ねと言わんばかりの卑猥な仕草で、ベットから立ち上がった。
「食堂で、待っていて呉れると嬉しいわ。私もそのお姫様を見に行きたいからさ。いい話の種になりそうだしね」
相棒の顔は完全に、理性という物を失った顔になっていた。きっと頭の中は、レイラとのあれやこれやで一杯なんだろう。彼奴の仕事は、いわばディックの後方支援だ。直接、ナーラダのリコに接触するわけでも無い。レイラの媚薬混じりの香水の臭いをさせていたところで、仕事に差し障りは無いだろう。
幼い頃に、自分が持っていた恋心は、とうに捨てたと思っていても。ディックの心は、何か気に入らない気分に成る。
ディックの口元が、皮肉に歪む。内心は、こんな仕事は辞めさせたいのだ。自分も彼女を責めることが出来ない立場だって、事は重々理解している。自分だって、他では似たような事をしているのだから。所詮影働きなのだ。人に誇れる物でも無い。それでも、辞められない理由がある。
ディックの肺の奥底から、やるせない溜息が掃き出される。
食堂に向かって、秘密の扉を開けた。ここへ来て、彼の二人がランプを持って行った事に気が付いた。意地の悪い悪戯を為てくれる。
ディックは部屋用のランプを、手に取るとこの秘密の部屋をあとにした。




