影の人 3
この建物には、地下室が存在している。食い物屋を遣っているから、そう言った施設があって当然なんだけれど。食材を置いておく小さな部屋と。その奥に、簡単には気付かれにくい細工を施した、扉が在り。その扉を開くと、簡易な寝床と机が用意された部屋が在る。
正直長居したいような部屋では無い。湿気も在り、真面な暖房なんかは期待できない。今はレイラが持っている、ランプの灯りだけが唯一お互いの顔を照らしている。因みにこのランプに使われている油は、最高級の油が使われている。そのお陰で、其れほど悪臭に悩まされないですむ。
此所は万が一の時のための、待避場所だ。この部屋の先には、ひときわ狭い通路が続いている。使ったことは無いが、確か裏庭の一郭に出口が設置されているはずだ。
レイラが持っているランプを、小さな台の上に置いた。大きさ的には、ランプ専用としか言いようが無い物だ。
「私は此所嫌いなんだ。何しろ、此所には色んな人間の嫌なことが堪っているようでさ」
レイラがそんなことを呟くと、あられも無い格好のまま。恐ろしく無防備に、寝台の上に腰を下ろす。此れが一緒に夢を語り合った仲の、幼なじみの姿とも思えなかった。いい女には違いない。たぶん何も知らなければ、振り返り惚れ惚れするほどのいい女である。
実際この部屋は、たまに拷問部屋になったりする場所だ。こう言った会合には、不向きな場所と言える。何しろ気が滅入る場所だからだ。湿気も凄く、居心地は最悪と言えた。
ただ、此所なら話し声を聞かれる心配も無い。余計なことに煩わされることも無い。情報の交換だけなら、此所で十分用は足りる。
「ねーぇ。今からでも遅くないからさ。上の部屋を使わない。周りの部屋は、色々お楽しみだからさ。聞き耳を立てる暇なんてあるわけ無いから良くない」
「情報のすりあわせに、其れほど必要とも思えない。大して、時間もかから無いからな」
ディックはなんと言って良いのか判らない気分で、この領都ベレタの仲間の提案をはねつける。隣に立っている、今回の仕事の相棒は、少し気持ちが動いた顔を為ている。
正直、ディックの心も少しばかり心が動かされた。それでも、餓鬼の頃から一緒に育った、其れこそ机を並べ学び、将来の夢を語り合った仲なのだ。其れが、仕事のためとはいえ。これほど変わってしまっているとは思いもしなかった。
レイラの提案は、二人共に寝ながらお話ししようと言っている。上に行くと言うことは、此所ではそう言う事になる。彼女は二対一でも良いよと言っているわけだ。
「そんな暇は無い。恐らく、姫様は今夜にも動くだろう。あの人は、そう言う人だ」
「えー。良いとこのお姫様が、そんな事するかなぁ」
「マリア・ド・デニム伯爵令嬢なら、御屋敷を抜け出すような、馬鹿な事するわけが無いだろうさ。其れが、アリス様なら自分で動かれるそうだ。だから、ナーラダのリコなら確認しに、水位が下がった頃を見計らって、出て来るだろうさ。其れも、短弓を携えてな」
彼の主人、リントンの言葉を思い出す。何かあれば、何事も自分で見聞きしに動く。ウッカリすると、護衛も付けないで動き回るじゃじゃ馬が、リントンの大事なお姫様だ。
「此方も、もう少し穏便なことになるように、手紙をメイドに渡しておいた。どちらにしても、出て来ることは確定だと思う」
スケベな視線を、レイラの肌に這わせていた相棒が、そんなことを言ってきた。
彼の柱に仕掛けられた、細工は日が昇れば明らかになる物だ。其れを遣った犯人については、此方も捜査中で、未だに見付けられてはいない。若しかすると、既にこの街から離れてしまっているのかも知れないと、ディックは考えていた。何より、自分なら既に此所には居ないだろうから。




