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貿易都市メルカトゥーラ②

「あらグラナード、何処か行ってたの?」


宿舎から出ると軽やかにこちらへ来るグラナードを目にして、いつから居なかったのかとティエラは小首を傾げた。

体重を感じさせないしなやかさでアルバの肩へ飛び乗り、にゃぁ、と彼は一声鳴く。


「おつかいありがとうございます、グラナード。首尾は?」

「んにゃー」


にゃーとしか言えないグラナードだが、正確に何を言っているのかはわからなくとも、自信満々の声と表情で何となく言いたいことは察することが出来た。

その様子に上々、とアルバがグラナードの頭を撫でるのを見ながら、どういうことなのかティエラは疑問をぶつける。


「おつかい?」

「ええ、少し伝言を頼んだのです」

「伝言って…あなたいつの間に」


ずっと傍に居たのに全く気付かなかった、と彼女は顔を顰めた。ていうか誰に伝言?そもそもグラナードは喋れないわよね???

首を傾げる彼女の疑問に答えることなく背を押し、まぁまぁ、と誤魔化しながらアルバは湖へ向かうべく歩き出す。






―国湖デアラクス―






国湖へは舟で向かうらしい。川から直接国湖に入るそうだ。極力水には触れないように、ときつく言い含められはしたが、それに関しては文句を言うはずもない。

舟着き場にあった舟はゴンドラに近い形状をしており、先端には舟を操る舟頭が居た。彼らは川の流れに逆らわず、ゆったりと舟を操っていく。

アルバとティエラ、ユーク、そしてシモンズとサミュエルは同じ舟である。初めて舟に乗るアルバとティエラは、少し身を乗り出して川面を見つめた。


「綺麗な川ね、底まで見えるわ」

「本当ですね。…この川は確か、天空の国に連なる山脈から来ているんでしたっけ」


アルバの質問にはい、と答えたのはユークだ。ヴェガス隊はあちこちの街に行くので、隊員は嫌でも地形に詳しくなるのだろう。


「オレが直接行って確認したわけではないのですが、王都の背後に聳え立つ霊峰グレモスオロスに源泉があると聞いています。そこから一度湖の国を通過し、西の森の国でUターンしてここメルカトゥーラ、国湖デアラクスへと至り、そしてボルティセ海峡へと流れていくそうです」

「へぇ、随分と長い川なのね」

「そりゃあだって、エレフセリアの中でも一、二を争う長さを持つと言われてますから」


全長三千キロほどあるそうだ。前世の世界で最も長いと言われてた川は全長何キロだったかな…とアルバはぼんやり思う。確か日本だと一番長くても三桁だった気がするので、今眺めてる川は相当長いことが察せられた。

なお、国湖デアラクスの面積は、資料によれば凡そ八百平方キロメートル。前世で一度見たことがある琵琶湖が確か六百ちょっとだったはずだから、それよりも大きいのかとアルバは若干遠い目をした。黒靄が発生しているのが一部分だけで、本当に、心底から、良かったと思う。

そういえばその国湖について、アルバは気になっていることがあった。川面を眺めていた顔を上げて、背後に座っているシモンズに向き直る。


「国湖には伝説があるそうですね。なんでも美しい女神が住んでいるとか。本で読んだ程度の知識なのですが、実際その通りの伝説なのですか?」


それはこの国に伝わるおとぎ話のような伝説だ。始まりの街(イニティウム)の図書館で調べている時に、見つけたもの。美しい女神、というが、アルバはもしかしたらこの女神こそが、森の精霊たちが言っていた湖に住まう大精霊なのではと睨んでいる。

伝説について一般に知られている程度の情報しか知らないが、現地ではまた見方が変わるのかもしれない。それを聞きたかったのだが。


「美しい女神が住むなど、根も葉もない伝説だ。信憑性の欠片もない、低俗なおとぎ話。この件に関係あるとは思えんがな。それとも王立魔導研究機関は、そんなものも信じているのかね?」


これ見よがしにやれやれこれだから若者は、と肩を竦ませて首を振るという、呆れた仕草までしてこちらをこき下ろしてきたシモンズにイラッとしたが、アルバは微笑みの下でそれを抑えた。この魔導師と付き合っているだけで、表情筋が鍛えられそうだ。

しかし舟の上ですることもなく暇だったせいか、シモンズはそれ以上嫌味を言うことなく、渋々ながらも伝説の概要を説明し始める。


「メルカトゥーラが造られた時、初代の領主となった者がこの湖で溺れたそうだ………」


~*~*~*~*~


湖の底には綺麗な宝石がある、と言ったのは誰だったか。

彼はどうしてもそれを目にしたくて、一人舟に乗って探した。

ほどなくして湖の底で、日の光に当たってキラキラと何かが光り輝いているのを見つけた。

これが探していた宝石だろうか。

彼は確かめようと身を乗り出し、そして手を滑らせて落ちてしまった。

湖は思っていたより深く、彼の姿はあっという間に水底に沈んでしまう。

街の皆で遺体を探したが、何故か見つからなかった。

ところが翌朝になって、街から随分離れた湖のほとりで彼は見付かった。

彼は生きていた。

しかしその表情は何処かうっとりとして、言っていることもはっきりとしない。

ようやく聞き取れた言葉が。


とても美しい女神様に逢った―――


~*~*~*~*~


「初代領主はその美しい女神とやらに助けられ、以来湖には女神が住んでいると言われてきた。そら、あそこのほとりに小さい建物があるだろう。あれが女神を奉ってる祠だ」


言われてそちらに目をやれば、確かに小さな、石を積み立てて造られたらしい建物が建っていた。いつ頃建てられたのか、遠目からでも苔むしているのが見えるので、大分年代が経っているのが伺える。中には女神像と祭壇だけがあるらしい。


「まったくどうして女神が居るなどと信じたのか…あんな祠まで建てて。その領主以外は誰も見たことがないというのに、その領主にしたって本当に見たのかもわからん。ワシは湖で溺れたなんて恥ずかしい話を、どうにか誤魔化したかったがために領主がでっち上げた話だと思うがね」

「ではシモンズさんは、湖に女神なんていうものはいないと?」

「当たり前だ」


現に今日まで女神が居たなんていう話、何百年遡ってみても一度もない。

シモンズはきっぱりとそう女神の存在を否定した。おとぎ話だけが残っていて誰もそれを証明していない、否、出来ていないと。アルバはその場ではそれに反対する材料もなかったために、素直にそうですか、と相打ちを打ったのだが。


「貴様は女神の存在を信じると?」


シモンズが胡乱げにこちらを見て聞いたので、どう答えようかと一瞬逡巡する。が、特に隠すことでもないか、と正直に女神のことを聞いた理由を言った。


「実はとある筋から、湖の大精霊の話を聞きましてね。もしかしたら湖の女神とやらは、大精霊のことなのではないかと思って確認したかっただけなのです」

「え?湖に大精霊がいるのですか?」


初耳です、とユークが驚いた声を上げる。それもそうだろう、アルバですら森の精霊たちに言われるまで知らなかったのだ。

女神イコール大精霊でないのなら、大精霊は大精霊でまたおとぎ話とは別の話が聞けたりするのでは―――そう思ったのだが、シモンズから返ってきたのは嘲笑だった。


「これは驚いた。まさか女神だけでなく、精霊などというふざけたものまで居ると信じているとはな」

「は?」


この人今、何ておっしゃいました?


思わず間の抜けた声を発したアルバだけでなく、その場に居た全員が今自分の耳は何を聞いたのか、と言わんばかりにぽかんとしている。沈黙が場を支配し、全員が一様に目を点にしてこちらを見つめていた。

シモンズがそう答えることは知っていたのか、相変わらず通常運転でおどおどしたままなのは彼の助手のサミュエルだけだ。


「あの…どういうことで?その言い方だと、精霊というものはいないというように聞こえたのですが…」

「その通りだが?精霊などいるわけなかろう。女神の方が伝説が残っている分、まだマシだ」


ウソだろ。


多分シモンズと助手を除く、この場に居た全員がそう思ったに違いない。

エレフセリアに住む者全員が使える魔法は、精霊がいなくては使えない―――ということは、物心つく前から皆何となく知ることだ。

姿を見たことがなくとも、魔法を使う際に魔力の流れを意識すれば、それがどこかから来るのかを感じることが出来る。それで精霊の存在を朧気(おぼろげ)ながらも認識することが出来るのに。

仮にも魔導師である者が、どうしたら精霊などいないなどと言うことが出来るのか。この男は、一体どうやって魔法が発動すると思っているのだろう。というか精霊の存在全否定しといてこの人、魔法、使えるのか?

その場の異様な空気に構わず、シモンズは続ける。


「魔法を使うのに精霊の力を借りるというのは、古い定説だよ。ワシの打ち出した持論からみると魔法とは、自らの体内で循環する魔力を呪文によって引き出し、発動するものだ。ワシの長年の研究がそう示している」


絶句した。本気で言っているのがわかるから、なお余計に言葉が見つからない。精霊と密接に関わっているこの世界で、まさか精霊がいないなどと(のたま)う人間に会うとは思ってもみなかった。

…いや、これは、明らかにおかしいのでは?アルバはじっと探るようにシモンズを見つめる。


「失礼ながら、魔法はどこまで扱えるのですか?」

「ワシを誰だと思っているんだ?魔導研究連盟の筆頭だぞ。上級魔法の二つや三つ、唱えられるわ」


返答を聞いてますますアルバは眉間に皺を寄せた。上級魔法を使えるのに、精霊を認識してない?マジで解せない。


(精霊の存在を感知出来てないのは生まれつきなのか…それとも、何らかの認識阻害を受けている?バカな…そんなことをするメリットなんて…)


顎に手を当てて考え込んでいる間に、舟は国湖デアラクスに入る。

ひとまずこの男のことは置いておこう、とアルバは気を取り直し、舟の少し先の方を眺め見た。


「…あれですか。随分黒いですね」


確かに黒靄によって黒くなっている部分が眼前に広がっているのを確認して、思わず眉を顰める。同時に、言いようのない不快感が右手からピリピリと這いずり登って来るような感覚を覚えた。これは、レイヴァテインが反応しているのか?

漂う空気もどこかどんよりしている。ふと、空気がぐるぐるしている、と言っていた森の精霊たちの言葉を思い出した。成程確かに、あえて言葉にするならそうなるのかもしれない。視覚的にはただの黒い湖が映っているだけなのだが。

ついに黒くなっている湖の上に差し掛かり、アルバは改めて水底を見下ろした。


「これが黒靄…」

「何だか気味が悪いわね」


不定期にゆらゆらと塊になったり拡散したりして水中を漂うその様子は、確かに黒靄と表現するに相応しい。

また、資料にあったとおり、黒靄が発生している場所に生き物の気配はなかった。目を凝らして黒靄の合間から時折覗く水底を見ても、苔すら生えてない剥き出しの岩石が転がっているのみである。


「ちなみに潜ったことは?」

「貴様は資料をちゃんと読んだのか?黒靄に触れたら生き物は死ぬと書いてあったろう。触れなくとも、何らかの異常は起こる可能性がある」


危険すぎるから潜るなど言語道断。少し考えればわかることだろう、とシモンズは苛立たし気に告げた。他も同意見なのだろう、何故そんなことを言い出したのかと怪訝そうにアルバを見つめる。

しかしアルバは平然と、更に告げた。


「黒靄に触れないよう潜ることは可能だと思うのですが」

「はぁ?」


何を言い出すのかと、今度はシモンズが呆れる番だった。やはり王立魔導研究機関に助けを求めたのは失敗だった―――そもそもシモンズは最初から反対していたのだ。

触れれば死ぬか、魔物たちのように変異するかという正体不明なものを相手に、王都の魔導師筆頭に引けを取らないと自負している自分がお手上げ状態なのである。魔法は精霊の力を借りて発動する、などという時代遅れの考え方を未だ信じている王都の魔導研究者なぞに、この問題が解決出来るわけがない。ましてや成人するかしないかの若造が解決など―――


「じゃあちょっと、潜って調べてきますね」

「お、お待ち下さいアルバさん!!黒靄に触れたら死んでしまうかもしれないんですよ!?」


舟べりに足をかけて今しも飛び込もうとするアルバを、ユークが慌てて止める。ティエラもちょっと落ち着いて、と彼のマントを掴んでいた。

こういうのは一度痛い目見ないとわからないのだろう、とシモンズは止める素振りすら見せない。

しかしアルバは大丈夫、と彼らに微笑んで見せる。そして次に彼が告げた言葉は、彼以外の人間を更に仰天させた。


「空気以外を遮断する下級魔法の結界で身体を包んで潜りますから、黒靄に触れることはありません」


何だって?


「応用なので、コツを掴めば皆さんにも出来ることです。まぁこういう状況でない限り使うことは滅多にないでしょうが…興味がある方がいらっしゃるなら、後で教えてさしあげますよ」


にっこりと微笑む彼の言葉が上手く頭に入ってこない。

皆が動揺している間に、アルバは呪文を唱え―――


『其は全てを忌避する―――堅牢なる鳥籠(スクリクルヴィ)


フォン、とシャボン玉のように透明な膜がアルバ―――肩に乗ったグラナードごと―――の周りに発生し、それを確認した彼は躊躇なく黒く染まる湖の中へ飛び込んで行った。

湖が結界の形に割れ、そしてそれごとアルバを飲み込んでいく。

あとに残された者は、呆然と彼が沈んでいった水面を見つめるばかり。


「…あれって、敵を捕縛するための呪文じゃなかった…?こういう使い方も出来たの…?」

「…試したことなかったので、知りませんでした…」


愕然として言うティエラとユークの背後でシモンズが、それはもうぱっかーん、といっそ気持ちいいほどに口を盛大に開けたまま固まっていた。






ゴポゴポと下へ下へと沈んでいく。周囲は黒靄であっという間に暗くなった。しかしこの辺はそう深いわけでもないようで、すぐに結界が底の岩肌に触れる。ぽよん、と結界ごとアルバの身体が少しだけ跳ね、グラナードがバランスを崩してアルバの肩に爪を立てた。


「グラナード、落ちないで下さいよ」

「にゃ」

「さて、魚はともかく…水草なども本当に死に絶えているな…」


きょろ、とあたりを見渡してみても、見えるのは黒い靄と硬質な岩だけ。しかし黒靄がほんの少しだけ切れたところに、何か見えた気がした。

そちらへと結界を操作しつつ、相変わらずぽよん、と跳ねながら向かってみる。ちなみにアルバは結界の中で浮いているような状態である。


「これは…」


それは岩と岩の隙間にある砂地に出来た、小さな裂け目だった。湖の上からのぞいただけでは分からないほど、ごくごく小さな裂け目。そこから泡と一緒に黒い靄がゆっくりと立ち上ってきているのだった。

よくよく周囲に目を凝らせば、他にもそんな場所が複数あるのが分かる。

どうして黒靄が湖に出てきたのか、これでハッキリと分かった。底の裂け目から空気である泡と一緒に出てくる、ということは。


(地下に空気が通った何か―――少なくともある程度の空間がこの下にあるということか。そこで黒靄が発生し、隙間からこの湖に溢れ出した…問題は、この下に行けるかどうか、黒靄を生み出している原因は取り除けるのかどうか、か)


黒靄自体はさして問題ではない。いや、問題大ありなのだが、ここに来てアルバは黒靄の正体を完全に把握していた。そしてその消去法も。だから、黒靄自体をどうにかすることには、問題はないのだ。

問題は、()()()()()()()()()()()、である。


「取り合えず応急処置として…今湖に溢れている分は()()しておくか」


さっきから右手が痛い。レイヴァテインは清浄を好むのだろう、穢れに染まったこの湖が気に入らないのだ。

そう、穢れ。それが目に見える形になるほど濃くなったものが黒靄―――すなわち、瘴気である。


(浄化の呪文はいくつかあるが…ちまちま消すのは面倒だし、出来たら一発で済ませたい。となると…)


アルバは右手を翳した。たちまち、その手に燦然と輝くレイヴァテインが現れる。


「黒靄の発生範囲は十キロだったな。()()で四倍ほど範囲が広がると考えて…中級魔法…いや…上級魔法か…それでも微妙だな」


そもそも浄化の魔法は使い道がそうないため、範囲が元々狭い。何となく空気が淀んでいるな、とか、少し濁った水を綺麗に飲める水にしよう、などという時に使うものだから、上級魔法でも通常は二キロほどの範囲しか効果を及ぼさないのだ。

一旦上に戻って、二回に分けて魔法を使うか?いやでも、レイヴァテインは面倒ごとになりそうだから、なるべくなら見せたくない。それか上の者全員で浄化魔法かけまくるか…それも、上級魔法を使える者はそういないから、時間がかかりそうだ。

さてどうするか、とアルバが少々思い悩んだ時。


『手を貸そう、アルバとやら。届かぬ分はわらわが広げる故、早う己が最大の浄化呪文を放つが良い』

「………!」


突然水を伝って響いてきたのは、鈴のように涼やかに鳴る〝声〟だった。なのに、有無を言わせない重みがあって、思わず身体を竦ませる。

グラナードなど、アルバの帽子の中にピャッと隠れてしまった。


「…やはり、存在していたのですね」


ぽつりと呟いたアルバのそれに返事はなく、代わりに早くしろとせっつくような重厚な気配(プレッシャー)。ひとまず〝声〟の正体については後でいいか、とレイヴァテインを構えた。


『無垢なる棲家にて、不浄の果てを嘆く聖なる巫女よ…』


レイヴァテインが輝きだすと同時、展開された魔法陣が黒靄を押しのけるように現れる。


『その祈りによりて降りたもう光には一点の曇りもなく、(ひと)しく数多の足許を照らす』


そしてそれとは別に、水を通じて魔法陣へとてつもない魔力が注がれるのが分かった。気を抜くと暴走しかねないそれをどうにか制御しつつ、一気に解放出来るよう魔力の流れをコントロールする。


『どうか僅かな悪念も(つい)には落日を迎えますように…!―――聖地降誕(プリフィカシオン)!』


その時、目も開けられないほどの眩い光の洪水が、アルバを中心にドッと溢れた。黒靄は光に呑まれ、押し出され、包まれて弾けては消えていく。

湖面にいるティエラたちから見れば、湖全体が突然光り出したように見えただろう。そして次に彼女達が目を開けたときには、湖は本来の清らかな色を取り戻していた。


「これで暫くは持つでしょう…その間に、原因を見つけませんとね」

「にゃぁん」


レイヴァテインを右手に仕舞い、光が収まる少し前にアルバは浮上する。結界を操作し、飛び上がるようにして舟へ戻ると、呆然としていた面々が説明を求めるようにアルバを見つめた。

人差し指を立て、小首を傾げて、にっこりと微笑み、彼はすっぱりと告げる。


「黒靄の正体が瘴気だとわかったので、魔法で浄化しちゃいました☆」

「「「「なんて??????」」」」


偶然にも全員の心が一致したおかげで、その場に奇跡的な疑問符のハーモニーが起こったのだった。






「もう一度言いますが、黒靄の正体は目に見える程濃くなった瘴気です」


皆が落ち着いた頃を見計らい、アルバは大事なことなので同じことをもう一度口にする。


「瘴気!?………って何だっけ?」


声を上げたものの、ティエラは首を傾げた。一般的に瘴気は出会うことが稀というか、特定の場所にいかないと出くわすことは本当にないだろうという代物なので、ティエラがよく知らないのも無理はない。

説明しようと思って口を開きかけたアルバだが、それより早くユークが説明する。


「瘴気っていうのは、穢れが溜まって出来るものです。穢れというのは…そうですね、負の感情というものがもたらす空気とでもいうんでしょうか…」

「穢れは何となくじぃじに聞いたことがあるわ…戦場で発生しやすいとか」


ティエラの言葉に、その通りだとユークとアルバは頷いた。

痛みや死による恐怖、畏怖。そしてそれを受けてしまうことへの不満、不安、疑念、憤怒。更に失うことへの寂寥、悔恨、虚無。

凡そ出来ることなら味わいたくないというそれらが負の感情であり、特に戦場ではそれらはより顕著に表れるものである。

仕組みは解明されていないが、負の感情を持ったまま生物が死ぬと、穢れが発生するのだ。そしてそれが増え、留まり、蓄積していくと、それは目に見える瘴気というもの変化する。

アルバはユークの説明を引き継ぐ形で、更に告げた。


「瘴気は生物の心身に影響を及ぼします。厳密には毒とは違うのですが…そうですね、大きな違いといえば体内に残るものかそうでないか。あの巨体メガロハバーリのように、調べても何も出ないのが瘴気です。瘴気に晒されたときの症状は、魔物も動物も人も皆同じ。違うように見えるのは、その者の生命力によるところが大きいですね」

「というと…?」

「湖の惨状を見る限り、生命力の弱い者はまず死に絶えている。しかしメガロハバーリのように強ければ体は巨大化し、強化されども理性は失う―――この場合でも、最後は死に絶えるようですが…」

「なるほど…ある意味毒よりやっかいそうね」


納得したティエラだが、瘴気の恐ろしさにぞっとする。そんなものが街の近くで発生していたと知れば、メルカトゥーラは大混乱に陥っていたかもしれない。

 恐らく何らかの事情があるとして国湖デアラクスに住民が立ち入れないようにし、知っている者には口止めをしたのだろう。それで隣国の天空の国にまで、情報が回らなかったのだ。


「…で、それが湖の地下から溢れ出ているってことだったかしら?」

「はい。国湖に溢れていた瘴気はご覧のとおり浄化しましたが」


言いながら彼は足を組んで腰かけていた舟べりから手を伸ばし、あ、と止める間もなく手を湖面に晒した。捻った細い腰に何処となく色気がチラつく。何の躊躇もなく水を掬い上げた彼の手はしかし、特に異常は見られない。本当に綺麗さっぱりと黒靄は消滅したのだ。


「ですが一時凌ぎに過ぎません。今もゆっくりと地下から染み出しているだろうし。完全に元を絶つにはやはり湖に繋がる地下へ潜って、瘴気を発生させているものを消す必要がありますね」


そこでアルバは顔を上げ、何故か悔し気な表情を浮かべているシモンズへと視線を向けた。多分自分でもどうしようもなかった黒靄を、横からぽっと出た若輩者が消したのだから心中面白くないのだろう。

さてこの状態の彼に、質問をしたところで素直に答えてくれるかどうか。アルバはなるべく穏やかに問いかける。


「国湖の地下へ至るような道はご存じですか?」

「…それよりも貴様、湖で一体何をしたんだ。浄化したというが、上級でもあれほどの範囲を全て浄化するなど不可能なはず。そもそも貴様のような若すぎるやつが一体どうやって上級魔法を…いやそれ以前に、結界をあのような使い方するなど………」


やはり素直に答えて頂けなかった。どころか逆に矢継ぎ早に質問されてしまう。

まぁいいか。こうなる気がしていたし、いちいち全てに答えるのは面倒だ。それに全て答えたとして自分が欲しい回答が得られるとも思えない。

取り合えず湖の浄化はしたのだし、一旦街に切り上げるとしようか―――そうアルバが思った時。


ざざ、と湖面に小さくない(さざなみ)が起こった。


「―――!」


ぐら、と舟が傾ぎ、舟べりに腰かけていたアルバはバランスを崩して湖に落ちそうになる。が、ユークが腕を掴んでその胸に引き寄せてくれたおかげで、事なきを得た―――しかし湖面の揺れは収まらない。


「下に何かいるぞ…!」

「でかい!何だ!?」


自分たちが乗っている舟よりも巨大な影が、真下を通り過ぎるたびに舟が揺れる。舟に乗った騎士や、魔導研究者たちは軽くパニックだ。これは…


「まさか、瘴気に()てられて巨大化し、狂暴になった水生の魔物か…ッ?」


瘴気にも耐えうる生命力を持つ水の魔物。アルバがその正体を探り当てる前に、()()が姿を現した。

くすんだ銀の鱗は尖り、大きく広がるヒレは多分一発食らえば簡単に舟を沈めるだろう。一抱えもある太さの胴体は、…はたして致命傷を与えられる程に剣は通るのかと、不安になる。

アレだ、前世の水族館で見たピラルク―を、今乗ってる舟の倍ぐらいでっかくした感じに近い。大分凶悪な見た目になってはいるが。


「トゥラガーペス…!」


大雑把に言えば魚の魔物だ。瘴気のせいで巨大化しているが、元はピラルク―くらいの大きさである。普段は大人しく底で微睡み、群れは作らない。繁殖期の雄同士の戦いは、水の中でも衝撃波を引き起こすと言われているほど激しいものだそうだが。


ウォォォォオオオンッッ


巨大な(あぎと)を大きく開き、のこぎりのような牙を見せつけながら、それは獲物を見つけたとばかりに吠えた。黒靄があったせいで近づけなかったけれど、それが晴れたから好機とみて襲い掛かってきたのだろう。

とにかく足場の不安定な舟の上では、こちらは思うように動けない。必然、魔法で応戦することになる。


尖鋭(せんえい)なる刃となりて敵を撃て!水鱗弾(スフェラレピ)!!』


回りの騎士達が水の下級魔法を放って牽制するが、鱗に弾かれて全く効いていない。

トゥラガーペスは大きなヒレを翻し、湖面に小さくない波を作って舟を翻弄する。舟頭たちが健気にも、かろうじて舟が転覆するのを防いでいた。

アルバを背に庇い、ユークが中級魔法を唱え出す。タイムラグは他の騎士が先ほどの下級魔法で埋めていた。


『風の精よ、勝鬨(かちどき)を上げろ!我に仇名す者を斬首せよ…!―――風切鎌(トゥルファルク)!!』


トゥラガーペスに向かって複数の風の刃が向かい、その身を切り裂く。効いているようだが、致命傷でもなさそうだ。

全く引く様子を見せない魔物を見て、アルバは声を上げる。とにかく場所が悪い。


「総員、撤退!魔導研究者たちが乗る舟の安全が第一です、最優先で守り通すように!!」


調査のために連れてきた魔導研究者たちは、多少魔法が使えるものの戦力にはほど遠いだろう。かといって易々と失うわけにもいかないので、真っ先に避難させろと騎士たちに指示した。

一斉に後退しだした舟を横目に、アルバはちら、同じ舟に乗るシモンズとサミュエルを見る。突然現れた魔物にすっかり腰を抜かしたのか、彼らはあわあわと舟にしがみ付いて震えるばかり。


(―――上級魔法を使える、と言っていたが戦慣れしているというわけでもないようだな…!)


これではただの足手まといだ。溜息を吐きたいところであったが、トゥラガーペスが湖に潜ったり浮かび上がったりとしているので、波もだんだんと激しくなってきていた。このままでは遅かれ早かれ、離れきる前に舟が転覆してしまう。


「ティエラ、それとそこのユーク小隊四班!あれが潜ったら浮上してくるよう、水中でも威力が落ちない魔法で水面まで追い立てて下さい!」

「「「はいっ!!」」」

「分かったわ!」

「ユーク、あなたはあれが浮上してきたら潜らせないよう足止めを!」

「承知しました!」


アルバが乗った舟とユーク小隊四班が乗った舟が、下がっていく舟を守るように殿(しんがり)へ移動していく。その動きに気付いたのか、シモンズが何をするつもりだ、とパニックに陥ったまま声を荒げた。


「舟頭!さっさと舟を川へ戻せ!この若造の言うことなど聞くな!!」


わぁわぁと喚き散らすシモンズが、立ち上がろうとして尻もちをつく。そのすぐ横の水面下をトゥラガーペスが過ったのを見て、ひぃぃ、と情けない声を上げながら反対の舟べりにしがみ付いた。そのまま大人しくしていてくれ!

ユークの後ろで、アルバはトゥラガーペスを倒すべく精神を集中させる。中級魔法でも倒せないのは、先ほどのユークで確認済み。メガロハバーリの件を鑑みても、効くのはやはり上級魔法しかない。


『―――全ての源たる清らかな龍母よ』


ティエラとユーク小隊四班が放つ下級の光魔法に追い立てられるように、トゥラガーペスが再び水面へ上がってくる。


『逆巻く激流の如く凄烈(せいれつ)秘めてなお、其を慈しんで浚い還す号哭(ごうこく)の流れにて』


ユークが魔物の動きを止めるべく、先ほどの中級魔法を放つ。痛いところに当たったのか、それは水面から苦し気に身を躍らせてきた。そのままこちらへ、押しつぶさんとする―――その巨躯に向かって。




『哀れなる魂をその身に抱け!蒼浪の水戟(セレステオランサ)!!』




槍のように変形した大量の水が、完膚なきまでに撃ち抜いた。

▼グラナード

身長(座った状態):35cm(※猫時)・3.2m(※獅子時)/体重:3.8kg(※猫時)・385kg(※獅子時)

年齢:?

毛の色:花紺青/目の色:竜胆色/額の宝石色:柘榴色

イメージカラー:紺

武器:?

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