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貿易都市メルカトゥーラ①

「ちょっ、ちょっとアルバ!あなた何てことを…罪よ…罪すぎる…!」

「そうですか?フフフ…いいんですよ?ティエラもやってしまって」

「ダメよ…ダメ………やめて誘惑しないで…!」


 流れる水の爽やかな音を聞きつつ、時は優雅な午後。

 アルバの目の前には、クリームとはちみつと果物マシマシのスフレパンケーキが鎮座していた。甘いのが苦手な者が見たならば、ちょっと…いや、かなり引くだろうと思われる量だ。現にアルバの隣に座っていたユークは、青い顔しつつもこっそりと席一つ分は離れてしまう。

 しかし向かいにいるティエラは若葉色の目を悔し気に潤ませて、それを羨ましそうに見つめていた。彼女の前にも同じものがあるのだが、クリームと果物の量はアルバの半分ほどしかない。というかこれが通常サイズである。


「ティエラはここに来るまでも結構動いていたでしょう?今後も動くでしょうし、そう簡単に太りはしないと思いますが」

「そう?そうかしら?うう、でも…」


 剥き出しのお腹をさすりつつ悩むティエラを見て、どこの世界でも女性はカロリーを気にするものだな、とアルバは思った。難儀なものである。

 ナイフでスフレパンケーキに切り込みを入れると、ふわりと甘い匂いが立ち上り、アルバの口元が綻んでいく。小さく切り分け、クリームとはちみつをたっぷりつけて口に運んで。


「………」

「めっちゃくちゃ顔緩んでるわよ…意外ね、あなたが甘いもの好きなんて。…ん、でもコレホントに美味しい~!」


 ティエラも一口分を口に含み、至上の恍惚とばかりに微笑んだ。口の中で蕩けていくスフレとクリームは、まさに天使…いや悪魔の組み合わせである。


「にゃー!にゃあぁ!」


 先程からてしてし、とアルバの手を強請るように叩いているのはグラナードだ。欲しいのだろう、仕方がないのでちょっとだけ分けてやると、クリームを一舐めしたグラナードもうっとりとした顔をした。

 至福の時を過ごしていると言わんばかりの彼らが居るのは、川の上に設置されたテラスであり、この街一番と言われるカフェである。下を川が直接流れているためやや涼しく、さらさらとした水音が耳に心地いい。

 このカフェだけでなく、こういった場所はこの街の随所にあった。


 そう、ここは川の上に造られた都市。

 貿易都市メルカトゥーラ、湖の国の首都である。






 ―采配―






 この街についてすぐ、ヴェガス隊は騎士団専用の宿舎―――第一の大陸の主な街には大体騎士団専用の宿舎がある―――に向かった。そこで一度騎士達に待機を命じ、ヴェガスは貿易都市を仕切る領主の元へと行ってしまう。

 その間、せっかくだからとアルバとティエラは少し街を観光することにしたのだ。ユークがついてきたのは、一応二人のお目付け役のつもりである。


「うわぁ…なんて面白い街なの!」

「見晴らしいいですね。それにとても涼しい」


 街のど真ん中には幅の広い川が流れ、支流があちらこちらに伸びていた。しかし最終的には全てが国湖に流れつくようになっているらしい。

 川の上というから移動は船なのかと思っていたが、意外にも川の流れを遮らないように造られた石造りの道と橋が随所にあり、しかも上下に交差している所もあるので一見すると迷いそうな複雑な形となっていた。

 アルバは道の隅にあった観光客用の地図を手にとり、街の主要な施設への道を探る。


「これは…迷路みたいですね」

「ホント…ちょっと歩くだけでも迷いそう」

「何度かここに来ていますが、自分も覚えるまで大変でした。慣れれば歩きやすくなってきますよ」

「おや、ユークは街の構造を覚えてらっしゃるのですか」


 それでしたら道案内お願いしますね。にっこりとアルバが言うのへ、はい、とユークは銀の髪を揺らしつつ快く請け負った。

 湖の国としてのシンボルは国湖だが、この街のシンボルとしては街の中心にある大きな川が作りだした滝である。その滝から南には貿易都市らしくあらゆる商業施設が、東と西には住宅地及び食事処が、北には教育施設や娯楽などがあるようだ。

 更に言うなら街の南には草原が広がり、それ以外は森が囲んでいる。草原では放牧や様々な野菜、麦などの栽培が行われ、森では果物などの栽培が行われていた。なお、国湖は街から見て南西の方角にあるらしく、川の流れもそちらに向かっている。

 また、この街は第一の大陸の丁度中心に位置するので、西の森の国と東の天空の国の丁度いい交流の場となり、いつしかここはあらゆる物資が集まる貿易都市となっていた。


「見て、アルバ。凄い滝。平地の街だと思ってたけど段差があるのね、ここ」

「そのようですね。それにしても何故、川の上に街を造るなんてことしたんでしょうか…普通、造るなら川の横ですよね?」


 滝と地図を眺めつつ、アルバはふと疑問に思ったことを口にする。答えてくれたのはユークだ。


「最初は街の横に造っていたそうです。ですが森を伐採して街を広げようとした途端、まるでそれを咎めるように川が氾濫を起こしたそうですよ。それで川の上に街を作ることにしたんだとか。でもそうしたら、ぱったりと川の氾濫がなくなったみたいですね」

「なるほど…」


(多分精霊たちの仕業だな…)


 ユークの説明を聞いて、アルバは氾濫を起こした犯人に当たりをつける。恐らく森の伐採に耐えられなくなった森の精霊たちが、水の精霊たちに助けを求めたのだろう。


(それに国湖には大精霊がいるようだし…むやみに自然を壊すとその分報復が返ってくるわけか)


 街が出来た由来の真相を推理しつつ、アルバとティエラは完全に観光旅行に来た人のように街の景色を楽しんでいた。やれあの建物は何だとか、釣りは出来るのかとか、船で移動してみたいだとか、中々に満喫しているようである。

 この街に来た目的を忘れてないか?と思える彼らを眺めつつ、ユークはしかし、とここに来るまでの道中を思い返した。






 貿易都市メルカトゥーラへは、始まりの街(イニティウム)から何もなければ徒歩でおよそ四日ほどで辿り着く。道中には数か所休憩所となる集落や宿場町があり、もちろん魔物たちも出現するので、四日で辿りつけるのは本当に稀だ。

 始まりの街(イニティウム)を出て半日ほど歩いた頃、殿を務めるアルバとユーク小隊が早速とばかりにアプリュコスの群れに襲われた。

 しかしさすがは戦い慣れたもので、ユーク小隊は落ち着いて対処している。群れとはいっても十体程ならば、数で上回る騎士団の敵ではない。

 アルバは己も剣を取り、騎士達の戦いぶりを観察しながら、邪魔にならないよう動いていた。


「後方が襲われたようだが大丈夫か?」

「ユーク小隊があたっています。問題はないようです」


 先頭を歩くヴェガスの元にもその戦闘の音は届いたが、他ならぬ自分の副隊長を務めるユークの小隊なので、声に心配の響きはない。知らせに来た騎士の言葉を聞いても、当然だなと頷くのみだ。

 しかし日が暮れた頃に今夜はここで休むぞ、と宿場町に着いた時、アルバから声をかけられた。


「お疲れ様です、ヴェガス隊長。今よろしいでしょうか?」

「おうアルバ、お疲れさん。なんだ?」

「ユークさん率いる小隊の編成を少々変えたいのですが、構いませんか?」


 アルバは戸惑うユークも一緒に連れてきている。隊に関わることなので、ヴェガスに許可を取りに来たのだろう。


「なんだ、問題でもあったか?」

「問題というほどの事ではありません。ただ、少し変えれば連携がより良くなりそうだな、と思いまして」


 アルバの隣に居るユークは編成を変更したいと聞いただけらしく、若干困っているようだった。

 一応今の編成は個々の能力を見てヴェガスが決めたものだが、彼らの能力をじっくり見たのは大分前である。騎士として成長した者もいるだろうし、戦い方が変わったものもいる。慣れた編成であっても、若干のずれが生じていることにアルバは気づいたのだろう。


「ふむ。…ま、いいぞ。その小隊はお前に預けたわけだし、好きにしろ」

「ありがとうございます」


 あっさりとヴェガスは許可を出し、これから編成しなおすということで一応付いていくことにした。

 借りている宿のホールには、すでにユーク小隊が鎧を脱いだ状態で待機している。彼らに向かって、アルバはにこやかにほほ笑みながら告げた。


「これから、ユーク小隊の編成を少々変えようかと思います」


 初めて告げられた騎士達は戸惑いの声を上げたが、アルバの傍にいるユークとヴェガスが黙っているのを見て、この件は既に了承されたもの、と気付いて大人しくなる。

 それに感心しつつ、アルバは始めた。


「まず、第一班のマークさん。あなたは左側からの攻撃に若干弱いようですね。二班のエリックさんは左利きと聞いています。彼と組めばその問題も解消されると思いますので、マークさんは二班へ異動して下さい。そして四班のハインさんは強化と回復魔法がお得意そうですので、魔法主体の四班より物理攻撃が主な五班に異動して、五班全体のフォローに回ってみてください」


 再び戸惑った声があげられるが、指名された者は大人しくアルバの指示に従ってそれぞれの班に移動していく。


(は?おいおいマジかよ…)

(アルバ様…まさか小隊全員の名前だけでなく、戦い方と癖を、今日のあの一度だけの戦闘で…!?)


 ヴェガスとユークは、アルバの洞察力と記憶力に驚愕した。ちなみにユーク小隊は31名いる。


「そして二班のクリスさんは攻撃したあとに隙が出来やすいようなので、三班へ異動し、シュリオさんと組んでみてください。似たタイプの彼と交互に攻撃するようにすれば、反撃されにくくなると思います。そして五班ですが、班長はシメールさんでしたね。あなたは指示を出すよりも、スピードがあるので前に出て先陣を切る方が向いています。なので、班長は広い視野を持つロックさんに。変更は以上です」


 そう言ってアルバは締めくくり、ホールに若干の沈黙が流れる。そこへ、異動を申しつけられた騎士の一人が手を挙げて質問してきた。


「あの…今アルバ様が言ったように、オレは確かに左側からの攻撃に弱いです。指摘されて初めて気づきました。でもそれって気をつけるようにするので、わざわざ班を変えなくてもいいのでは?」


 慣れ親しんだ班を離れてまで、異動する必要があるのだろうか。騎士は真っすぐに疑問をぶつけてくる。

 対してアルバは、もっともです、と微笑んだ。その後にしかし、と続ける。


「気をつけていても、人間一度ついた癖はなかなか直りません。でも、直さなくてもいいんですよ。他の皆さんにも言えることですが、あなた方にはそれをフォローできる仲間がいる。欠点や、弱点は克服するにこしたことはありませんが…一朝一夕で出来るものでもありません。そうでしょう?それよりも長所を伸ばした方が隊のためにもなります。だからこその編成変更なのです」


 欠点や、弱点を指摘されたとしても、焦らなくてもいい。そのままで充分なのだ、とアルバは告げた。

 ただ悪戯に編成を変えたわけではないと、アルバを見つめる騎士達の眼差しが変わりつつあるのを、ヴェガスは目ざとく気付いて感心する。


「あなた方は強い。自信を持って下さい。取り合えず明日一日この編成でやってみて、どうしてもやりにくいと感じるようなら遠慮なく言ってくださいね」


 ユークは驚いた表情のまま、蘇芳(すおう)の瞳をアルバに向けた。この人は、たった一度の戦闘で諸々を把握したのか。なんてお人だ、とユークの中でアルバに対する印象が変わる。

 ただ強いだけの人だと思っていた。メルカトゥーラまでの短い付き合いだというのに、この人はしっかりと隊を一つ預かるという責を自覚し、真摯に向き合っているのだ。

 ヴェガスも、どこかで部下と手合わせでもして改めて自隊を編成しなおそう、と反省するほどだった。


「それとユークさん」

「はい。…ユークで構いません、アルバ様」


 ユークのその言葉を聞いてヴェガスは、あ、コイツ落ちたな、と若干遠い目をする。落ちるのは構わないが任務は公平にやってほしいので、後で釘を刺しておこう。

 呼び捨てで構わないと言ったユークにアルバは微笑む。


「おや、そうですか。ならばあなたも様は取ってください、どうにも擽ったいので。―――呼び捨てが恐縮であるなら、さん付けで構いませんよ」

「では…アルバさん」

「はい。皆も、そのようにお願いします」


 その場に居た騎士達全員が、綺麗に声を揃えて返事した。これはコイツらも落ちるのは時間の問題か、とヴェガスは思う。だって何かもう、眼差しに尊敬の念がこもっている。

 そんなヴェガスの様子を気にすることもなく、アルバはユークに向かって話を続けた。


「ユーク、今日の戦闘は皆の技量を確かめてみたかったこともあって、あなたに指揮を任せました。ですが明日は、オレと一緒に一歩引いて全体を見つつそれぞれの状態を把握してください。その上で気づいたことがあるなら、その場で言って欲しいのです」

「承知しました。ですが、自分が抜けた分は…」

「ティエラが埋めます」


 唐突に自分に矛先が向けられ、邪魔にならないようホールの隅にいたティエラは、若葉の瞳を瞬いてきょとりとする。その場に居た全員の目が一斉にティエラに向いた。

 動揺したが、アルバの挑発的な、しかし信頼も込めた視線を受け止めて、ティエラはそれをどうにか押し込む。


「あなたの剣技なら、充分ユークの穴を埋められます。頼まれてくれますか」

「それは…ええ、もちろん」

「あなたに関しては特に指示することはありません。好きに動いて構いませんよ」

「分かったわ、アルバ」


 そうして、翌日。

 魔物の数は貿易都市メルカトゥーラ、いや、より正確に言うならば国湖に近づくにつれ多くなっていく。

 その日の始めの戦闘は一般の馬車がアプリュコスの群れに襲われかけていたところに出くわし、次の戦闘はマンドレンティスが数匹現れた。

 魔物の数が増えているので、最近は陸路を使わず海路を使っていく者も多いらしい。一般の馬車が襲われているのを見たのは、初めの戦闘だけである。

 いずれにせよ、ユーク小隊は新たな編成で最初は戸惑いつつ戦っていたが、次第に息が合ってきたのか、コツを掴んだのか、昨日よりも格段に動きが良くなっていた。ユークの代わりに入ったティエラのフォローも良かったのだろう。彼女の咄嗟の動きは天性のものを感じた。


 夕方に次の宿場に着いた頃、アルバは改めてユーク小隊に問いかけたが、編成を元に戻して欲しいと言う者はいなかったのである。






 回想から戻って、現在。

 結局始まりの街(イニティウム)からここメルカトゥーラまで、一週間ほどかけてこの街に辿り着いた。魔物云々よりも、天空の国と湖の国の国境にある検問所で、出入国審査のために時間を取られてしまったのが大きい。原因はアルバとティエラの通行許可証がなかったせいなのだが、身元は判明しているし、騎士団も大丈夫だと口添えしたので事なきを得た。二人は申し訳なさそうにしていたが。

 ユークは相変わらずティエラと一緒に、メルカトゥーラの観光を楽しんでいるアルバを見つめた。


(街に観光しに来たように見えても、この方はしっかりと周りを見ている。さり気なく地図を見て街の構図の確認もしているようだし…)


 目的は国湖なので街に関してはそれほど重要ではないが、それでも何かあった時のために道筋を覚えておくに越したことはない。そういう姿勢でいようとするアルバに、ユークは改めて好感を抱く。


(―――本当に、不思議な方だ)


 一言で言うなら、貴族らしくない。頭も良く立ち回りの上手い貴族も何人かはいるが、アルバはそのどれとも違った雰囲気がある。何と言うか―――ミステリアスなのだ。成人したばかりと聞いていたが、その割には精神が成熟しているというか老成しているというか。


(あの夜明けのような目で見つめられると、心の奥を覗かれているような気分になるな…)


 辣腕で知られる我が国の宰相を前にした以上の、安心感ともプレッシャーともつかない不思議な心地を感じさせる。

 取り合えずヴェガスから言いつけられていた秘密の任務に関しては、心のレポートに「視野が広く、勤勉である」と付け足しておこう。




「おや?あれは…」




 ふいに零されたアルバの怪訝な一言に、ユークは顔を上げる。彼は橋の上から下を流れる川を見て、何かに気付いたようだった。

 何を見つけたのかと彼の視線を追えば、支流らしい小川の先がトンネルの中に吸い込まれていくのが見える。トンネルの上には立派な屋敷があり、向こう側は見えない。


「ユーク、あのトンネルは何処に続いているのかわかりますか?」

「さぁ…でも方向からするに、国湖へ続いていると思いますが。あのトンネルがどうかしたのですか?」

「大したことではありませんが…」


 アルバがユークの疑問に答えようとした時、彼らの背後から呼びかける声がかかった。


「おーいお前ら、呑気に観光してんじゃねぇぞ」

「ヴェガス隊長!いえ、これは観光では…」


 どうやらメルカトゥーラを治める領主との会合を終えたらしいヴェガスが、宿舎に戻る途中でアルバ達を見つけたらしい。遊びに来たわけではないのだ、と雄黄(ゆうおう)の瞳で睨んでくる上司に、違うとユークが慌てて弁明する。…いや半分は、少なくともアルバたちは観光も兼ねていたので、強く否定は出来ないのだが。

 自分たちも宿舎に戻るべきだろう、とヴェガスの元へ歩きながら、アルバはちらりと彼の傍に居る見知らぬ人間に視線を向けた。


「そちらのお二人は?」


 一人は金の刺繍を施した煌びやかな緑のローブを身に纏っており、腹がでっぷりと肥えた随分と恰幅の良い中年の男。もう一人はその男に付き従うように、やや質素な身なりで自信なさそうにおどおどとしているやせぎすな男であった。

 緑のローブの男の方は値踏みするようにアルバを見つめる。その様子に、彼らはここメルカトゥーラに在する魔導師、もしくは魔導研究者たちであろう、とアルバはあたりをつけた。


「おう、後で紹介する。まずは宿舎に戻るぞ」


 紹介は後で、というヴェガスの言葉に、一先ず全員は宿舎へ戻るべく歩き出す。

 アルバは一番後ろを歩きながら、グラナード、と肩に乗った眷属を呼んだ。一言二言小さな声で何かを告げたあと、グラナードは心得たとばかりにアルバから降りて逆方向へ走り出す。

 その姿を最後まで見送ることはなく、アルバはさり気ない仕草で宿舎に戻る足を速めた。






「さて、と。まずは紹介しよう。こちら、メルカトゥーラ魔導研究連盟筆頭の、魔導師シモンズさんだ。その横にいるのが助手のサミュエルさん。我が騎士団と一緒に国湖の調査をして下さる」


 宿舎に着いて早々に、まずはアルバとユーク小隊をホールに集めて、ヴェガスは連れてきた二人を紹介する。

 紹介されたシモンズという男はむっつりとした表情をしており、そちらから協力を仰いできたにも関わらず、さも自分たちの方が偉いと言わんばかりに慇懃な態度だ。

 逆に助手であるらしいサミュエルは、おろおろと落ち着かなげに瞳を揺らしていた。


「シモンズさん、こちらが一緒に調査をする、我が騎士団の…」

「ヴェガス隊副隊長を務めさせて頂いている、ユーク・オリガと申します」


 ヴェガスの言葉を引き継いで、ユークがお辞儀付きで丁寧に自己紹介する。続いてヴェガスは手の平をアルバに向けた。


「で、こちらは騎士団ではないが我々よりも魔法や、魔導研究に精通しているため、わざわざ出向いてきてもらった。今回の調査にてユーク小隊含め魔導研究者たちの指揮を任せているので、シモンズさん方はオレよりもコイツと話する方が多くなるかと思う」


 魔法や、魔導研究に精通している、わざわざ出向いてきてもらった魔法使い。成程そういう設定にしたのか、とアルバは即座に理解する。はっきりとそう口にされたわけではないが、あながち間違ってはいないのでアルバは流すことにして自己紹介した。


「アルバ・カエルムです。今回の件は早急に解決を望まれているようなので、ご期待に沿えるよう尽力致します。どうぞよろしくお願いします」


 微笑んで手を差し出したが、その手が握り返されることはなかった。シモンズという中年の男はちらりとアルバを見て、その目に侮蔑の色を滲ませる。そのまま告げてきた言葉は随分と辛辣で。


「…ふん、まだケツの殻も取れてないようなヒヨッコではないか。魔導研究に精通している、だと?その若さじゃその情報もたかが知れる。こんなのを寄越してくるとは、王都の魔導研究機関も大したことないようだな。それとも人手不足なのか?うちも舐められたものだ」


 明らかにアルバを格下と見たシモンズの無礼な言葉に、思わず反応したのはユークとティエラだ。見た目や偏見でこちらを判断するなと、彼らは眉間に皺を寄せて不愉快さを露わにする。

 一方アルバは、シモンズの態度に心の内が一瞬キュッ、と縮み上がるのを感じた。脳の片隅でとうに忘れ去ったはずの過去、転生前の人生の記憶が呼び起こされる。


 ―――仕事が遅いな!やることは山積みなんだぞ!

 ―――使えないヤツめ!もっと効率よく出来ないのか!

 ―――これが終わるまで帰れないと思え!


(…ああ、クソ………嫌なこと思い出させるなよ。全く、どの世界にもこういう…人を見下しては高圧的な態度を取ってくるやつはいるんだな…)


 ブラック企業と呼ばれていた会社に勤めていた頃の、凄惨な日々が一瞬頭の中を流れた。頭ごなしに怒鳴ることしかしなかった上司の顔と、目の前の魔導師の顔が重なる。しかし嫌な気分にはなったものの表情には出さず、顔色を窺って身を竦ませることもない。


(―――もう、あの頃とは違う。何も言えずに縮こまっていたオレじゃない。何を言われようと、オレはオレのしたいようにするだけだ)


 息を一つ吐いて、アルバは微笑を浮かべた。さっさと魔物がおかしくなった原因を突き止めたいのだ、こんな最初も最初に、それも余計なことで時間をかけていられない。

 今にも噛みつかんとしていたティエラとユークをひらり、と手を翻すことで制し、アルバはしっかりシモンズと目を合わせて言った。


「オレに対し、不安になるお気持ちもあるでしょうが、そこはご容赦ください。解決したい気持ちは同じなのです、どうかご協力お願いします」

「…いいだろう。人手不足だろうが、質が落ちていようが、高名なかの王立魔導研究機関からわざわざここまで、遠路はるばる来たのだ。それに免じようではないか。若造なりに頑張って解決を図るがいい」


 相変わらず上から目線だ。というかアルバが王立魔導研究機関から来たとは一言も言っていないのだが、ややこしくなるのであえて訂正はしない。が、さっさと解決しないと、謂れのない汚名を王立魔導研究機関が被ることになるな、と溜息を吐きたくなるのを堪えた。

 こういう手合いはまともに相手せず、さっさと話を先に進めるに限る。


「ありがとうございます。では早速ですが、今日までに得た情報を頂けますか」


 凛とした態度を崩さないアルバにシモンズは怯んだようだが、若造の虚勢とでも判断したのか、ふん、と鼻息荒く助手に向かって声を荒げた。


「おいサミュエル、さっさと渡してやれ!」

「は、はい、こちらが我が魔導研究連盟がまとめた資料になります。コピーしましたので、皆様もどうぞ」


 シモンズに怒鳴られ、慌てた様子で助手のサミュエルがささっ、と資料を渡してくる。それを受け取って、アルバは早速目を通した。



 ―国湖デアラクスの異常について―

 記入:エレフセリア歴/〇〇年/□□旬××月/▽▽日

 国湖データ:面積約八百平方キロメートル/水深凡そ十メートル~百二十メートル

 以下は抜粋し軽くまとめたものであるため、詳しい資料は別紙参照。


 ・河口よりおよそ一キロ地点にて、▽〇年/☆〇旬※※月/◇×日に水中に黒い靄のようなもの(以下、黒靄と仮称)が漂っているのを発見。発生時期は不明だが、第一発見者によると※※月よりも前と思われる。なお、同時期に魔物の狂暴化も始まったものとみられる。

 ・国湖デアラクスの面積は約八百平方キロメートルだが、黒靄は河口付近より凡そ十キロ、水深が比較的浅い範囲に渡って発生。他の場所で発生したとの報告はなし。湖の水と混ざっているわけではなく、湖の水自体は以前と変わらない状態である。また掬うことは可能であるが、空気に触れると消滅する。

 ・湖に生息する魚や、水草は黒靄に触れると生命力の低いものから死亡する模様。触れて生き残っているものは現在確認されていない。また、死亡したものを食すことでも、黒靄に触れるのと同様の効果が確認されたため、黒靄の危険度を最高値の警戒レベルIVと断定する。

 ・湖に住む生き物は黒靄に触れると死亡するが、地上の魔物についてはその限りではない模様。黒靄を湖の水ごと飲むと、飲んだ量に応じて狂暴さと体積を増すことが確認された。しかし最終的には死に至っているらしいことが報告されている。

 ・魔物について数が増えたと言われているが、恐らく姿を見せることのなかった森の奥の魔物たちが、黒靄の混じった湖の水を飲んで死亡した魔物を食し、狂暴化して人里に降りてきたためと思われる。そのため、早期の解決が望まれる。


「………」


 資料を読み終えたアルバは、黒靄の性質に眉根を寄せた。これによく似た性質を持つものに心当たりがあるのだが、まずは一度この目で確認してから判断を下した方がいいだろう。

 資料から顔を上げたアルバを見て、シモンズは追加情報だとばかりに魔物と街の現状を伝える。


「メルカトゥーラに魔物の被害はまだ出ていない。我が街の自警団や、傭兵たちがこの辺の魔物を逐一掃討してくれているからな。…しかし報告によると数が増え、手が回らなくなってきたというので、騎士団を呼んでもらった次第だ」


 調査が行き詰っているからではなく、あくまで増えた魔物の討伐のために騎士団を呼んだのだと宣うシモンズに、どんだけプライドが高いんだとその場の空気にうんざりしたものが混ざり始めた。

 こんなのが筆頭だとさぞ下の者が苦労していそうだな、と思いつつ、アルバはヴェガスに視線を向ける。


「ヴェガス隊長、あの巨体メガロハバーリについては何かわかりましたか?」


 アルバの脳裏に、巨体であったメガロハバーリが死んだ際、現れた黒い靄が思い浮かんだ。資料によると恐らく湖の水ごと黒靄を飲み込んだか、あるいはそれによって死亡した魔物を食したかで狂暴化したらしいメガロハバーリは、どのような研究結果をもたらしたのだろうか。


「ああ、特に通常の個体と大きな違いはなかったようだ。毒薬物も検出されなかったし、異常進化か異常変異ではないか、と言われている」


 どうやら体内から黒靄は発見されなかったようだ。まぁ倒した時にその黒靄が一瞬出て消滅したのを見ているので、そうではないかと薄々思ってはいたが。

 ヴェガスが告げた言葉に、シモンズが反応する。


「巨体のメガロハバーリか。それはこちらでも何度か出現しているが、巨大化したのはメガロハバーリだけではない。分かっているのはその資料にある通り、黒靄が魔物たちに成長を促しているということのみ。悪い意味でだがな」


 何故黒靄が魔物に影響を及ぼすのか、その仕組みは調査中だという。しかしヴェガスが言ったように死亡した魔物を調べても何も出てこなかったところをみると、難航しているのだろう。告げるシモンズの表情は心底悔しいとばかりに歪んでいる。

 一通り現時点で分かっている情報は得た。アルバは一同を見渡して、今後の予定を告げる。


「では予定通り、二手に分かれて行動することになりますね。ヴェガス隊長の方は増えた魔物の討伐、我々の方はまず黒靄の正体とその出処を突き止める」

「ああ、そうなるな」


 ヴェガスと頷き合い、アルバはにっこりと微笑みながらシモンズへと向き直った。


「早速、問題の湖へ行ってみましょうか。案内よろしくお願い致します」

▼ユーク・オリガ

身長:184cm/体重:78kg

年齢:26歳

髪の色:銀色/目の色:蘇芳色

イメージカラー:白

武器:片手剣、短剣

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