始まりの街―イニティウム―③
ボゥッ、と音を立ててアプリュコスの死体が、騎士たちの放った炎魔法により骨も残さず焼却されていく。放置しておくと、街道に腹を空かせた新たな魔物がやってきかねないからだ。
巨大化したメガロハバーリだけは調べるために冷気魔法で腐らないように凍らせ、専用の転移装置で王立魔導研究機関へ運ぶ予定である。
その作業の邪魔にならないよう西門の傍で、アルバはヴェガスに詰問されていた。榛色の髪が短く刈り込まれて露わになっている蟀谷に、一本だけ青筋が浮いているのがちょっと怖い。
「お前ほんっと、底知れないな。まだ何か隠してるだろ、ええ?」
「そんなことはありません」
答えるアルバはニッコリ笑顔だが、ヴェガスは騙されない。これでも様々な人種と接する機会のある隊長職に就いているのだ、腹に何か抱えた人間を見分けるのは得意とするところである。
「いーや絶対あるね。上級魔法が扱えるだけなら騎士団にも何人か居るから、若い割にすげぇなって思うだけだが…呪文省略はさすがにそれで済まされねぇ。騎士団どころか全世界で、恐らくお前が初めてだぞ。どこでそんな魔法を覚えた?」
騎士団に勧誘どころか、下手すりゃ連行して尋問するレベルだ。
獲物を追い詰めるように、雄黄の瞳を鋭く煌めかせながらじりじりと迫るヴェガス。迫られた分だけ後退るアルバ。このままでは西門の柱に背中をつく。筋骨隆々の、しかも銀の鎧を着込んだ身長百九十センチ越えの大きい男に壁ドンされる可能性に気付き、さすがにそれは勘弁願いたいとアルバは白状することにした。
どうも他の騎士たちも気になるのか、こちらに助け船を寄越してくれる気がない様子なのも辛い。
「覚えたわけではありません」
「は?」
「開発したというか、創ったというか。…つまりオレのオリジナルです」
「は?????」
周りが空気ごと固まったような気がするのは気のせいだろう。作業の音や掛け声も一緒に聞こえなくなった気がするけども。気のせいだ、うん。
何を言われたのかまるで分からない、といった風であるヴェガスに、ちゃんと答えましたよ、とアルバは腰に手を当てて息を吐く。その足元にグラナードがちょこりとお行儀よく座った。
気付いたヴェガスが話題を逸らすように―――もしかしたら言われたことの内容についていけず、現実逃避したかったのかもしれない―――グラナードを顎で示してアルバに聞く。
「その猫はなんだ?」
「ああ、懐かれましたので連れています。グラナードです」
「にゃー」
可愛らしい鳴き声だ。固まっていた空気も緩むというもの。だが、だがきっぱり言おう、隊長としてこれは流すわけにはいかない。
ヴェガスは腹の底から吐き出すように言った。
「―――いや創ったってどういうことだよ!?」
それはその場に居たアルバ以外の、全員の総意であった。
―交渉―
ヴェガスが頭を抱え、アルバの問題発言をどうにか自身の中で処理している間に、ティエラが比較的早くショックから回復したらしい。そもそもアルバがレイヴァテインを所有している時点で只者じゃないことは分かっていたので、立ち直るのも早かったのだろう。
彼女は感心した顔でアルバに話しかける。
「あなた、騎士団の隊長と随分親しいのね。しかも勧誘されてるなんて凄いじゃない、なんで入らないの?」
「国を守るよりも、世界を旅する方が楽しそうだからですが」
「…変わってるわね、あなた」
ティエラの質問にきっぱりと答えるアルバだったが、変わっていると言われて少し複雑な気分になる。
ティエラこそ旅しているだろう、と言い返そうとしたが、彼女は聖剣グラムを見つけたいという明確な目的を持っていた。対して自分は、ただ世界を見て回りたいからという理由。騎士団の勧誘を断る理由にするには、少し弱いのかもしれない。
一応今は隣国の湖に向かう、という目的とその理由があったのを思い出し、アルバはそういや、と現在の状況を改めて振り返る。
(…もしかしてヴェガス隊長がいれば…いえ、ヴェガス隊へ一時的に加えて頂ければ通行許可証は要らないのでは…?)
ティン、とまるで天啓のように思いついたそれに、アルバは思考を組み立て始めた。上手くすれば遠回りになる王都に向かわずに済む。原因究明もヴェガス隊の力を借りれば、早く行えるだろう。それは事態を早々に収束させることにも繋がるはずだ。
ならばこの後どう行動すべきか、と整理しようとした時、ようやく立ち直ったヴェガスがアルバを肘でつついた。
「おいおい、お前も隅に置けねぇな。その女の子誰だよ?」
紹介しろ、と目で言うのに、アルバは少し身を引いてティエラを紹介する。
「オレも昨日会ったばかりの女性なんですがね…こちらはティエラさんといいます」
「初めまして、ティエラ・プラートゥムです」
にっこりと微笑んで手を差し出すティエラに、ヴェガスも気を良くしてその手を握り返した。
「おう、よろしく。俺は王立魔法騎士団第三隊隊長のヴェガス・リラだ」
「ヴェガス隊長、彼女はかのアルボル前団長の孫娘だそうですよ」
「なんだって!?」
アルバがそう告げると、ヴェガスだけではなく他の騎士たちも驚いた顔でこちらを見てくる。しかし作業の手は止めてはいないので、中々優秀な者たちだ。
「確かにアルボル前団長には溺愛してる孫娘が居ると聞いていたが、まさかこんな所で出会うたぁ思いも寄らなかったな」
「あたしもです。じぃじから騎士団のことは良く聞いていました。なので、こうして実際に目にすることが出来てとても嬉しいです」
「そいつは良かった。アルボル前団長には良く助けられたよ、彼を失ったことは騎士団にとって大きな痛手だ…だが、彼の剣術や戦術は今もオレたちの中で生きている」
「そうなんですね、それは身内としてとても有難く思います。良ければじぃじのこと、少しでいいんで教えて下さいませんか?」
ティエラとヴェガスの間で、アルボル前団長について会話が始まってしまった。自分も英雄アルボルについては興味があるのでちょっと加わりたいところだが、この隙にやっておきたいことがある。
アルバは街道の横手にある森へと目を向けた。そこには戦闘終了した頃からチラチラとこちらを伺っている、昨日会った森の精霊たちの姿がある。
少し周りの様子を見てくる、と言いおいてから、アルバは彼らの元へ向かった。
「こんにちは、森の精霊たち」
『こんにちは~!』
『アルバ、大丈夫?魔物たち怖かったね』
心配そうな顔、不安そうな顔、涙目の顔がアルバの周りを飛ぶ。彼らに大丈夫だと微笑みつつ、あの魔物たちは何処から来たのか問いかけた。
『西の方から来たよ』
「やはり西ですか…」
『なんか逃げてきたみたいだった』
逃げてきた、という言葉にアルバは引っかかりを覚える。あれだけの魔物が何かを恐れてこちらへ来る、ということはあり得るのだろうか。
その問題については一先ず置いておいて、アルバは本題に入った。
「昨日、原因について場所を聞いた時、西の大きな湖、とおっしゃっていましたね。それは湖の国の国湖のことでしょうか?」
『国湖?』
精霊たちにとって名称や、国など関係ないため、国湖と言われてもピンとこなかったのだろう。一斉に首を傾げてみせる姿は見ていて微笑ましい。
アルバはコピーしておいた地図を腰に装着していたウェストポーチから取り出しながら、改めて精霊たちに聞く。
「一応地図がありますが、見て明確にココ、と指し示すことは可能ですか?」
『はいはーい、地図ならわかる!〝英知の図書館〟で見たやつだよね?』
「ええ、これがそうです。今オレたちが居る場所はここ、始まりの街のそばですね。この街道を西に真っすぐ進むと隣国の街があるのですが、その近くに大きな湖があります」
他にも湖と称されるものは森のあちらこちらにあるのだが、大きいというほどではない。指し示した大きな湖こそが、精霊たちの言う大きな湖なのか、アルバは問うた。
精霊たちは地図を見て、お互いの顔を見合わせて、口々に答えを示し合わせるように喋り出す。
『湖の近くに街ってあった?』
『あったかも~』
『人間いっぱい居るし~』
『じゃあ合ってる?』
『合ってる~!』
『その湖で間違いないよ!』
間違いない、という精霊たちの言葉に、やはりか、とアルバは改めて地図上の湖を見つめた。湖の国のシンボル、国湖。一体ここで何が起こっているのか。
『その大きな湖に行くの?』
「ええ、原因を解決して参ります」
『気をつけてね、アルバ!』
『湖の大精霊様によろしくね~』
「は?」
思わず目を点にするアルバ。
大精霊。確かにちょっとした島が丸ごと入るほどの大きい湖なら、精霊界の上位に位置する大精霊が居てもおかしくはない。が、居るのか?マジで?だとするならば、ますますこの湖で何が起こっているのかまるで見当もつかなかった。大精霊ですら対処できない異変だなんて、嫌な予感しかしない。
一先ず森の精霊たちと別れ、街道へと戻ってきたアルバに、待っていたらしいヴェガスが声をかける。
「おうアルバよ、お前これから何か予定あるか?ないならちょいと付き合ってもらいたいんだが」
「奇遇ですね、ヴェガス隊長。オレもあなたと交渉したいことがあります」
交渉、という言葉にヴェガスの眉が片方だけピクリと跳ね上がった。ならじっくり聞こう、と返し、街道での作業も一段落したので、彼らは揃って街へと戻ることにする。
ヴェガスは街中に戻ると、先にアルバとティエラを始まりの街にある騎士団専用宿舎に案内した。
内装は普通の宿屋よりも少々武骨な程度で、居心地は悪くはない。…隅々に槍やら剣やらの武器が並べられてなければ。
ヴェガスに宛がわれている、いわば隊長室と呼ばれている部屋に二人を連れてくると、ヴェガスはソファを示して待つように言った。
「部下にちょっと指示してくる。茶も頼んでおこう」
慌ただしく彼が出て行ったあと、アルバとティエラは大人しくソファへと座る。と、そこでアルバが気付いたように言った。
「そういえばティエラさん、成り行きでここに居るようですが…ご自身の旅はよろしいのですか?ヴェガス隊長にはオレから言っておきますから、ここで引き返してもいいですよ」
「ああ、えっと…うん、そうね。そうしてもいいんだけど…」
何処か迷っている風な素振りを見せるティエラに、アルバは首を傾げつつも彼女の言葉を待つ。彼の膝には、いつの間にかグラナードが陣取っていて早くも丸くなっていた。
ややして、決心したのか俯いていた顔を上げ、ティエラは真っすぐにアルバを見つめる。
「頼みが…ううん、お願いなんだけど。あなたの旅にあたしも連れて行って欲しいの。…より正確に言うなら、あなたに付いていきたい。ダメかしら」
予想だにしなかった言葉に、アルバは目を見開いた。そういえば昼食のあと何か言いかけていた気がするが、あれはこのことを告げたかったのだろう。
「…何故です?」
「勘というか。何となくなんだけど、あなたに付いていった方が聖剣グラムは早く見つかる気がするのよね」
それに、アルバは言っていた。レイヴァテインを手に入れた遺跡には、彼の魔力にしか反応しない仕掛けがあったと。
聖剣グラムを擁する場所もそんなものがあるかは分からないし、同じように解除出来るかも定かではないが、彼と一緒に居て損することがないのは確かだ。
「それにあなた、剣も使うようだけど。基本は魔法でしょう?だったらあたしは前衛で役に立てるわ。実力はさっきの戦いで示したつもりよ」
例えここでダメと言われても、こっそりと付いていくつもりである。そんなティエラの気概を察知したのか、アルバは小さく息を吐く。断っても無駄そうだ。
「…もしかしたら、危険な場所に赴くことになるかもしれませんよ」
「そんなの、旅に出た時から覚悟してる。あなたの邪魔をするつもりはないし、無理だとあなたが判断したなら、その時は置いていってもらっても構わないわ」
「そうですか…」
アルバは少し考えるように目を伏せた。先ほどの戦いで彼女の腕は確かだと知れたし、前衛を任せられるならこちらとしても随分と楽になるというのはもちろんある。
それにアルバは知っているのだ。一人旅のつもりだったが、一人で出来ることには限界があるということを。レーギャルン匣洞跡で、グラナードがいなければレイヴァテインに続く扉が開けなかったように。
なにより、アルバとしても伝説の武器はとても興味をそそられるものであった。聖剣グラム。かつての英雄が持っていた伝説の武器。世界の一端を探し当ててみるも、また一興―――
「わかりました、一緒に行きましょう。改めてよろしくお願いしますね、ティエラさん」
「…!ええ!ありがとうアルバ!こちらこそよろしく!…それと、呼び捨てでいいわよ」
「はい、ティエラ」
アルバが差し出した手を、ティエラは笑顔で握り返した。グラナードもよろしくね、とその頭を撫でると、なぁんと可愛らしい了承の返事が返る。
宿舎に勤めているメイドによってお茶が運びこまれ、彼らは暫し歓談することにした。
そうして一杯目のお茶が冷める頃、ヴェガスが戻ってくる。
「待たせたな」
言いながら若干疲れたように、ふぅ、と向かいのソファに彼はどっかりと座った。
戦いの後なのに加え、メガロハバーリを王都に届ける者、引き続き周囲を警戒して街を守る者、戦闘が終わったことを住民に知らせる者、状況に応じて動けるように準備しておく者、とそれぞれの騎士達に忙しなく指示してきたらしい。
ヴェガスが座って落ち着いたのを見計らって、新たなお茶が運ばれてくる。給仕を終えてメイドが辞したのを確認したあと、彼は口を開いた。
「先にお前の話から聞こうか。交渉っつってたがなんだ?」
「そのことですが、多分あなたの話とオレの交渉は同じ目的だと思うんですよね」
「何?」
お茶を一口啜ったあと、ヴェガスは聞く体制に入る。アルバはひた、と彼の目を見つめて言った。
「その前にちょっと聞きたいんですが…ここ最近の魔物のおかしな動向について、騎士団はどこまで掴んでいます?」
アルバがそう思ったのにはもちろん理由がある。ここに来たヴェガス隊の人数だ。
魔物の脅威や騎士たちの強さ、そして街の大きさにもよるが、始まりの街を守るためだけならば自警団がいることも考慮して、派遣される人数は凡そ100人前後で十分であろう。それなのにヴェガス隊はその倍以上の220名を連れていた。この宿舎に案内された時に気付いたが、そのうち30余名はどうも非戦闘員らしい。
そもそも騎士団たちは今朝着いたばかりで、魔物の襲撃は偶然だと考えられる。だからここに彼らヴェガス隊が来たのは街を守るためではなく、何かしらの目的があってこの人数での編成とし、そしてこの街は通過していく予定だったのならば納得できるのだ。そう、例えば―――隣国への調査及び驚異の除去、とか。
「悪いがな、そりゃ軍事機密だぜ。知りたきゃ騎士団に入るこったな」
「ほう、ですが教えてくれる気はあるのでしょう?ヴェガス隊長の話というのは、そのことなのでは?そしてオレの力を必要としている…違いますか?」
部屋に一瞬の沈黙が落ちる。ヴェガスの目が探るようにこちらを見るが、アルバは続けた。
「オレの交渉も、目的は同じです。実は通行許可証を持っていなくて―――ヴェガス隊に協力するかわりに、一緒に連れて行ってもらおうと思ったんです。隣国へね」
隣国、という言葉を聞いて流石にヴェガスの表情も変わる。軍事機密のはずだったのに、何故アルバが知っているのか。
「…お前、どこまで知っているんだ?」
「今回の一連の騒動の大本が、隣国にある国湖である、ということくらいまでは」
「こいつは参ったな…軍事機密だぞ?どこからその情報を手に入れた?」
答えようによっては由々しき事態だ。下手をすると一度王都に戻って報告し、スパイがいるならば改めて軍を再編成しなければならないだろう。
しかしヴェガスの抱いた危機感は杞憂だった。
「ご安心を。騎士団から漏れたわけではありませんので。これは独自の信頼できる情報源からです。とはいえ、情報を得られたのは偶然に近いですけど」
「ほんっと底知れねぇやつだな…」
マジでどうなってんだ。呆れたようにヴェガスが呟く。上級魔法だけでなく、呪文詠唱を省略してみせ、挙句偶然とはいえ騎士団と同じ情報を別経由で持つなどと。
(分かってんのか、こいつは?それだけの力を持つとなると、一人でこの辺の情勢変えられちまうんじゃねぇかってレベルなんだぞ…)
そんな人間、野放しにしておけないと思うのは仕方のない事だろう。初めは単純に面白そうだし、強いのは間違いない、騎士団の益にはなるという理由で勧誘していたが、こうなってくると監視の名目も組み込まなければならないだろうか。
そんなヴェガスの思惑を知ってか知らずか、アルバはなおも続けた。
「騎士団の動向については、ほぼほぼ推測ですがね。魔物の襲撃は予定外であり、本来はこの街を通過して隣国へ行く予定だったのでしょう?」
「ああ、そのとおりだ。まったく恐れ入るよ。―――というか、ティエラさんは退室させるべきだったな…こんな話になるとは」
ちら、と大人しく会話を聞いているティエラを見て、ヴェガスは溜息を吐く。軍事機密を知られてしまったからには、漏れるのを阻止するため事態が収束するまでは見張っていなくてはならない。それは情報漏洩だけでなく、その情報を狙おうとする者から彼女を守るためでもあるのだ。
彼女の剣技は確かだが、果たして一緒に連れていくべきか…いや、アルボル前団長の孫娘を危険に晒すわけにも…そうヴェガスが煩悶していると。
「ああ、彼女はオレの仲間なので一緒に連れて行きますよ」
あっさりと言うアルバに一瞬何を言われたのかわからずポカンとするヴェガス。そんな彼ににっこりと笑って頭を下げるティエラ。
「お願いします。騎士団の情報は決して口外はしませんし、もちろん今回のことについても協力しますので」
「は、はぁ?いや、いいが、仲間って…会ったばかりとか言ってなかったか?」
「お互いの利が一致したので、共に旅することになったんです。というわけで」
「「よろしくお願いします」」
アルバとティエラの綺麗に重なった声に、ヴェガスは今日何度目かもわからない、思考を放棄したくなる事態に頭を抱えたのだった。
しかし立ち直りも早かった。
切り替えたらしいヴェガスは、自身が知っている情報を開示する。
「湖の国から内密に我が国へ調査の要請があったのは一週間前だ。というのも、国湖を擁する首都そのものに被害はまだ出てないんだ。だが…」
国湖そのものには、明らかな異常が出ているのだという。なんでも魚が大量に死んでいる上、湖の底が真っ黒に染まっているらしい。何よりも―――
「湖の周りから強力な魔物が生まれてきているんだと。それがこちらの国に流れて来ているのが、ここ最近の魔物のおかしな動きに繋がっているんだろう」
「湖の周りから…ですか。湖から生まれてきているわけではない?」
「そういう報告はなかった。自国で調査するのも限界があったようでな、我が国に調査を依頼してきたんだ。魔法の研究や、精霊学に関してはうちの方が進んでいるからな」
ヴェガスが連れてきた220名のうち、非戦闘員30名ほどは魔導研究者らしい。彼らの護衛や、湖の国でのもしもの時のため、騎士を通常より多めに連れてきたというわけだ。
「しかし今日みたいに大挙して押し寄せて来られるとな…しかもあんなでかい魔物が居るとなると、連れてきた人数だけじゃ足りなそうだ。だから戦力増強としてお前を部隊に加えて連れて行くのは、こちらとしてもまぁ願ったりなんだ」
「だからといってあてにされても困りますがね…まぁ出来る限り協力はしますが」
道中なるべく魔物が出ることありませんように、と願うが可能性は低いだろう。前世でプレイしたことのあるゲームでは、魔物を寄せ付けない道具や魔法があった気がするがこの世界にはない。創ってみようか、とちらりと思ったのは秘密にしておこう。
大分冷めてきたお茶を啜りながら、ヴェガスが言う。
「そこでな、アルバ。魔導研究者と小隊一つ分をお前に預けようと思う。どうせお前、自分の足で調べる気でいるんだろう?うちの騎士たちを上手く使ってくれよ」
「あなたはどうするので?」
「オレは隊全体を指揮しなきゃならねぇし、多分街の周りを徘徊する魔物の殲滅に回ることになる。だから調査の方をお前に任せたい」
確かにあちらに着いたなら、状況によっては調査と防衛に分かれた方が効率がいい。元より自ら調べる気でいたアルバにとっては、人手が増えた分助かるというだけだ。不満はない。
「わかりました。そういうことなら、調査は引き受けます」
「よし、決まったな。出発は明朝にする。その間に準備なりなんなりしておいてくれ。部屋は空いているから、メイドに言えばここに泊まれると思う」
オレは部隊を編成しなおしてくる。そう告げてヴェガスは退室した。
ティエラに聞くと、今日街を出る予定だったのですでに泊まっていた宿は引き払っているらしいとのこと。こちらも同じだったので、ヴェガスの言葉に甘えておくことにする。
メイドに泊まる旨を伝え、アルバはグラナードを肩に乗せて一度街に出ることにした。アルバの行動に興味津々なのか、ティエラも着いてくる。
街は既に、日が傾きだしてオレンジ色に染まっていた。
「どこに行くの?」
「図書館ですよ。湖の国について少々調べておこうかと…そういえばティエラは、湖の国に行ったことはないのですか?」
オレンジの光に身を晒しながらゆっくりと歩き出しつつ、ティエラに問いかける。
これから夕食の買い出しにでも行くのか、それともどこか食べに行くのか、通りは昼間と同じように賑やかだった。奥では夕市も始まっているようだ。
「いいえ、ないわ。通行許可証も持ってないし、天空の国から出たことはまだないの。いずれ出るつもりだったけど」
「そうですか」
ということは彼女もまだ旅に出て日が浅いのだろうか。何処から来たのだろう?英雄アルボルの故郷は首都エンハンブレ近くのひっそりとした村だと聞いたことはあるが、彼女もそこで生まれたのだろうか。
まだ出会ったばかりで一緒に旅することも決まったばかりだ。いずれはそういう話もすることになるだろうから、今は余計な詮索はしないでおこう。
湖の国に行ったことはないけど、とティエラが話を続けた。
「でもどんな国かはじぃじから聞いたことがあるわ。なんでも国湖に注がれる川の上に造られた街が、湖の国の首都だとか」
「川の上」
どういうことだろう?ちょっと想像がつかない。
「そう、川の上。海の国にも水の上に造られた街があるそうだけど、それとはまた趣が異なるそうね。周りが森に囲まれているから、大自然の中の街って感じで壮観だそうよ」
「それは…ワクワクしますね」
「ね!するわよね!大変なことが起こってるみたいだけど、それはそれとして楽しみよね」
一つティエラについて気付いたことがある。この女性は、自分と同じものを持っている―――飽くなき好奇心だ。
「ティエラ、あなたとは気が合いそうですね」
「奇遇ね、あたしもそう思ったわ」
何となくだが、お互いに上手くやれる予感があった。そして長い付き合いになることも。
二人は足取り軽く、夕闇に溶けていく街を歩いていく。
一方宿舎の、ある一室にてヴェガスが隊の再編成を終えた頃。
ヴェガス隊の副隊長であるユーク・オリガは、再編成の意図と自分に課せられた任務をヴェガス本人から聞いたところだった。
「確かに効率的ではありますが…一小隊を一般人である方に預けるだなんて…」
「前例はないだろうが、アルバは一般人として扱っていいやつじゃない。お前も昼間の戦いで見ただろう」
昼間の戦い。上級魔法を連発し、呪文省略までした男を思い出して、ユークは確かにあれを一般の枠に収めるには無理がある、と思う。
しかしそれでも彼は、〝一般人〟なのだ。
「ユーク、お前とお前の小隊をアルバの指揮下につけたのはな、見極めてほしいからだ。オレはあいつを騎士団に入れたいと思っている。そして、出来れば早々に隊長の立場に就けたい」
「それは…」
「隊長の立場に据えておけば、王都の外に出にくくなるだろうし守りやすくもなるしな…」
「え?」
「ともかく、あいつはそれだけの人間だ。だからこそ、あいつの指揮能力をお前に判断して欲しい」
隊長に必要なのは個人の戦闘技術はもちろんだが、何より的確な指示と非常時に適切な判断が下せることも大切だ。そして多くの騎士や、守るべき民の命を預かる覚悟も。
それが出来るのかどうか、それを見極めろと。指示を仰ぐ隊長のすぐ傍にあり、なおかつ自身も部下を持ち指示する立場である自分が適任なのだと、ヴェガスは言った。
その期待には、応えねばなるまい。どのみち諫めることはあっても、隊長の命を拒否することは出来ないのだ。
「…わかりました。アルバ様が隊長足りえる力を持つかどうか、オレの判断で見極めさせて頂きます」
「ああ、頼んだぞ」
密やかに任務は下され、そうしてその夜は更けていく。
翌朝、始まりの街の西門広場にヴェガス隊が全員揃った。その際ヴェガス隊とアルバの紹介が短く行われる。
「アルバ、こいつはオレの隊の副隊長だ」
「ユーク・オリガと申します。よろしくお願いします、アルバ様」
「アルバ・カエルムです。ご面倒をおかけしますね」
互いに自己紹介して握手を交わし、アルバはついでにティエラも紹介した。
ちなみに騎士たちがアルバを様付けして呼ぶのは、単にアルバが貴族だからである。カエルム家の爵位は公爵。それ故、何も知らない者が見れば、単なる金持ち息子の道楽に見えることだろう。
だが騎士たちはアルバの実力を知っているし、ヴェガスが彼を騎士団に引き入れたがっているのも知っていた。だからこの場で反感を持つものはいなかったのだが、それが後ほど問題を引き起こすことになるとは現時点では誰も思わなかったのである。
「ユークとユークの小隊をお前に預ける。何かあればユークを頼ってくれ。オレへの連絡手段も持っているしな」
「わかりました。あなたの隊、一部ですが大切にお預かりします」
ヴェガスとアルバがそう短くやり取りし、隊の準備が整った。
ティエラとユークはアルバの傍に控え、グラナードは定位置であるアルバの肩に。その後ろにユークの小隊。彼らはヴェガス隊の殿を務めることになる。
朝の気持ちのいい空気の中、隊長ヴェガスの声が大きく響き渡った。
「では湖の国に向かって、出発!」
▼ヴェガス・リラ
身長:191cm/体重:98kg
年齢:38歳(既婚者)
髪の色:榛色/目の色:雄黄色
イメージカラー:黄色
武器:大剣、クロスボウ