始まりの街―イニティウム―②
「ふあーぁ…」
窓から差し込む太陽の光を浴び、目を覚まして大きなあくびを一つ。
始まりの街の宿の一部屋で、アルバはゆっくりと伸びをする。旅の疲れか、それともレイヴァテインの主になった反動か、昨晩は随分と早くに床に入った。それなりの時間寝ていたようだが、頭はすっきりとしている。
枕元にはグラナードが丸くなって未だすぴすぴと寝息を立てていた。寝方まで猫そっくりである。
「さて、出来たら今日のうちに西の森の調査に向かいたいが」
その前に昨日行った図書館に寄って、この周辺の地図を見なければ。特定は出来なくとも、ある程度範囲を絞らないと一日では足りないだろう。
顔を洗って着替えていると、ベッドからふにゃぁ、と可愛らしい声が響いた。ようやく目を覚ましたらしい。
「行きますよ、グラナード」
朝食を取るべく、身支度を整えたアルバはひらりと肩に上ってきたグラナードと共に、宿の食堂へと向かった。
―黒髪の少女―
「周辺の地図でしたら、二階の壁に掛けられた平面世界地図で該当箇所に触れていただければ拡大図が出ます。持ち歩くのであれば、コピー機能をご利用ください」
昨日も居た図書館の受付の司書にそう案内され、転移魔法陣で二階へと上がる。目的の世界地図はすぐ傍にあった。
これまでも世界地図は本などで何度も目にしてはいたが、壁一面を使用しての巨大な世界地図は見たことがなかったため、思わず感嘆の吐息が漏れる。
「これだけ大きいと壮観だな………さて、始まりの街が…ここ。となると西の森はこっち…広いな。その中にある大きい湖というと」
あった。とても目立つ湖が一つ。しかしこれは。
「…国境を越えるな」
これは面倒なことになった、とアルバは嘆息する。
アルバが転生した世界、エレフセリアは主に五つの大陸と大小の島々で出来ており、それぞれ合わせて十つの国がある。
現在居るここは西北にある第一の大陸で、その大陸の主に東に位置し、王都エンハンブレを首都とする天空の国と呼ばれる場所だ。
そしてその西隣の湖の国に、問題の湖がある。というか位置とその大きさからして国の所以となった湖に違いない。―――つまり国の所有物であり、シンボルだ。
(これは正規のルートを通って隣国に入らないと、見つかった時に不法入国者として捕まるかもしれない…)
しかし国境を超えるには、通行許可証が要る。そしてそれは、王都エンハンブレで申請しなければ発行されない。
「やれやれ…王都にはもう少し後に行きたかったんだが…」
何しろ王都にはヴェガスが居るのだ。魔法騎士団にアルバを引き込みたいと言う彼に見つかったら、ここぞとばかりに攻めてくるだろう。面倒なことになるのは間違いない。
しかし遅かれ早かれ、旅をするなら通行許可証はいずれ必要になるもの。遠回りになるが仕方ないか、とアルバは王都へ行く予定を早めることにした。
「…それにしても」
湖の国のシンボルなら、何か異変があればここまで噂が届いているだろうと思うのだが。今日までそのようなことは聞こえてこなかった。森の精霊たちがあれだけ怯えているというのに、だ。
「…湖が違うのか…?」
しかし問題の湖以外は、どれも小さいと言っていいものである。これは確認が必要だな、とアルバは取り合えず周辺と湖の地図をコピーした。魔法で動くペンがすらすらと白紙に地図を描いていくのは、見ていて面白い。
何とはなしにそれを見つめていると、背後からバサバサッ、と何かが落ちる音が響いて振り返る。
「―――あなた…」
「おや、昨日の」
そこに居たのは、昨日ここで出会った黒髪の女性だった。足元には散らばった本がある。察するに先ほどの音は、抱えていたらしい本を落とした音だろう。
また落とされましたよ、と本を拾おうとアルバが伸ばした右手を、女性がガッ、と掴む。
「あなた…伝説の武器を所持しているわね!?何で?昨日会ったときは持ってなかったはずよね?何処で手に入れたの!?この辺にそんなのがあるような場所なんて…」
なかったはずなんだけど!と矢継ぎ早に言われ、アルバは表情にこそ出しはしなかったが内心とても驚いた。そして同時に警戒する。何故それを所持していることが分かったのか、この女性は一体何者なのか。
取り合えず安心出来るまで、しらばっくれることにした。
「…なんのことでしょう。それより、痛いのですが」
「あっ…わ、悪かったわ、ごめんなさい」
伝説の武器を持つ人を見るのは、とても久しぶりだったから。
そう言いながら彼女は素直に謝罪してぱっと手を放す。が、その目はじっとアルバの右手を見つめたままだ。聖杖レイヴァテインは確かにそこに仕舞ってあるので、アルバは思わず右手を隠したくなったのを何とか堪える。
はぁ、と彼女が感嘆するように呟いた。
「…凄い。こんなに光を零しているのを視たのは初めてだわ………余程相性がいいか、もしくは武器自体が強いのね」
光を零している。そんなことを言われたのは初めてだ。思わずアルバも右手を見るが、そこには何の変哲もない、見慣れた自分の手があるだけである。
―――この女性の目は、他の人には視えない何かを映すのだろうか。
「…あなたは?」
「ああ、申し遅れたわね。あたしはティエラ・プラートゥム。生まれつき伝説の武器や、聖遺物のオーラが視えるの」
「アルバ・カエルムと申します。…オーラが視える?」
「ええ。だからそれを持っている人は、仕舞っている場所から光が零れて視えるってワケ。こう、キラキラとね」
ちなみに伝説の武器を持つ人を見たのは、あなたで三人目。
そう告げたティエラはにっこりと微笑む。人を見る目に自信があるというわけではないが、嘘を言っているようではないし、悪人のようにも見えない。
そういう特殊なもののオーラが視える―――なんていう人間が居たとしても、まぁ不思議ではないのがこの世界だ。
アルバはそう思って、ふ、と警戒を解いた。
「良く視える目をお持ちのようですね。あなたのおっしゃる通り、伝説の武器と呼ばれる類のものは確かに持っています」
「やっぱり!ねぇ見せて!」
「嫌です。たった今名前を知ったばかりのあなたを信用出来るまではね」
アルバのきっぱりとした拒絶の言葉に、むぅ、とティエラは頬を膨らます。当然だろう、初めて会ったばかりの人間にはいどうぞ、と希少価値が高すぎる武器を見せられるわけがない。それもこんな人目があるようなところで。彼女自身は悪人ではないようだが、何処で悪巧みする人間が見ているか分からないのだから。
アルバの言い分も理解出来るのか、ティエラは落とした本を拾いながら言った。
「だったら、そうね。あたしとランチにでも行かない?奢るわよ」
本を拾う際に前へ落ちてきた黒髪を後ろに流しながら、彼女はアルバを誘う。
どうあっても伝説の武器を見たいらしい。それも仕方ないだろうか、昨日落とした本から察するに、彼女はどうもそう言った類のものに興味があるようだから。
アルバは苦笑を浮かべつつも、了承した。
「それくらいなら構いません。…連れが居るのですが、連れてきても?」
「あら連れが居たの?もちろんいいわよ」
図書館には入れなかったため、グラナードは外の街路樹に登って待っていたらしい。アルバの姿を見てすぐに降りてきた。
「なぁにこの生き物、可愛いんだけど!」
見た目だけは猫のグラナードに、ティエラが歓喜の声を上げる。
「この仔があなたの連れ?」
「ええ、グラナードです」
軽やかにアルバの肩へ上ってくるグラナードを紹介すると、ティエラは興味深そうに見つめた後、ちら、と悪戯っぽくアルバを見た。
「グラナードちゃんね。…普通の仔じゃないでしょ?アルバって言ったっけ、あなたから出てるキラキラと同じものが、この子からも出てるんだけど?」
「…驚きましたね、そちらも見通せるとは」
「てことは?」
「オレが持つ武器の、恐らく眷属であると思います」
昨日は色々あって精霊たちにも聞きそびれたが、彼らはグラナードをレイヴァテインの護り手と言っていた。ということは、その存在はレイヴァテインに結び付けられている可能性がある。
はっきりと断定出来てはいなかったけれど、ティエラが同じ、と言ったことで確信した。…彼女が言っていることが本当であれば。
「眷属…眷属かぁ、初めて見たわ。本にそういう存在は示唆されていたけど、ホントに居たのね」
「にゃー」
妙に誇らしげに鳴いたグラナードに微笑みつつ、アルバは行きましょう、とティエラを促す。彼女が言うには、商店街の方に美味しい伝統料理屋さんがあるそうなので、そこへ向かって歩き出した。
アルバより少し前を歩いて案内するティエラに、アルバは何となく違うだろうなと思いつつあえて問う。
「この街に住んでらっしゃるんですか?」
「いいえ、違うわ。ここには二日前に着いたばかりよ」
やはり、とアルバは内心で頷いた。どう見てもこの街の住人ではない格好をしているのだ。
昨日はラフな格好をしていたが、今日は違う。首元と胸元のベルトで留める丈の短い黒のタンクトップに―――谷間とおへそが丸見えである―――動きやすさ重視らしい茅色のホットパンツを、大きめの孔雀緑のベルトとサスペンダーで留めていた。ベルトには細身の剣が吊り下げられている。足はタンクトップと同じ黒のオーバーニーソックスに、胡桃色のニーハイブーツ。全体的に露出の多い恰好だが、それらを隠すように彼女にしては大きめの、ブーツと同じ胡桃色のコートを羽織っていた。
片手に荷物らしきナップザックを持っているところからして、それはこれから旅に出るような風体である。
「では、旅人ですか?それとも………伝説の武器、もしくは聖遺物ハンターとか」
「あらバレた?」
ふふっ、と彼女は若葉のように明るい色をした瞳を輝かせながら、楽しそうに笑った。隠すつもりはないらしい。
「でも伝説の武器を見つけて一儲けー!…とかそういうのじゃないの。あたしは見つけたいだけ。探しているだけよ、昔祖父が持っていた聖剣をね」
だからハンターというより、探し物をしている旅人ってとこかしら。
少し遠い目をして言った彼女に、アルバは聖剣、と心のうちで呟く。
「…身内が伝説の武器所持者でしたか」
「もういないんだけどね。不思議なことに、祖父が亡くなると同時に武器も何処かへ消えたわ」
おっとこれは中々踏み込んでしまったらしい。謝罪すると、気にしてない、と彼女は笑った。
すっきりと清々しい人物だ。出会ってまだそう時間も経っていないが、アルバは既に随分と好感を持っている。
「聖剣を探し当ててどうする気ですか?」
「どうもしないわよ。強いて言うなら保護かしら?―――あたしなんかが主になれるとは思わないしね。剣の心得は一応あるけど」
悪人の手に渡ってたりしてたら嫌じゃない?そう言って彼女は苦笑を浮かべる。
祖父は誇り高く、強きは弱きを助けよ、という確固たる信念を持った人だった。そんな人が持っていた聖剣が、悪い意味で使われるかもしれないのは許せない。
「なるほど。しかし聖剣が悪人を選ぶことはないでしょう。…魔剣ならともかく」
「あ、そうね、それもそうだわね。―――ん、着いたわ、ここよ」
着いた、と彼女が示したのは既にいい匂いを辺りに漂わせている、小洒落たレストランだった。せっかくいい天気なのだからテラスで食べましょ、となるべく周囲に人のいない席に着く。ちょうど街路樹の日影に入っていて目立ちにくい。
注文し、ややあって運ばれてきた料理はどれもこれも美味しそうだった。
「グラナード、あなたも食べますか?」
「んにゃっ」
嬉しそうにグラナードが示すのは【魚介類のスープリゾット~五種のチーズ~】と、【ジビエのステーキ~オレンジソースにハーブを添えて~】。
猫のようだが猫ではないので、恐らく食べて危険な食べ物というものはないだろう―――毒と言われるもの以外でだが。
アルバは取り分け皿に彼所望の品を乗せ、熱いので気をつけて、という言葉を添えてグラナードへと差し出す。
彼は喜びながら取り分けられた料理へとかぶりついた。猫舌というわけでもないらしく、とことん見た目を裏切ってくれるな、とアルバは思ったが可愛いので良しとする。
「雑食なのね」
「そのようです。多分食事しなくても大丈夫だとも思いますが…これだけ美味しそうに食べていると、与えないというわけにもいきませんね」
苦笑を浮かべるアルバに、ティエラも同意する。暫く互いにそれぞれ注文した料理を味わっていると、ティエラが何でもないことのように言った。
「祖父が持っていた伝説の武器は、グラムよ。聖剣グラム」
一瞬喉を詰まらせそうになったアルバだが、すぐに気を取り直して返事する。それでも驚きを隠せない呆然とした口調になってしまったが。
「―――それはまた…ええ………えらいビッグネームが出ましたね…」
伝説の武器の中でも、剣の類は特に多い。とりわけ有名なのは、と言われると二つか三つほどだろう。グラムはそのうちの一つだ。
そしてもう一つ、気づいたことがある。
「待って下さい………ではあなたの祖父というのは、まさか前団長アルボルのことですか?」
「そうよ、知ってるの?」
「知ってるも何も、グラムと言ったらその方、というくらい有名ですよ」
王立魔法騎士団の団長、その前任―――アルボル・プラートゥム。その威力は大地を切り裂くという聖剣グラムの所有者として、全世界に勇名を轟かせた人物だ。
「ふぅん、そうなのね。あたしに言わせたら、ただの孫ラブ甘々じぃじだったけど」
「あ、それ以上は言わないで下さい。オレの中の英雄イメージが完膚なきまでに崩れそうなので」
真顔でアルバが言うと、ティエラはきょとん、と目を丸くしたあと分かったわ、と笑う。
一呼吸おいて彼女は居住まいを正し、キラリと瞳を輝かせながら聞いてきた。
「見せてくれなくてもいいから、名前くらいは教えてくれない?あなたの持つ伝説の武器、何なの?」
ふむ。アルバはティエラの若葉の目を見返す。
英雄アルボル・プラートゥムの孫娘、か。調べれば直ぐバレるような嘘を言うメリットはないだろうし、何より彼女は実直で素直な性格らしい。ここまでの会話で何となくそれは知れた。
まぁ何かあればその時はその時だな、とアルバは小さく息を吐いて告げる。
「―――レイヴァテインです」
「えっ」
そのまま彼女は固まった。
アルバは彼女が復活する合間にスープリゾットを口にする。ああ、チーズがとても美味しい。この世界に転生してまず良かったと心底思ったことは、前世と同じくらい料理のレベルが高かったことだろう。
「…マジ?」
復活したらしい。
「マジです」
アルバを肯定するように、グラナードも一声鳴いた。
驚いた表情のままティエラは言葉を続ける。
「図書館でも聞いたけど、あなたそれ手に入れたばかりよね?」
昨日は右手をキラキラさせてなかった人間が、次の日キラキラさせていたものだからそれはもう驚いた。昨日会ったあと、一体この男は何処へ行ってそれを見つけてきたというのか。
この辺にレイヴァテインほどの伝説の武器があるような遺跡なんて、と疑問に思う彼女に、アルバは答えを与える。
「ええ、昨日見つけました。あなたと会った後、レーギャルン匣洞跡で」
「レーギャルン匣洞跡!?この近くの?」
「この近くのです」
「あの何の変哲もない?」
「確かに何の変哲もなかったですね、奥以外は」
「奥!?行き止まりの?あ、ちょ、待って、…一旦落ち着くから待って」
待ったをかけるように彼女は右手の平を突き出し、頭を抱えた。まぁ気持ちはわかる。何の変哲もない、既に調査済みの遺跡から伝説の武器が出てきたのだ。考古学者、ないしは歴史学者も目を剥いてひっくり返ったろう。
ティエラが落ち着きを取り戻している間に、食後の暖かい紅茶が運ばれてくる。それを一口飲んで、一拍。
「…よし。続きを話してちょうだい」
「あなたの言う奥の行き止まりに祭壇があったのですが、そこに魔力を通したら別の部屋に転移して…」
「待って待って待って」
ドウイウコトナノ。
再び頭を抱えた彼女に、アルバは苦笑する。これは少々長いランチタイムになりそうだ。
傍らを見ればすでにグラナードはお腹いっぱいになったのか、椅子の上で丸まって午睡を始めていた。
「―――隠された部屋かぁ…あの遺跡にそんなのがあったなんて。あなたの魔力にしか反応しないなら、見つからないのも当然ね」
「ええ、なのでこのことは秘密でお願いします。下手に知られて調査に引っ張り込まれても面倒く………勘弁して頂きたいので」
「本音が隠しきれてないわよ」
でもまぁわかったわ、そういうことなら秘密にしたげる。
言いながら彼女はすっかり冷めた紅茶を飲み干した。カチャリ、とカップを置いて、街路樹を見て、アルバを見て、グラナードを見て。そうして意を決したようにティエラが口を開こうとしたその時。
カァンカァンカァン!!
「―――何!?」
「警報…!?」
麗らかな空気に突然響いた劈くような鐘の音に、グラナードは跳ね起き、ティエラとアルバは腰を浮かした。
「魔物だ!西門から魔物が現れたぞーッ!!」
「騎士団と自警団が食い止めてくれているから大丈夫だ、落ち着いて避難しろー!」
恐らく始まりの街に住んでいる人たちだろう、声を張り上げて狼狽える者を冷静に誘導している。落ち着いて対処している所からして、こういったことは何度もあるのだろうか。
それにしても、騎士団?ここに来た時、騎士団なんていただろうか?そう思ってティエラに聞くと、今朝方来たみたいよ、と答えが返ってくる。
「これまで自警団がこの街を守っていたんだけど、最近魔物多いじゃない?手が回らないから、騎士団が派遣されて来たのかしらね」
「どの隊が来ているかわかりますか?」
「ちらとしか見てないから自信ないんだけど…旗が黄色だったような」
「…黄………ヴェガス隊か…」
よりにもよって、とアルバは少し遠い目をした。いやしかし、ヴェガス自身が赴いているとは限らない、と思い直す。
彼の隊は街の警護が主な仕事なので、隊長はあちこちの街を訪れては騎士を常駐させるか、一時的に派遣させるかを決めている。そのため一つ所に長く居ることは滅多になく、ヴェガスはあちこちの街に順繰りに訪れているらしい。その合間にアルバの元へ訪れては勧誘していたのだから、なんともバイタリティ溢れる人物であった。
ともかく、ヴェガスがいようがいまいが、顔見知りの多い彼の隊が魔物と戦っていると聞いて、見過ごすことなど出来ない。アルバは助太刀に行こう、と即座に席を立つ。
「知ってる人なの?」
「少し縁がありましてね。大丈夫だとは思いますが…様子を見に行ってみようと思います。あなたは避難を」
肩に乗ったグラナードを確認しながら、アルバは避難しろ、とティエラに告げる。が、それを聞いてティエラは不服そうに言い返した。
「何言ってるの、あたしも行くわよ。一応これでも剣士の端くれよ、じぃじにこれでもかと剣術叩き込まれてるんだから」
「おや、それは頼もしい」
奢ると言っていた彼女は、律儀にもアルバの分までテーブルに代金を置いてから、にっこりと茶目っ気溢れる笑顔で更に言う。
「それにあわよくばレイヴァテインをこの目で見られるかもだし?」
「…あれは強力すぎるので、そう易々と出しませんからね」
「あら残念」
ちっとも残念そうではない様子の彼女を後目に、アルバは避難する人の波を避けながら西門へと駆け出した。
辿り着いた西門は避難を呼びかける騎士の声と、逃げ惑う住人の叫び声、そして魔物の吠え声で溢れ返っていた。
一旦は街の中に入って来られたようだが、今は騎士たちがどうにか西門の外側まで押し返したらしい。
この街の自警団と協力し合っているようで、内側のちょっとした広場には負傷した騎士や、自警団の人間が多くいた。それぞれ他の騎士、もしくは自分で自身に下級の治癒魔法をかけて傷を回復しては、再び外へと出て戦っているようだ。
「クソっ…魔物の数が多すぎる…」
「一体何だってんだ、普段はこんな押し寄せてくることなかったのに」
負傷した者が口々に言っているのを聞き、アルバは眉根を寄せる。外にどれだけの魔物がいるのだろうか。
改めて門へと目を向けたところで、新たに負傷者が何人か運び込まれるのが見えた。
「場所を空けてくれ!新たな負傷者だ、おいしっかりしろ!」
ざっと見るに四肢を失った者はいないようだが、傷口が深く出血の多い者がいるらしい。意識もないのかぐったりしているのを見て、アルバは考える前に駆け出した。広場の惨状に声を失っていたティエラも慌ててついてくる。
運び込まれた騎士たちは、ある者は腹を貫かれ、またある者は足や肩に大きな歯形があって千切れる寸前であった。その命に関わる、一刻を争う事態にアルバはすぐさま声をあげる。
「怪我人をオレの周りに!特に重症な者は近くへ連れて来なさい!」
「え…」
「ア、アルバ様!?何故ここに、その恰好は一体」
「早く!!」
アルバの一喝に、はいっ、とアルバを知っていた騎士が慌てて他の連中に声をかけた。たちまちのうちにアルバの周りに怪我人が集まり、それらを一瞥してから彼は地面の石畳に手を付いて、深呼吸を一つした後に呪文の詠唱を始める。
『かけがえなき脈動、熱く滾る血潮、息づく命の尊き輝きよ…』
フォン、とアルバを中心に輝く魔法陣がかなりの広さで展開された。その通常ではありえない大きさの魔法陣を見つめ、アルバを見つめ、誰かがぽつり、と口にする。上級魔法だ、と。
『連綿とする流れの果て、彼の者を愛し、彼の者を慈しみ、永きを見守る英霊たちに希う』
なるべく使わずにおこう、と決めた上級魔法だが、緊急事態に出し惜しみする気はこれっぽっちもなかった。だいいち重傷者を前に使わないなど、そんな思考はゴミ箱へボッシュートである。
『不屈の意思持つ彼の者たちに、再び立ち上がらんとする喜びを!―――生命の謳歌!!』
発動と同時に暖かな光が負傷者を包みこみ、瞬く間に傷口を再生させて治していく。意識を失っていた者も目を覚ましたらしく、すっかり完治している自身の状態に戸惑っていた。
あれだけ居た負傷者全ての傷がすっかり癒えるのを目の当たりにし、傍で見ていたティエラは凄い、と驚嘆する。
「アルバ様…流石ですね、…これでまた戦えます」
「ありがとうございます…!」
「礼はいいです、それより魔物はそんなに手強いのですか?」
顔見知りらしい騎士たちが口々に礼を言うのを止め、アルバは門を見つめながら問うた。ハッとしたように騎士の一人が答える。
「はい、一匹だけやたら大きくて強い魔物が居て…多分メガロハバーリだと思うのですが、アレほど大きい個体は見たことがありません」
「その一匹だけならここまでの被害は出ず、我々だけでも何とか倒せたと思うのですが、一緒に引き連れてきたらしいアプリュコスの数が多く…」
隊列を乱されてこのザマです。
情けない、と項垂れた騎士たちだったが、そうだ!と、うち一人が顔を上げた。
「皆、動けるな?治ったなら行くぞ!あんだけ魔物が居るとヴェガス隊長でも危険だ!」
「あ、ああ、そうだな!…あの、アルバ様…出来れば…」
一緒に戦っては頂けないか、と騎士が言い終える前に、アルバは門へ向かって駆け出していた。弾かれたようにその後を騎士や、自警団の人たちが追いかける。
門の外へ出るとそこは血の匂いと剣戟、呪文を唱える声と魔物の咆哮で溢れており、まさに乱戦といった様相にアルバは顔を顰めた。誰かが火の魔法を使ったらしく、肉が焦げる酷い匂いも漂ってくる。
「確かに数が多いな…!」
すら、と腰のレイピアを引き抜き、すぐ傍に居たアプリュコスの首を一息に突き刺して絶命させ、アルバは素早く周りを見渡しては一瞬で状況を把握した。
応戦する騎士とアプリュコスの数はほぼ同じ、だが戦場の奥に強烈な存在感を放つ巨体が騎士たちの足並みを乱している。
―――メガロハバーリ。猪の姿に似た、大きな牙と強力な突進が脅威の魔物だ。
「なにアレ…かなり大きくない!?」
隣に駆け込んできたティエラが、メガロハバーリを見て叫ぶ。
彼女の言う通り、通常のメガロハバーリは人より一回り大きいくらいの魔物だ。それが平均的な家屋一軒分の大きさを持っているとあれば、歴戦の勇士たちが手を焼くのも頷ける。何よりアプリュコスの数が多いせいで、メガロハバーリに決定的な一撃が入れられない状況とあっては苦戦するのも致し方ない。
「アルバ様はメガロハバーリを!ヴェガス隊長もそこで戦っているハズです!」
「アプリュコスは我々が引き受けますから!」
怪我から復活した騎士たちがアプリュコスの気を引き、メガロハバーリまでの道を作る。彼らが打ち損ねた一匹二匹は、ティエラが腰の剣を引き抜いて鮮やかに切り倒した。その無駄のない動きに、ティエラがかなり熟達した腕前であることを知る。
その力量に感心し、今は信頼を置くことに決めたアルバは、集中するために自らの剣を納め、メガロハバーリを打ち倒すべく走りながら呪文を唱えだした。
『―――悠遠の彼方から現れ出でたる、蒼穹の支配者よ…!』
門の外は街道、辺りは拓けている状態。そして見たこともない巨体を持つ魔物相手に、手加減は無用。遠慮なく上級魔法をぶち込むつもりだ。
『轟き鳴りし大喝添いて、絢爛たる空曲の軌跡、慈悲をもって刹那に振り下ろさん!』
乱戦の奥、アプリュコスの輪を抜けた先、見慣れた背中が見えた―――ヴェガスである。
今まさにメガロハバーリの突進を食らわん、というタイミングで、アルバは上級魔法を放った。
『雷撃の審判!!』
ドオオオオォォォン!!!
凄まじい轟音を響かせながら、巨雷がメガロハバーリを打ち据えていく。あまりの威力と衝撃に、アプリュコスたちも驚いて一目散に逃げて行ったのは計算外だったが、結果的には助かったのでオッケーだろう。
あっという間に静かになったそこに残ったのは、近くに居て吹っ飛んだ、あるいは尻もちをついて呆然としていた騎士たちだけだ。同じようにバランスを崩して膝をついていた隊長の元へ、アルバは素早く走り寄る。
「ヴェガス隊長!無事ですか」
「アルバ!やっぱお前か…なんつー魔法放つんだ、耳がイカれたかと思ったぞ」
耳元をトントン、と叩きながら、突然現れたアルバにあまり驚きもせずヴェガスは笑った。
かすり傷だらけではあるが目立って大きな傷は負ってないのを見て、アルバは小さく息を吐く。場数を多く踏んでいる隊長だからこそ、未知の大きさの魔物相手でも上手く立ち回れたようだ。
「タイミングの良いやつだな、旅に出たと聞いていたがまさかこの街に居たとは」
「あなたこそ、何故この街に?…自警団では間に合わないほど、事態は逼迫しているのですか」
「そうだな…いや、コイツはまだ軍事機密だ。お前さんでも教えるわけには」
いかない、とヴェガスが言った時。隊長、と騎士の誰かが悲鳴のように叫んだ。
見ればアルバの上級魔法で倒れたハズのメガロハバーリが、ゆっくりと立ち上がる所。
あの上級魔法をまともに食らってまだ立ち上がるのか、という驚愕と同時に、どうやったら倒せるのか、と忍び寄る絶望が騎士たちの中に走る。ヴェガスとティエラも再び剣を構え、いつでも切り込めるようにと軸足に力を込めた、のだが。
『呪文詠唱省略―――雷撃の審判!!』
ズドドドォォォーーーーーーンン!!!
再度響き渡った轟音に、今度こそメガロハバーリは地に付した。その身体から、ふと黒い靄のようなものがぼんやりと浮き出てくる。それは空中に霧散して消えていったのだが、何故だかアルバはそれが無性に気になった。
ともかく巨体メガロハバーリの身体は残っている。騎士団はこれを王立魔導研究機関に運んで、何故ここまで巨大化したのか、この街を襲ったのかと隅々まで調べるだろう。出来たら後で結果を聞かせてもらえないだろうか。
そう思い、ヴェガスに頼もうと振り返ったアルバであるが。
そこには、本日何度目か。驚愕に目を見開いたままアルバを見つめるヴェガスと、ティエラと、騎士たちがいた。彼らの想いは皆同じである、すなわち。
―――今、コイツは、何を、した?
先ほどと同じ上級魔法を放ったのはわかる。わかるが、そこまでのプロセスがわからなかった。呪文詠唱を破棄した、のか?いや、一言とはいえ呪文らしきものは口にしていたので、省略したのだろうか?省略?何だそれは。そんなことが可能なのか。
古今東西、エレフセリアの何処に行っても、呪文省略する魔法使いなんて聞いたことがない。しかも上級魔法を。
彼らの戸惑いを察して、アルバは己の過ちを悟る。
(―――失敗したな。呪文を省略したのは…マズかったか)
思い返せば、呪文省略なんて〝英知の図書館〟で編み出した自身のオリジナル魔法だったのだ。皆知らないのも無理はない…思わず自分でも、やっちまったと無になってしまう。
「………お前、やっぱ騎士団入れよ………」
さすがのヴェガスも、驚愕のあまりショックから立ち直れないまま、けれど取り合えずコイツは放っておけないと思ったのか、条件反射のように告げた。
もちろん残念ながら、丁重にお断りさせていただく所存である。
▼ティエラ・プラートゥム
身長:164cm/体重:52kg
年齢:18歳
髪の色:黒/目の色:若葉色
イメージカラー:胡桃色
武器:片手剣、ナイフ