始まりの街―イニティウム―①
この世界には様々な職業の者がいる。
大体は地球とそう変わらないだろう、名前が違うだけでやっていることは殆ど同じだ。
例えば警察や自衛隊はこの世界ならば騎士団、あるいは自警団がその役割を担っているし、医者や教師だって普通にあれば画家や小説家、はたまた職業斡旋所なんかもある。
魔法がある世界特有の職業もあるにはある。例えば今大通りを歩くアルバの目の前にあるのは魔道具屋だが、魔力を使用した、もしくは魔力で使用する道具が売られている。こういったものは地球にはないが、魔力ではなく電気を使用すると考えれば、前世の世界に共通するものも多く見受けられた。
(面白いな。結局何処の世界でも、根本的に人間が辿る道筋は同じというわけか)
そういうワケで転生前の世界と今の世界で何が異なるのか、と大きく言えば主に手段であろう。地球では機械が使われていたように、ここでは何をするにも魔法というものが使われる。
(確か生活魔法は、〝時の御遣い〟と呼ばれた魔法使いが地水火風の精霊王と永続的な契約を交わし、簡単な魔法として誰もが使えるようにしたものだったか)
一般的に生活魔法は下級魔法を更に簡単に、人々の営みに寄り添うよう威力と魔力消費を抑えられた、子供から老人まで誰もが扱えるよう進化した魔法だ。
魔力が多い少ないに関わらず、魔法が使えないという者はなく、皆当たり前のように使用する。
(この世界の歴史も興味深い。さしあたって暫くは、その一端を垣間見る遺跡とか探検してみようか)
さて、話が逸れたのでもう一度冒頭に戻ろう。この世界には様々な職業の者がいる。
そういった者がその道を進もうと決意する時、新たに何かを始める時、転職する時、そして仕事をやめ、第二の人生を歩む時。
人々はここへ集まるのだ。それは長い時の中で、いつの間にか出来たこの世界の風習のようなもの。特に伝説があるわけではない―――が、人は親しみと決意を込めてこの町をこう呼ぶ。
始まりの街と。
―レーギャルン匣洞跡―
街の中心には大きな噴水が鎮座しており、そこには現在の生活基礎の礎を築いた王都エンハンブレ初代国王の像がある。その像に誓いを立てるように願い、神官による祝福を受けるため、そこは一種の祭壇のようになっていた。
この街の人間ではない大方の人間は、大抵が儀式めいたこの儀が目的である。
アルバも旅立ちにあたり、験担ぎでここへ訪れた―――わけではない。
(人が集まればそれだけ、情報が集まるからな)
ここへはこの先の旅に必要な情報を集めに来たのだ。世界の情勢、魔物の噂、歴史の欠片。何が得られるのか考えただけでもワクワクする。
そう思ったそばから。
「なぁ、王都への道にまた魔物が現れたって知ってるか?最近多いな…」
「ああ、ヴェガス隊だけでなく、アダリス隊、エスピガ隊も駆り出されてるらしいぞ」
「それだけ動いても、原因不明なんだろ?まったく、用心棒雇うのもタダじゃねぇから早いとこどうにかして欲しいよな」
「一体何が起こってるんだろうな……」
道の端の方で荷降ろししている男2人が、最近の魔物の動きについて不安を口にしていた。
彼らの疑問は、そのままアルバの疑問でもある。少し前にもヴェガスから話を聞いていたが、やはり一向に原因は分からないらしい。強力な魔物でも出て、生態系が崩れてんのかと思いきやそうでもねぇようだしなぁ、とボヤいていたのを思い出す。
(魔物が来るのは、西からが多いそうだが…)
旅の道すがら、そちらの方の原因究明もしてみるかと魔物については一旦置き、アルバは大通りを更に歩いていく。
さほどもしないうちに、特徴的な大きい建物が目前に現れた。一見すると塔のような―――多分地球で言うならば、ロンドンの時計塔が近いがそれよりは小さい―――その建物は、この街の図書館である。
「この街に近い遺跡―――レーギャルン匣洞跡について調べたいのですが」
受付の司書にそう告げると、畏まりました、少々お待ちくださいと返事が返る。司書が机の上にある小さな筐体に刻まれた魔法陣に手をつくと、音もなく空中へこの図書館の全体図がホログラムのように現れた。この魔道具の仕組みについては専門的な知識も交えて説明しなければならなくなるので、今は割愛させて頂く。
「その遺跡について書かれている本はいくつかあり、全て三階の西の棚に収められています」
「ありがとうございます。本のタイトルはどのような?」
「メモに記しておきましょう」
図書館内部はこれぞファンタジーといったもので溢れていた。一階一階の天井がとにかく高く、中心は最上階まで吹き抜け。階段は一応あるが上下の移動は主に転移魔法陣によって行われている。また、通常では手が届かない位置にある棚の上部の本は、脚立ならぬ浮遊魔道具によって取りに行けるようになっていた。
王都にある王立図書館ほどではないにしろ、ここもそれなりに大きい。収蔵する本の数も半端ではなく、棚に収められた数多くの本を眺めながら、アルバは目的の本の元へと歩いていく。
「あっ!」
バササッと目の前で何冊かの本が落ちた。上を見れば浮遊魔道具に乗った女性が身を乗り出して下を確認している所。
「ごめんなさい!当たらなかったですか!?」
慌てて降りてくる女性に、大丈夫ですよ、と返事をしながら落ちた本を拾う。何気なくタイトルを流し見てみれば『伝説の武器』『神の残した聖遺物』『神剣の担い手』といった文字が見えた。歴史学者か、考古学者か何かなのだろうか。
「ありがとうございます。片っ端から浮遊魔道具に積んでたら崩しちゃって…」
「いえいえ。お気を付けて下さい」
「はい!」
太ももまで艶やかな黒髪が伸びた年若い女性だった。アルバが拾った本を受け取る女性は、タンクトップに短パンと少々肌の露出が多い動きやすそうな服装に、よく見れば腰に細身の剣がぶら下がっている。パッと見、とても考古学者などには見えない。
アルバから本を受け取り、ぺこりとお辞儀をしながら女性は去っていった。その後ろ姿を見送って、アルバは改めて自分の目的の本を探す。
さて、ここで少しこの世界の歴史に触れておこう。
この世界は神々と精霊が協力して作ったと言われており、現在でもそれらの存在に関しては人々の本能に深く刻まれている。というのも、魔法はそれらの存在がなければ使えないものだからだ。
しかしその魔法が一時使えなくなった時代があった。神と精霊と魔族が互いの縄張り争いにより、人類を気にかける余裕がなくなって力を貸せなくなったのだ。歴史はそれを神魔乖離時代と呼んでいる。
その時代では神と精霊、魔族により様々なものが生み出された。今でこそ伝説と称されている武器や、防具、そして各地に散らばる遺跡群に聖遺物などがそうである。
(先ほどの女性が持っていた本も、その類の本だったな)
彼女が持っていた本のタイトルを思い出しつつ、アルバはようやく見つけた目的の本を手に取った。
これから向かおうとしているレーギャルン匣洞跡も神魔乖離時代に生まれた一つであり、それは主に敵を迎え撃つため、精霊が砦として築いた遺跡だった。
(流石に今じゃあ調査されつくしていると思うが…)
レーギャルン匣洞跡のような遺跡は、探せばいくらでもあるありふれた遺跡と言ってもいい。ゲームでいえば、初期に訪れる初心者向けのようなダンジョンだ。
「初心者向け結構。しかし魔物の動きがおかしいようだし…ある程度は用心して行くか」
遺跡の状況と場所、そして構造については本に十分載っており、調査はされていたが特に歴史的な価値以外はこれといって特徴のない遺跡のようだった。自分が行くことで都合よく新しい発見があるとも思わないが、探索してみてもいいだろう。
パタン、と本を閉じ、棚に戻してアルバは図書館を後にする。
遺跡は町から東、僅かに街道を逸れた森の中にあるらしい。比較的行きやすい場所だ。しかし森に足を踏み入れたところで、アルバは微かな違和感を感じた。
(―――精霊の気配…?人もそれなりに通る街道の傍で、珍しいことだな…)
精霊は人に力を貸す好意的な生き物だが、人前に姿を現すことは滅多にない。〝英知の図書館〟では多くの精霊と出会い話をしたが、ここに転生してきてからは精霊の姿を見ることは数えるほどしかなかった。にも拘わらず。
『アルバ~!』
『久しぶり~!』
ぱたぱたと、背に小さく虹色に輝く羽を生やした、人間をちんまりとしたような生き物がアルバの眼前に現れる―――下位精霊だ。
「森の精霊たち…」
〝英知の図書館〟以降あまり目にすることのなかった森の精霊たちに、アルバの口元もふわりと和らぐ。ふわふわと飛んでいる精霊たちはアルバの周りを旋回しながら、けれど彼の歩みを止めることなく付いていくようだ。
アルバがレーギャルン匣洞跡に向かっていることを知ると、森の精霊たちは道案内するかのように先導しだした。
『こっちこっち』
『入口いっぱいあるよ』
『レイヴァテインを取りに来たの?』
「―――レイヴァテイン?」
それは四大精霊王が協力して創り、遺したとされる伝説の武器だ。〝時の御遣い〟と呼ばれる魔法使いが貰い受けたとも言われ、それは精霊との結びつきを強くして魔法の威力を高めるという。
それが。
「レーギャルンにあるのですか?」
そんなものがあるなど街の図書館の本にも載っていなかったし、レイヴァテイン自体あるのかどうか定かではないとされていた武器だ。まさかの掘り出し物の予感にアルバは浮足立つ。
『そうだよ、奥の方に封印されてるの。アルバならきっと認めてもらえるよ!』
―――認める?
それはどういうことかとアルバが問おうとしたとき、ふいに視界が開けた。降り注ぐ陽の中に、ゆったりと時の流れに身を任せる、半ば崩れて朽ちた遺跡が姿を現す。
「ここがレーギャルン匣洞跡…」
『アルバ、こっちこっち!』
森の精霊に導かれ、アルバは遺跡へと足を踏み入れた。形を整えた石を積み上げて造られたらしい遺跡は、長い年月で随分と苔むしており、内部は地下に降りる構造のせいかやや涼しかった。
地下に続くとはいえ天井はあちこち崩れており、陽の光が通路を照らしてくれているおかげで足元は良く見える。
匣洞という名の通り、そこは通路と大きな立方体の部屋と、階段が交互に続く造りになっていた。別れ道はいくつかあるが、全て繋がっているために迷うことはない。
部屋に入る度あちらこちらに散らばっている皿や、割れた壺の欠片があるのを横目にアルバは呟く。
「生活の跡があるな。遺跡を造ったのは精霊なんだろうけど…その後人間が使用していたというのは本当のようだ。野盗の類かもしれないが」
『そうだよ、精霊にはもう必要無くなったから人間にあげたって聞いた~』
『でも奥には入れなかったから、レイヴァテインがここにあることは伝えられなかったみたい』
『教えても入れないなら仕方ないって、だから僕たちも教えなかったの』
精霊たちの説明に、なるほどとアルバは頷く。図書館の本にレイヴァテインについての記載が無かったのは、そういう事かと納得した。
『でもアルバなら入れるかも~!』
一柱の森の精霊の言葉に、今度は首を傾げる。なんだその、あなたは特別ですよみたいなノリは。
ゲームならばそういう時は大抵、主人公は特別な使命があったりなんだりするものだ。しかしながらアルバに、そのようなものはなければ心当たりもない。知識が山ほどあるだけの、ただの転生者である。
何となく、何かに巻き込まれかけているのだろうかと嫌な予感がしたアルバは、そっと精霊たちに釘を刺した。
「………面倒ごとはゴメンですよ?」
『面倒じゃな~い!』
『役に立つもの~!』
「分かりましたから、耳元で叫ばないでください!ただでさえ反響するというのに…」
精霊たちの声はやや甲高い。もう少し声量を抑えてくれと訴えながら三つ目の部屋へ辿り着いた時、精霊以外の生き物の気配を察してアルバは警戒する。
(…魔物か?殺気は感じられないが)
腰にある剣へ手を伸ばしつつゆっくり近づこうとしたが、精霊たちはお構い無しに気配のある方へ進んでいった。その様子に危険ではないと判断し、アルバもその後に続く。
「…これは」
そこには、愛らしい花紺青の丸まった毛玉が居た。この遺跡に住み着いているのだろうか。毛玉の正体を判じかねていると、精霊たちが教えてくれる。
『護り手さまだよ』
『レイヴァテインを護ってるの』
「……そういえば、本にもそのような記述があったな」
遺跡を精霊に代わり護る聖獣あり、と。ただしその体は人間をも超える巨体とあったはずだが。
「随分小さいが……子供だったりするのか?」
眠っているらしいモフモフの毛玉は、ようやくアルバの気配に気づいたのかパッチリと目を開けた。竜胆色の輝きが、逸れることなく真っすぐにアルバを見つめる。見た目は猫そっくりだが、額には鮮やかな柘榴石のようなものが埋め込まれていた。
「なぁお」
鳴き声も猫そっくりである。それはすくりと起き上がり、ゆったりと伸びをしてからアルバの存在を確認するようにくんくんと鼻を動かした。
何となく見定められている気がして、アルバはじっと猫―――本によれば聖獣らしいそれの行動を見つめる。
「なぁん」
やがて満足したのか、あるいは精霊たちが言っていたように認めたのか、聖獣はすっとアルバから離れた。と、思えば少し奥へ進んでこちらを振り返る。
「……ついてこいということか?」
どうやら奥へ案内してくれるらしい。元々本に記されていた最深部へ行くつもりであったので、アルバは迷うことなく聖獣について行くことにする。
聖獣が案内した先は更に地下深くへと沈む階段があり、覗き込むと流石に陽の光も届かないようで真っ暗だった。
『明かりよ』
闇夜を照らす生活魔法を唱える。アルバの声に呼応して、手のひらに拳ほどの光球が生まれた。それを先に行かせてから、アルバは慎重に階段を降り始める。
辿り着いた先は、これまで通ってきたどの部屋よりも二倍ほど広かった。
「本では、ここまでとあったが………それは?…祭壇?」
精霊たちが奥の祭壇へとアルバを引っ張る。見れば聖獣も、その傍にちょこんと座っていた。
『アルバ、ここに手を置いて魔力流して!』
『アルバの魔力なら反応すると思う!』
「はい?」
精霊たちが魔力を流せと指し示したのは、祭壇の上部にある女神像。まるで救いをもたらすかのように、優しげな表情で右手を差し出している。
一瞬躊躇ったアルバだが、遺跡を案内する精霊がわざわざ自分を危険な目に合わせるとは考えにくい。危ない目には合わないのだろうと判断して、アルバは女神像の手に自らの右手を置き、言われるがままに魔力を流した。
すると。
「―――な…!?」
女神像が立つ祭壇に、つまりアルバの足元に突如として魔法陣が現れる。それはすぐさま効果を発動し、動揺するアルバの体を更なる遺跡の深部へと送り出した。
「…なるほど、特定の魔力に反応して作動する転移魔法陣か…」
呆然と呟くアルバの目の前には、新たな道が伸びている。この先は、本にも記述されていない。つまり、神魔乖離時代以降、今まで誰も踏み込んだことがない領域ということだった。
―――まさか本当に、新しい発見をしてしまうとは。
『やっぱりアルバなら通れた!』
『レイヴァテイン待ってたんだね』
「んにゃぁ」
一緒に転送されたらしい精霊たちと聖獣が、早く早くと急かすように奥へ進む。今の転移は歴史的発見に等しい出来事なのだが、彼らには関係ないことらしい。
「はぁ、オレしか入れないなら他の人に知らせても無駄だろうしな…」
それとも自分が居れば、他の人も連れて来れるのだろうか?しかしそうすると恐らく、いや間違いなく、調査が終わるまで長く拘束されることになるだろう。
世界を回りたいアルバにとって、それは正直御免被りたいことだった。やはり黙っていよう、とこっそり決心したアルバの目に、新しい道に入ってから最初の部屋が現れる。
魔法で作られた光球がゆっくりと天井に昇り、部屋の全貌をぼんやりとだが照らし出した。
「…これがレーギャルンの最深部?」
転送されて辿り着いたこの場所は、これまで石を積み上げて作られたものと違って随分と雰囲気を変えていた。まず、壁や、床の材質が明らかに違うし、所々に紋様が彫り込まれている。
それに清浄で空中に漂う魔力濃度が濃く、確かにここは精霊が作ったものなのだということを教えていた。
「にゃぅ」
『アルバ、ここ!魔力を流せって~』
「はいはい。今度は何のカラクリですか?」
部屋に入ってすぐのところに、細い台座がある。ここ、と精霊たちが台座の上に乗ってる珠をぺちぺちと叩きながら告げた。
促されるまま、アルバは珠に手を置いて女神像の時のように魔力を流す。
すると台座の根元から青い光が勢いよく伸びて壁に到達したかと思うと、そこに刻まれていた紋様が力を得たかのように輝き出した。
光球一つでぼんやりと照らされていた薄暗い部屋が、生き返ったように昼間の明るさに満たされる。そうして現れた遺跡は、まるで神殿のような様相をしている事がはっきりとわかった。
「何とまぁ…こんな立派な建築物が、今まで誰の目にも触れられずにいたとは」
『綺麗だね~』
『あそこに扉があるよ!』
精霊たちが指し示すところに、確かに扉があった。しかしそれは固く閉ざされており、簡単には開かないようである。
よくよく見ればこの部屋の入口にあった台座と同じものが扉の両脇に設置されており、それは扉に刻まれている紋様に繋がっているようだった。
「…察するに魔力を流して開く仕組みだと思うが…」
しかし台座は二つある。しかもそれぞれ、それなりに離れている。
試しにアルバは片方の台座にのみ、魔力を流してみた。両開きらしい扉の片側が反応したが、やはり一方だけでは開かない仕組みらしい。
―――つまり扉を開くには、離れている両方の台座に同時に魔力を流す必要があるということだった。
「さて、どうするか」
「なぁん」
「ん?」
出直すべきかアルバが思案し始めた時、聖獣が床をてしてしと鳴らした。何かを伝えているらしく、精霊が翻訳する。
『あのね、アルバの魔力を分け与えて欲しいみたい。そしたら片方の台座は自分が魔力通すって』
「おや」
それは願ってもない申し出だ。アルバは有難く聖獣の言う通りにすることにした。聖獣に触れるため、しゃがみ込んで顔を覗き込む。見れば見るほど愛らしい聖獣は、額の宝石を指し示すようにずい、と頭をアルバに寄せた。
『宝石に魔力を込めるんだって』
「分かりました」
言われたとおり、聖獣の額にある宝石に手を翳して魔力を送った。すると宝石の輝きが増し―――何の予備動作もなく聖獣の身体が一気に巨大化する。
「っ!!??」
まさか大きくなると思わなかったアルバは、驚きのあまりしゃがんでいた体勢から尻もちをついた。そのまま巨大化した聖獣を見上げる。
大きくなった姿は人間の倍はあり、立派なたてがみのある………一言で言えば黒いライオンであった。額の宝石は天を突かんばかりに伸びて、揺らめく炎のように輝く角となっている。
「それがあなたの本当の姿ですか…もしかして、魔力不足で小さくなっていた?」
その通りだったらしく、ライオ…聖獣は、がぅ、と頷いた。ともあれ、これで扉が開ける。アルバは立ち上がって埃を払い、改めて台座の珠に手を置いた。もう片方の台座には、お手のように聖獣が手を置いている。アルバの合図で同時に魔力を流し込むと、扉に魔力が通って紋様が輝き出した。
ゆっくりと奥に向かって開いていく扉に招かれるように足を踏み出すが、その先の光景にアルバは息を飲む。
扉の先は、細かな装飾と光をもたらす紋様が刻み込まれた、白い壁に囲まれた部屋であった。床は円形状であり、その中心にそれがある。
「―――これがレイヴァテイン…?」
二本の、金属のような木材のような材質の蔦が上に向かって絡まるように伸び、頂点で宇宙を閉じ込めたかのような石―――〝蒼穹の欠片〟を守るように、あるいは支えているように囲っている、ハートを歪にしたような不思議な形の―――杖。
「てっきり剣だと思っていたが……杖だったのか」
魔法の一種なのか、それは毅然と自立して己を持つに相応しい主を待っていた。
引き寄せられるように、アルバは手を伸ばす。触れれば、それは自ら擦り寄るようにぴったりとアルバの手に馴染んだ。
自分を扱うに足る者が現れるのを永く待っていた杖は、喜びを示すかのようにキラリと〝蒼穹の欠片〟を輝かせる。
「……貰っても良いのだろうか」
『大丈夫だよー、レイヴァテイン喜んでる!』
『良かったねぇー!』
ヒュン、と試すように杖を翻しながらアルバは誰にともなく呟いたが、精霊たちがしっかりと肯定してくれた。それならば、とアルバは杖を持っていくことにし、改めてその姿を眺める。
大きさからしてそれなりに重いだろうと思っていたが、予想に反して杖は羽のように軽かった。が、長さが百五十センチほどもあり、持ち歩くには大きすぎて邪魔だなと思った―――その時。
「え…っ」
杖が輝いたかと思ったら、しゅん、とアルバの手に吸い込まれるようにして消えたではないか。一瞬混乱したアルバだったが、落ち着いてみれば不思議なことに自分の手の中に杖の存在を確認することが出来た。出てこいと念じれば、改めて目前にレイヴァテインが現れる。
「何と便利な…」
まさか収納可能でいつでも取り出せるとは。さすが四大精霊王が作った、伝説と謳われる武器である。
アルバはくるりと周囲を見渡した。目に入るのは白い壁であり、他に何も無いように見える。目的は達したと言っていいだろう。
「戻りましょうか」
杖を再び自分の中にしまい、アルバは聖獣と精霊たちにそう声をかけた。が、聖獣が何やら言いたそうな眼差しでアルバを見つめてくるので、何だろうと傍らにいる精霊に翻訳を頼む。
『なんか、連れて行って欲しいみたい』
『アルバと一緒に居たいって~』
『レイヴァテインがアルバの元に行ったから、もう此処に居る意味がないんだって』
予想外の言葉に、アルバは改めて聖獣を見上げた。くぅん、と巨体をアルバの身体に押し付けて、甘えるようにスリスリしてくる。
「…そういえば遺跡ではなく、レイヴァテインを護るために此処に居ると言っていましたね。しかしこれだけ巨体だと、街の中には…」
入れないだろう、と言い終える前に、聖獣は一瞬で猫の姿に戻った。これで問題なかろう、とでも言うようにドヤ顔でアルバを見上げる。確かにこれなら街に入っても大丈夫だろう。額の宝石については使い魔だからとでも言って誤魔化そう。
―――一人旅の予定であったが、可愛らしい連れが居てもいい。
「名前はあるのですか?」
問えば、聖獣はふるふると首を横に振った。そして今度は何やら期待するような眼差しを向けてくる。
ふむ、と少し考えて、キラリと輝く聖獣の額の宝石を見つめた。巨大化すれば、角のように伸びるそれのなんとも言えない美しさを思い出し、アルバは告げる。
「では、貴方の額の美しい宝石にちなんで。―――〝グラナード〟」
なぉん、と新たに名を与えられた聖獣―――グラナードは嬉しそうに鳴いて、喜びと感謝を示すようにアルバの足に身体を擦り付けた。
その仕草に、そういえば前世でやけに懐いてきた黒猫が居たな、と思い出して口元を綻ばせる。
「これからよろしくお願いします、グラナード。では戻りましょうか」
「にゃぁ」
『戻るー!』
『お外出たーい!』
森の精霊たちは総じて開放的なのを好むため、閉鎖された空間に長く居るのは精神的につらいのだろう。ここまで案内してくれたことが珍しいのだ。
早くと急かす彼らに引っ張られながら、アルバたちは転移魔法陣で元の石造りの遺跡に戻る。しかし天井が所々崩れて陽の光が漏れている場所に出ると、精霊たちは一様に動きを止めて怯えるようにアルバの背後へ隠れた。
「どうしました?」
『なんか、怖い気配がするの…』
精霊の一柱がそう告げた時、ずん、と重そうな音がして漏れていた陽の光が陰る。それはずん、ずん、と一定の音をさせて付近を歩き回っているようだ。
グラナードが警戒するように低く唸る。
「…魔物か」
彼らの反応に上に居るものの正体を察し、アルバも天井を見上げた。足音から察するに、それなりに重量、大きさがあるものだろう。
足音をさせぬよう慎重に歩を進め、天井と一緒に壁の一部が崩れて外の様子が伺える場所まで行くと、アルバはそっと隙間から地上を見上げた。
「…マンドレンティス…」
それは樹の化生が昆虫と合わさったもの。ぱっと見は大きな切り株を背負った巨大なカマキリだ。
それもまた例に漏れず、人里近いこんな場所に出てくるような魔物ではない。これはもっと奥深い森、魔力の濃い地域に住むものだ。
足音と視界から見るに一匹だけのようだが、脅威であることに違いはない。滅多に遭遇しないので、データそのものが少ないのだ。アルバも図鑑でしか見たことがなく、故に行動は更に慎重になった。
『火』
『火だね』
『弱点!』
「…まぁ見る限り明白ですね」
精霊たちが口々に小声で囁くのに、アルバは苦笑を浮かべる。古今東西、もちろん前世の世界においても、木や生物の類は皆火に弱いと相場が決まっているものだ。
しかし。
「森のど真ん中だからな…ピンポイントで当てないと、後が面倒そうだ」
下手を打てば火事を引き起こしかねない。しかもここには遺跡がある。あまり大きく立ち回ってマンドレンティスを刺激し、歴史的に貴重な遺跡を壊されでもしたらたまらない。
範囲は小さく、効果は最大に。
(…となると、的を絞れる中級魔法…しかし威力に不安がある。一撃で仕留められるかどうか…)
その時ふと、右手が熱くなった。そこにある存在を思い出して、アルバは再び空中に音もなくそれを出す。
金属とも木材ともつかない輝きを纏ったレイヴァテインは、自ら添うようにアルバの手に収まった。その特性は、魔法の威力を高めるという。
(どれほど威力を高められるかは分からないが、少なくとも1.5~2倍くらいは…それを確かめるためにも、ここで使ってみるか)
「…グラナード。囮を頼めますか?」
「にぁーあ」
任せろ、とでも言うようにグラナードは外へ駆け出していく。それを見送りながら、アルバもそっと遺跡の影に隠れながら外へ出た。
視界の端にマンドレンティスの姿を捉えつつ、小声で呪文を唱え始める。
『火の精よ…我が願いに応えよ。その身は猛き火槍となり…』
アルバとは反対の方から、ガサ、とグラナードが草木を鳴らしながら駆けた。その音に反応し、マンドレンティスがそちらへと顔を向ける。
『我が道を阻む者を貫きたまえ…!』
レイヴァテインの要らしき〝蒼穹の欠片〟が輝き出す。その光にマンドレンティスが反応するかしないかのうちに、アルバは魔法を放った。
『緋炎槍!!』
槍の形になった炎が空中に現れ、マンドレンティスに向かって飛んでいく。隙を突かれたマンドレンティスは避けることも出来ず、一気に貫かれ―――
「え」
爆発して火柱を起こした。
『きゃー!』
『あつーい!』
『アルバ、水ー!水ぅー!!』
「ちょ、待って、中級魔法ですよ!?爆発して火柱って、想定していたより威力がでか…ッ」
アルバの言う通り、先ほど放った魔法は対象に刺さって燃やし尽くすだけの魔法だ。レイヴァテインにより、火の威力が多少強まる程度と思っていたが、結果は爆発と強烈な火柱を引き起こした。最早上級魔法並、二倍どころか三倍以上の威力がある。
かなり強化された魔法を受けてマンドレンティスは跡形もなく燃え尽き、残った火がその足元にあった草木を嘗め尽くそうとしていた。
『水よ!』
延焼を抑えるため慌てて水の生活魔法を放つ。その時うっかりレイヴァテインを介して放ったため、通常はバケツ一杯分のはずが、ちょっとした風呂釜一杯分の水が出てきて、アルバは最早乾いた笑いしか出なかった。
「…少し、慣れが必要だな」
感触からしてある程度出力も抑えられるはずなので、アルバは慣らすために暫くレイヴァテインを使うときは、なるべく生活魔法と下級魔法しか唱えないでおこうと心に決めた。―――とんでもない武器を手に入れてしまったものだ。
なぁん、と小さな鳴き声がしたかと思えば、足元にグラナードが擦り寄ってきている。囮をかってくれた小さな連れに改めてお礼を言い、アルバはレイヴァテインを再び手の中へ仕舞った。
彼方を見れば、空は既に夕暮れに染まっている。
「一度始まりの街に戻りましょうか」
『帰っちゃうの~?』
街へ帰ると言ったアルバに、森の精霊たちは寂しそうな顔をした。一緒についていくことも出来るが、出来れば森から離れたくはないのだろう。精霊は己の存在を肯定するものから、長く離れていることは出来ないのだ―――〝英知の図書館〟という例外を除けばだが。
「また逢いに来ますよ」
『ホントに?』
『待ってる~!』
アルバの言葉に、精霊たちは嬉しそうな声を上げる。だがすぐにその顔は不安そうなものに変わった。どうしたのかとアルバが首を傾げれば、精霊たちは不安の元を口々に言い始める。
『さっきの魔物もだけど…他の魔物もなんだかおかしいの』
『西の方がざわざわしてて落ち着かない!』
『森全体が怯えているみたい…』
それはここの所あちこちで起こっている異変のことだった。やはり精霊たちも異変を感じ取り、不安に思っているらしい。
異変に関する情報が欲しかったアルバは、続けて精霊たちに問う。
「原因は分かりますか?」
『んっとね…怖くて逃げてきたからからよく分かんないけど…空気がぐるぐるしてるみたいだった』
「ぐるぐる…?」
抽象的すぎてよく分からない。精霊たちも、他にどう言い表せばいいのか分からずにいるのだろう。ちょっと困った顔になっているのが可愛い。
―――これは実際にそこへ行って見てみるしかないか。
「西の森の…詳しい場所は言えますか?」
『えと、大きな湖があったよ』
『湖の精霊たち大丈夫かなぁ…』
森の中には大小様々な湖があるが、西の大きな湖といえば大分絞られるだろう。街に戻ったら地図で確認しよう、とアルバは戻ったあとの行動を決める。
「湖ですか…分かりました、探してみましょう」
『アルバが一緒に来てくれるなら、近くまで案内するよ!』
「それは助かります」
森を熟知している彼らが案内してくれるなら心強い。願ってもないことだと、アルバは微笑んだ。
「ではその時になったら声をかけますね。ありがとう、森の精霊たち」
『またね、アルバ―!』
『また遊んでねー!』
ひらひらと飛び回りながら見送る精霊たちと別れ、アルバはマントを翻す。その肩にひょい、とグラナードが飛び乗った。思ったより軽い聖獣に笑みを零しながら、アルバは西を見つめながら歩き出す。
一瞬沈みゆく太陽が、揺らいだ気がした。
▼アルバ・カエルム
身長:176cm/体重:64kg
年齢:18歳(※18で成人。前世と英知の図書館時代を含めると200年程)
髪の色:亜麻色/目の色:アクアマリン→サファイア(天色)
イメージカラー:夜明けに近い青
武器:聖杖レイヴァテイン、レイピア、ナイフ